星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

5.銀の羽根の秘密

(いるいる)
 大きい沼ポロトに頭を突っ込んでヌシの姿を水中に確かめると、リュートはゆっくりと静かに、顔を引き上げた。倒木に足をかけてぶら下がっていた体を戻し、ぶんぶんと頭を振って水を飛ばす。飾り羽根に残った水滴を手で丁寧に拭ってから、ハープに持っていてもらった釣り竿を受け取る。例の仕掛けは、既に取り付けてあった。
「……ねえ、ホントにそれで釣れるの?」
「任せろ」
 あくまでも疑わしげなハープに軽く応えて、リュートは竿を片手に握った。もう片方の手で仕掛けを持つと、ヌシのいるあたりめがけて柔らかく放る。ポチャンと音を立てて仕掛けが水に浸るや、リュートはすかさず竿を動かして、水面を走らせた。跳ねるように駆ける淡い緑の毛玉が、幾重もの波紋を湖面に作る。
 ひとしきり走らせてから、手元に仕掛けを戻したリュート。少し間を置いて再び湖に向かって放り投げるや、同じように動かす。ばしゃばしゃばしゃっ!
 ポロトに変わった様子はない。少なくとも、ハープの目にはそう映った。が、リュートは飽きもせず同じ動作を繰り返す。その顔に徐々に緊張の色が表れてきていることに、彼女は気付かなかった。
 ハープが異変を感じたのは、いい加減、声をかけようとした、まさにその瞬間であった。それまで断続的に聞こえていた虫の音が、ぴたりと止んだのである。静寂が辺りを包み込み、湖の水ですら、まるで固まったかのようにひっそりとしている。
 と、その湖面に大きな影が浮かんだ。まるで丸太のような太い赤茶けた魚体が、のっそりと姿を現す。
 ピンと立つリュートのしっぽ。彼の手から仕掛けが放たれ、淡い緑の毛玉が、ちゃぽん、わさわさ、と音を立てて、影の鼻先を掠め行く。直後——。
 ぐわばぁっっ!!
 轟音と形容するにふさわしい響きを残して、湖面を走る毛玉が一瞬に消えた。激しい水しぶきとともに飛び出す巨大な口が、ひと呑みにそれをくわえ込んのだ!
「わっ!?」
 湖に引きずり込まれそうになったリュートは、とっさにしっぽを倒木の幹に絡ませ、それに耐えた。左の足で節の端を踏み締めつつ、釣り竿を両手でしっかと握りしめ、引っ張るヌシと力の均衡を保つ。
 浮き上がった右足をそろそろと幹に着け、ようやく彼が体勢を整えたのは、それからしばらく経ってのこと。無理に引いてしまうと糸が切れてしまうかもしれないからだ。まるで我がことのように息を詰めていたハープは、それを見てようやく息を吐いた。
 長い根比べが始まった。
 力の均衡を保つのは、決して簡単なことではない。ぐいぐいと引っ張るヌシとの間にあるのは、細い糸一本だけ。無理に引っ張ってもダメだし、変に力んで止めても切れてしまう。相手の動きにあわせて、常に竿の位置を加減しなければならなかった。
 リュートはその微妙な力関係を、根気よく保った。釣り竿を前に後ろに、右に左に動かしながら、ヌシの力を相殺する。
 お日様が中点をちょっとすぎた頃から始まった根比べは、日が傾きを増し、赤みを帯びてもなお続いた。初めはじっと立って見つめていたハープも、さすがに疲れて大きな石に腰掛けていた。膝に肘を乗せ、拳で両頬を支えながら、リューとはタフだなぁと感心する。ピンと立っていた彼のしっぽも、今は緩やかに下りていて、余裕が感じられるのだった。
 もっともそれは、余裕とは少し違っていた。確かにヌシの引っ張る力は、少しずつ弱くなってきている。相手の方が先に疲れてきたのだろう。
 とは言うものの、簡単に引き上げられるわけでもない。どころか、ヌシは力のかけ方を変えてきている。疲れた分、ちょっとずつ力をため、突発的に吐き出すようにしているらしかった。
 リュートはその不規則な変化に即応できるよう、あえて力を抜いているのである。見た目にはそれと判らないが、緊張の度合いで言えば、むしろ高まっていた。五感を鋭く、針先に集中する。
 ヌシの動作に一定の法則があることを、彼は見抜いていた。糸をぐいと引っ張る間隔こそまちまちだったが、引っ張る直前、ヌシは僅かに動きを止めるのである。
 ほんの一瞬だが、糸を引く力の消える瞬間がある。リュートはその時を待っている。竿を引き上げるタイミングを、慎重に見計らっていた。
 リュートのしっぽが不意に水平に延びる。直後、その両足が倒木を蹴った。同時に両手を高く上げ、後方の岸辺目指して勢い良く跳躍する!
 大きくしなる竿先が、反動で糸を思い切り引っ張り上げる。それはヌシが動きを止めた、まさにその瞬間のこと。ヌシはたまらず引き上げられ、気付いたときには為す術もなく、宙を飛んでいる。一抱えはありそうな立派な魚体が、西日を浴びて輝いた。
 文字通り目を丸くするハープ。けれどもそれは、湖から上がったヌシの姿に驚いたからだけではない。彼女の瞳は、同様に宙を舞う別のものに釘付けとなる。
 歓声を上げるリュートの、頭上で揺れる銀の飾り羽根。同じように夕日を受けて輝くそれは、生まれてこの方見たこともない、鮮やかなオレンジ色に染まっていた——。

 大きなヌシは結局、リュートの魚籠びくには収まりきらず、三分の一ほどが口から顔を出していた。リュートがまた、器用に尾の方から入れたものだから、ちょうど胸鰭がびくの口に引っかかっていて、手を掛けて首をもたれているようにも見える。思わず可愛いと手を叩いてしまったハープだったが、村のチビ達への人気は、それ以上だった。
 広場まで戻ってくるや、めざとく見つけたトンを筆頭に、わらわらと集まってくる。誰もがその大きさに驚き、次いで頭を指先でつついてはきゃっきゃと笑う。
「これ、リュート兄ぃが一人で釣ったんか?」
「ああ」
「すっげー!」
 年少のトンに尊敬の眼差しで見つめられ、さすがに少し得意げな様子のリュート。けれども、その割に表情は晴れない。不思議に思うハープだったが、彼の視線の先を見てすぐに理由が判った。
 広場の外れにある木のそばから、モックとシンが遠巻きにこちらを見ていた。リーダー格を気取っている二人にとってみれば、リュートがチビ達の人気を得ることは面白くないのだろう。見てそれと判るほどに、不機嫌そうな顔をしている。それでいて黙っているのは、昼間のリュートとの一件が効いているからに違いない。
 有り体に言えば、二人はまだ怯えているのである。いかに睨むような視線をこちらに向けていようとも、しっぽは正直だ。が、当の二人にとっては、それこそ面白くない話。いつかきっと、なにかやり返してくるような気がする。
 リュートとハープが揃って見返していることに気付いたモックは、一寸ひるんだようだった。一拍おいて、地団太踏んで悔しがる。ひとしきりそうしたモックは、何を思ったか、不意にリュートを指さした。次いでその周り、ちょうどチビ達が群がっているあたりに円を描く。最後に自分の飾り羽根をちょいと示すと、顔の前で手を振った。
(……あいつ!)
 ハープがその意味するところに気付いた時には、彼らはすでに逃げ去っている。
 リュートの羽根はチビのそれ。俺のと違う。モックが見せたジェスチャーは、要するにそういうことだ。ハープはそっとリュートの横顔を伺った。
 案の定、リュートの顔はシュンと萎んで見えた。
「……そろそろ行かなきゃなんねぇから。ごめんな」
 小さく笑ってチビ達の輪を抜けると、釣り竿を担いで歩き出す。チビ達の手前、目に見えてうなだれるようなことはなかったが、足取りとしっぽにいつもの元気がない。
「あ、わたしも手伝うよ」
 ハープがそう言うや、チビ達が騒ぎだした。
「えー!」
「ハープお姉ちゃん、遊ばないの?」
「もう遅いからまた明日ね。みんな、日が暮れる前に帰るのよ?」
 なんとか宥めすかすと、チビ達にリュートの沈んだ心を悟られないよう、努めてゆっくりと彼を追う。広場の外れから伸びる小道が、木の陰に入って広場から見えなくなったところで、ようやく歩を早める。それでも、とぼとぼと歩くリュートと並ぶのに、そうはかからなかった。
「リュート、大丈夫?」
 横からのぞき込むようにして声をかけるハープだったが、うつむき加減のリュートは、黙ったまま応えない。木々の合間から時折射し込む西日に目を細めつつ、よくよく表情を伺うと、その口は真一文字に結ばれ、何かをこらえているようである。
「リュート?」
「……いいよ、もう」
「え?」
 何のことだか判らず、思わず聞き返してしまうハープ。と、それが癇に障ったのか、立ち止まって振り向くリュートは「もういいよ!」と声を荒げた。だが、びっくりして目を丸くするハープの姿にすぐに平静を取り戻すと、バツが悪そうに目を逸らす。
 ややあって、リュートは一つ大きく、ため息を吐いた。
「……おいらと一緒にいたら、ハープまで変に思われちまう。だから、おいらのことなんかほっとけよ」
 目を逸らしたままで言うリュートの顔は、口調さながらに寂しげだった。それでいて湿っぽくないのは、半ば諦めの境地にあるからだろうか。いじけているのとも違う、複雑な表情——。
 リュートは知っていたのだ。彼と一緒にいることの多いハープが、村の同じ年頃の女の子たちから不思議に思われていることを。やれ、誰それの羽根の方が赤くてきれいだと盛り上がる中で、一人話に加わらず、銀色の羽根のリュートと仲良くするハープのことを「変な子」とささやく声は、大人たちの間にもちらほら聞こえ始めている。ハープ自身はそれを何とも思っていなかったのだが、リュートの方はだいぶ気にしていたようである。
 一瞬、どう応えて良いか悩むハープ。と、その時、彼の銀色の羽根先がちかりと光った。また少し傾きを増した日の光が、木立の間から射しつ隠れつしている。もう少し後ろの方に行けば、すっかり陽射しの下に出るのに。
 そう気付いたハープは、同時に彼を元気にする方法が判った気がして、
「ねえ、リュート。ちょっと、そっち木の側に立ってくれる?」
 と、明るい声で口にしていた。
「……?」
 唐突に言われて首を傾げつつも、ハープが指さす木の側に寄るリュート。が、その位置ではまだ影がかかる。
「もちょっと右」
「こうか?」
 今度こそ、リュートは日向に全身をさらした。差し込む西日の紅い光がシャワーとなって、彼をすっぽりと包み込む。まぶしそうに目を細め、片手を顔の前にかざすリュートの飾り羽根は、全体が夕焼け色に染まっている。その鮮やかさに、ハープはしばし見とれた。
「……あのね、リュート。自分じゃ気付いてないかもしれないけど、そうやって夕日を浴びてる時のリュートの羽根、とってもきれいなオレンジ色なんだよ」
「えっ?」
「わたしの一番のお気に入りは、そんなリュートの羽根なんだからね」
 リュートの顔が赤く見えるのは、西日のせいばかりではないだろう。後ろに手を組んで、こちらも少し赤らんだ顔でハープがはにかむ。柔らかな風が小道を駆け、向き合う二人の髪と飾り羽根を小さく揺らして行く。
 ハープがリュートの羽根の秘密に気付いたのは、一年ほど前のことだ。小屋の屋根を修理する彼の頭上で、夕暮れ時の光を受けた羽根が瞬くのを目にしたのがきっかけだった。その時には「光った」くらいにしか思わなかったのだけれど、なぜだかそれ以来、ずっと気になっていた。
 昨日まではどうして気になるのか、自分でもよく解らなかった。でも、今日からは違う。リュートの羽根が村で一番きれいだから、と、胸を張って言える。

 ——だからさ、もっと自分に自信を持ちなよ

 その思いを込めて、ハープはリボンを巻いたしっぽで「頑張れ」のポーズを取る。リュートもまた、照れくさそうにしっぽを振ってそれに応えた。
 さ、行こ。言いかけて、ハープがぎょっと立ちすくむ。なぜなら、振り向いた先の木陰に、編み笠を被った男が立っていたからだ。
 一体いつ現れたのか。痩身に異国の旅装をまとい、腰に大小二本の刀を差した男は、匂いから察するに丸耳人マールだろう。肌の色こそ、自分たちと同じ褐色に近いが、笠の下からこちらを見つめる瞳は赤で、もちろんしっぽは生えていない。
 腰の武器を見てとっさに警戒するが、それでいて戸惑いを隠せないのは、男の気配がなぜかしら知っているもののように思えたからである。
 と、無精ひげに覆われた口が動いた。そこから発せられる声は親しげで、やはり知っているように思えた。
「光が見えたからもしやと思ったが、やっぱりリュートだったか。お、これまたずいぶんな大物を釣り上げたなぁ」
 戸惑う二人に構わず、話しかける男。その様子に、リュートが自信なさげに首を傾げる。
「……とーちゃん?」
「なんだなんだ、その顔は。久しぶりで忘れちまったか?」
 心外、といった感じで手を広げ、胸を反らせる男だったが、ふと気付いて頭に手をやると、
「ああ、すまんすまん。こいつを被ったままだった」
 苦笑しながら被っていた笠を取った。リュートの髪型に似たボサボサの黒髪が露わとなる。同時にそれまでぼんやりしていた気配が明確となり、ようやく二人の見知った顔が現れた。
「とーちゃん!」
「おじさん!」
「久しぶりだな、リュート。それにハープ。二人とも元気にしていたか?」
 リュートの“とーちゃん”ことテイラーは、そう言って優しい笑みを浮かべるのだった。