星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

4.沈む心に食いつくもの

 いつもの倒木に腰掛けて糸を垂らしたリュートだったが、それは文字通り垂らしただけだった。ポイントを狙うこともなければ、時折つんつんと揺れる針先に気を配ることもしない。そもそもその針には、肝心の餌が付いていなかった。
 にも関わらず針先が揺れるのは、好奇心にかられた魚が戯れているからだ。常のリュートであれば、起用に竿を操ってその口元に引っかけることもできるのだろうが、延々とため息を漏らす今の彼には、さすがに無理な相談である。
 ため息の理由はもちろん、モック達にからかわれた自分の羽根のことだ。
 ラペの羽根族ラペたる証である頭に一対生えた飾り羽根は、十になる頃から色づくのが普通だった。長く伸びる男子の羽根は鮮やかなオレンジ色に、小さいままの女子の羽根はサクラ色に、それぞれ色が変わる。だが、リュートの羽根は長く伸びるようになっただけで、一向に色づく気配がない。
 幼少期でさえ微かに赤っぽいものが、彼に限って生まれたときから銀色だったのである。ラペの羽根は年に一度、冬を境に生え替わるのだが、何回生え替わっても、リュートの羽根は銀色のままだった。
 幸いと言うか、過去にも何人か銀色の飾り羽根を持つ者がいたため、長老の裁量で大会に出ることを許されたが、それを快く思わない者達もいる。奇異の目で見られるのはへっちゃらだけど、女の子の羽根より赤くならないことを面と向かって言われれば、男の子としてはやっぱり辛いのだ。
「はぁっ……」
 力なくだらんと垂れたしっぽの先が、湖面に波紋を作る。ひんやりとした水の感触に気付いてひょいと上げるものの、再びため息と共に水に浸かる。その繰り返し……。
 不意に針先のあたりが静かになった。餌のない針にちょっかいを出していた魚達が、揃って姿を消している。程なく、ひときわ大きな魚影がゆっくりと湖面に浮かび上がってくる。
 だが、リュートはそれらの変化に全く気づいていない。だから、水の感触に続いてしっぽを激痛が伝ったとき、無防備だった彼は訳も分からず飛び上がるしかなかった。
 思わず竿を手放し、両手でしっぽの先を押さえようと、宙で体を丸める。勢い余って弧を描き、空中前転姿勢になる途中、いくらか痛みが和らいだところで目を開けたリュートは、自分のしっぽをくわえた者の正体を見た。
 陽光に水しぶきをきらめかせ、鱗に覆われた流線型のボディが宙を舞う。逆さまの視界を流れる赤茶けた巨体のただ中で、ぎょろりと彼を見つめる金色の魚眼。
(——ヌシ!)
 頭から湖に落っこちる直前に見えた大物は、彼がここ数日狙っているヌシに他ならない。でっけー口。ヌシの姿を初めて間近にはっきり見たリュートの感想は、その一言に尽きた。
 どっぱーん。盛大な水柱が大きい湖ポロトの一角にあがる。ややあって湖面に浮き上がったリュートは、思い切り頭を振って飾り羽根に付いた水滴を払うと、しっぽの先を手にした。毛の合間にくっきりと残るヌシの歯形に沿って、所々、地肌に血が滲んでいる。
 目の端に涙を浮かべつつ、リュートはしばらくぺろぺろと傷口を舐めていたが、どうしてヌシが食いついたのか、不思議でならなかった。餌をどんなに変えて誘ってみても、全く見向きもしなかったのに。それが、大しておいしそうにも見えない自分のしっぽに飛びつくだなんて。
 そのときふと、湖に落っこちる直前に目にしたヌシの巨体と、驚くほど立派な口が脳裏に浮かんだ。あれだけ大きいと、ちょっとやそっとの獲物じゃ満足しないんじゃないか?
 近くに浮いていた釣り竿を回収すると、リュートは湖に浮かんだまま、辺りをまじまじと見渡した。
 ヌシが縄張りとしているこの辺りは、大小様々の倒木や枝の張りだしが入り組んでいる。こうして下から見上げると、湖にかかる屋根のようだ。時折かさかさと揺れるのは、トカゲやネズミといった小さな生き物達の通り道になっているからだろう。
 こうした場所に住む魚達は、水面に落ちた虫を好んで食べる。なので、虫が落ちた感じさえうまく再現してやれば、極端な話、餌をつけずに針を垂らしても魚が釣れたりする。
 でも、ヌシはあの大きさだ。虫など腹の足しにもならないから、見向きもしないのかもしれない。食うならもっと大きな獲物、例えば、こうして湖上の枝葉を揺らしているトカゲやネズミなんかが狙い目だろう。
 そう思ったリュートは、改めて自分のしっぽを見た。太さだけで言えば、ちょうど小ネズミくらいはある。ひょっとして……?

「ちょっとリュート、どうしたの!?」
 全身びしょ濡れで帰ってきたリュートの姿に、ハープはさすがに目を丸くした。が、リュートは驚く彼女に構いもせず、ずんずんと物置の方へと歩いて行く。
「あ、そのままじゃ風邪ひくって!」
 持っていた最後の肉片を慌ててフックに吊すと、ハープは奥からタオルを持ってきて、彼の頭に被せた。自ら拭き始めるのを確認すると、部屋に戻って着替え一式を引っ張りだしてくる。
 無造作に着ていたものを全部脱いだリュートは、タオルで全身を拭いながら、
「ヌシ釣る方法、分かったかも」
 と、弾んだ声で言うのだった。
「え?」
 呆気にとられるハープから着替えを受け取り、とりあえずパンツだけはくと、大きめの釣り針と糸、それに麻袋を一つ抱えて居間に上がる。袋には切った髪の毛やしっぽの抜け毛を貯めておいたのが入っている。冬の防寒用の土壁に混ぜて使うためのものだ。
「それ、どうするの?」
 あぐらをかくリュートの肩越しに覗きながら、ハープが興味深げに尋ねると、「まあ、見てろって」とだけ口にして、袋に手を突っ込むのだった。
 長めの毛を鷲掴みにして、真ん中辺りを糸でぎゅっと縛る。それをどんどん繰り返して行き、握り拳ほどの大きさになったところで釣り針を結わえた。最後に、ハープが干したばかりの肉片を数枚、重ねて針に刺し込む。
 掌に乗せて重さを確認し、もう一枚、肉片を刺し込んだリュートは、今度は満足げに頷いた。
「できた!」
「……。これー?」
 リュートにそれを手渡されたハープが、不審そうな表情で口にしたのも無理はない。
 どこからどうみても、単なる毛の固まり、毛玉である。干し肉を付けたからには餌として使うのだろうが、こんなヘンテコなものに食いつく魚がいるだろうか?
「今までの餌、あいつにゃ小さかったんだ」
「でも、こんな変なの……」
「行けるさ」
 言う間に手早く服を着たリュートは、自信満々に答えた。
「だってヌシのやつ、おいらのしっぽ咬んだんだぜ?」
 楽しげにしっぽを揺らしながら言う。
「ええっ?」
「さって、勝負勝負」
 驚くハープの手から、作ったばかりの仕掛けをひょいと取り上げると、竿を担いで軽やかに駆けて行くリュート。
「あ、待って。わたしも行く!」
 ハープも慌てて後を追った。