星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

3.角の記憶

 オニ、と呼ぶ声が、どこからともなく立て続けに聞こえてくる。ミーナは小さく呻いて寝返りを打った。それは久しぶりで見る昔の夢の中の声——。
 村の子達から“オニ”と呼ばれてからかわれるようになったのは、ミーナが七つになった年のことだ。ちょうど角が伸び始め、髪の合間から先端がちらりと覗くようになった頃である。最初は何のことだか分からず、きょとんとするばかりだったが、自分の角を指してのことだと気付いててからは、相手に食ってかかるようになった。それが全く逆効果であるとも知らずに。
 元々はあまり仲の良くなかった子が始めたことだ。だが、それは瞬く間に村中に広がり、幼馴染みのクーヤにまで面と向かって言われたときには、途方も無く悲しかった。
 その翌日からだ。ミーナが頭の角をスカーフで隠すようになったのは。そしていつしか、からかわれても無視する術を覚えた。
 八つになり、お婆ちゃんの「まじない」の手伝いをするようになってからは、角のことでからかわれることはめっきり減った。だがそれは、村の大人達が自分の子供に、ミーナとあまり話をしないよう言い聞かせたからだ。
 角のあるミーナを気味悪がって、占い師が使役する魔物のように言ったのだろう。村の子達の態度の端々に、何やら自分を敬遠する節がある。無視してしまえばそれまでだったが、ミーナは言いようのない寂しさを覚えた。
 そして一年が過ぎ、積極的にミーナをからかう者がクーヤ一人になったとき、事件は起きた。いや、起こしてしまった。
「そんなに嫌なら、こんなもん、削っちまえばいいだろ!」
 クーヤの怒声がひときわ大きく響く。
 きっかけは些細な出来事だった。
 川での洗濯を終え、家に帰ろうと土手を登っていたミーナは、朽ちかけた踏み板の一枚を踏み抜いてしまった。運悪く洗濯物籠を両手で抱えていたため、そのままバランスを崩して豪快に土手を転げ落ち、膝と腕をひどく擦りむいた。
 たまたま近くに居て悲鳴を耳にしたクーヤが駆けつけ、怪我の具合を見てくれようとしたのだが、ミーナは転げた拍子に露わとなった角を咄嗟に手で隠して、身を引いてしまった。いつものことがあっての無意識の行動だったが、それがクーヤの癇に障ったのだ。
 彼が怒鳴った瞬間には、何が起きたのか全く解らなかった。呆然とクーヤを見やるミーナは、彼に飛びかかられるままに押し倒されていた。片手で押さえつけられた額の角の一本に、もう一方の手で小刀が当てられる至って初めて、ミーナはクーヤのしようとしていることを悟ったのである。
 形容しがたい恐怖が身を包んだと感じた直後、ミーナは無意識のうちに魔法を放ってしまっていた。それまで一度も使ったことの無かった炎の魔法を。
 間近で沸き上がった凄まじい絶叫に、ミーナがはっと我に返ったとき、その眼前には火達磨になってのたうつクーヤの姿があった。無我夢中で飛び付き、一緒に川に飛び込んで火を消したが、岸辺に引き上げたクーヤはぐったりとしたまま動かない。事の重大さにようやく気付いたミーナは、怖くなって駆けた。ただひたすら、お婆ちゃんの元を目指して駆けた。
「いったいどうしたんだい!? その格好は」
「クーヤが、クーヤが……」
「またあの悪ガキのしわざかい。ああ、こんな怪我までして」
「違うの! あたし、あたし、大変な事を……!」
 溢れる涙を止める事も忘れ、ミーナは泣きながら自分の起こしてしまった事を話した。お婆ちゃんはそれを聞くと、傷を手当てして着替えるよう言い残して、飛び出していった。
 それから一週間、お婆ちゃんは戻らなかった。ミーナは自分への恐怖に震え、同時に一人でいることの心細さのあまり、布団で丸くなって泣き続けた。その間、村長のレドおじさんが何度か様子を見に来てくれたそうだが、クーヤの命が助かったと聞かされた事以外は、記憶力抜群のミーナにしては珍しく、何も覚えていない。それだけ己の内に引きこもっていた、ということだろう。
 一週間経ってお婆ちゃんが戻ってきたとき、彼女はレドおじさんの肩を借りていた。その傍らに見知らぬ女性を連れて。
「あなたがミーナね?」
 レイハールと名乗ったその女性は、ミーナの顔の高さに身を屈めると、ミーナの目をじっと見つめた。泣き疲れていたからか、それとも、彼女の深みのあるブルーの瞳に魅せられたからか。ミーナはレイハールの視線を逸らす事ができなかった。ぼんやりと見返していると、不意に両肩を叩かれて我に返る。
「大丈夫。あなたは良い術士になれるわ」
「……引き受けてくれるか」
「ええ。手続きはこちらで進めておくから、落ち着いた頃にでも、私の元へ寄越して」
 お婆ちゃんに頷くレイハール先生は、最後の方はレドおじさんに向かって言った。いくらか悲しげな表情で。それが何を意味していたのか、ミーナはその晩のうちに知ることとなる。
 お婆ちゃんが倒れたのだ。
 後に聞いた話によれば、お婆ちゃんはクーヤの容態を確認して必要な処置を施した後、すぐさま術を使ってレイハールに連絡を取り、ミーナの事を頼んだのだという。このところ、体調が優れなかったところに来てのその無理が祟って、安心して気が抜けると同時に倒れたのだった。
 お婆ちゃんが昏睡から目覚めたとき、ミーナは泣いて彼女に抱きついた。ひたすらに泣いて謝った。
「お前が気に病む事は無いよ。どのみち長くは無かったんだから」
 そんなミーナの頭を撫でながら、お婆ちゃんは言った。
「そろそろお迎えが来る事は、卦に出ていたからね。これは運命だよ。なに、大切な孫のために手を尽くして力尽きるなら、本望さね」
「でも……」
「でも、は無しじゃ」
 そう言ってミーナを枕元に座らせると、お婆ちゃんは笑った。
「お前さん、川に飛び込んで火を消しただけじゃなく、癒やしのまじないもかけていたんだね。クーヤはあれで助かったようなものさ。さすがはあたしの自慢の孫。喧嘩の収め方をよう知っとる。まあ、ちっとばかし、加減が足らんかったようじゃがの」
 ぽんぽんとミーナの頭に手を当てて続けると、少し咳き込んで横になった。ミーナが慌てて背をさすると、嬉しそうに「ありがとよ」と応える。
「レイハールはあたしの古い友人でね。今はホイールの魔導学院で教授をしておる。前々から、お前のことを弟子にとお願いしていたのさ。とは言っても助手扱いだから、しばらくは雑用が続くかもしれんがの。ともあれ、魔法の腕は一級の人物だ。しっかり教わって、力の加減を覚えておいで」
「……はい」
「何をそんな悲しそうな顔をしてるんだね。あたしゃ、そんな顔を見て別れたくは無いよ。さあ、あたしの一番好きなお前の笑顔を、ばばに見せておくれ。ミーナ」
 それからほどなくして、お婆ちゃんは旅立った。まだミーナの行けない世界へと。涙でくしゃくしゃの笑顔は、果たしてお婆ちゃんの望んだものだったろうか。
(お婆ちゃん……)
 頬を伝う涙の感触で、ミーナは目が覚めた。ようやく明るくなり始めた窓の外から、早起きな小鳥達の声がする。手の甲で涙を拭って布団を口元まで引き寄せるが、これ以上、眠れそうには無かった。