星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

10.星降る夜に

「いやー、参った参った」
「まさか音楽堂に出るなんてねー」
「ポー先生とレイハール先生が二人して揃ってるんだもんなぁ」
 夜もそれなりに遅い時間になって、ようやくお叱りから解放された三人は、互いにぼやき合いながらとぼとぼと植物公園を歩いていた。既に花火の時間は終わり、満天の星空には静かな星の瞬きと、じっと佇む二つの満月だけがある。
 きっかけは、リュートが保管庫の奥で見つけた別の通路だった。保管庫に並んだ品々は、ミーナとラッセルの興味を引くには充分だったが、リュートにとってはさほど面白いものでもなかったらしい。退屈した彼が二人を急かし、ほどなく探検再開となったのである。
 漠然と、日を改めても大丈夫だという予感があってミーナも賛成したのだが、辿り着いた先が学院の音楽堂にあるパイプオルガンの裏手、調整室だったのが運の尽き。暗がりですぐにはそれと気付かず、明かりに誘われるままに扉を開けたところで、ポー先生夫妻とレイハールが談笑している場に出会してしまったのだった。逃げようも誤魔化しようもなく、ある程度、正直に事情を説明し(ミーナやラッセルの秘密に繋がりそうなことは伏せておいた)、現物を見せ、小言と処分を仰せつかったところで、ようやく解放されたのである。
 ミーナとラッセルに下された処分は、冬休み没収と遺跡調査の手伝いであった。
「全く、大変なものを見つけてくれたわね。あんた達、ちゃんと責任を取りなさいよ」
 レイハールは半ば笑いながら二人に命じた。もとより遺跡には興味津々の二人なので、実際には処分と言えるものではないだろう。
 こうも軽く収まったのには、意外な理由があった。
「でも、お母さん達もアタックしたことがあったなんて、僕、知らなかったよ」
 ラッセルが改めて驚く。
 レイハールとポー、それにラッセルの母クレンの三人は、ちょうど今のミーナやラッセルと同じくらいの歳の頃に、同じようにして遺跡の扉を開けようとしたことがあったそうだ。これは顰めっ面でミーナ達三人を見下ろす両先生の隣で、ポー先生の奥さんが笑い転げながらバラした話だ。
「開かなくて頭にきて、禁破りの魔法をぶっ放したのは誰だったかしら?」
「そ、それはだなぁ。オホン」
 土爪族モーラのポー先生はわざとらしく咳払いをして顔を横に向け、レイハールも気まずそうに視線を逸らす。
「学院始まって以来の悪ガキトリオの面目躍如、て、たいそう評判になったんだから」
「こ、こら、ユン。その話はもう……」
「あなた、ちゃっかり自分のこと抜いたでしょ」
「だって私は、あん時のトリオに含まれないもーん。それでね、この時の武勇伝には続きがあるんだけど、これがまた傑作で……」
「わーっ! 解ったから、二人の前ではもう止めてーっ!!」
 ……といった具合である。ちなみに、この騒動のおかげで扉を開けた方法についてはうやむやとなり、ラッセルが胸をなで下ろしたのは言うまでもない。
「あんなに慌てた先生の姿、あたし初めて見た」
 ミーナもそのときの様子を思い出して、思わず笑ってしまう。「沈着冷静」というのがミーナの持っていたレイハール像だが、本当のところは違うのかもしれない。
「そーお? ポー先生、家ではいつもあんな感じだけどなぁ」
「それは、奥さんが一緒だからじゃない?」
「んー、言われてみればそうかも」
 ひとしきり思い出し笑いをしたところで、ラッセルは不意に話題を変えた。
「ねえ、ミーナ」
「なぁに」
「ショウちゃん、だっけ。あのサンショウウオ、ミーナになんて言ったの?」
「え?」
 急に問われて咄嗟に言葉に詰まるミーナ。
「いや、ミーナが泣いちゃうくらい嬉しいこと、て何だったのかなー、て。あ、嫌なら別に構わな……」
「そーそー。そうだぜ、ミーナ。おいら達、すっげービックリしたんだぞ。つーか、今でも心配。本当に平気なんか?」
 遠慮がちなラッセルを遮るように、リュートが会話に割り込んでくる。その勢いに思わず目を丸くしつつ、ミーナは安心してほっと息を吐いた。ああ、そっちの話か。
「本当に大丈夫よ、リュート」
 ありがとう、と彼に微笑んで見せると、
「ショウちゃんはね、『オニなんかじゃないよ』て、あたしに言ってくれたの」
 二人に教えた。もっとも、これだけじゃチンプンカンプンだろう。足を止めたミーナは、左手に東屋を見つけ、そちらに向きを変えて歩いて行く。
「あたし、赤ん坊の時にお婆ちゃんに拾われて育った、て話は、前にしたよね」
「ミーナが自分のことをもっと知りたい、て思う理由だよね?」
「そう。でもね、それだけが理由じゃないの」
 言う間に東屋に辿り着く。ミーナは立ち止まって、腰ほどの高さの柵に手を乗せた。
「あたしさ、村にいた頃、みんなから“オニ”て呼ばれてからかわれてたんだ」
「オニ?」
 ラッセルが「知ってる?」という風にリュートを向くが、リュートは首を横に振る。
「そ、オニ。その頃はオニがどんなものかは知らなかった。それでも意地悪されてることは判ったから、オニ、て言われるのがとっても嫌で。お婆ちゃんは『あんたがオニなわけあるかね』て言って笑ってたけど、肝心のオニが何かはついぞ教えてくれなくて……」
 柵に手を置いたままで、顔を上げる。東屋の屋根を見上げながら、例の古文書に出会った時のことを思い起こした。
「ラッセルに見せた古文書にね、オニのことが書いてあったの。ちょうどこんな姿で」
 帽子を脱いで月明かりに角の生えた自分の姿を晒すと、ミーナは文書の記述を諳んじた。
「『ヒトの体に二本の角。人語を解し、書物を能くする。そは闇が創りし人形。そは無慈悲な怪物。角に受けし命がまま、地を焼き払い、ヒトを伐つ。これ、悪魔の化身なり』」
「そんな、ミーナは……」
「あたし自身が疑っちゃったの」
 慌てて否定しようとしてくれるラッセルに、頭を振ってそう応える。
 ミーナは幼い頃から記憶力が抜群だった。どんな難しい文字でも一度で覚えたし、ぱっと見で文章を暗記することだってできる。辞書の必要な難解な本だって、読み進めるのはお手のものだ。
 もちろん、文字に限らず一度覚えたことは忘れないので、どんなにちょっとしたことでも、その気になれば細かいところまで思い出せる。その内容の確かさには、お婆ちゃんもよく驚いていた。
 そもそもミーナの一番古い記憶は、赤ん坊の頃、お婆ちゃんに拾われた時にまで遡る。図書館のハルシャの言葉を借りれば、「怖いくらい」の記憶力。
 それをずっと、単なる特技の一つくらいにしか思っていなかったミーナだが、先の古文書の「人形」という記述を読んだ時、背筋が寒くなった。
 もし自分が人形だとしたら、他人が怖いと感じるくらいの物覚えの良さ、記憶力の高さが、容易に説明できてしまう。難解な書物を大して苦にせず読めるのだって、人形なら不思議じゃないだろう。
 なにより自分は炎の魔法が使える。古文書にあるように、大地を焼き尽くすことだってできるかもしれない。
「そう考えたら、自分のことが怖く思えて落ち着かなかった。いつか暴走するんじゃないかと不安だった」
 そう、あの時みたいに。声には出さず続ける。ミーナが村を出る直接のきっかけとなった事故。人の命こそ奪うことはなかったが、ミーナにとっては苦すぎる記憶だ。
「だから、“知識の源泉ナレッッジ”に辿り着けたら真っ先に調べたかった。そしたらショウちゃんが、あそこの主だったショウちゃんがね、あたしはオニなんかじゃない、て言ったの」
 ミーナは顔を輝かせて振り向いた。
「あたしは“星追い人ナビ”と呼ばれる一族の子。この黄色の角がその証。あたしは紛れもなく、両親の間に生まれたヒトの子だって。そう聞いたら嬉しくて嬉しくて」
 自分にもちゃんと、お母さんとお父さんがいるんだ。それと確証できたときの衝動が込み上げ、また涙が溢れそうになって、慌てて星空を見上げる。
 ショウちゃんが見せてくれた一つのイメージから、ミーナは自分と同じ姿をした人々の存在を知った。今まで自分以外には見たことのない、黄色の角を持つヒトが、この世界に確かに存在することを。
 彼らは他の種族の人々と同じように、家族を作って暮らしている。泣いて笑って喧嘩して。ごくごくありふれた生活を、この世のどこかで営んでいる。
「あたし、独りじゃなかった」
 ミーナの口からその言葉が自然とこぼれる。途端、ラッセルとリュートが揃って複雑な表情を見せるが、ミーナはそのことに気付かなかった。
「……そうだったんだ」
「そりゃ、おいら達には無理だよなー」
 どことなく元気のない声でリュート。それを聞いて、ミーナもようやく首を傾げる。
「ねえ、ミーナ。その、ミーナの両親のことは、何か判ったの?」
 少しの沈黙の後、ラッセルが尋ねた。
「ううん。ショウちゃん、あたしの一族のことは知ってたけど、どこに住んでいるとか、そういう詳しいことまでは判らないらしくて。だから、あたし個人のこととなると、なおさら……」
 当然といえば当然のことだけど、ちょっと残念でもある。もっとも、希望が全くないわけじゃない。
「でもショウちゃん、こうも言ってた。『この世界には、僕みたいにまだ生きてる遺跡が残ってるはず。ひょっとしたら、その中に知ってる奴がいるかもしれない』て」
「生きてそうな遺跡が判れば、何かの手掛かりを掴むきっかけになるかもしれないんだね」
「うん。あの保管庫で何か見つかると良いんだけど」
「だったらなおさら、気合い入れて調査の手伝いしないとなぁ」
 そのラッセルの言葉に、ミーナは思わず不思議そうに彼を見た。ラッセルは傍らのリュートとほんの一瞬、目を合わせると、にっ、と笑う。
「僕らも手伝うよ。ミーナのルーツ探し」
「おいらに出来ることはあんまないかも、だけどな」
 頭の後ろで手を組むリュートもまた、ラッセルと同じように笑みを浮かべている。
「ショウちゃんとかに良いとこ持って行かれちゃったまんまじゃ悔しいもんな」
「理由が理由だけに仕方ないけど、それでも、ちょっとね」
「そんな……!」
 ミーナは慌てた。
「だ、だってあたし、二人がいたからショウちゃんに会えたんだよ。二人にはホント、すっごい感謝してる。だから……」
 あの時、嬉し泣きなんかしたせいで、二人にとんでもない勘違いをさせてしまった。二人とも、自分が役に立てなかったみたいに思ってるけど、そんなことは絶対ない。ラッセルとリュートがいなければ、ミーナはショウちゃんの所に近付くことすらできなかったに違いないのだから。どうしよう。どうやったら二人の誤解を解けるだろう。
 と、
「解ってるよ、ミーナ。これは単に、僕達の気持ちの問題なんだ」
 ミーナの心の内を読んだように、ラッセルはにっこりしながら言った。慌てることなんて何にもないんだよと、その顔が告げている。
「そーそー」
 隣で頷くリュートもまた、然り。
「おいら達、大好きなミーナの喜ぶ顔が見たいだけなんだし」
 しっぽを揺らしながら、リュートは平然と続けるのだった。
 瞬間、惚けたように固まるミーナだったが、顔が熱くなるのを感じて、すぐさま俯いてしまう。ようやく胸が落ち着いたところで、そっと上目遣いに顔を上げると、そっぽを向いて頬をかくラッセルの姿が目に入った。月明かりの下でも照れているのが手に取るように判る。一方のリュートは「ん?」と実に不思議そうな顔をして、二人を交互に見比べていた。
「何で、二人して黙っちまうんだ?」
「……別に」
 ぼそ、と応えるラッセルは、大きく深呼吸して気持ちを整えると、まだ少し顔を赤らめているミーナに向かって、言った。
「だからさ、ミーナが気にすることなんてないんだよ。僕達のこと、上手く活用してね」
 その言葉に、ミーナはショウちゃんが最後に示した文章を思い出していた。

 ——ステキなナイトが二人もいて良かったね。

 本当にそうだ。ミーナは改めて思った。
 確かにルーツは判らなかったけど、今回のことであたしにも頼れる仲間がいることを知った。力を合わせれば先へ行けるのだと、身に沁みて解った。二人がいれば、いつかきっと、願いは叶う気がする。
「お、流れ星だ」
 不意にリュートが言った。見上げると、一条の光が西の空へ向かって消えるのが判った。
「そう言えばさ、星のかけらを百個集めると願い事が叶う、て話があるよね」
 ラッセルが話題を変えた。
「あ、それ知ってる」
 昔話に出てくる有名なフレーズだ。たちまち一言一句を思い出すミーナ。

 星のかけらを百集めれば
 あまに翔るはほうき星
 見つめ祈れよ願い事
 さすれば三つまで叶えたもう

「これ、三つであんなことが出来たんだから、百個集めたら本当に凄いことが起きるんじゃないかな」
 お守り袋を手にしながら、ラッセルは言った。
「願い事、叶うかも?」
「どうかなぁ。だって、おとぎ話の類だよ」
 身を乗り出すリュートに、ミーナは首を傾げて応える。確かに、三人がそれぞれに持っているお守り——赤みを帯びた星のかけら——には、何か特別な力があるのかもしれない。が、たまたまショウちゃんの所で有用だっただけ、という可能性もあるのだ。
「それでも、何かのきっかけくらいにはなるんじゃない?」
 ラッセルは、顔を輝かせるようにして言った。星のかけらにまつわる昔話はいくつもあるんだから、可能性は保管庫の資料に限らないよね。好奇心に満ちた彼の瞳が、そうミーナに語りかける。ミーナはハッとした。
 図書館には、ミーナがまだ目を通していない昔話の本がいくつもある。都合の良いおとぎ話だからと言って、無視してしまうのは早計だろう。
 だいたい、ショウちゃんの遺跡だって、虫食いの怪しい記述に縋ってようやく辿り着けたのだ。予想とはだいぶ違ったし、運に恵まれた部分も大きいけれど、それでも、うじうじしてるばかりじゃ成し得なかったことは間違いない。あたしはそれを知ったばかりじゃないか。
 ——ちょっとでも怪しいと思ったら試してみよう。結論は、それからで良いじゃない。頼れる仲間もいるんだから。
「……ラッセルの言うとおりだね。あたし、やっぱ一人じゃだめかも」
 コツンと頭を叩いて、ミーナは舌を出した。恥ずかしいやら嬉しいやら。その仕草を見て、二人が揃ってにっこりしてくれるからなおさらだ。
「お、また流れ星」
「わぁ、いっぱい流れてる」
 ミーナは思わず歓声を上げた。西の夜空を埋めるように、星が次々と流れている。思わず伸ばした手の間、握る拳のただ中をすり抜けるように、たくさんの星が流れては消えて行く。ミーナは胸の前で手を組むと、そっと目を閉じた。

 腕を伸ばして月を握れば
 掌からこぼれる星のシャワー
 降り注ぐ光は柔らかく
 僕らをほんのり染めていくよ

 星空に向かって、自然とその唄が口を突いて出る。ゆったりと続けるミーナの歌声に合わせ、いつしか笛に口を当てるリュートが、静かな調べを紡ぎ出す。

 銀のしずく、金のしずく
 流れるしずくは星の想い
 両手でお椀を作っても
 すぐに溢れて収まらないね

 気が付くとラッセルも唱和していた。控えめで決してミーナの声を遮らないけれど、楽しげな様子はちゃんと伝わってくる。そっと支えてくれているようにも思えて、ミーナの表情も知らず知らず柔らかくなる。

 どうせ抱えきれないのなら
 体いっぱい受け止めて
 天の河めがけて飛び立とう

 静かな調べが終わり、笛の音は次第に明るく、そのテンポを増して行く。目を開けた視界に飛び込んでくる流星群。身を乗り出すようにして、ミーナは弾む声を解き放つ。

 星のしっぽを捕まえて
 風に乗って夜空を駆けるよ
 明日のことなんか分からない
 だから今宵を目一杯楽しもう

 さびを終えたところで、リュートは笛を止めた。ラッセルもまた、口ずさむのを止めてミーナを見る。

 星のかけらを集めたら……
 宇宙そらに流れる想いはほうき星
 そうさ願えばきっと叶うから

 二人が見守る中、ミーナは最後は一人で、静かに歌い上げた。
「わは、ミーナ上手!」
「きれーな声なー」
 ラッセルとリュートに拍手されて、さすがに照れるミーナ。
「リュートの笛もきれいだったよ」
「そうか?」
 へへ、と鼻を擦るリュートを見て、彼女もまた、無意識のうちに同じ仕草をしていた。
「二人して同じことしてる」
 それに気付いたラッセルがくすくすと笑い出す。釣られてミーナとリュートも照れ笑い。そうしてひとしきり笑い終えたとき、ミーナは屈託なく自然に、その一言が言えていた。
「リュート。ラッセル。これからもあたしのこと、よろしくね」
「おう!」
「まっかせてよ」
 二つの満月が向き合う三人を優しく照らし出す。今一つの流れ星が、長い尾を残して駆け抜けた。