星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

8.せーので頼むぜ

「うっひょー。広ぇ〜」
 扉から中に入るや否や、リュートは口を鳴らした。それもそのはず。途轍も無い広さの部屋である。
 見上げた天井は真っ暗で上まで見えず、うっすらと光の漏れる正面の扉も、ここからでは随分と小さく見える。正確には、扉と思われるものの光の輪郭が暗がりにぽつんと浮かんでいる、といった案配だが。
 漆黒の闇に包まれる広間はひっそりと静まり返り、感心するリュートの声を部屋一面に響き渡らせる。
「にしても、暗ぇな」
「明かりが全然届かないもんね」
 少し離れて先導する三つの狐火を見ながら、ミーナは言った。青白い炎はその周囲を僅かに照らし出すだけで、天井や壁はおろか、床でさえほとんど把握できない。それだけの暗さであり、広さだった。
「どうだ? ラッセル。明るくできそうか?」
 三人の中では、今は一番夜目が利くであろう狐人スマリ姿のラッセルに問いかけるリュート。が、二人に遅れて歩くラッセルは、呆然と上を見上げたまま応えない。
「……ラッセル?」
「どうしたの?」
「おい、ラッセル」
 何度か声を掛けてようやく、ラッセルは二人に顔を向けた。
「ここ、なんか変だよ」
 と、不安げに言う。
「変……て、何がだよ」
「壁はつるつるののっぺらぼうだし、天井も丸いものがずらっと並んでるだけ。他にはなんにもない」
「そーゆー部屋なんだろ」
「だとしても変だよ。だって、明かりを灯す灯籠もないんだよ。一個も。だいたいさっきの扉だって、どうして開いたのさ」
「どうして、て……」
 リュートはきょとんと首を傾げ、ミーナも不思議そうに目をぱちくり。
「ラッセルが狐火を灯してくれたからじゃないの?」
「……僕、何もしてないよ?」
『ええっ!?』
 今度こそ二人は驚いた。
「ラッセルが何もしてないのに、なんで開くんだよ」
「そうそう。勝手に開くなんて変よ」
「だからぁ、さっきから変だって言ってるでしょ」
 苛立たしげに口を尖らせるラッセル。と、彼は不意に鼻先を両手で押さえると、その場に蹲ってしまった。
「——おい?」
「すっごい嫌な臭い。……鼻が潰れそう」
 絞り出すようにして言うラッセルの様子に、さすがに不安になって辺りを見回す。そうして視線を上方に転じたとき、ミーナは見た。無数に光る赤い目玉を。
「ひっ……!」
「あいつらの巣だったのか!?」
 リュートが腰に手を回したとき、赤い目玉が一斉に動いた。翼を大きくして飛び立つ気配が、闇を揺らして三人に迫る。
(——このままじゃやられちゃう!)
 あれだけの数のコウモリもどきが揃って針を放てばどうなるか。嫌でも想像が付く。自分を手伝ってくれている二人に、そんな大怪我はさせられない。
 僅かな間に恐怖を振り払うと、ミーナは両手を突き上げた。無我夢中で短い圧縮呪文メロディを口にする。頭上に現れる魔法陣が眩い光を放ち、そこから広がる半透明の膜のようなものが、三人の周りを包み込む。ちょうどお椀で蓋をしたみたいに。
 迫り来る数多のコウモリもどきも、彼らが撃ち出す無数の針も、全てその膜によって弾かれた。めげずに攻撃を繰り返すコウモリもどき達だったが、何度やっても結果は変わらない。ミーナの作った堅い膜は、何ものも決して通さないようだった。
「……すごーい」
 ようやく落ち着いたらしいラッセルが、立ち上がって興味深げに頭上を覆う膜を見やる。
「これ、防御結界だよね? こんなに完璧なの、初めて見た」
「あたしも、こんなに上手く出来たの初めて……」
 いくら針を突き立てられてもびくともしない結界に、作ったミーナ自身も驚きを隠せない。
 リュートもまた、しばしぽかんと口を開けて見上げていたが、ほどなく我に返ると膜の縁に歩み寄る。手で何度か押すようにすると、次いで小太刀を持って膜をつんつく。
「なあ、これ、魔法も防げるんか?」
「たぶん、大丈夫だと思う。試した事ないから自信ないけど……」
「防げるみたいだよ」
 ラッセルが口を挟んだ。振り向くと、彼もまた膜の縁に寄って、右手を当てていた。その姿勢のまま、掌に小さなカミナリを呼び出す。瞬間、稲妻が頭上を覆う膜に沿ってバチッと爆ぜていった。
「ね?」
「ホントだ」
「あー、でもやっぱ、こっちからも何も出らんないんだな」
 それを見たリュートは、言って腕組みをすると、
「ミーナ、これ、外からの攻撃だけ防ぐようにできっか?」
 ちょっと考えてからミーナに尋ねた。
「組み換えればできると思うけど、いったん解かないとならないから、その……」
「そんならへーきだ。こいつら風で吹っ飛ばすだけならわけないよな? ラッセル」
「え? まあ……。でも、どうするの?」
 ミーナと同じく、まだ意図が呑み込めない様子でラッセルが訊くと、
「今のやつ、思いっきりぶちかますんだ」
 リュートは言って、ラッセルにウインクしてみせる。始めはきょとんとしていたラッセルだったが、ほどなくピンと来たらしく、笑って頷く。少し遅れて、ミーナもリュートの言わんとしている事にようやく気付いた。
「タイミングはおいらが計るから。二人とも、せーので頼むぜ」
「う、うん」
「おっけー!」
「——せーの!」
 ミーナが結界を解くのとほぼ同時に、ラッセルの起こした突風がコウモリもどき達を一気に吹き飛ばす。ごく僅かに逃れた数匹をリュートが打ち倒す間に、ミーナは両手を高く上げ、先ほどと少し違えた圧縮呪文メロディを口ずさむ。魔法陣が宙に輝き、新たな結界が三人を覆う。直後、再び仕掛けるコウモリもどき達が膜に弾かれた。
「どうだ?」
 打ち倒したコウモリもどきにとどめを刺しながらリュート。
「大丈夫!」
 片手を膜の外に突きだし、カミナリを呼んで結界の効果を確かめたラッセルが応える。いったん手を引っ込めた彼は、次いで両手を振りかぶった。掌を叩き付けるようにして、結界の外の床に突く。その姿が尖耳人トカリに変わったと思えた瞬間、凄まじいまでの雷が結界の外、広間という広間に満ちた。まるで荒れ狂う竜の如く、四方八方へと駆け抜ける!
「やった!」
 眩いばかりの閃光と爆発。どぉおんという震動を肌で感じながら、リュートが歓声を上げた。
 気が付けば、赤く光る目は周囲に一つとして残っていなかった。ばらばらに飛び散ったコウモリもどきの残骸が、目に見える範囲にびっしりと積もっている。
「……凄い」
 ハイタッチで喜ぶ二人とは対照的に、ミーナは結界の球面に沿って落ちて行く残骸を見ながら、呆然と呟いた。結界の性質に合わせた作戦をすぐさま組み立てたリュート。そして、それを難なく実現させたラッセル。あれだけの数のコウモリもどきを一気にやっつけちゃうだなんて、二人はなんて凄いんだろう。
 圧倒される思いでミーナが立ち尽くしていると、狐人スマリ姿に戻ったラッセルが、彼女の腕をとんとんと叩いた。
「ミーナも両手、挙げてみて」
「え? こう?」
 戸惑いながらも万歳するミーナ。すると、リュートとラッセルがそれぞれ片手を挙げて、同時に彼女の掌をパンと打つ。
「やったね!」
「やったな!」
 口々に言うと、二人は喜色を満面に湛えて笑う。掌に残る熱い感覚と、広間に響く楽しげな笑い声に、ミーナもようやくチームで勝てたのだと実感する。自分もまた、そのチームの一員なのだ。
「……うん。やったね」
 胸に込み上げる照れくさい思いに、小さく頷くミーナは、もう一度「やったね」と口にする。そうして今度は、心から喜びを露わにするのだった。
 三人の歓声が結界を抜けてホールを満たすのに、そう時間はかからなかった。
「ひとまず大丈夫そうだよ」
「よーし。ミーナ」
「うん。結界解くね」
 二人が万が一の襲撃に備えて緊張する中、ミーナは慎重に結界を解除した。ぱらぱらと埃が散らばる他は、特に変化はない。揃ってほっと一息。
 と、
「——あ、また開いてる」
 ラッセルがめざとく気付いた。入口のちょうど真向かいにある扉らしきもの。入ったときにはそれとなく輪郭が判るくらいだったのが、今はぼんやりと淡く、四角い形に光っている。
 近付いてみると、やはり何かの部屋の入口らしかった。奥の方にちらほらと影が見え隠れするが、遠目には動きがないように思える。
「なんで開いたんだろう?」
「全部やっつけたから、とか」
 そう口にしてみるが、言ってるミーナ自身、それはどうかなと疑わしく思う。そんなたいそうな仕掛けにしたら、ここを作った人も通るのに苦労するばかりだろう。さっきの事があるので三人とも慎重に考えてみるものの、結局答えは見つからない。
「ま、他に道もなさそうだし、行ってみっか」
 リュートの言葉は、皆の思いを正確に表していた。

「何かしら、ここ」
「随分ごちゃごちゃしてるね」
「倉庫とかじゃね?」
「でも、荷物箱でもなさそうだよ」
 先ほどよりいくらか明るい室内。狐火を先行させながら、ラッセルが指摘する。
 コウモリもどき達の巣の先にあったのは、柱のようなものが林立する空間だった。よう、と言うのは、それらは天井まで達していなものが大半だからである。円柱だったり角柱だったり、高かったり低かったり。形や大きさはもちろん、並ぶ間隔までまちまちだ。
「へー、透明なのもあるんか」
「……空っぽだね」
「一体、何なのかしら」
 部屋の真ん中あたりまできたところで、改めて首を傾げるミーナ。リュートとラッセルは二手に分かれると、壁際を探り始めた。
「んー、道らしいもんは無さそうだな。ラッセル、そっちはどうだ?」
「なんにもないね。ミーナ、あっちの奥も見てくれる?」
「うん」
 ラッセルが寄越してくれた狐火を頼りに、ミーナも一方の壁を探ってみる。が、通路や扉はおろか、これと言って仕掛けのようなものは見当たらない。せいぜい、ガラス板を並べたモザイク模様がいくつかあるくらいで。
 指先でつついてみるが、何の反応もない。
「なんかあった?」
「ううん。なーんにも」
 ラッセルに応えて戻ろうとしたとき、
〈後ろの箱にある同じようなものに掌を載せると、明かりが点くよ〉
 例の声がまた聞こえた。慌てて辺りを見回してみるが、他に人の気配はなく、リュートやラッセルが気にしている様子もない。ミーナの耳にだけ聞こえているのか。
〈ほら、一つだけ、斜めに切れてる柱があるでしょ〉
 戸惑うミーナに構わず声が続ける。
(……これ?)
 それらしいモザイク模様を見つけ、声には出さずに尋ねてみると、
〈そう。そこに手を当てて〉
 果たして声が返ってくる。言われるままにミーナが手を当てると、モザイク模様が僅かに光を放った。掌にぞわっとした感触が伝う。
「お、明るくなった」
「ミーナ、何か見つけたの?」
 明るい声で振り向くラッセルの表情が、一瞬にして凍り付く。ミーナが不審に思う間もなく、頭上から覆い被さる黒い影。見上げた先に巨大サンショウウオの姿を目にした時には、ミーナの体はその大きな口にすっかり飲み込まれてしまっていた。