星のかけらを集めてみれば - 灯鈴あかりすず -

作:澄川 櫂

1.銀の羽根と黄色い角

 突然、目の前に降ってきた物体に、ミーナは声を上げて尻餅をついた。布の裂ける音がそれに続く。慌てて手元に目をやると、持っていた白いスカーフが完全に二つに分かれてしまっている。
 先ほど、枝にひっかけて破いてしまったものだ。どうしたものかと途方に暮れていたのだが、修復不能になってしまえば諦めるより他はない。
 大きくため息を吐いて視線を戻したミーナ。と、茂みの中に半身を起こし、きょとんとこちらを見上げている少年に気付いてドッキリする。
 褐色の肌に印象的なエメラルド色の瞳。髪の色は若草色で、量のある髪の合間からは、銀色の飾り羽根が一対、ふわりと弧を描くようにして延びている。その後ろで、髪と同じ色の長いしっぽが所在無げに揺れていた。
 さっき目の前に落ちてきたのは彼だったのだ。今更のように理解するミーナは、けれども、驚くより先に、少年の容姿に見とれていた。素朴さと野生味ワイルドさの入り交じった顔はいかにも亜人の風体だが、陽光に鈍く輝く飾り羽根のすてきなことといったら!
 初めて目にした種族の姿に感動すら覚え始めたその時、ぽけっと見上げていた少年が、ぽつりと呟いた。
「……きれーな角なー」
 その言葉にハッと我に返るミーナ。
 ミーナの額には一対の角が生えていた。ヤギのような黄色い角だ。幼い頃は髪に隠れ、触れないと判らないほど短かったのだが、年齢とともに少しずつ成長し、今では紅藤色の髪の合間からひょっこり顔を覗かせるくらいの長さがある。そのままだと目立ってしょうがないので、普段はスカーフを頭に巻いて隠していた。
 角があること以外は丸耳人マールと変わらないため、同級生達は皆、彼女のことを丸耳人と思っていることだろう。だが、その角を隠していたスカーフは今、二つに裂かれて彼女の手にある。当然、角も丸見えだ。
 でも、不思議なことに、隠そうという気にはならなかった。綺麗と言った少年の声が心底感嘆した風で、ちょっと嬉しく思ったからかもしれない。
 だから背後でがさがさと物音がしたときも、何ともなしに振り向いていた。しまった、と思ったときにはもう遅い。青いバンダナを巻いた尖耳人トカリの少年が、木の幹に片手を突いている。肩で息をする彼の、金色の瞳とばったり目があった。
 ホーイル魔導学院の紋様が入った上っ張りの、袖に縫い付けた布の色は橙色。自分と同期の助手見習いだ。
 よりによって一番知られたくない種類の人間に見られた格好だったが、「あ!」と声を上げる少年は、意外なことに、角の生えたミーナの姿に驚いたのではなかった。初対面の人にそうするように、ミーナに向かってごく自然に軽い会釈をすると、彼女の傍らでぼうっとしている亜人の子に駆け寄る。
「リュート、大変!?」
「……大変って、なにが?」
 慌てた様子のバンダナくんとは対照的に、リュートと呼ばれたしっぽくんは、ぼんやりのんびり振り向いた。銀色の羽根を僅かに揺らして。
 薄茶色の前髪の下で、バンダナくんが呆れた表情を作るのが判る。
「なにがって……。しっぽから血が出てるよ」
 えっ!? と二人して若草色のしっぽを見る。先っぽに近いあたりにできた傷から、真っ赤な血が毛を染めながらつーっと滴っているではないか。
「痛ってぇっ!」
 一呼吸おいて、しっぽくんは文字通り飛び上がった。
「なんで枝にトゲが生えてんだよ」
 今更のように涙目で文句を垂れながら、しっぽを両手でつかんでふーふーする。次いで、流れる血を舌で舐めようとするが、
「ダメ!」
 ミーナは思わず、そんな彼を止めていた。
「このあたりの蔦のトゲには、ほんの僅かだけど毒の成分が含まれてるの」
 きょとんとするしっぽくんに構わず、鞄から薬草と乳鉢を取り出すと、傍らのバンダナくんに問いかける。
「ねえ、水持ってる?」
「——あ、うん」
 差し出された水筒の中身を確認し、乳鉢に入れた薬草に僅かに振りかける。水筒を彼に返しつつ、
「傷口洗ってあげて」
 と頼んで薬草をすりつぶしにかかった。蔦に巻き付けて怪我をしたのだとすると、傷は一カ所や二カ所ではないだろう。ペースト状にして塗り込むのが手っとり早い。
 そんなことを考えながら乳棒を動かすミーナの耳に、男の子達の会話が聞こえてくる。
「ちょっと、じっとしててってば。——悪いことするから罰が当たったんだ」
「イチチ……。なんも悪ぃことなんかしてねぇぞ」
「じゃあ、僕の肉まん返してよ」
「あー……。もう食っちまった」
「ほら、天罰てきめん」
 どうにもくだらない理由で追いかけっこをしていたようだ。声には出さず笑うと、ミーナは小鉢を手にした。
「傷口見せて」
 思った通り、細かな傷が点々としっぽを伝っている。じわりとにじみ出る血の色に顔をしかめるが、「ちょっと染みるよ」と言いおいて、躊躇なく薬ペーストを塗り始めた。僅かに身じろぎするしっぽくん。
 一通り塗り終えたところで鞄を引き寄せると、もう一枚、少し大きめの薬草の葉っぱを取り出し、傷口全体を覆うようにして当てる。片手でそれを押さえつつ、もう一方の手でスカーフを持ち、口にくわえて一気に細く切り裂く。
 そうしてできた即席の包帯を、ミーナは葉っぱの上から手早く巻いた。
「きつくない?」
「へーき。……あんがとな」
「どういたしまして。明日になってもまだ痛むようなら、ちゃんとお医者さんに診てもらってね」
 先生よろしくミーナが言うと、しっぽくんは神妙な顔でこくんと頷いた。素直でよろしい、と思わず口にしかけたとき、街の方から鐘の音が聞こえてきた。あと半刻で市が終わることを告げる、甲高いけれどのんびりした音色の鐘だ。
「あ、いけね。急がねぇと閉まっちまう」
 市が終わると四半刻で大門が閉じられる。ここホイールでは、市の開催中こそ出入り自由だが、それ以外は許可証がないと拘束される決まりだった。世界に名だたる魔法都市国家だけのことはあり、未だかつて一晩を捕まらずに過ごせた侵入者は皆無だという。
「おいら、リュート。ええっと」
「ミーナよ」
「ミーナ、あんがと。このお礼は今度、ちゃんとすっから」
 慌てて立ち上がったしっぽくんは、心底申し訳なさそうに、両手をあわせて頭を下げる。そうして立ち去りかけたところで、思い出したように振り向いた。
「じゃ、ラッセル。またな」
「またね、リュート。気をつけて」
「おう」
 苦笑混じりのバンダナくんに軽く手を挙げて応えると、あとは一気に幹をよじ登り、枝伝いに木から木へと駆けてゆく。生い茂る葉の合間に紛れ、その姿はあっと言う間に見えなくなった。
 あまりに鮮やかな枝走りぶりに、呆然と枝を見上げ続けるミーナ。傍らから差し出された手に気が付いたのは、しばらく経ってからのことだ。振り仰ぐと、バンダナくんがにこにこしながら待っている。
「あ、ありがとう」
 その手を借りて立ち上がり、礼を述べるミーナに「いーえー」と応じた彼は、人なつこい様子で自己紹介するのだった。
「こうやって話すのは初めてだよね。僕はラッセル。ポー先生んとこの居候」
「あたしは……」
「レイハールおば……先生のところでしょ」
「え?」
 先を越されて驚くと、
「研究室の前でぶつかりそうになった時のこと、覚えてない?」
 と逆に尋ねる。途端、ミーナの脳裏にとある光景が鮮明に蘇った。
 あれは初登校の日だから、かれこれ一年くらい前の話だ。助手扱いで入学した生徒は、朝一の講義が始まる一刻いっとき前には担当教師の研究室を訪れ、その日の講義の準備を手伝う習わしなのだが、ミーナはこともあろうに初日から遅刻しそうになったのだった。意外に複雑な学院内で迷子になりかけたのである。
 職人の徒弟制度ほど堅くないとはいえ、初っぱなから遅れるというのはあまりに印象が悪い。焦って焦ってぎりぎりセーフで研究室に滑り込む直前、両腕いっぱいに荷物を抱えた誰かと出会い頭に衝突しかけたミーナだったが、相手の状態を確認する余裕もなく「ごめんなさい!」とだけ言いおいてその場を後にした……。
 あのときの相手が目の前の彼だったのだ。恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になったミーナは、慌てて深く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! あたし、あのときとっても急いでて、それで……」
「大丈夫だいじょぶ。一個も落とさなかったから。それより間に合ったの?」
「う、うん」
「良かったぁ。いきなり遅刻は格好悪いもんねー」
 まるで自分のことのようにほっとする様子に、ミーナが不思議そうな顔をしていると、それに気付いたのか、ラッセルは照れ笑いを浮かべながら続けた。
「僕も初日に遅刻しかけたから、焦る気持ちとっても良く解るんだ。だから、ぜんぜん気にしてないよ。ぜんぜん」
 その、これっぽちもという気持ちを強調する口調と仕草が面白くて、ミーナはついついつられて笑ってしまった。笑いながら「どうやら悪い子じゃなさそうだ」と思う。
 そうして気付いたときには、並んで石に腰掛け、会話に花を咲かせていた。学院のこと。担当教師のこぼれ話。仕事の愚痴。エトセトラ。たわい無いことばかりだったけれど、角を隠さずに話せる人間が数えるくらいしかいないミーナにとって、ラッセルとの会話はとても新鮮だった。
 住み込み助手いそうろう同士、こんなにも話が合うもんなんだと思うと同時に、初対面の相手なのに屈託無く話せる自分に驚く。角を隠さない——隠し事をしていないという思いが、心を軽くするからか。ミーナはしばし、時の経つのを忘れた。
「——あ、いけない。もうこんな時間だ」
 そう言ってラッセルが立ち上がった時には、だいぶ日が傾いていた。ひんやりとした空気が、大門を閉じる鐘の音色と共にそろりと流れてくる。
「そろそろ帰ろっか。急がないと門限超えちゃうよ」
 腰の横で拳を握り、その場で足踏みするラッセルを前にして、ミーナは立ち上がったもののためらった。角のことだ。破れたスカーフの残り半分では、どう頑張っても被い隠せないだろう。夕暮れが近いとは言え、まだ顔かたちが判るほどには明るい。
 と、ラッセルの方でもミーナの逡巡する理由わけに気付いたようで、
「ああ、それ、みんなには内緒なんだね」
 言うが早いが、自分の頭に巻いていたバンダナをほどいて差し出す。
「貸してあげる」
「え?」
「少し大きめのサイズだから、角の上からでも巻けると思うよ」
 狐柄の刺繍がちりばめられたバンダナを受け取ったミーナは、促されるままに巻いてみた。角の分だけゆとりを持たせたにも関わらず、ちゃんと後ろで縛ることができる。
「わは、ぴったし」
 彼がそう言うからには、見た目のバランスもまずまずなのだろう。
「あの……ありがとう」
「いーえー。でももったいないなー。せっかくきれいな角なのに」
「えっ?」
「ほらほら、急がないと閉め出されちゃうよ」
 きょとんと見つめるミーナを再びかけっこの仕草で急かすラッセル。
「いっそげ急げ」
 おどけるように言いながら、軽やかに駆けだす。そうして少し走ったところで、不意に速度を落として足踏みする。こちらを向いて自分を待つ彼の、にっこりと笑う姿を見て、ミーナもようやくその後を追って駆けるのだった。