星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

2.羽ばたきの丘

「あれ、写本?」
 司書のハルシャさんから受け取った紙束を見て、ラッセルは意外そうな顔をした。無理もない。高等部の先輩方でさえ、写本を手にすることは稀だ。助手見習いの子が私的に借りるだなんて、思いも寄らないだろう。
「原本は持ち出し禁止だし、閲覧時間も限られるから、コツコツ書き写してるの。まだ途中だからハルシャさんに預かってもらってるんだけど」
「ミーナが写してるの? これ」
「ええ、まあ」
「凄いなぁ。こんな古語文字だらけの本、開いた途端に寝ちゃいそうだよ、僕」
 ラッセルは心底そう思っているらしく、うへっと顔を逸らして頭を振る。
「そんなたいそうな本じゃないって。難しい単語はほとんど出てこないから。それに、ラッセルの好きな種類の本だと思うし」
「ホントに?」
 疑わしげに応じつつ、写本に並ぶ文字列を追い始めるラッセル。ほどなく「あ」と声を上げてミーナを振り仰いだ。
「学院の歴史本だね、これ」
「んー、正確にはエピソード集かなぁ。順番バラバラだから。あと、おとぎ話みたいのもちらほら」
「七不思議みたいな?」
「そんな感じ」
「へー」
 予想通りと言うか、ラッセルも興味を持ってくれたようだ。ほっとするミーナ。
 魔法と古語文字は切っても切れない関係にある。二人も当然、それなりにはマスターしていたが、魔導書や魔法陣の解説書にあるのは読みにくくて苦手だと、ラッセルは時折ぼやいていた。それで見せるのを躊躇していた部分もあるのだが、とりあえず第一関門はクリアらしい。
「それで、この本がどうしたの?」
「六つ目に時計塔の話が出てくるんだけど、ちょっと気になる記述があって」
 言いながら、ミーナはページを束でめくった。もう何度も読み返している箇所なので、感覚で覚えている。
「……えっと、この□がいっぱい並んでいるのは?」
「虫食いが酷くて」
「ありゃま」
「でね、この部分なんだけど」
 ミーナは中ほどの一文を指し示した。口に出して判別できた箇所を読み上げる。
「『□尾□導き□□、丸目の□月□夜□□開かれる』」
「……ん?」
 聞き終えたラッセルが首を傾げた。
「どうかした?」
「なんか、どっかで聞いたことある気がして」
「え? ホントに!?」
 その言葉に顔がくっつくくらいに身を乗り出すミーナだったが、
「……ダメだ、思い出せないや」
 いくらも経たないうちに、ラッセルは首を横に振る。
「はぁ……。そうよね。そんな都合よく話が進むわけないよね」
「……ごめんね、ミーナ。お役に立てなくて」
「あわわっ、ラッセルが謝ることなんてないよ」
 よほどがっかり感が表に出ていたのか。畏まった様子の彼に、ミーナは慌てた。
「それに、お願いしたいことはこれからだから」
「あ、そうなんだ。良かったぁ」
 ほっとするラッセルの顔にほっとして、本題に入る。
「あのね、この文章なんだけど、満月が並ぶ夜にしっぽのあるヒトがいれば時計塔の門が開く、て意味だと思うの」
「“開かずの門”が?」
「うん。ほら、あの奥には“知識の源泉ナレッジ”があるって云うでしょ。それで……」
 無意識のうちに、目深に被ったニット帽の額のあたりを押さえるミーナ。こつんとした感触が掌を伝う。そんな自分の仕草に、どうやらラッセルは察してくれたようだ。
「リュートを呼びたいんだね」
 若草色のしっぽを持つ羽根族ラペのリュートは、ラッセルの一番の親友だ。そして、ミーナが唯一面識のある亜人の子でもある。
 ホイールには同じようにしっぽを持つ獣人、小熊猫族コロパンクルが住んでいるのだが、時計塔の大扉はずっと“開かずの門”と呼ばれていた。ニケやニケのお母さんの話を聞く限り、小熊猫族コロパンクルがいてもあの扉は開かないらしい。そうなると、知り合いに乏しいミーナとしては、リュートに賭けるより手がないのであった。
「でも、今度の満月が並ぶ夜って、今週末じゃなかったっけ。間に合うかな」
「……ひょっとして、リュートの住んでる処、遠いの?」
「隣のスマリの村から二日くらい、て言ってたかな。ここから家まで馬でも三日かかるから、朝一で手紙出したとしても、届くのが満月の日になっちゃうと思う」
 思いがけない言葉にミーナは茫然とした。月に一度くらいは遊びに来ているようだったので、てっきり近くに住んでいるものとばかり思っていたのだ。
「——あ、でも、速達使えば間に合うかな」
 しばしの沈黙の後、思い出したように口を開いたのはラッセルだった。
「ちょうど明日来るはずだし、お土産も……大丈夫そうだ。頼めるね、うん」
 怪訝そうなミーナの視線に構わず独り言を繰り出すと、やおら彼女を向いて切り出す。
「ミーナ、明日の朝、市が開く時間に、リュートへの手紙持って“羽ばたきの丘”に来て」
「羽ばたきの丘?」
「リュートに初めて会った森、覚えてるよね。あそこを抜けた先にある丘のこと。あの一角だけ開けてるから、すぐに判るよ」
 言うや否や、ラッセルは腰を上げた。
「それじゃ僕、用意するものがあるから、今日はこれで。そうそう。リュート、僕らの字読むの苦手だから、手紙はなるたけ簡潔にね」
「え、ええ」
「じゃ、明日」
 椅子を戻して手を振ると、ぱっと駆け出す。見咎めるハルシャさんに「ごめん、とっても急いでるんだ」と言い置き、ラッセルはあっという間に図書館から出て行った。
 窓越しに遠ざかる彼の後ろ姿を、ミーナはただただぽかんと見送るばかり。

 翌日、普段より少し早めに起きたミーナは、あくびを繰り返しながら森の小径を小走りに歩いていた。まだ眠たい目をこすりつつ、先へと急ぐ。
 ポー先生が管理する植物公園——昨日落ち葉掃除をした公園だ——に隣接するその森は、そこを住処とする野鳥の数が多いこともあって、“さえずりの森”とも呼ばれていた。今日も朝早い刻限から賑やかで、時間があれば一緒に歌いたいところだ。だが、今朝ばかりはそうも行かない。
 早い話が、これでも少しばかり寝坊したのである。それというのも、リュートに出す手紙の文面に悩んで寝るのが遅くなってしまったからだ。完全に寝不足だけれども、これを逃すとたぶんもう、チャンスはない。両手で頬を叩いてシャキッとすると、ミーナはほとんど駆けるようにして森の出口を目指した。
 その丘は唐突に現れた。スパッと切れた森の木々を境目に、緩やかな傾斜を帯びた丘がこんもりと広がっている。一面が丈の低い、柔らかそうな草に覆われており、まるで緑色の絨毯を敷き詰めたよう。
 ラッセルはその丘の中腹に立っていた。傍らの見慣れぬ男の子となにやら楽しげに会話をしているのが判る。
 背丈はラッセルと同じくらい。赤茶けた髪の持ち主だ。髪と同系色のマントを羽織っていたが、対照的に足元の方は丈の短い半ズボンで、なんとなくちぐはぐな印象を受ける。
 脚絆ゲートルを巻いているところからすると旅の途中らしいが、目立つ荷物は腰に付けた大振りのポーチだけ。やっぱりどこかアンバランスだ。
「あ、ミーナ、おはよう!」
 そんなことを思いながら丘を斜めに登っていくと、ラッセルがこちらに気付いて大きく手を振った。朝早いのに元気である。
「おはよう、ラッセル。遅れてごめんなさい」
「へーき平気。たいして待ってないから。ね?」
 言いながらラッセルが隣の男の子を振り向くと、彼はにっこり笑って肯いて見せた。
「紹介するね。こちらはクーラン。カパッチの郵便屋さんなんだ。クーラン、この子がさっき話したミーナ」
「はじめまして。ミーナ」
 その声を聞いた途端、ミーナはあれっと思った。男の子じゃなくて女の子だ。
 そんな戸惑いを知ってか知らずか、彼女は黄色の瞳でミーナの顔をじっと見つめると、微笑みながら驚くことをさらりと口にする。
「あなた、丸耳人マールじゃないでしょ」
「えっ……?」
 確かにミーナは丸耳人マールではない。見た目はほとんど変わらないものの、一カ所だけ決定的に異なるところがある。額の角だ。それで普段からニット帽を被ったままでいるのだが、どうして初見で判ったのだろう。
 一瞬、ラッセルが話したのかと疑うミーナだったが、彼の口が堅いことは、これまでの付き合いで実証されている。見たところ彼女も亜人のようだから、気配か何かで察しをつけたのかもしれない。
 困ってラッセルを向くと、大丈夫だよと言う風に、大きく頷いてくれた。その顔に勇気づけられて、ニット帽を脱ぐミーナ。額にちょこんと生える、二本の黄色い角が露わになる。対するクーランの反応は、ミーナが予想だにしないものだった。
「わぁ、ステキ!」
 髪の合間に覗く小振りの角を目にした途端、クーランは文字通り瞳を輝かせた。
「とっても綺麗な角じゃない。いいなぁ。羨ましいなぁ」
「そ、そお?」
「だってほら、見てよ。あたしの飾り羽根。地味ったらありゃしない」
 クーランは自分の側頭部、ちょうど耳の上あたりを指差しながらふくれっ面をする。そこに生えている飾り羽根は灰色に近いくすんだ白で、確かに綺麗とは言い難い。
「あーあ、せめてリュートの羽根みたいに銀色だったらなぁ。あなたもそう思うでしょ?」
「は、はぁ……」
 急に真顔で問われて反応に困っていると、見かねたらしいラッセルが話題を変えてくれた。
「クーラン、忘れないうちにこれ、渡しておくね」
 鞄から小さな包みを取り出してクーランに差し出す。すると彼女は表情一転、溢れんばかりの笑顔で飛び跳ねるのだった。
「モロロクのクッキー!」
「閉店間際だったから、もうそれしかなかったんだけど」
「ううん、ありがとう。あたし、プレーンが一番好きだから。……えへへ、こーゆー役得があるから、ホイールは他に譲れないのよねー。ではさっそく」
 包みからクッキーを一つつまみ出すと、待ちきれないように一口で頬張るクーラン。
「はぁ〜、美味しい〜」
 片手を頬に当て、幸せそのものみたいに噛みしめる。見た目にはまるきり男の子だが、自分よりよっぽど女の子っぽい。そんな風に、ちょっと複雑な思いで見つめていると、
「ミーナの分も買ってあるから、後で渡すね」
 耳元でラッセルが囁いた。そういう意味で羨ましく思う気持ちは少しもなかったのだが、貰えるとなれば素直に嬉しい。自然と顔がほころぶ。
 と、
「あ、ようやく笑った」
 クーランが明るい声を出した。え? と振り向くと、彼女は先ほど以上に嬉しそうな表情で、ミーナを見つめている。
「さっきからずっとしかめ面なんだもん。気難し屋さんかと思っちゃった」
「それは、クーランが一人で盛り上がってたからでしょ。ミーナ困ってたよ?」
 ラッセルがやんわりと指摘する。だが、
「だってさぁ、女の子だよ。知り合えて嬉しいじゃん」
 と、よく分からない理由で歯牙にも掛けない。
「でも、初対面なんだから……」
「いーの。それがあたしの個性なの」
 ぷいと顔を逸らしたクーランは、ミーナと視線が合うやいなや、小さく舌を出してみせた。いたずらを指摘されたやんちゃ坊主みたいなその仕草に、ミーナも思わず笑ってしまう。
「大丈夫よ、ラッセル。こーゆーノリ、嫌いじゃないから」
 キョトンとするラッセルをよそに、ミーナはクーランにウインクする。そうして、今度は二人揃って大笑い。
「では改めて。これを機会によろしくね、ミーナ」
「こちらこそ、クーラン」
 二人はがっちりと握手した。
「で、お届け物はリュート宛ての手紙だっけ?」
「あ、うん。これなんだけど……」
 言われてウエストポーチから手紙を取り出したミーナは、少し迷ってから、まだぽかんとした様子のラッセルに尋ねた。
「ねえ、こんな感じで大丈夫かな?」
 リュートは字を読むのが苦手と聞き、悩みに悩んで簡潔に書いたつもりなのだか、それでもちゃんと伝わるか不安だったのだ。ようやく我に返ったラッセルは、「いいの?」と確認してから手紙を開く。
「わは。リュート、きっと飛んでくるよ」
 さっと目を通しただけで、彼は愉しげにそう口にした。

【今度の満月の夜に手伝って欲しいことがあるの。お願い、急いで来て。ミーナ】

「行けそう?」
「バッチリ」
 手紙を丁寧に畳んで返すラッセルは、迷うことなく太鼓判を押してくれた。
「よろしくお願いね。クーラン」
「まっかせといて。明日には間違いなく届けるから」
「明日?」
 いくら何でも速すぎない?
 そんなミーナの疑問を感じ取ったクーランは、くすりと笑うと、
「あたし、空の郵便屋さんなの」
 羽織ったマントを両手で広げつつ、その場でくるりと回る。
 いや、広げたのはマントなどではなかった。腕から背にかけて繋がるそれは、紛れもなく翼。数本の羽根が宙を舞う中、腰の後ろに平たい尾羽がちらりと見える。彼女は鷲族カパッチという、飛翔人の子なのであった。
「さてと、そろそろ行かないと。ラッセルは届けるものない?」
「急ぎはないから大丈夫。冬休みに一度、帰るつもりでいるし」
「なーる。了解。じゃ、今日もいつものやつ、お願いね」
「おっけー。ミーナ、ちょっと下がっててもらえる?」
「下がるって、このくらい?」
「んーと、もう少し。ああ、そのくらいで大丈夫」
 軽く両腕を広げて目を閉じるラッセルの姿に、いったい何をするのかと思っていると、風が彼の周りを回りだした。ラッセルを包む風のリングは、見る間に輪を広げて行く。リングが丘の上寄りに立つクーランを捉えるのに、さして時間はかからなかった。
 全身で風を浴びるクーランは、翼を広げては閉じ、広げては閉じを繰り返す。次第に早く、まさに鳥が羽ばたくように。風もまた、それに合わせてリズムを取っていた。強く、弱く。強く、弱く……。
 クーランが不意に大きく腕を反らして飛び跳ねる。同時にラッセルが両手を高く突き上げる。直後、吹き付ける風は旋風となって、クーランの体を天高く、一気に押し上げた!
「頼んだよーっ!」
 遥か上空でシルエットを見せるばかりとなった彼女に向かい、両手を口元に当てて声を張り上げるラッセル。呆気にとられていたミーナもまた、つられて大きく腕を振る。旋回するクーランは、それに応えて8の字を描いてから、彼方の山脈へと飛び去るのだった。
「……凄いね」
「クーラン達は風を捕まえるのが得意だからね。うまくすれば今日のうちに着いちゃうんじゃないかな」
 ミーナとしては、鮮やかに風を操ったラッセルのことを言ったつもりだったのだが、どうも伝わらなかったようだ。もっとも、こと風の魔法——本人曰わく、魔法とは少し違うらしいのだが——に関しては、普段からそれと意識せず自然に使っている節があるので、仕方ないかもしれない。
(初めて見たときもそうだったっけ)
 自分の手を取って、いきなり崖の上まで飛んだときのことを思い出す。驚嘆するミーナに「風の力を借りてるだけだから」とだけ答えたラッセルは、謙遜したと言うより、単純に戸惑っているように見えた。
 たぶん、他の人よりちょっと得意なこと、くらいにしか思っていないのだろう。空を見上げる横顔は普段と全く一緒だ。
(だからこそ凄いと思うんだけど)
 そう思うミーナだったが、ついつい別の言葉を口にしてしまう。
「リュート、間に合うかな?」
「よっぽどのことがない限り、大丈夫だと思うよ。きっと裏技使うから、早ければ前日の晩に着いちゃうかも」
「裏技?」
「うん。裏技」
 言って、ラッセルはにっこりと笑う。詳しくはヒミツ、の顔。そして、もう一押ししようかとミーナが考えるよりも先に、彼は素早く話題を変えた。
「それよりさ、ミーナ。お腹空かない? 朝市の時間にだけやってる、安くておいしい串焼き屋さんが近くにあるんだけど、良かったら一緒にどお?」
 瞬きする間に、腹の虫が自分にだけ聞こえる微かな声で同意を示す。これまでの経験上、ラッセルが見つけてくるお店に外れはない。
 流れるように肯くミーナだった。