星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

5.開かずの門を開けるには

 ロープを伝って降りた井戸の底は、意外と広い空間だった。さすがに月明かりは届かないが、先に降りたラッセルが明かりを灯してくれているので、足下に迷うことはない。
「滑るから気をつけて」
「うん。よっ……と」
 少し反動をつけて、水路脇の通路へと飛び降りる。ちょっとドキドキしたけれど、バランスを崩すことなく着地できて、まずは一安心。
「なんだか本気で探検してる気分」
「ここの井戸と繋がってるだなんて、知らなかったよね」
 ラッセルはそう言って、「リュート、いいよ」と上に向かって呼び掛ける。しゅるっと滑るようにして、瞬く間にリュートが降りてくる。さすがに身軽だ。どうやったのか、彼が軽くロープを引くと、上に結び付けてあったのがほどけて落ちてきた。
「ほどいちゃって、帰りはどうするの?」
「おいらかラッセルが持って先に登るからへーき」
 心配するミーナに、リュートは手早くロープを巻きながらこともなげに応える。
「それよか、誰かに見つかったら困るっしょ?」
「それもそうか……。でも、よく井戸から入れるって知ってたね」
「昼間、下調べに来たときにな、ここに降りる階段見つけて辿ってみたんだ。夜は表に鍵かけてるみてぇだし、忍び込むなら裏口の方が都合良いっしょ」
 ごもっとも。改めて自身の準備不足を痛感するミーナは、うなだれるように頷いて、彼の後を追う。
 真っ暗な通路をトーチ片手に進む。リュートのトーチは火を使うものだが、ミーナとラッセルが手にするそれは、持ち主のマナに反応して光を放っていた。炎に比べると若干、光量で劣るのだが、燃えないので扱いやすい。光の波長が合うのか、すぐ脇を流れる水路の水面によく反射するため、こういう場所で足下を照らすにはかえって好都合かもしれなかった。なによりコンパクトだし。
「魔法使えるって、こーゆー時、便利なのな」
 先頭を行くリュートがしみじみと言う。
 何回か角を曲がった所で、前方に階段が見えてきた。上の方から僅かに光が射し込んでいるのが判る。
「誰かいるのかな」
「いや、たぶん月明かりだと思うぞ。気配も感じないし」
 果たしてリュートの言うとおりだった。地下一階に位置するホールの天井は吹き抜けになっていて、上階の大きな窓から月明かりが煌々と射し込んでいるのだ。
「うひょー、明るい」
「ねえ、見て見て。二つの月の光が扉のところで交わってるよ」
 ラッセルの言葉に、ミーナはぴったりと閉じられた正面の扉を見、次いで背後の窓を振り仰いだ。そこに並んだ窓のうち、特に上下に長い二つの窓の真ん中に、それぞれ満月が一つずつ顔を覗かせている。
「ほんとだ」
「へー、“双子の満月めがねづき”の晩にだけ交わる仕掛けになってんのか」
 扉に背を預けて窓を見上げながら感心するリュートは、ややあっておもむろに言う。
「で、おいら、何したらいいんだ?」
「あ。えーっと……」
 ミーナは困った。例の古文書には具体的にどうするとは書かれていなかったからだ。
「うーん、ダメだな。びくともしねぇ」
 試みに扉を押してみるリュートだったが、ぴくりとも動かない。
「押してだめなら引いてみるとか」
「取っ手なんかねぇぞ」
「じゃあ、合い言葉?」
「開けゴマ、てか」
 ラッセルに言われて二、三、リュートが言葉を唱えてみるが、何も起きない。
「向こう側が空洞なのは間違いないんだけどな」
 扉に耳を当て、コツコツと手で叩きながら探る彼の隣で、ミーナとラッセルも同じように試してみる。確かに、扉とその横の壁の部分とで音が違うので、フェイクと言うわけでもなさそうだ。
「吹っ飛ばすのも無理そうだしね」
 ラッセルが不意に物騒なことを口にした。
「吹っ飛ばす、て、そんなことしたらさすがに誰かに気付かれちゃうんじゃない?」
「花火の音に紛れて試すか?」
 遠くで聞こえる花火の音に耳を傾けながら、リュート。
「違う違う。前に誰かがやって失敗したみたいだからさ。ほら」
 ラッセルが指差す先には、なにやら爆発があったような黒い痕が続いていた。それなりに古いもののようで、いくらか掠れているが、壁と扉の両方に残る痕がきれいに繋がっていることから察するに、あえなく失敗したものと思われた。
「……けっこー派手にやったみたいね」
「力任せがダメ、てことは、やっぱなんか条件があんだよ。ホントに、他に思い当たることないんか?」
「うん……」
 ミーナは改めて辺りを見回してみた。ぴしっと閉じられた大きな扉。射し込む二つの月明かり。天井にはなにやら模様のようなものが描かれているが、手掛かりになりそうな図柄は見当たらない。扉のある壁との境目に、古びて朽ちかけの灯籠らしきものが二つばかし並んでいるが……。
「……あれに火を灯したら、開いたりしないかな?」
「どれ?」
「あれあれ」
「……ん?」
 見上げたラッセルの表情が変わった。まるで、見てはいけないものを見てしまったかのような、困惑顔に。
「……どうかしたの?」
「い、いや。別に。何も」
「まーたまた」
 慌てた感じのラッセルに、リュートが横から茶々を入れる。扉の前の床を足で払いながら、
「ほら、ここに面白いもんが描いてあるぜ」
 と言う。
「キツネ……?」
 三角耳と大きなしっぽを持つ動物の模様。だいぶ抽象的な図案であったが、ミーナの目にはそのように映った。
「あ、他にも何か描いてある」
 リュートに倣って、床に積もった砂を靴で払ってみる。直線だったり、円だったり。いくつかの記号が交わりあっているようだ。まるで魔法陣みたいに。
「これって、もしかして……」
 やがて全体が露わになったそれは、魔法陣であると同時に、何かの儀式を図案化したものであるらしかった。
 狐柄を囲む円は、より大きな円の中央に位置し、外側の円の下方から上方——扉のある方向だ——に向かって、内側の円の縁に接する形で斜めの直線が伸びている。右下と左下から伸びた直線は、外側の円の頂点、ちょうど扉の正面に位置するところで交わり、一本になって円の中心に折り返す。それが二つの満月の光を意味しているのは、光線の生み出す影がぴたりと重なるのを見れば明らかだ。
 頂点の左右には、小さな円がそれぞれ一つずつ描かれている。その小円の中には炎と思しき図柄。これは扉の上方両側にある灯籠を意味しているのではないか。
 そう思って床の模様をもう一度よく眺めてみると、同じ図柄が狐柄の円の下方、大外の円の底辺直上に描かれているのに気付いた。振り仰いでじっと目を凝らすと、満月が見える窓と窓の間にもう一つ、灯籠らしきものがある。間違いない。
 ミーナは自分の考えを二人に話した。
「この真ん中の円にキツネを置いて、三つの灯籠に明かりを灯せば、扉が開くと思うの」
「キツネ、つーか、狐人スマリなんじゃねーか。古文書の文句からすっと」
「うーん、そうかも。でも困ったなぁ。スマリの知り合いなんかいないし……」
「あ、そりゃ大丈夫」
「え?」
 いやに自信たっぷりなリュートの声にミーナが振り向くと、
「スマリなら何時でもどこでもすぐ呼べっから。なっ」
 リュートはそう続けて、ラッセルの背中をぱしっと叩くのだった。
「あわわっ」
 よろめき慌てるラッセル。
「本当!?」
「え、えーっと、その……」
「お願いラッセル。今日を逃すともう次はないと思うの」
 口ごもるラッセルを拝むようにして、ミーナは頼み込んだ。この際、すがれるものは何でもすがろう。試せることはとことんやっておかないと、この先、絶対に後悔する。そんな予感から。
「お礼にあたしで出来ることなら何でもするから。お願い、この通り!」
 両手をラッセルの顔の前で合わせ、ふかーく頭を下げる。
「ほら、ミーナがここまで頼んでんだ。一肌脱いでやれよ」
 リュートが横から援護射撃。それでもまだ躊躇っているラッセルだったが、ミーナが上目遣いに見つめると、根負けしたように大きくため息を吐いた。
「ねえ、ミーナ。これから見せること、他のみんなには内緒にしてね」
「うん、するする」
「本当に、絶対、誰にも言わないでよ」
「約束するわ」
「……絶対だよ?」
 くどいまでに念押しして、ラッセルは二人から少し離れた。両腕を真横に広げ、風の力を借りてその場でくるんと宙返り。すると——。
「え……? ええーっ!?」
 ミーナの両目が真ん丸になる。ぽかんと口を開けたまま、ゆっくりとまぶたをぱちくり。
 そこに立っていたのは、薄茶色の毛並みを持った狐人スマリの少年だった。青いバンダナの合間にぴょこんと突き出る三角の耳。腰の後ろで揺れるふさふさした大きなしっぽ。ラッセルと同じ服を着て、前髪のあたりに多少、彼の面影が残っているように思えるものの、雰囲気はまるで異なる。
 ミーナは思わず頬をぎゅっ、とつねってみた。アイタタタ。夢じゃない。
「ラッセルって、スマリだったの?」
 狐は化けるという話を思い出し、咄嗟に訊いてみる。
「違う違う。ラッセルは正真正銘の尖耳人トカリさ。ホンマもんのスマリに化けられる、てだけで」
「なんでかは訊かないでね。誰にも教えちゃいけない決まりだから」
 ラッセルの服を着た狐人スマリの少年が口を開いた。声までラッセルと違う。
「……本当に、ラッセルなのよね」
 目の前で起きたことなのに、とても信じられない。
「な、嘘みてえだろ。なんせ、おいら達の鼻でも判んねーもんな」
「僕はそんな変わった気しないんだけどなぁ。夜目と鼻が利いて、音が良く聞こえるようになるだけで」
「充分ちげーじゃん」
「そうかなぁ」
 ……こののんびりとした言いぐさは、間違いなくラッセルだ。ちょっと安心して、ミーナは言った。
「これで残るは、灯籠の炎だけね」
 炎の魔法はミーナの十八番だ。すかさず手を構えるが、
「あ、それ、僕がやるから」
 ラッセルが言うのと、リュートがミーナを止めるのは同時だった。
「え?」
「まあ、見てろって」
 ラッセルはサークルの中心——例の狐の模様が描いてあるところ——に立って目を閉じた。するとほどなく、彼の周りに青白い火の玉が三つばかり現れる。火の玉はふわりと宙を浮きつつ彼の周囲を一回りすると、それぞれが灯籠に向かって飛んでいった。
 火の玉が触れると同時に、灯籠に炎が灯る。と、その瞬間、ラッセルの足元が淡く輝き始めた。さながら条件を満たした証の如く、例の図柄が光を放っているのだ。
 ズッ……。扉の開く重たい音が静かに響く。だが、目の前の大きな扉は閉まったままだ。ミーナが首を傾げていると、
「あ、あそこ!」
 真っ先に気付いたリュートが指を指す。彼の示した先、壁の右端の一角に、新たな扉が出現している。目の前の大扉よりふた周りほど小さなその扉は、内側からこちらに向かって開け放たれていた。
「こんな所に……」
「フェイクだったんか、あれ」
「壁、て感じはしないのにねぇ」
 駆け寄る二人に少し遅れて、のんびりとやってきたラッセルが、ふと何かに気付いて立ち止まった。鼻を鳴らして辺りの匂いを嗅ぐと、仰け反るような素振りを見せる。
「どうしたの?」
「案内人、てことは、しばらくこの姿でいないとダメなんだよね?」
 不思議そうに振り向くミーナには応えず、ラッセルはリュートに尋ねた。
「あ、匂うんか?」
「……うん」
「それじゃあ、戻るわけに行かねぇよなぁ」
「やっぱそうだよねー」
 かくんとうなだれるラッセル。何のことか解らないミーナだったが、その横顔を見ているうちに不思議と微笑ましくなってきた。子狐みたいでなんだかカワイイ。気のせいか、トカリの姿より少しばかり幼く見える。それで思わず、
「その姿も可愛くて良いじゃない」
 と言ってしまう。対するラッセルは、僅かに顔を上げて何やらブツブツブツ。
「……なに?」
「だから、それが嫌なんだってば」
 ふてくされたように言い残して、ラッセルは扉の中を覗き込む。もしかして禁句だった?
 リュートを向くと、彼も肩をすくめて見せた。どうやらビンゴらしい。
「どうだ?」
「とりあえず、嫌なニオイはしないね」
「危険はなさそう、か。もう少し奥の方、照らせるか?」
「うん、灯籠があるよ」
 再びラッセルの周りに現れた青白い炎の玉が、暗い室内へと入って行く。幾本の灯籠に明かりを灯して戻ってくると、今度は消えずに、そのまま宙を漂う。
「ねえ、これは?」
「狐火。狐人スマリの能力らしいんだ。トーチ代わりに便利でしょ」
「へぇ」
 恐る恐る手を近づけてみるが、火の炎と違って熱くはない。
「魔法の一種?」
「うーん、違うと思う。魔法使えないスマリでも出せるから」
「ふぅん……」
 不思議ねー、と続けるミーナは、ラッセルのお尻で揺れるしっぽに目をやった。尖耳人トカリの姿が本当の姿、てことは、これは偽物という事になる。でも、幻などにはとても見えないが……。
 たまらずそっと両手で触れてみる。……あ、ふさふさしてて柔らかい。とっても良い触り心地。
 調子に乗って、奥の方まで指を差し込んでみる。途端、
「うひゃあっ!?」
 妙な声を出してラッセルが飛び上がった。
「な、何するの!」
 しっぽを両手で押さえながら、真っ赤になって抗議する。
「僕のしっぽ、とっても敏感なんだから!」
「ご、ごめん」
「アハハ、それ、おいらも最初ん時やったなー」
 縮こまるミーナをよそに、リュートが笑った。
「もー、なんでさ」
「本物のしっぽかどうか、気になんだよ。あんまし見事に化けっから。な?」
 振られて大きく頷くミーナ。うん。全く持ってその通り。
「その、目の前で揺れてるものだから、つい気になって……。ごめんなさい」
「……。もう触らないでね」
「んじゃ、そろそろ行くか。先導は任せた」
 にやにやしながら二人のやりとりを眺めていたリュートは、そう言ってぽんとラッセルの背中を叩いた。頷くラッセルが、後ろを気にしながら歩き始めたのは言うまでもない。