星のかけらを集めてみれば - 銀の羽根、輝いて -

作:澄川 櫂

1.ラペの村

 ハープは湖のほとりを目指して歩いていた。軽やかな足取りに誘われて、緑色の長いしっぽが左右に揺れる。しっぽの先に巻いた白いリボンが、穏やかに流れる小川の川面に蝶のような影を落とした。
 その後を追って、時折、魚たちが鱗を輝かせながら宙を跳ねる。けれども、バケツを片手に川沿いの小道を行く彼女は、そんな魚たちが生み出す水の音には耳を貸さなかった。うまくすれば勝手にバケツに飛び込んできそうなものだが、はなから眼中にはないらしい。
 褐色のしなやかな両足は、一途に前へ前へと土を踏みしめた。川を抜ける風が、彼女のグリーンの髪を優しく撫でて行く。髪の合間からちょこんと顔をのぞかせる、サクラ色の小さな飾り羽根は、そんな足と風の織りなすリズムに、ふわふわと踊っていた。
 両脇に広がる森の木々がまばらになり始めたところで、ようやく湖が見えた。同時に、湖面に突きだした倒木に腰掛けて糸を垂れる、同族の少年の姿が目に入る。
 男の子に特有の、するりと長く伸びた飾り羽根。陽光に鈍い光沢を放つ銀色の羽根を見れば、遠目にもそれが誰だか一発で判った。
 銀色の飾り羽根を持つのは、一族にリュートただ一人。ボサボサの髪やしっぽの色も、ハープやほかの子たちに比べるとだいぶ淡く、否応なしに目立ってしまう。こうして探すときには便利なのだが……。
 大声で呼びかけようとして、彼女は思いとどまった。リュートのしっぽがピンとまっすぐ立っているのに気づいたからだ。それは彼が集中していることの証である。こうなるともう、誰の声も届かない。たとえしっぽを握ったところで、よほど力を入れない限りは気づかないだろう。
 もっとも、純粋に邪魔しちゃ悪いと思ったのが、ハープが思いとどまった一番の理由だった。バケツを両手で胸元に抱え込むと、大きな音を立てないよう、忍び足でゆっくり湖岸に近づく。
 ここ数日、リュートは湖の“ヌシ”を釣り上げようと頑張っていた。様々に工夫を凝らしても一向に引っかからない利口なヌシのこと。たとえ水の外でも、迂闊に大きな音を立てては気づかれてしまうかもしれない。
 岸辺にたどり着いたハープは、バケツを抱えた格好のまま、よしずで囲った生け簀をそっと覗き込んだ。中サイズの魚が二匹、所在無げに泳いでいる。もちろん、どちらもヌシではない。だが、川で飛び跳ねる魚たちより一回りは大きかった。
 湖にいる魚は川にいる魚よりも大きいものが多い。けれども、川に網を入れれば簡単に穫れるので、わざわざ湖まで来る者はほとんどいなかった。いても、たいていは小舟を出して投網をする。
 いつも湖で竿を使って釣るリュートは、その意味でも変わり者だった。もっとも、これにはれっきとした理由がある。
 リュートはいつも、自分で食べる分しか捕らない。頼まれて余分を釣ることもあったが、それを生業とするつもりはないらしく、かかった魚が気に入らなければ、すぐに湖へと戻していた。網に絡まったやつをよける苦労を考えれば、竿を使って一匹ずつ釣り上げる方が楽なのだ。
 なにより釣りは楽しい。ハープも何回か竿を借りて挑戦したことがあるが、ぐいと糸を引っ張るお魚との勝負は、どこか燃えるものがある。そして、見事に釣り上げたときの充足感といったら、森に罠を仕掛けて獲物を捕るのとは比べものにならなかった。少なくともハープはそう思う。
 と、生け簀に魚がもう一匹、飛び込んできた。先にいた二匹よりも大きな奴だ。どぼんと水飛沫が高くあがり、覗き込んでいたハープに降りかかる。
 きゃっ、と声を上げてのけぞった拍子に足が滑り、ハープはその場にひっくり返ってしまった。バケツの落ちる音に続いて、笑い声が耳を伝う。上体を起こすや否や、ハープが口を尖らせたのは言うまでもない。
「もー、せっかく人がヌシ釣るの邪魔しないよう、気を使ってあげたのに」
「今日はもう止めだからへーき」
 竿を担いで倒木に立つリュートは、しれっと言った。ぷーっと頬を膨らませるハープだったが、
「それで間に合うか?」
 と訊かれてきょとんとなる。
「晩飯のおかずが要るんだろ?」
「……よく判ったね」
「でなきゃバケツなんか持ってこねーじゃん」
 倒木を蹴ってぴょんと生け簀を飛び越えたリュートは、ハープが立ち上がるのに手を貸しつつ、そのことを指摘した。
「それもそっか……て、気づいてたの?」
「二匹目放り込んだとき、ちらっと見えた」
「じゃあ、リュートが集中してたのは……」
 にやにやする彼の様子に、ハープはようやく理解した。さっきのはわざと、それも、最初から狙ってやったのだ。リュートのしっぽが立っていたのは、単に釣り上げて放り込むタイミングを伺っていたからに他ならない。
 やられた、と思うと同時に腹が立つ。だからハープは、わざとらしくため息をつくと、別のことを言った。
「……あーあ、お父さんが大きなイノシシ捕ったて言うから、誘いに来てあげたのに」
 頭の後ろで手を組んで、くるんと背を向ける。
「どうしよっかなー」
 そう続けながら、横目でそっと背後の様子を窺う。案の定、そわそわするリュートの気配が伝わってくる。ハープは内心おかしかった。
 リュートは村外れの小屋で一人暮らしをしている。食うには困ってなかったが、それでも一人では手に余る獲物、例えばシカやイノシシなどの大型動物は、そうそう口にできるものではない。年に何回か、村人総出で作る干し肉を、大事に大事に食べているくらいだ。
 そんな彼が、新鮮なお肉の誘惑に勝てるわけがなかろう。
「あ、あのー、ハープ?」
「なによ?」
「えっと、その……」
 迷ったのはほんの一瞬。
「ゴメン。この通り」
 リュートは小さくなって頭を下げた。
「……たく、しょうがないわね」
 笑いをこらえながら、渋々の体を装うハープ。汚いやり方かもしれないが、これでおあいこだ。顔を輝かせるリュートに、ふと気づいて言葉を続ける。
「——バケツ」
「え?」
「お願いね」
 生け簀を指す彼女の意図は明らかだ。慌ててバケツを拾う彼の姿に、ハープはようやく笑みを浮かべた。

 羽根族ラペの村は大きい湖ポロトから少し奥まった森の中にあった。小川の蛇行するあたりを中心に、住居が点々と、ちょうどポロトを軸とした扇形状に広がっている。いずれの家も大木の幹にしがみつくようにして建てられているのは、雨の季節になるとポロトがこのあたりまで広がるからだ。
 村の北西に連なるベルン山脈の向こうを流れる大河のように、荒れ狂うことはないが、いったんかさが増すと、水が退くまでに数日はかかる。それが理由で、彼らの家は大木の枝振りを利用して、高所に建てられているのだった。
 ところが、どの家をみても、そこに上がるための梯子は見あたらなかった。と言うより、その必要がないのである。
「こんちわ、おじさん」
 テラスで軒の修理をしていたバリトンは、頭上から聞こえた声に顔を上げた。見事なまでに引き締まった体躯の持ち主である。
 歳は三十代の後半。飾り羽根の色は目にも鮮やかなオレンジで、量のある緑色の髪に紛れるようにして、ゆったりと後ろに向かって伸びている。わずかに光沢を帯びた羽根先は、光の具合で幾重にも表情を変えた。
 彼が見上げた先にあったのは、隣の木から枝伝いに跳んでくるリュートの小柄な姿。右手に釣竿、腰にびく、左手にバケツという出で立ちで、屋根の上に掛かる枝先に、こちらを覗き込むようにして立っている。
「おう、リュート。相変わらずだな」
「こっちの方が早いもん」
 言いながら一段下の枝に降りると、リュートは竿を幹に立てかけた。両手でバケツの持ち手を握るや、しっぽを枝に巻き付け、ぶらんと逆さまになって体を伸ばす。
「いったん家に帰るから、これ」
 片手で受け取ったバケツの意外な重さに驚いて中を見ると、水の中で窮屈そうにしている三匹の魚たちが、ぱくぱくと口を動かしている。いずれ劣らぬ立派な魚体に、バリトンは思わず口を鳴らした。
「こりゃあ、見事だなぁ」
「へへ……」
 しっぽで枝にぶら下がった姿勢のまま、得意げに鼻の下をこするリュート。ほどなく「じゃっ」と言い残して器用に樹上へ戻ると、竿を肩にぽんぽーんと枝を渡って行く。
 その頃になってようやく、ハープが同じように枝を伝って帰ってきた。が、こちらはリュートと違って、少々息を切らしている。バリトンはからかうように言った。
「なんだハープ、だらしのない」
「しょうがないでしょ。女の子にはちょいハードなコースだったんだから」
 ぴょこぴょことしっぽを揺らしながら降りてくるハープが口を尖らせる。ラペの子は二本足で地面を歩くより先に木登りを覚えると言われるほどの、樹上の達者だ。それだけに、枝歩きには各々が相応の自信を持っている。ハープが機嫌を悪くするのも当然だった。
「だいたい、お父さんだってリュートやタンバには勝てないじゃないの」
 ぷーっと頬を膨らませると、中の空気を押し出すようにして続ける。
「それを言うか」
 娘の言にバリトンは苦笑した。
 ラペの集落では年に一度、十歳以上の男子を集めた“大会”が開かれていた。南の山向こうの狐人スマリが主催する剣舞祭。その代表選考会を兼ねた大会では、枝渡り、武術、幻術の三種目を競う。
 リュートはそのうちの枝渡りで、初参加から二年連続で一等賞なのだった。二位はこれも二年連続の僅差で、同い歳のタンバ。二人は共に、他の子や大人達をぶっちぎってコースを駆けた。
 総合ではまだ及ばないものの、枝渡りの達人は間違いなく、リュートとタンバの二人である。ハープにしてみれば、そんな彼に比してだらしないと言われるのは、さぞかし不本意だろう。
「枝渡りは身軽な者が有利だからな。お父さんだって昔は……」
「村一番だったって言うんでしょ。それはもう聞き飽きました」
 やれやれといった感じでリボンを巻いたしっぽを揺らしながら、ハープは家の中に入っていった。半分口を開いたまま、呆然と見送るバリトン。親形無しである。