星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

11.カルロと

「それはあれの核か?」
「はい。多分“当たり”だと思うんですけど」
「ほーう、これは……」
  どこか探るようなミーナの反応に、感嘆するエジの声が続く。少し間をおいて、鎧の屈み込む気配が伝わってくる。
「済まなかったな。理由も話さず、勝手に使わせてもらって」
「いえ……。あの、エジさんはその、あたしの一族のこと、何か知っていますか?」
「申し訳ないが、ここもだいぶ欠損が進んでいてね。今の我らに出来るのは、君が緊急指令権限を有する者の末裔と識別することくらい。君に解る形で情報を引き出すのは無理なんだ」
「そうですか……」
 エジとミーナの会話はなおも続いていたが、結界に額を当ててカルロを見つめるリリィの耳には、その半分も入ってはいなかった。
 ヴォルフドーレン、いや、ヴォルフドーレンの生んだ流離う人形オートマンはもういない。カルロを奪い操った存在は完全に消えた。だが、それはリリィとカルロの紐帯が戻ることと同意ではなかった。結界の中のカルロは退屈そうに欠伸を繰り返すばかりで、目の前のリリィを気にする様子もない。
「カルロ……」
 声に出して呼びかけてはみたものの、その声が届かないことは解りきっていた。ヴォルフドーレンがゴーレムを作り出して以降、リリィはカルロの波動を感じられないでいる。
 目の前にいるカルロはもはや、絵獣かいじゅうの抜け殻に過ぎなかった。微かに残る魂の残滓に彼を生かすだけの力はなく、途切れた糸の先から伝えられる指示を待つばかり。だが、その糸を再び紡ぐ術は無かった。仮に存在したとしても、この“翼ある大きな猫”がカルロに戻ることはもう無いのだ。
 そのことを改めて噛み締めたリリィは、ポケットに畳んで入れていた元紙に目を落とした。生まれて初めて創った絵獣、カルロ。姉弟同然に育ったかけがえのない分身。そのカルロを流離う人形オートマンにして良いわけがない。
 リリィは鞄から小さな筒を取り出した。それは絵術士必携の道具であると同時に、絶対に使わないと心に誓ったもの——。
「……ミーナ」
「はい?」
「結界、解いてもらえるかな」
 カルロを向いたままで、リリィはミーナに頼んだ。
「あ、はい。でも……」
「大丈夫よ。だってもう、あいつはいないんだから」
 心配そうな彼女の声にようやく振り向くと、言って頷いてみせる。ミーナはそれに応えて短く呪文メロディを唱えた。カルロを包む透明な膜の、弾けるようにして消え去る感覚が伝わる。
「ありがとう」
 リリィはカルロに歩み寄ってその傍らに屈んだ。そっと手を伸ばすとカルロの首筋を撫でる。久しぶりで感じる柔らかな毛の感触。リリィの分身で唯一毛皮を持つカルロは、こうして撫でられるのが好きだった。動物の猫と同じように、喉を鳴らして喜んだものだ。
 そんなことを思い出しながら、もう一方の手で元紙を広げる。次いで小筒を手にし、紙の四隅に時計回りでぽん、ぽんと順に押し付けた。そして最後に、絵全体に反時計回りの円を描くようにして、小筒を動かす。
 リリィの視界に映るカルロの線画が、不意に滲んだ。慌てて目元をこするリリィ。決心の揺らぎかけた自分を叱咤する。小筒を持つ手を線画のカルロに翳すと、絵獣のカルロに触れる手はそのままで呪文を唱えた。
「リリィさん、何を……」
 ミーナが言いかける間に呪文を終えると、吸い込んだ息を迷いを断ち切るようにして吐き出す。
「我が魂より出でし分身よ。汝が主、リリィの名の下に、汝の任を解く。絵札消去イレイズ!」
 カルロの奥底にある微かな魂の残滓が、リリィを伝って小筒イレイザーに流れ、光を点す。先端より溢れる光はカルロの線画いっぱいに渦を描き、そして程なく、元紙は金色の炎に包まれた。
「リリィさん!?」
「それ燃やしちゃったら……」
「こうするしかないの」
 驚くミーナ達の声に、リリィは俯いたままで応えた。頭を上げる“翼ある大きな猫”が金色に染まり、徐々に崩れ始める体は細かな光となって、火の粉の如く舞い上がる。
「創った絵獣に責任を持つのが絵術士の掟。カルロはもう、私の分身には戻れない。このまま放置すれば、いずれあいつのようになってしまう。私はカルロにそんなことはさせたくない……」
 苦しげに蹲るカルロの頭に抱きつくと、リリィは額を合わせた。
「ごめんね、カルロ。不甲斐ないお姉ちゃんを許して」
 頬を伝う涙が零れ、カルロの顔を濡らす。と、その時だった。

 ――泣かないで、お姉ちゃん

 脳裏に響く懐かしい声に、はっと顔を上げるリリィ。柔らかな輝きを宿したカルロの瞳が自分を見つめている。リリィとしばし視線を合わせたカルロは、リリィの頬を濡らす涙を舐めとって、小さく鳴く。
〈約束、守れなくて、ごめんなさい〉
 その波動を受け取った瞬間、幼き日の記憶がありありと蘇った。
 カルロを創った消耗からようやく回復し、二人揃って初めて夕日を眺めた夕暮れ時のテラス。まだ少し足元のふらつくリリィを支えたカルロは、礼を言う彼女に頬ずりする。畳んだ翼から舞い散る羽根の一本が、ひらひらとリリィの鼻に乗った。くしゅん。思わずくしゃみが飛び出し、カルロがびっくりするのもつかの間、明るい笑いがすぐさま取って代わる。
 そうして全身で抱きつくリリィに、カルロもひとしきり笑うと言った。
〈ぼく、いつだってお姉ちゃんの側にいるよ。お姉ちゃんのこと、絶対守るからね。約束するよ〉
「……ありがとう、カルロ」
〈ううん。礼を言うのはぼくのほう〉
 じっと顔をのぞき込む記憶の中のカルロの瞳が、いつしか現実のカルロのそれと重なる。
〈創ってくれてありがとう、お姉ちゃん〉
 淡い金色の粒に変わって行くカルロの顔に、一瞬だけあの時と同じ笑顔が浮かぶ。両腕で抱き締めるリリィの胸に溶け込むようにして、“翼ある大きな猫”は光になった。

「教わったときには信じられなかったけど、本当にただの紙じゃなくなってたのね」
 黒ずんだ塊を拾い上げながら、リリィは誰ともなしに言った。それはカルロが描かれていた元紙の名残。何の変哲もないスケッチ用紙だったはずだが、絵獣のベースになったことで性質が変わったのだろう。金色の炎に包まれても燃え尽きなかった。いや、燃えるのではなく飴のように溶けて固まった、と表現した方が良さそうだ。
「役目を終えた絵獣は主の名において解き放ち、供養せよ、か……」
 呟くように続けて、手にした塊を両手で握る。どうすればカルロは喜んでくれるだろう。長年付き添ってくれた分身に、どうすれば報いることができるだろう。額を当てて問いかけてみるが、当然ながら応えは返ってこない。
「あの、リリィさん」
「ん……?」
 遠慮がちなミーナの声に、リリィは顔を上げた。振り向くと、おずおずと両手を差し出すミーナの姿が目に入る。
「それ、ちょっとお借りしてもいいですか?」
「これを?」
「はい」
「別に、構わないけど……」
 内心で小首を傾げつつ、リリィが差し出された掌に塊を載せると、ミーナは両手でそれを持ったまま、子守歌のような静かな音色メロディを口にした。短い旋律がホールを伝う。柔らかな光が掌に溢れ、塊を優しく包み込んだ。リリィが見つめる中、黒ずんだ塊も内側から光を放っていたが、やがてその形が崩れ、中から半透明のかけらが現れる。
「これって……星のかけら?」
 確認するリリィに、ミーナはこくんと一つ、大きく頷いた。
「星のかけらは想いのかけら。誰かの強い想いを宿したものには、星のかけらの種が生まれることが多いんだそうです」
「おいら達、それ手掛かりにして探してんだ」
 いつの間に隣に来ていたリュートがウィドの相手をしながら言う。ミーナから丸みを帯びたかけらを受け取るリリィは、今さらのように三人の旅の目的が星のかけら集めにあったことを思い出した。
「ミーナ、帽子あったよ」
「ありがとう、ラッセル」
 太いしっぽを揺らして駆け寄るラッセルからベージュ色のニット帽を受け取ったミーナは、心なしほっとした様子でそれを被った。小振りの黄色い角を覆い隠し、被り具合を確かめる。と、それを見つめるリリィの視線に気付いて、ばつの悪そうな表情を浮かべるのだった。
「あ……。えっと、その、ごめんなさい。角のこと隠してて……」
「い、いえ。別に気にしてないから大丈夫よ」
 頭を下げようとするミーナをリリィは慌てて止めた。
 ヴォルフドーレンの話を聞くまで“オニ”の伝承を知らなかったリリィだったが、仮に知っていたところでミーナに不審を覚えることは無かった、と自信を持って言える。確かに角のある姿に驚きはしたものの、少しも怖いなどとは思わなかった。むしろ帽子を取った姿の方が可愛いと感じるほど。
 とは言え、受け取り方はそのヒト次第。誰もが自分と同じ感想を持つとは限らない。初見での相手の反応が判らない以上、ミーナとしてはひとまず隠すしかないだろう。彼女が謝るようなことは何もないのだ。
 それでもミーナは不安そうな顔でリリィを見上げた。仕方のないこととは言え、事情を打ち明けたリリィに対して隠し事をしていたという後ろめたさがそうさせるのだろう。
 星のかけらを集めるミーナの願い事までは知りようがないが、角に関係することだろうと直感で悟るリリィは、同時にカルロから生まれた“星のかけら”の使い道が分かった気がした。
「……ねえミーナ、この星のかけら、良かったら貰ってくれないかな」
「えっ?」
「助けてくれたお礼に。星のかけらは見つけた人に幸あるもの、て言うでしょ。役立てられる人に持っていてもらう方が、カルロも喜ぶと思うんだ」
 主の役に立つこと。絵獣の存在意義はその一点に尽きる。でもカルロはそれに飽きたらず、周りの親しい人を進んで手伝っては嬉しそうにしていた。とりわけサヤとは仲が良く、幾度となくリリィに歓喜の波動を送って寄越したものだ。
 もし今ここにカルロがいれば、ミーナにもすぐさま懐いたことだろう。サヤと同年代の少女の役に立てるなら、カルロはきっと喜ぶ。
 そのリリィの申し出に、ミーナは一瞬、迷うような素振りを見せた。傍らの少年達に目線で何やら問いかける。ラッセルとリュートが揃って頷くのを見て、ミーナはリリィに顔を戻した。
「それはリリィさんが持っているべきだと思います」
「え?」
「だってそれはリリィさんの、ううん、カルロちゃんの星だから」
 と言って微笑むミーナ。
「いつまでも一緒にいてあげてくださいね」

 ――ぼく、いつだってお姉ちゃんの側にいるよ。

 幼き日に聞いたカルロの言葉が再び脳裏に響く。ごめんなさい。そう言ったカルロの波動が胸を打つ。
 リリィはようやく自分の本当の気持ちに気付いた。私はカルロと離れたくなかった。いつまでも一緒にいたかった。その想いの深さは魂の分身たるカルロも同じ。カルロが一番喜ぶこと。それは他でもない、自分と共にあることだ。
「……ありがとう」
 やっとのことでそれだけを口にするリリィ。その頬を暖かな涙が伝った。