星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

2.音色は運ぶ

 その晩の食卓は賑やかだった。親子三人で囲むところにリュート一人が増えただけでも、ずいぶんと違うものだ。ハープは改めてそう思った。お父さんとリュートは男の子の会話で盛り上がっているし、合いの手を入れるお母さんも、普段より数倍楽しそうである。
 リュートが一緒に暮らしていた頃には気にもしなかったけれど、男の子がいるといないとでは、場の雰囲気が自ずと変わってくるらしい。別に普段が不満なわけではないが、たまにはこういうのも良いなぁと思う。
 もっとも、今のハープにとって、それは雑念みたいなものだった。彼女の脳はお皿の上のニンジンとシイタケをどう処分するかについて、ひっきりなしに計算をしている。いや、より正確に表現するならば、「いつ」を見計らっている。処分先はすでに見つけているのだから。
 会話に夢中の両親の視線を伺いながら、そっと皿を持ち上げるハープ。そうして手早く、橙色の物体と茶色の物体を傍らのリュートの皿に流し込む。せわしなくリュートの口元に運ばれるフォークは、あたかも元からそこにあったかの如く、二大巨頭を自然に消し去って行く。
 やりぃ。心中で密かにガッツポーズを決めるハープ。だがしかし、その余韻も覚めやらぬうちに、お母さん——フルートの手が動いた。
 テーブルの真ん中に置いた鍋に何気なく柄杓を入れると、彼女は煮物の中からニンジンとシイタケだけを器用に選って、ハープの皿に盛りつけた。しかも、さっきより格段に量が多い。
 復活した敵の姿に呆然となる娘に、フルートは厳かに言った。
「嫌いなものをしれっと他人のお皿に入れたりしない」
 それから視線を転じて、
「リュートも、平然と食べないの」
 と続ける。
『はい……』
 二人揃って神妙となる様子に、バリトンは声を大にして笑った。
「全く。お前達は進歩がないなぁ」
「だって、嫌いなものは嫌いなんだもん」
「それがダメだって言ってるの。リュートが迷惑でしょ?」
「……おいら、いっぱい食べたいからへーき」
 ぼそぼそと呟くリュートの言葉に、バリトンはますます笑い、フルートは盛大なため息を吐く。灯りの下で揺れる飾り羽としっぽが、それぞれに踊るような影を落とした。
 やがて夕食も終わり、食後のお茶がでる段になって、バリトンが思い出したように口を開いた。
「そういえば、近々テイラーが戻ってくるぞ」
「とーちゃんが?」
 言った途端、リュートが目を輝かせる。
「ああ。一昨日、カタルを発ったと鷲族カパッチから知らせがあった。ベルン峠を越えるそうだから、二日とかからず着くだろう」
 ラペの村の北西に位置するベルン山脈を越えるその峠は、西方のマルタイ王国と北方の国々とを結ぶ街道でもある。ラペの村に至るには、途中で獣道の一つにわけ入らねばならなかったが、十分に歩き慣れたテイラーであれば、迷うことなどまず考えられない。
「二年ぶりだけど変わりないのかしら?」
「とーちゃんはいつだって元気だい」
 妻の言葉に対するリュートの反応に、バリトンは思わず目を細めた。
 テイラーはリュートの実父ではない。東方の島国に生を受けた、生粋の丸耳人マールである。そのテイラーをリュートが「とーちゃん」と慕うのは、幼いリュートが物心付くまでの間、彼の面倒を見ていたからだ。
 リュートの母、サワンは元から体が弱く、ことに彼を生んでからは寝込みがちであった。さらに悪いことは続くもので、リュートが乳離れする直前、不慮の事故で頼りの夫が亡くなるという不幸が彼女を襲う。そんな、肉体的にも精神的にもどん底の状態にある時に村を訪れたのが、流浪の剣士テイラーであった。
 剣術はもちろん、笛の名手でもあった彼は、その音色で病床のサワンを幾度となく慰めた。笛の音に聞き入る彼女の満ち足りたような表情を、バリトンは今でも鮮明に覚えている。そうして親交を深めていたテイラーは、サワンの寿命が限られていると知るや、リュートの父親役を買って出たのだった。
 リュートが六歳になるまでの五年間、彼はラペの村に滞在した。サワンが逝ってからもなお、二年近くの歳月をリュートと共に過ごしたのである。
 その後、親戚筋であるバリトンにリュートを託して旅立ったテイラーだったが、概ね一年おき、空いても二年が経つ前には村を訪れていた。正直、なぜそこまでと思わなくもない。
 やることなすこと全てを真似ようとする幼子の姿に、何か感じるものがあったからだろうか。そう、想像してみるが、マールのような“尾のない人”が相手では自信がない。面と向かって理由を尋ねてみても、はぐらかされてばかり。
 もっとも、理由など、どうでも良いことなのかもしれなかった。
「それよかとーちゃん、驚いてくれるかな?」
 期待に胸を膨らませる様子で、リュートが言った。彼が今住んでいる小屋のことだ。
「あれだけきれいになったら驚くわよ。誰だって」
 フルートが言い、ハープもまた、その言葉に大きく頷く。
 村に滞在するにあたって、テイラーは村外れの高台に小さな小屋を建てた。村の者に遠慮したと言うよりは、木の上にある家に馴染めなかったからだろう。当然、テイラーが村を出た後には使う者もなく、小屋は荒れるがままにされた。
 その半分傾きかけていた小屋を、リュートは二年をかけて修復したのだった。無論、子供一人では無理なので、バリトン達の手を借りてのことだったが、内装などの細々したところは、全てリュートの手によるものだ。この間、テイラーは一度も帰っていないので、きれいになった小屋を見るのはこれが初めてという事になる。
 大人達から「村一番のお父さん派」と称されるリュートのこと。期待しない方がどうかしている。だが、それが種族の壁を越えて培われた関係であることを思えば、バリトンとしてはある種の感慨を覚えずにはいられない。
 両親を早くに失ったことから来る暗さは、リュートに関して言えば皆無だった。引き取って間もない頃には、さすがに寂しそうにしていることもあったが、今ではこうして、実に楽しげに、育ての親の帰りを待っている。まるで本物の親子のように。テイラーのつもりがどうであれ、そのことを素直に喜ぶべきだろう。
「ついでに笛も披露したらどうだ。もっと驚くぞ」
 リュートが腰に笛を差しているのをめざとく見つけたバリトンは言った。使い込まれた手製の竹笛は、数年前、リュートにねだられてテイラーがこしらえたものだ。笛の名手が作っただけのことはあり、なかなかに味わいのある音を出す。
「今日こそゆっくり聞かせてくれるな?」
 あれからリュートが毎晩のように練習していることを、バリトンは知っていた。大切にしまっている笛を夜な夜な取り出しては、村外れのご神木の枝先でこっそり吹いていたのである。こうして普段から持ち歩いているところを見ると、腕前に自信が出てきたのだろう。
「え……?」
「今夜は泊まって行きなさい、てことよ。ねえ?」
「そういうことだ。風のある日にちょっとだけ耳にしたが、せっかくなら最初から最後まで、全部聞いてみたいからな」
 バリトンのその言葉に、リュートははにかみながら頷くのだった。

「だいぶ上手くなったわね」
 窓から聞こえてくる音色に、フルートは顔をほころばせた。恥ずかしがって外に出て行ってしまったリュートだったが、笛の調べは淀むことなく続いている。
「そうだな。テイラーにはまだまだ及ばないが、村で五本の指にはいるんじゃないか」
「ねえ、これ、なんて曲?」
 窓辺に寝かせた腕に頬を乗せて聴き入っていたハープが、2コーラス目に入ったところで顔を上げて尋ねた。
「さあ? 名前までは知らないけど、古くからある唄よ。リュートのお母さんが一番好きだったの」
「きれいな曲ねー」
 ゆったりと静かに流れる笛の音に合わせてしっぽを揺らしながら、うっとりと顔を戻すハープ。そんな娘を見ながら、フルートはいつしか口ずさんでいた。
「星のしっぽを捕まえて、風に乗って夜空を駆けるよ。明日はいつだってやってくる。心おきなく今宵を楽しもう」
「……楽しもう、か」
 バリトンは胸中でそのフレーズを反芻した。病床にあったサワンの姿を思い出す。自身の命が尽きることを悟っていたはずの彼女は、にもかかわらず、笑顔を絶やすことがなかった。テイラーの笛に慰められつつ、日々大きくなる息子の姿に、至福の時を見いだしたかのようであった。
 いや、事実そうだったのだろう。バリトンは思った。見舞いに訪れる度、息子の成長を楽しげに語ったサワン。彼女は他の誰よりも、毎日を楽しんでいるように見えた。そうして、幼くして一人残さねばならない我が子に、溢れるばかりの愛情を注いだのである。
 テイラーを真似た笛の音色は、優しく穏やかにラペの森を覆って行く。のんびりした曲調は、在りし日のサワンの姿をありありと思い起こさせる。
「……これなら彼女も喜ぶわよね?」
 バリトンと同じことを感じていたのだろう。フルートが彼にだけ聞こえる声で、ぽつりと呟く。
「ああ」
 こちらも静かに応えて、バリトンは窓から覗く月を見上げた。枝に腰掛けるリュートの向こうで、二つの月が並んで淡い光を放っている。笛を奏でるシルエットに、時折きらめく銀の羽根。穏やかな風は大樹の枝を微かに揺らし、さわさわと葉の擦れる音を立てる。
 リュートの奏でるメロディーに、大樹自身が微笑んでいるようであった。