星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

6.嫌な臭いがする

「ん、こっち」
 迷うことなく右の道を進んで行くラッセル。果たしてその先には石灯籠があり、狐火を灯すと上へと向かう階段が現れるのだった。これで三回連続だ。反対の道の先がどうなっているかは判らないが、少なくともなんの危険もなく進んでこられたのだから、大したものと言うべきなのだろう。
「この手の遺跡にゃ多いんだよ。狐人スマリを案内人にしてるとこ」
「『狐尾きつねびの導きにて、丸目の満月の夜に道開かれる』か……」
 教えてもらった古文書の文言を呟くミーナは、やっぱり不思議だった。なんでスマリの能力とセットで仕掛けが作られているのか。その答えはさすがに二人も知らなかった。もっとも、ラッセルが言うにはスマリの長も知らないそうなので、永遠の謎かもしれない。
 またもやの分かれ道。今度はカーブの途中である。扉などはないものの、どちらの道も傾斜違いで同じ方向に弧を描いており、先を見通すのは難しい。と、それまで迷うことなく進んできたラッセルが、初めて足を止めた。
「どうしたの?」
「……嫌な臭いがする」
 しかめ面で左右の道を交互に見やりながら、ラッセルが言う。
「どっちが?」
「両方」
「どっちもかよ!」
「いい匂いも混じってるから、どっち行っても同じだと思うんだけど……」
「この先に敵がいて、しかもどっちかは罠あり、てことか」
 同様に顔をしかめてリュートが続ける。
「どういうこと?」
「前にも似たような事があってさ」
「スマリの鼻は罠の臭いまでは嗅ぎ分けられないみたいなんだ」
「で、いっつも外れ引く、と」
「それはリュートも同じでしょ」
 軽く言い合った二人は、しばし互いの顔を見合わせると、揃って溜め息を吐いた。
「……どうしたの?」
「ミーナはどっちだと思う?」
「え?」
 唐突にリュートに問われて、ミーナは面食らった。
「いやー、おいら達、ずっと罠ばっか引いてんだ。今まで。な?」
「うん。もう呆れるくらい」
「だから、ここはミーナに選んでもらうんが正解かなー、て」
「ちょ、ちょっと待って……」
 いきなり言われても困るよ。罠のほう選んじゃったら大変じゃない。そう言いかけた時、不意に頭の中で言葉が響いた気がした。急がば回れ、と。
(……え、何?)
 戸惑う自分に応えるように、
〈登ってばかりが正解とは限らない、てこと〉
 再び誰かの声がする。ミーナはふらふらと分かれ道に近寄った。よく見ると、右は登り坂、左は下り坂のようだ。
「ミーナ?」
「……ねえ、ラッセル。左の道、少し下ってるよね?」
「え? んー、言われてみれば、そんな気もするけど……」
「たぶん、そっちが正解なんだと思う」
 おずおずとミーナは言った。誰かの声はそれ以上、聞こえなかったけれど、「その通り」とでも言っているような、そんな感覚が脳裏を伝う。
「よっしゃ、決まり」
 リュートを先頭に、三人は左の道をゆっくりと慎重に進んだ。レンガの剥がれ落ちた所や何かの染みを見つける度にドキドキしたものの、特に仕掛けに当たることもなく先へ行く。そうこうするうちに狭い道は終わりを告げ、広場に面した出口へと至った。
 通路からそっと広場の様子を伺う。
「……なんかいるな」
「うん。すっごく嫌な臭い」
 狐火がふよふよと辺りを照らして回るが、突き当たりに柵で塞がれた広めの通路がある他は、これといったものは見当たらない。柵の向こう側に何か居るようだったが、ここからではその姿を知ることはできなかった。
「行き止まり?」
「いや、あの先に進むんだと思うぞ。上、見てみ」
 リュートに言われてミーナが上を向くと、天井の縁、ちょうど今いる通路が広場と繋がる境目の辺りに、丸い穴がいくつも並んでいるのが判った。
「たぶん、中に入るとこっちが閉まってあっちが開くんだろ」
「……閉じ込められたりしないかな?」
「んー、どうだろ」
 ミーナの心配にリュートは首を傾げる。
「ま、ここもついさっき開いたみてぇだし、大丈夫なんじゃねぇか」
「え? そうなの?」
「ほら、そこ」
 言われて出口付近の床を見やったミーナは、リュートの言わんとしていることにすぐ気付いた。通路には埃がだいぶ積もっているのだが、そんな中に、埃のないきれいな丸印が転々と並んでいる箇所がある。これは天井の穴から柵が降りていた証に違いない。それも、そう昔の話ではなく。
「な、試す価値ありそうだろ?」
「そうだね」
「行くの?」
「ああ。いざって時は、二人の魔法で頼むぜ」
 リュートを先頭に、ミーナ、ラッセルの順で通路を出た。自然にリュートを頂点とした三角形を形作って進む。そうして中程へと至った時、
「見て!」
「床が光ってる!?」
「違ぇ。壁も天井も、全部だ!」
 四方八方に現れた魔法陣らしき模様が、淡い光を放ち始めた。同時に背後の通路に柵が降りる。そして——。
「出てくるぜ」
 前方の柵が開き始める。その奥になにやらうごめく大きな影。平たい体の生き物だ。
「先手必勝っ!」
 どこからともなく小太刀二刀を抜いて駆け出すリュート。そいつの目前で大きく跳んで、脳天めがけて必殺の一撃を見舞う!
 だが——。
「げげっ!?」
 宙を行くリュートはぎょっとなった。のっそり進み出たそいつが後ろ足で立ち、ばくんと大きな口を開けて落ちてくる彼を待ち受けたからだ。
「リュート!」
 咄嗟にラッセルが風を放つ。突風に煽られてよろめきジタバタするそいつの頭上を、風に飛ばされたリュートが越えていく。
「あっぶねー」
 何とかバランスを整えて向こう側に降り立ったリュートは、双刀を構え直して相手の隙をうかがう。
 それはとてつもなく大きなサンショウウオだった。小柄なリュートはもちろん、ミーナやラッセルですら一息で丸呑み出来るほどの、でかい口の持ち主だ。太くて長いしっぽで体を支えながら器用に後ろ足で立ち上がる様は、まるで熊のような迫力がある。
 巨大サンショウウオは短い前足をコミカルに揺らしながら、くるりと辺りを見渡した。正面にいるミーナとラッセルを見、次いで後ろのリュートに頭を向ける。くえっ、と口を開く姿は、どことなくユーモラスでもある。
「……なんか可愛い」
 ミーナは思わず口にしてしまっていた。のそのそと後ろ足を動かして姿勢を保っているくらいなので、図体がでかいばかりであまり危険はないのかも。
 そう思い始めたとき、巨大サンショウウオが再びこちらを向いた。つぶらな瞳と目が合ってしまう。うっすらと口を開けて笑っているかのような表情に、ミーナもつられて笑いそうになる。
 と、巨大サンショウウオが四つ足立ちに戻った。大きなしっぽをのっそりと持ち上げ……。
「逃げろっ!」
 リュートが叫ぶのと巨大サンショウウオが跳ぶのは同時だった。しっぽを床に叩きつけた反動を利用して、そいつは大きく前へ、ミーナ目掛けてジャンプしたのだ。
「——!?」
 すっかり油断していたミーナの眼前に、ぱっくり開いた真っ赤な口が迫り来る!
「きゃっ!!」
 ミーナは反射的に両手を前に突き出していた。掌の間に大きな火球が出現する。それは突き出した手の勢いよろしく、迫る口を目指して一直線。
 先ほどリュートのように、驚愕(?)の表情を見せるサンショウウオだったが、さすがにこれは避けられなかった。辛うじて口は閉じたものの、顎のあたりにまともに喰らってひっくり返る。
 ばたんと床に叩きつけられた巨大サンショウウオは、僅かな痙攣を残して動かなくなった。
「……すげー。一発で倒した」
「あ、あはははは」
 あまりの呆気なさに目を丸くするリュート同様、ミーナも笑うしかない。だが、二人が警戒を解くより早く、
「リュート、そいつじゃないよ!」
 ラッセルの声が鋭く響いた。すぐさま横に跳ぶリュートと前後して、床に何かが突き刺さる。次いで小太刀を振るう彼の足元で、叩き落としたそれが金属質の光沢を放つ。
「——針!?」
「あそこだ!」
 ラッセルが指さす先、天井近くの暗がりを見上げると、不思議なモノがぶら下がっていた。
 丸い体に三角形の翼。それを吊り下げる細い足は四本で、壁と天井に器用にひっかけている。体のてっぺんには赤く光る目玉が一つ。無表情にこちらを見下ろしている。
「何あれ?」
「生き物じゃないみたいだけど……」
 左腕にはめた銀の腕輪を弓に変え、マナの矢をつがえながらラッセル。
「でも、嫌な臭いはあいつから流れてくる!」
 言うが早いか光るマナの矢を放つ。見事、一撃で仕留めたかに見えたが、気付いたときには姿がない。残像だ。
「はやっ!」
「ラッセル、前!」
「このぉっ!」
 立て続けに放つラッセルだったが、左右上下に素早く飛び回るそれは、なかなか彼に的を絞らせない。突然、翼を大きくすると(広げたのではなく本当に大きくなったのだ)、羽根を針に変えて撃ち出した!
「うわっ!?」
「任せて!」
 今度はミーナも冷静だった。圧縮呪文メロディを唱えて前に出る。宙に出現する魔法陣が盾となり、ことごとく針を弾き返す。
「この、コウモリもどき!」
 リュートがすかさず斬りつける。難なく避けるコウモリもどきだが、ラッセルの繰り出すマナの矢が翼を大きくする隙を与えない。と、コウモリもどきの丸い体が縦に割れた。
「口か!?」
 リュートが言う間もなく、コウモリもどきはそこから粘つく唾を吐き出す。
「しまった!」
 半透明のそれはとりもちよろしく、リュートの左足を床に貼り付けてしまった。見る間に白く固くなり、リュートはそこから動けない。
 その正面に回り込んだコウモリもどき。慌てるリュートを嘲笑うように、再び体を縦に割る。今度はそこにギザギザの歯をびっしり並べて。そのままあんぐりと、リュートの頭にかじりつこうとするが、
「……なーんてな」
 コウモリもどきの歯は、リュートの飾り羽根に触れる直前で止まった。翼を両手で鷲掴みにしたリュートが、がっしりとコウモリもどきを押さえたからだ。
「ラッセル、目ン玉!」
 間髪入れず、コウモリもどきの赤い一つ目玉に魔法の矢が突き刺さる。
「ギ……」
 初めて声らしい音を上げたコウモリもどきは、ほどなく内側から膨れるようにして、弾けて消えた。

 リュートの足を捕らえていたとりもちは、幸い、ミーナの炎の魔法で簡単に溶かすことができた。特に毒などはなかったらしく、自由になったリュートの左足は持ち主の意志で問題なく動かせているようだ。
「はぁ〜、助かった。サンキューな、ミーナ」
 目に見えてほっとしたリュートは、全身に降りかかったコウモリもどきの残骸をようやく手で払った。生き物なら当然あるはずの体液や内臓といったものはなく、落ちるのは外皮や翼の破片と埃のようなものばかり。リュートは両手で飾り羽根を念入りに手入れしつつ、
「こんなへんてこなやつ、初めてだ」
 と続ける。
「カラクリ、なのかなぁ?」
 床に散ったコウモリもどきの破片をつまみ上げたラッセルが、不思議そうに首を傾げる。ミーナも翼の破片の一つを手にしてみるが、木とも金属とも異なるすべすべした質感は初めてだ。それに、驚くほど軽い。
 こんなものがあれほど威力のある針に化けたとは、到底信じられなかった。
「二人の武器とも違う感じよね」
 リュートが腰の後ろに差している銀色の笛——実は二本の小太刀の収納形態だ——を見ながらミーナは言う。ラッセルの弓共々、これも不思議な道具なのだが、微量のマナを帯びた金属質のそれは、形状が変わるだけで材質そのものが変化するわけではない。
「マナも帯びてないのに質感まで変わっちゃうだなんて」
 コウモリもどきが放った針の一本をもう片方の手に持って、改めて触り比べる。やっぱり元が同じものには思えない。
「先生に見てもらった方が良さそうね」
「でも、怪しまれない?」
「……なんとか誤魔化す」
 ラッセルに言って、怪我をしないようにまとめてタオルにくるむ。サンプルを鞄にしまったミーナは、相変わらずひっくり返ったままの巨大サンショウウオに目をやった。
「あれ、どうしよう?」
「嫌な臭いはしないんだろ? ラッセル」
「うん。危険はないと思うよ」
「だってさ。放っておいて良いんじゃね?」
「そうだけど……。なんだか悪いことしちゃったみたいで、落ち着かないなぁ」
 ミーナは目を回している巨大サンショウウオに歩み寄ると、顎の下の焦げ目に両手をかざした。癒やしのまじないを口にして、念を込める。
「ごめんね。これでいくらか治りが早くなるはずだから、堪忍して」
「回復魔法?」
「ううん、治癒力を高めるおまじない。治る手助けをするだけよ」
「それで治しちゃうわけじゃないんだね」
 ラッセルの言にミーナは頷いてみせる。
「どーゆーことだ?」
「生き物が持っている再生力を加速させるの。つまり、普段元気な生き物ほど、より早く治るようになる、てわけ」
「ふーん」
 納得したような、しないような表情を浮かべるリュートだったが、
「てこた、こいつ、すぐ目ぇ覚ますんじゃねぇの?」
 ほどなく重要なことに気付くのだった。思わず顔を見合わせるミーナとラッセル。
「いくら何でも、そこまで急に元気になるとは思えないけど……」
「気絶してるうちに行った方が良さそうだね」