魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶

作:澄川 櫂

1.カケスは舞い降りた

 コレット・グロースの行手を阻むそれは、現れた時からずっと変わらず、赤く光る瞳で彼女を見つめていた。コンテナの合間から差し込む光に浮かぶシルエットは丸。球状の小さなロボットだ。
 蹴り飛ばせば簡単に抜けられそうな気もするのだが、一歩踏み出す都度、羽(耳?)と口を大きく広げて威嚇する姿に気圧されて、不毛なにらめっこを続けているのだった。
(こんなことしてる場合じゃないのに)
 焦るコレットの右手が無意識のうちに胸元を押さえる。上着越しにも、シャツの隠しポケットへしまい込んだものの存在を確認できた。それで少し落ち着いたからか、次いで周囲を伝った振動に、必要以上に驚くことは無かった。
「今の何?」
「はて、ハッチが閉じたにしては大きすぎるようだが」
 コンテナの向こうから、女性と男性の声が聞こえる。再びの振動。丸いロボットも気になるようで、くるりと下がって様子を伺う。白と黒の幾何学模様に彩られた体を傾げるも、赤い瞳はコレットを向いたままだ。
(何なのよ、サッカーボールのくせして)
 いい加減、腹立たしくなってきたところで三度の振動。遠くに聞こえる警報音に、男性の声が重なる。
「社長さん! 爆発だ! 旧配管が破裂して火を噴いてる!」
「何ですって⁉︎」
「帰り支度終えたところすまんが、手を貸してくれ!」
「……たく、超過料金請求するからね。フィンフィン、おいで!」
 女性の声がそう呼ぶと、目の前のロボットはコロコロと転がって行く。そっとコンテナの合間から覗き込むと、パタパタと羽を揺らして跳ねる白黒のロボットが、プチモビールのコクピットに収まるところだった。
 背を向けたプチモビールが半球状のキャノピーを閉じるのを確認して飛び出すコレット。物音を立てないよう注意しながら、コンテナ間の路地の一つにするりと入り、入り組んだ先の物陰で、積まれたスチールボックスをそっと動かす。
 果たして彼女の宇宙服ノーマルスーツが、膝を抱えた姿勢で佇んでいた。
(よかった、見つかってなかった!)
 これで元来た道を戻ることができる。宇宙服を手早く着込んで、コレットは暗がりの細い路地をさらに進んだ。忘れられた地下通路に潜り込み、古びたエアロックを抜ける。
 それはコロニー建造時の作業用通路の一つで、今も非常口として機能が生かされていた。だが、コンテナに埋もれて久しい通路は点検もままならず、港湾管理局の監視システムにすら無視されているという。
(公然の秘密、てやつなのかな)
 忘れられたという割には小綺麗だった通路の様子に、改めてそんなことを思いながらハッチを蹴る。宇宙船暮らしの長い彼女にとって、船外作業など朝飯前だ。なんなく目的の隕石に取り付き、拳大の石をわずかに動かす。
 念のため周囲の様子を伺ってから、コレットはキャノピーを開き、コクピットへ滑り込んだ。シートに収まると同時にキャノピーを閉じる。アクティブに戻る計器類を一瞥し、次いでコンソールを確認したコレットは、通知に気付いて首を傾げた。
「……場所変更?」
 そろそろと動き出す擬装隕石。港湾無線に耳をそばだてつつ、パーソナルコードと“合言葉”で座標を取り出す。と、その時だった。

 ——眠りたい。帰りたい。

 自分ではない少女の声が傍らに聞こえた。慌てて左右を見回すも、当然ながら誰がいるわけもない。港湾管理局のアナウンスを拾う無線機をじっと見やる。
(混線かな?)
 そうだよね。うん、きっとそうだ。マップに座標を入力しながら鼻歌など歌ってみる。
 出掛けに起きた爆発事故もひと段落ついたようで、港湾無線もだいぶ落ち着きを取り戻している。慣性に任せて流れる偽装隕石の中を伝うのは、いつしか少し調子の外れた鼻歌くらいになっていた。
 だが——。

 ——眠りたい。帰りたい。

(何? 何なのよ!)
 忘れかけた頃になって再び耳元で響いた少女の声に、コレットはさすがに薄気味悪くなって腰を浮かせた。もっとも、それはごく僅かな間のことだ。
 コンピュータがサイド2の監視網を抜けたと告げる。すぐさま我に返ってマップを確認するコレットは、乗機の擬装を解いた。
 バルーンを破って機首が前を向く。僅かに左右へせり出すエンジンブロック。両翼と尾翼が展開すると同時にスロットル全開。ずんぐりした航宙機が勢いよく加速する。
 一瞬のGに顔をしかめるのもつかの間、コレットは全天周囲モニターの片隅に後方カメラの映像を投影させた。急速に遠ざかるサイド2のコロニー群よりこちらを目指す光跡は見当たらない。
 大きく息を吐いて力を抜く。自動航行プログラムに指定の座標を入力し終えると、コレットはようやく人心地ついた気分でバイザーを上げた。ドリンクチューブを咥えて渇いた喉を潤す。
「さっきのあれ、なんだったんだろう?」
 沈黙する無線機を見つめながら口にする。混線という感じではなかったが、さりとて空耳にしては、いやにはっきりと聞こえた。
「この子、やっぱ曰く付きなんじゃないのかなぁ」
 片手でコンソールを撫でながら、一人続ける。
 コレットの暮らす船は、あまり大っぴらにできない仕事を生業としていた。今飛ばしている小型航宙機も闇ルートで入手したものだ。かなり珍しい機体らしく、故に整備長イアンの第一声は「きな臭い」。
 コレット自身は動かしやすくて気に入ったこともあり、海賊が使うにはらしくて良いじゃない、などとうそぶいていた。だが、変な声が聞こえるとなると、イアンの心配とは別の意味での曰くが気になってしまう。
 例えば、この子は事故機でなんか憑いてる、とか……。
 ぶんぶんと頭を振って妙な不安を振り払うと、コレットは視線を正面に戻した。海賊といっても、いわゆる海賊働きをすることは今や稀なのだが、身分不詳には違いない。連邦軍にでも見つかったら大変だ。
 コレットの養い親は、かつてのジオン公国軍の生き残りだった。自分が生まれる十年近く前の、人類の半数を死に至らしめたという大戦争。その当事者の一方に付いて戦った人達だ。戦地で祖国が敗北したと知って以来、ずっと流浪の生活を続けているのだという。
 国へ帰らなかった理由は知らない。幼い頃に何度か訊いてみたことはあるのだが、はぐらかされてしまったから。もっとも、子供心に触れない方がよい話題と悟ってからは、口にするのを避けてきた。
 そのジオンという国も、既になかった。ジオン共和国が自治権を返上してから三年になる。一つの時代の終わりと世間は騒いだようだが、コレット達の生活にはなんら変化をもたらさなかった。
 ジオンのお姫様の演説が流れた時もそうだ。大人達の本心は、当時まだ十歳ちょっとだった自分には分からない。ただ、その後のことを振り返るに、二度のネオ・ジオン紛争とは無関係だったというヘーゼル・グラウスにとって、もはや遠い世界の話でしかなかったのだろう。
 怪しげな依頼主に託された物資を運びつつ、時に非合法な手段で糧を得る。拾われた頃から変わらぬ日常は、これからも同じように続いて行く。そう信じて疑わなかったコレットである。
「作戦かぁ……。何するんだろ?」
 ここ数ヶ月ほど、ヘーゼル・グラウスは依頼とは無関係に動いていた。コレットがこうしてサイド2へ忍び込んだのも、当然ながら日常の範疇外だ。
「これがないと詳しくは決まらない、て言ってたけど」
 胸のあたり、“珈琲屋カフェマスター”から受け取ったものに手を当てながら、養父おやじの言葉を思い出す。病床にある彼の代理に立候補したおかげで、普段に無い数々の刺激を大いに堪能したわけだが、この先もまた、こうした機会があるのだろうか。
 確かに刺激的で楽しい一日ではあったけれど、まだしばらく続くのだとすると、さすがに疲れる気がする。
(おまけのアップルポテトパイ、美味しかったなぁ)
 久方ぶりに口にしたスイーツの味わいを反芻しながら、今日の出来事を思い返す。幸いにして何事もなかったけれど、緊張に次ぐ緊張の連続。あのタイミングで甘い物食べられたのは、まじラッキーだったかも。

 ささやかな努力を重ねていれば、たまにゃ良いこともあるわよ。

 養母かあさんの口癖、本当だったなぁ。などと、のほほんとすっかり緩んでいたそのとき、不意に接近警報が鳴り響いた。同時に振動がコクピットを揺らす。見上げるといつ現れたのか、奇妙な容貌のモビルワーカーが機体に取り付いているではないか。
 ヘルメットを被り、円形のゴーグルを掛けた工夫の如き風体の、人型工作機械——。
「な、なによこいつ⁈」
「カケスは舞い降りた!」
 慌てるコレットに、双眸の奥をほのかに赤く灯らせるモビルワーカーは、男の声で言った。予期せぬ符丁に戸惑いながらも応える。
「ま、舞い降りるは鷲。これは我らにとって大きな飛躍」
「なれば楔を解き放て」
 紛れも無いフレーズを返したそいつは、
「いやー、参った参った。急に場所変えたとか言うんだから。人使い荒いなぁ、君らのボス」
 途端にフレンドリーな口調で話しかけてくるのだった。

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。