星のかけらを集めてみれば - 記憶のかけらは風に乗って -

作:澄川 櫂

1.鐘の声

 穏やかな風が腰にかかる紅藤色の髪を揺らしてゆく。ほうきを動かす手を休めたミーナは、片手をベージュ色のニット帽にやりながら風上を見やった。むき出しの耳に当たる風は、微かな冬の気配と共に鐘の音色を運んでいるようだ。それと知って首を傾げる。
 木々の合間に時計塔が見えるが、鐘が鳴らされるにはまだ早いし、音も時計塔の鐘にしてはずいぶんと小さい。両手でほうきを握り、塔の先端をじっと見つめる。
 緩やかに揺れていた旗の動きが止まる。と、鐘の音も聞こえなくなった。空耳だろうか。
 再び風が髪を揺らしてゆく。ミーナは目を閉じ、耳を澄ませた。本当に微かだが、やはり何かのリズムが風に乗って流れている。
(なんだろう、これ。お囃子とも違うみたいだけど……)
 もっとよく聴こうと集中するミーナ。額と髪の間——ちょうど角のあるあたり——にちくりとする感覚。一瞬、顔をしかめるが、
「誰かを……呼んでる?」
 耳に届く音色に誘うような響きを感じた気がして呟く。
「ミーナ!」
 そのひときわ大きな呼びかけに、ミーナはようやく我に返った。ほうきを握ったまま視線を転じると、落ち葉の小山をバックに、小熊猫族コロパンクルのニケがぴょんぴょこ跳ねながら彼女を手招いている。
「火、火。早く早く」
 ビー玉みたいな水色の瞳を爛々と輝かせながら、ミーナを急かすニケ。陽光の下、藍と黒の入り混ざった彼の毛並みが、複雑な光沢を放つ。途中でちょん切れたかのような中途半端な長さのしっぽもまた、跳ねる動作に合わせてぴょこぴょこ揺れていた。
「そんなに急かさなくたって大丈夫だよ、ニケ」
 落ち葉の山の前に屈んで木の枝をかき回す、青いバンダナを被った少年が苦笑する。尖耳人トカリに特有の、やや先の尖った形の耳——丸みを帯びたミーナのそれとは異なる——も、やれやれといった感じで下がり気味だ。
「だってよぉ、ラッセル」
「ちゃんと葉っぱ被せとかないと、生焼けになっちゃうって」
 そう言って立ち上がった彼、ラッセルは、膝に付いた落ち葉を両手で払うと、傍らに寝かせてあった熊手を拾い上げる。そうしてもうひとかき、落ち葉を寄せるのだった。
「準備できた?」
「ばっちり。頼むね、ミーナ」
「おーけー」
 屈んで山の裾野に手をかざすと、ミーナは風変わりな声音トーンの短いフレーズ——圧縮呪文——を口ずさんだ。ふわりとした旋律メロディに合わせ、柔らかな炎が落ち葉の隙間から山の中へと潜り込んで行く。
 うっすらと登り始めた水蒸気は、やがて白い煙へと変わり、水気を失った葉っぱ達がパチパチと乾いた音を立て始める。ここまでくれば、あとは放っておいても勝手に燃えてくれるだろう。
「ぬくいぬくい」
 手をはたきながら立ち上がる彼女の傍らで、小山の上に両手をかざしてラッセルがおどける。言うほどまだ寒くはないのだが、ホイール魔導学院の期末試験も今日が最終日。採点期間を過ぎればもう冬だ。時折吹く風も、心持ちひんやりしている。ベージュのニット帽を少し引っ張って耳まで覆うと、ミーナも彼に倣って両手をかざした。
「こうしてるとなぜだかほっとするよね」
「葉っぱのエキスが混じってるからかな?」
 くんくんと匂いを嗅ぐようにしながらラッセル。まるで犬みたいな彼の仕草に、ミーナは思わず笑ってしまう。
「でも、ミーナがいてくれてホント助かっちゃった。火、熾す手間も省けたし」
「ひょっとして、前は一人でやったの?」
「まさか。去年は友達とチイに手伝ってもらったんだ」
「ラッセル、俺も俺も」
 自分を指しながらニケが裾を引っ張る。
「ゴメンゴメン、そうだった」
「……へぇ、珍しい。ニケが進んで手伝うだなんて」
「失敬な。俺様ほど後輩思いな正規助手ホンアシはいないぞ?」
 仰け反らんばかりに反っくり返るニケ。と、
「なーに言ってんの。あんたはいつだってご褒美目当てでしょうが」
 別の女の子の声が得意顔のニケをすっころばせた。振り向くと、ニケと同じ小熊猫族コロパンクルのチイが、火消しの水を汲んだバケツを持って歩いてくる。女の子らしい明るいクリーム色の毛並みの持ち主だ。
「ご褒美?」
 なんのことか判らず小首を傾げるミーナだったが、程なく気付いて傍らにジト目を落とす。
「ああ、お芋のことか。食い意地張ってるニケらしいね」
「……るせー」
「でもミーナ、こればかりは仕方ないかも。だって、ラッセルが採ってくるキツネイモ、超ヤバいもん。ポー先生も目を丸くしたくらいなのよ」
「そうそう。よくもまあ、食べ頃ど真ん中のやつばかり見つけてくるもんだ、てな」
 ぴょこんと跳ね起きたニケは、そう続けてラッセルを見上げた。
「なあ、どうしても教えてくれないんか。探し方」
「ごめん。これだけは何があっても内緒なんだ。それに」
「それに?」
「教えたところで二人には無理だと思うし」
 ニケとチイは互いに目線をあわせると、どちらともなく嘆息する。
「あーあ、今年が最後かぁ」
 手にした小枝で落ち葉をかき回しながら、ぽつんとニケが呟く。今年が最後。その言葉に、ミーナの胸の鼓動が僅かに高まる。
 ミーナとラッセルがこの学院に来てから今度の春で丸三年が経つ。初等部卒業の年だ。二人とも助手扱いなので厳密な意味での「卒業」ではないのだが、ラッセルはこれを区切りに郷里へと帰ることになっていた。
 こうして共に過ごせる時間も残すところは限られている。三人の声をどこか遠くに聞きながら、ミーナの心は数年前に飛んでいた。

「何だか怖いくらいね」
 あれは学院に来て半年くらいが経った頃だ。ミーナの記憶にまつわる話を聞いて、図書館のハルシャさんが真っ先に口にした言葉。一瞬、嫌われてしまったかと不安になるミーナだったが、ハルシャの顔に浮かんでいるのは、純粋な驚嘆の色だけだった。
「さすがミーナ。一目で古文書の内容を覚えちゃう天才だけのことはあるわ」
「そんな、天才だなんて……」
「何年も携わってるのに、来てすぐのあなたに写本の間違いを指摘された私の身になってみてよ。ミーナを天才とでも思わなければ浮かばれないわ」
 照れて否定しようとするミーナを、笑いながら止めるハルシャ。ミーナより十ばかり年上の、明るいお姉さんだ。学院でミーナの角のことを知る、数少ない人物でもある。
「ヒトは誰でも、一度見聞きしたことは忘れない、て説があるそうよ。ただ、どこに記憶したのかを忘れちゃうだけで」
 ひとしきり笑うと、ハルシャはそう話を始めた。
「世の中には、驚異的な記憶力の持ち主がままいるのがその証だって。ミーナみたいにね」
「でも……」
「確かに普通じゃないと思うけど、だからって、それだけでミーナがオニ、てことにはならないじゃない。角だって、ミーナの可愛いのと同じ形してるとは限らないわけだし」
 言って、ハルシャは両方の手を指差しする形に握ると、頭の横に当てて凄んでみせる。
「わたしのオニのイメージは、こーんなやつだけど」
 その仕草が可笑しくて、ミーナは思わず笑ってしまった。
「まあ、不安に思う気持ちも解るけどね」
 帽子を被ったままのミーナを見ながら、ハルシャが続ける。本来、図書館では帽子類の着用は禁止だったが、事情を知ったハルシャの尽力で、今は許されるようになっていた。角が元で辛い思いをしてきたミーナへの配慮もあったが、様々な種族の人間が集まるホイールでさえ、ちょっとした外観の違いを嫌悪する者が少なからず存在するからだ。
 ホイール図書館の蔵書は、周辺の国々を合わせてもずば抜けた量のコレクションを誇っているが、それでもミーナの種族は未だに不明だった。伝承を紐解いてみても、現状、“角のある人”で見つかるのが“オニ”に限られているだけに、混乱を招く恐れは多分にあった。仮にそれが元でここに居られなくなったりしたら、ミーナにはもう、行く当てがない。
「“知識の源泉ナレッジ”の伝承が本当なら、そこに行ければ、何か手がかりが掴めんだろうけど」
「そっちの情報もなかなか見つからなくて……」
「うーん。手伝ってあげたいのは山々だけど、私は私で調べないとならんこと、山ほど抱えてるもんなぁ」
「あわわ、気にしないで下さい。好きに書庫の本が読めるだけでも助かってるんですから」
「そうは言っても、一人じゃ大変でしょう」
 と、そこまで口にしたところで、ハルシャは何事か思いついたようだった。口元に笑みを浮かべると、身を乗り出して持ちかける。
「そうだ、ミーナ。あの子に手伝いを頼んでみたら? あなたの同輩の、ほら、バンダナ巻いた男の子」
「ラッセルくん、ですか」
「そうそう、ラッセル君。巻きものコンビの縁で、きっと力になってくれるわよ。うん。私の勘がそう言ってる」
「……巻きものコンビ?」
 何のことか判らず、きょとんと小首を傾げるミーナの様子に笑うと、ハルシャはミーナの帽子を指差した。
「その帽子に変える前、ミーナ、スカーフ巻いてたでしょ。ラッセル君はバンダナ。似たような格好の子が一緒に入ってきたもんだから、仲間内でも話題になってね。付いたあだ名が」
「巻きものコンビ」
「そ。まんざら知らない仲じゃないんでしょ。思い切ってお願いしてみれば?」
 結局、その時にはラッセルに頼めなかった。自分のことだし、自分で頑張れば良いやと思ってしまったので。
 ……ううん、勇気が無かっただけかも。だって、次の年も頼むことができなかったから。自分の恐れていることを知られるのが怖くて。学院で最初にできた友達を失うのが怖くて。
 そうこうしながら一人で調べている間に、あっという間に最後の年が来てしまった。まだ怪しげで頼りない手がかりしか得られていないのに、試せる機会はもう数えるばかり。今を逃せば次は無いかもしれなかった。
 ——やっぱり、お願いするなら今しかない。

 気が付けば、落ち葉の山から立ち上る煙は、今にも消え入りそうなごく細い筋状に変わっていた。落ち葉の山自体、だいぶ嵩が減っている。それを見てようやく、ミーナは決心を固めるのだった。
「……ねえ、ラッセル」
「ん?」
「このあと暇?」
「今より暇な季節はないよぉ」
 返ってきた答えに、ミーナは目をぱちくり。
 大学正教授の住み込み助手いそうろうである二人は、学院中が血眼になる昇級試験とは無縁だった。むしろ講義がない分だけ、好きにできる時間は普段よりも多いくらい。完全休養の冬休みを除けば、確かに今が一番暇な時期である。
「そ、そっか。そうだよね。……て、そーじゃなくて」
「あはは。冗談だよ。じょーだん。特に予定はないよ」
 ぷーと頬を膨らませるミーナの様子に、ラッセルは笑った。悪気はこれっぽっちもないのだろうが、時々こうしてからかうような反応をすることがある。そのことを知りながら、毎度毎度、思わず言い返してしまうミーナとしては、悔しいことこの上ない。
 あう、と首を垂れると、ミーナは深呼吸して心を整えた。
「あのね、帰りがけ、一緒に図書館に寄って欲しいの」
「図書館?」
「ちょっと、お願いしたいことがあるんだけど、その、口だけで説明するのが難しくて……」
「おっけー。でもその前に」
 枝を片手に屈み込むラッセルは、燃えかすの中から芋をかき出すと、半分に折ってその片方をミーナに差し出した。 
「とりあえず、これ食べてからにしようよ」
 両手で受け取ったミーナ、しばし弄んで冷ましてから、一口ぱくり。
「おいしい……!」
「な? 超絶うめぇだろ?」
 いつの間にやら抱え込むようにして芋を頬ばるニケが、まるで我が手柄の如く胸を張る。もっとも、目をまん丸く見開くミーナに、ツッコミを入れるだけのゆとりはなかった。
 ホクホクしながらもしっとりと甘い。そんじょそこらのケーキなんか目じゃない代物だ。たまらず夢中でかぶりつく。
「これ、本当にお芋なの?」
「ここの土、ポー先生が手入れしてるから、たいていのものは美味しくなるんだ。食べ頃ジャストはパーフェクト」
「なあ、頼むからこれ探すコツ、教えてってくれよ」
「食いしん坊のニケが心配ならあたしにだけでも。ねっ、お願い」
「だからぁ、こればかりは教えようがないんだってば」
 すがりつく小熊猫族コロパンクルの二人に、ほとほと困った様子でミーナを見やるラッセル。だが、こればかりはニケとチイの味方と定めるミーナであった。