星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

6.御利益はすぐに

「また少し背が伸びたな、リュート。大会にはもう出てるんだろう?」
「うん。順位はまだまだだけど」
「でもリュート、枝渡りはずっと一等賞じゃん」
「お。やるな、リュート」
「そーでもないよ」
 テイラーに褒められたのが照れくさいのか、ぷいと横を向いて謙遜するリュート。でも、しっぽの方は正直で、相変わらずご機嫌に左右に揺れている。小屋に向かう道すがら、ずっとこんな調子だ。
 くすくすと笑うハープだったが、当のリュートはそれに気付かぬ様子で、
「なあ、とーちゃん。その帽子、ナニ?」
 と、話題を変えるのだった。
「帽子? ああ、こいつのことか」
 左手にした編み笠を持ち上げてみせるテイラー。頷くリュートの隣で、ハープも興味津々でそれを見つめる。鼻には自信があるのに、何でテイラーのいるのが判らなかったのか、不思議でしょうがなかったのだ。
「今回は特に隠密行だったんでな。気配を悟られないよう、こうして」
 テイラーは言いながら、持っていた編み笠をリュートの頭にぽんと載せた。するとどうしたわけか、リュートがリュートに似た、他の誰かのように見えるではないか。ハープが驚いていると、今度はそのハープの頭に編み笠が載せられる。リュートが目をまん丸くしているのは、リュートにも自分が自分に似た誰かと見えているからに違いない。
「な?」
「……すっごーい」
「変なのなー」
「まあもっとも、二人の鼻はごまかしきれなかったようだが」
 テイラーが苦笑する。尖耳人トカリ丸耳人マールといった“尾のない人”は気配に鈍感はながきかないらしいので、ひょっとすると、居ることを完全に判らなくするためのものなのかもしれない。
 そう思い至って、単純に自分の鼻を高く感じるハープだったが、リュートはそれとは別のことに気付いたらしい。
「……危ないのか?」
 心配そうに問いかける彼の言葉を聞いて、ハープもようやくはっとした。気配を変えるようなものをわざわざ被って村まで歩いてきたのはなぜか。その必要があったからではないか。
 例えば、何者かに命を狙われているとか……。
「いやいや、そんなことはない」
 不安のまなざしを向ける二人に、テイラーは慌てて手を振った。
「なんせ昨日も今日も、えらいカンカン照りだったろう? こいつの他に、日差しを遮るものがなくてなぁ。いやもう、暑いの何のって」
 最後の方はのんびりした口調になって、事情を説明する。互いに顔を見合わせる二人は、やがて、どちらともなくほっとした表情を作ると、「なーんだ」と歩幅を上げた。もう間もなく小屋である。リュートなど、ほとんど駆けるようにして前を行く。
 そうしていち早く林の外れにたどり着いたリュートは、振り返りざま、釣り竿を持った方の手で後方に見える小屋を示すのだった。
「とーちゃんほら、きれいになったろ?」
「……ほお」
 リュートの小屋を目にするや、テイラーはそう言ったきり黙ってしまった。すっかりきれいになった様子に驚いているのだろう。立ち止まって見つめる姿からは、たとえ気配を探らなくとも、内心で目を丸くしているのが手に取るように判る。
「おいら、先にこいつ捌いちゃうから。とーちゃんは部屋でのんびりしてて」
 戸を開けるリュートの弾んだ声に急かされ、続いて小屋に入ったテイラーは、再び「ほお」と漏らして首を巡らした。吊したばかりの干し肉の合間に見える壁と天井には、明るい色で塗装された板がはめられている。窓枠や床板にも丁寧にニスが塗られていて、夕闇が迫る時間帯にも関わらず、室内は不思議と明るく感じられた。
「……こりゃまた、ずいぶんときれいになったな」
「これ、リュートが一人でやったんですよ」
 ようやく口を開いたテイラーの感嘆の言葉に、ハープは自分のことのように嬉しくなって、ついつい教えていた。
「一人で? 外もか?」
「ううん、中だけ。あ、でも、うちのお父さん、リュートは器用だってすっごく褒めてました」
 慌てて取りなすハープだったが、
「ああ、本当に器用だな」
 壁に手を触れるテイラーは、きちんと目止めした上で色が塗られているのを知って、三度、驚いていた。このレベルで整えるのは結構な手間だったろう。
 改めて室内を見回すテイラー。昔はなかった天井裏へ上がるために立てかけられた丸太が目に入り、そこに足掛け代わりの枝が残されているのに気付いて頬がゆるむ。木登りの得意なラペの子に、見てそれと判る足掛けなど不要だ。とーちゃんテイラーのことを思って残したに違いない。
 と、炊事場の方から鼻歌が聞こえてきた。ご機嫌そのもののメロディが小屋を伝う。二人は顔を見合わせると、揃って笑った。
「リュート、おじさんが帰ってきたのがよっぽど嬉しいみたい」
「いや、そればかりじゃないだろう」
 荷物を置いて腰を下ろすと、テイラーはにこやかな顔のままで言う。
「……?」
「女の子にああ言われて、嬉しくならない男の子なんていないよ」
 途端、ハープは耳まで赤くなるのが自分でも判った。ほかに誰も聞いてないと思えばこそ、思い切って口できた言葉だったのに、それをしっかり聞かれていたとは。火照った頬を両手で押さえながら、あわあわと隠れるところを探してしまう。
「はっはっは。そんなに慌てることないじゃないか。なにも夫婦になると決まったわけじゃないんだから」
「……うん」
 言われて小さく頷くハープ。ラペの村では、ご神木の前で森の神様に誓いを立て、互いの羽根を合わせて初めて夫婦となる決まりだった。だから、「リュートの羽根が一番のお気に入り!」と言ったのをテイラーに聞かれたところで、慌てる必要が無いのは確かだ。
 とはいえ、恥ずかしいものはやっぱり恥ずかしい。それで俯くハープだったが、 
「ありがとうな、ハープ」
 唐突にそう言われて「え?」と顔を上げる。
「怒鳴ったり小声になったり、ずいぶんと落ち着きが無いんで心配になったんだが、ハープのおかげですっかり元に戻ったようだ」
 いまだ続く鼻歌に耳を傾けるテイラーは、そこで言葉を区切ると、真剣な眼差しでハープを見つめた。
「私はこんな調子で、なかなか一つ所に留まれない身だ。これからもあいつのこと、よろしく頼む」
 子供のハープに向かって、何のていらいもなく頭を下げるテイラー。またも慌てる羽目になったハープだったが、彼が顔を戻したつかの間、そこにリュートの顔がだぶって見えた気がして、目を瞬く。
 もちろん、自分を見つめているのは、髪の色も瞳の色もリュートとは異なる、テイラーの顔だった。髪型が同じなのはリュートが似せているからで、それ以外は顔の形も含めてまるで似ていない。
(気のせい……だよね?)
 じーっと見つめ続けるハープに、テイラーが不思議そうに首を傾げたとき、「あーっ!」というリュートの素っ頓狂な声が響いた。ハープははっと我に返り、テイラーもまた、驚いて立ち上がる。
「どうした?」
「腹からなんか出た」
 炊事場から駆けてきたリュートは、当惑した顔で言いながら、右手に握ったものを見せるのだった。
 それは掌にすっぽりと収まるほどの大きさの、半透明の板だった。二辺が長い三角形をしていて、全体にほんのりと赤みを帯びている。
「ヌシのお腹から出てきたの?」
「うん……」
「ちょっと見せてくれるか」
 ランプに明かりを灯したテイラーは、リュートの手からつまみ上げると、それをかざした。次いで左の掌に載せ、角度を変えて眺めやる。そうしてしばらく、手の上で転がしていたが、
「“星のかけら”なんだろうな。こんな風に色が付いているのは見たことがないが」
 と、少し自信なさげに言う。
「星のかけら、て、百個集めたら願い事が叶うんですよね?」
「そう言い伝えられているな」
 尋ねるハープに答えつつ、テイラーはリュートの手にかけらを戻した。
「持っているだけでも幸せになるらしいから、お守りにするといい。変わってるだけに、かえって御利益があるかもな」
「……ホントかぁ?」
 掌に乗せられたかけらを見つめるリュートは、だが、疑わしそうに首を傾げるばかり。
 彼は元来、占いや御利益などというものを信用しないたちである。大人達に倣い、村の守り神である御神木へのお参りこそ欠かさなかったが、その小枝で作るお守りは、ぞんざいに腰紐へ結わえる始末。擦り削れて惨めになった様を見るにつけ、顔をしかめる長老衆も多かったが、当人はどこ吹く風で森中を駆け巡っている。
 神主が説くところの「常に身につけ、あるがままに暮らしなさい」を忠実に実践していると言えば、そう取れないこともないのだが……。
「ああ、とーちゃんが保証する。きっと良いことがあるさ」
 そんなことは知らないであろうテイラーは、ハープからすればひどく無責任に請け負った。さすがのとーちゃんの言葉でも、こればかりは簡単に受け入れられないらしく、なおも疑わしげにかけらを見つめるリュート。するとテイラーは、ぽんと一つ手を打って、持ってきた荷物をごそごそとまさぐった。
「そうだ、お前にお土産があったんだ」
 言いながら、真ん中を紐で結んだ布袋を取り出す。
「ほら、開けてみろ」
 細長い布袋を渡されたリュートは、それを左手に持って、言われるままに紐を解いた。内側にくるまるようにして収まっていた布がはらりと開け、中にあるものが姿を見せる。笹の葉に似た形の、銀色の棒きれだ。
「……これ?」
 一瞬、きょとんとした表情になると、右手に持って灯りにかざし、しげしげと眺める。と、そのとき、それまで一本に思えた棒きれが、不意に真ん中で二つに分かれた。
 落としそうになって、慌てて左手で受け止めるリュート。おかげで棒きれの方は無事だったが、投げ捨てた布袋を踏みつけたリュートは、すってんころりん、ひっくり返って背中を打つ。
「いってぇ……。なんなんだよ」
 むっくりと上体を起こしつつ、しっぽで背中をさするリュートだったが、
「リュート、それ……」
「え? あ……」
 驚いた感じのハープの声に顔を上げ、彼女のまん丸の視線に促されて自分が手にするものを見る。途端、ハープに負けず劣らずのびっくりした表情を浮かべるのだった。
「ほーう。やっぱりお前は、二刀が好みだったか」
 してやったりの顔でテイラーが笑う。
 リュートが両手に持っていたのは、二本の小振りな刀である。長さはテイラーが腰に帯びている刀の半分ほど。彼の刀と違って刀身に反りはなく、柄も鍔もないシンプルなものだが、刃を伝う澄んだ光沢は、えも言われぬ艶やかさで見るものを魅了する。
 しばしぼんやりと見とれていたリュートは、不意に跳ねるようにして立ち上がると、テイラーに急き込みながら尋ねた。
「な、な、試していいか?」
「もちろん」
 テイラーが頷くや否や、リュートはたちまち外へとすっ飛んで行く。
 リュートが向かったのは、小屋の裏手にある練習場だった。草を編んで作った人形が数体、夕日を浴びながら並んでいる。テイラーが自身の鍛錬用に拵えたものを、彼は補修しながら使い続けていたのだった。
 羽根族ラペの伝統的な得物は、飛び道具にもなる小さな斧である。だが、人形には棒で打ちつけたような傷が多数見受けられた。手先の器用なリュートが、自家製の木刀でテイラーの真似をした痕だ。
 ハープの見るところ、刀術の方はどうも性に合わないようだったが、それでも時折、思い出しては木刀を振るっていたリュートのこと。多少形は違っても、憧れのとーちゃんが使っていた刀の本物を手にしたともなれば、気が急いて当然だろう。
 人形と少し距離を置いて立つリュートは、構えが定まらないらしく、あれこれ試していた。それをいかにも楽しげに見守るテイラー。ラペの斧とも木刀とも異なる武器をどう使うのか。ハープもまた、興味津々の体で見つめる。
 ややあって、やおら腰を落としたリュートの構えに、二人は目を見張った。右は順手、左は逆手に刀を握り、二本の短刀を同じ方向で、水平に揃えたからだ。まるで、一本の長刀を鞘から抜き放とうとするかのごとく。
 短い二つの切っ先が、そろりそろりと垂れて行く。タイミングを計るように揺れるリュートのしっぽ。切っ先を下げる動作に合わせ、次第次第に揺れ幅を狭める。そのしっぽが、ついにはぴたりと止まる。
 と思えた瞬間、リュートは地面を蹴った。瞬く間に人形の懐に飛び込み、一気に逆袈裟に斬り上げる!
 振り上げられた二本の短刀が、西日に輝く。同様に、リュートの飾り羽根が赤みを帯びたとき、ぱさ、という乾いた音を残して、人形の上半が斜めに落ちた。
「お見事!」
 人形の芯にあたる編み込みの固いところをすっぱりと落として見せた彼の妙技に、テイラーが手を打つ。
「二本の軌跡を重ねて斬り裂くか!」
 感嘆のあまり、声を弾ませるテイラーだったが、
「とーちゃん、これすげぇ!」
 興奮も最高潮のリュートの耳には、全く届いていなかった。
「軽いし狙いもぴったし!」
 喜々として次々と、様々な形の素振りを試して行く。思い浮かんだままを動作に置き換えているようで、ラペの斧技やらなにやらが入り交じったへんてこな形。それでも、溢れる喜びに踊るリュートの心が手にように解る、見ていて楽しい剣舞だった。
「なあ、これ、どうしたんだ?」
「知り合いに腕の良い武器職人がいてな。頼んで作ってもらったんだ」
「おいらのために?」
「まだ少し早いが、とーちゃんからの誕生日祝い」
 言って、軽くウインクしてみせるテイラー。リュートの顔が見る間に輝いた。
「ありがとう、とーちゃん!」
 ぴょこんと頭を下げるリュートの、頭の飾り羽根がふわりと揺れる。そうして顔を上げたときのにっこにこの表情に、どことなくテイラーの面影を感じたハープは、ああと今更ながらに思う。
 とーちゃんの喜ぶ顔が見たいリュート。そのリュートを喜ばせたいテイラー。たとえ種族は違っても、たまにしか会えなくても、二人はれっきとした親子なのだ。互いを想い、再会を心待ちにする気持ちが、姿形を似せる。なんて素敵なことなんだろう。
 胸の奥でほんわかする感覚に、ハープは思わず声をかけていた。
「良かったね、リュート」
「おう!」
 右に握った小刀を高々と上げ、飛び跳ねそうな勢いで彼は応えた。
 それから二年——。