星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

3.集会場で

 翌日、ハープが目を覚ます頃には、リュートは既に活動を始めていた。階下からぱたんと戸の閉まる音。続いて、枝の揺れる音がどんどん遠ざかって行くのが判る。
 布団を蹴飛ばすようにして跳ね起きると、ハープは手早く着替えて下に降りた。ポールに掴まってするりと下る。羽根族ラペの家には階段も梯子もない。天井からぶち抜きで据えられたポールがその代わりだ。
「あら、おはよう。珍しいじゃない」
 テーブルの上の皿を片付けていたフルートが、気づくや否やそう声をかけてきた。むっとして何か言い返そうとするハープだったが、それより先に大きなあくびが口をついて出る。フルートは笑った。
「すぐご飯にする?」
「んー、もう少ししてから」
 自らに気勢をそがれた格好のハープは、目元をこすりながらぞんざいに応えて、手洗い用の水瓶に顔を突っ込んだ。思いの外冷えていた水の感触が、残っていた眠気を一気に覚まして行く。
 ぽんと頭に載せられたタオルで顔を拭くと、ハープは尋ねた。
「リュート、もう出かけたの?」
「薫製にするんだ、て張り切ってたわよ」
 途端、ハープの脳裏に、両腕で肉塊を抱えたリュートのホクホク顔が浮かぶ。昨日、イノシシを解体した際に、バリトンが取り分けておいたのだ。それを知ったときのリュートの表情といったら……。
「ホントに食いしん坊ねー。こんな朝早くから仕込まなくたっていいのに」
「ヌシのこともあるから余計に落ち着かないんでしょ」
「そっか、おじさんが帰ってくるんだっけ」
「見事釣り上げて迎えられたら最高だもんね」
 言われてこくんと頷くハープ。大のとーちゃん好きのリュートでなくとも、家族に褒められれば嬉しいし、いいところを見せたくなる。
 そんな風に思うハープは、ふと家の中を見回して、父の姿がないことに気付いた。
「そう言えば、お父さんは?」
大きい湖ポロト向こうの衆と寄り合いをするって、リュートより前に出かけたわよ」
「げ。じゃあ、今日は一日いないんだ」
「そういうこと」
 とっさに嫌そうな顔をする娘に、母はしれっと続ける。
「たまにはリュートを手伝って、料理の一つも覚えてらっしゃいな」
「……はーい」
 今日は厄日だ。ハープは思った。

 そうは言っても、ハープにだってやることはある。洗濯と水汲みを終えて彼女が家を出たのは、お日様がすっかり元気になる刻限だった。お昼にはまだ少し早いので、おやつ代わりのリンゴを二つかばんに忍ばせて、自分の部屋の窓から枝に出る。それでしょっちゅうお母さんに怒られるのだが、こっちの方がラクチンなのだからやめられない。
 幸い、母に見つかることなく樹上の人になったハープは、鼻歌交じりに一路、集会場を目指した。リュートの小屋より手前にあるその高台には、共用のスモーカーが据えられている。あれだけ量があると彼のスモーカーでは手に余るから、間違いなくそこにいるはずだ。
 案の定、集会場の真ん中では、一台のスモーカーが燻し煙を上げている。だが、そこに集う人影は一人ではない。ハープはつと顔をしかめた。
 リュートと対峙する二人の男の子。自分達より一つだけ年長に過ぎないにもかかわらず、村の子供達の親分格を気取る嫌なやつ——モックとシンだ。
 二人ともなまじ体格がよいだけに、小柄なリュートと向き合っていると大人びて見える。なにより、二人はリュートと違って、きれいなオレンジ色の飾り羽根を持っていた。
 そんな二人が、リュートに向かって交互に嘲笑を浴びせている。広場に最寄りの枝先にたどり着くと、二人の声がようやくハープの耳にも届くのだった。
「にしてもさぁ、お前、ホントに男なん?」
「そうそう。赤くなんない羽根なんか生やしちゃってさ」
 少し太り気味のモックに続いて、彼より拳一つ背の高いシンが、リュートの羽根を指差しながら言う。
「実はその羽根を外すと、根元に下に小さな羽根が隠れてるとか」
「でも、女の子の羽根にしたって、もちょっと赤いよな?」
「てこたぁ、本当はラペでもないのか」
「やーい、このまがいもん」
 両手を顔の横でひらひらさせながら、リュートをからかうモック。傍らで、シンが「ヒヒッ」と嫌らしく笑い転げる。ムカムカがこみ上げてくるのを感じたハープは、手近に生っていたまだ青い果実をもぎ取ると、思わずそれを投げつけていた。
「こらぁ!」
 スコーンと頭に直撃を食らってひっくり返るモックを尻目に枝を降りると、彼らの方に向かって歩きながらまくし立てる。
「あんた達、なにやってんのよ。羽根の色は関係ないって、長老様も言ってたじゃない!」
「げっ!?」
 たじろぐ二人に、腕を組んで上から目線で言ってやる。
「だいたい、二人とも大会で一種目だってリュートに勝てないくせに。男らしくないのはどっちよ?」
 ハープの言葉は二人の痛いところを見事に突いた。総合でも上位に食い込んだリュートやタンバほどには、彼らの成績は振るわない。極端に悪いわけでもないのだが、それが現実である。
 だが、これはさすがに言い過ぎだった。
「てめぇ……」
 立ち上がるモックが僅かに漏らす。そこにこもる険悪な雰囲気を察して、すっと前に出るリュート。
「モック、やめとけ」
 シンが小声で言う。村での暴力沙汰は御法度だ。先に手を出した方が負けである。
「……。そうだな」
 思い直したようにモックはうなずいた。静かに深く息を吐く。だが、次いで口を突いた言葉は、あからさまな挑発だった。
「尾なしの変人に育てられた半端者なんざ、構う価値もないからな」
 その言葉が終わらぬうちに、リュートは動いていた。手に細くて鋭いものを握りしめ、一気にモックの懐へ潜り込む。
「リュート、だめ……!」
 ハープは青ざめた。子供の喧嘩ならまだしも、この歳になって武器で仲間を傷つけたとなれば、重罪は免れない。
 そのきっかけは、自分が今さっき二人に言った言葉だ。言い過ぎたことをようやくながら悟るが、時既に遅し。後の祭り。
 だが、リュートは周囲が思っていたよりも冷静だった。あれだけの勢いで飛びかかりながら、いっさい相手の体に触れることなく、手にしたものをモックの首筋ぎりぎりのところで止めている。
 それは一本の小枝だった。猪肉を燻すために運んだ際、地面にこぼれ落ちたであろうそれを、彼はとっさに拾い上げていたのだ。もちろん、枝とて使い方次第で立派な武器となるが、枝先を相手に向けることは賢明にも避けていた。
「——とーちゃんの悪口言うな」
 低い位置からモックを見据えながら、リュートが静かに言う。冷たい光を湛えた瞳に射られ、色を失うモック。力なく股間で丸まるしっぽが、彼の心の内を雄弁に物語っている。
 それを見てリュートは枝を引いた。途端、脱兎のごとくモックが駆け出す。石に躓き、まろびながらも一目散に森を目指す彼の後を、シンもまた、慌てて追うのだった。
 手前の木を駆け登り、梢の間に消えて行く二人を無言で見送ると、リュートは燻した肉を籠に放り込み始めた。自然、ハープもそれを手伝う格好になる。両手に抱えた肉をリュートの手にする籠に入れると、おずおずと口を開く。
「あの……。ごめんね、リュート」
「……なんでハープが謝んだよ」
「だって……」
「気にすんなって」
 二人は黙々と肉を集めた。時折ちらちらとリュートの顔色を窺うハープ。知ってか知らずか、黙然と作業を続けるリュート。
 そうして気まずい沈黙を抱えたまま、二人は籠を抱えてリュートの小屋へと歩いた。枝を伝って行けないこともなかったが、気付けばそうなっていたのだ。とぼとぼ歩いてようやく小屋にたどり着いたとき、唐突にリュートが言った。
「ハープ、肉干すの頼んでもいいか?」
「え?」
「おいら、大きい湖ポロトに用があるから」
 淡々とした口調で続けるが、その瞳は大きく揺れ動いている。
「……うん、分かった」
 同様に力なく垂れ下がるしっぽを見ては、ハープにはそれ以外に応えようがない。
「あんがとな」
 床に籠を置き、替わって玄関脇に立てかけてあった釣り竿と魚籠びくを手にすると、リュートはハープに軽く頭を下げて小屋を後にする。悄然と駆ける彼の背中が見えなくなったところで、ようやくかばんに手をかけたハープは、その中身を思い出して呆然と呟いた。
「——リンゴ、あげそびれちゃった」