星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

12.星の流れるステキな夜

 結局、一同がトロンプの町に戻ったのは翌日の夕方のことだった。リリィの消耗が思った以上に激しく、夜が明けてからも昼近くまで遺跡で休んでいたからだ。礼代わりにとエジが食事や飲み物を提供してくれたので、それに甘えてつい長居してしまったのもあるが。
 エジに別れを告げて遺跡を後にしてからも、ミーナ達が何かとリリィを気遣ってくれたため、実にのんびりとした道中になった。三人のとめどない会話は端で聞いているだけでも楽しく、時にウィドも加わっての漫才じみたやりとりに、リリィは笑い続けであった。感覚的にはむしろあっと言う間に到着した気もする。
 それもまた、カルロを失ったリリィを慮ってのことだったのだろう。三人のさりげない心遣いに、リリィは心の中で感謝した。
 一行は町に入ってすぐの、酒場を兼ねた民宿に宿を取った。リュート曰く、この手の宿は食材を持ち込むとまけてくれるのだとか。
 ちなみに、例のポワレダケが今宵の宿賃である。交渉の際にそれを見せられた主人は文字通り目を丸くし(ラッセルが改めて採ってきたキノコは本当に高級品だったのだ)、店の商品に回しても構わないか尋ねたものだ。それと引き替えに全員の宿泊代を取らなかったばかりか、他に持ち込んだ食材以上の料理を供してくれたことから察するに、またとない臨時収入になったのだろう。
 三人の機転の良さに改めて感心したリリィである。
「それで、リリィさんはこれからどうするんですか?」
 食後のお茶になったところで、ミーナが何気なくそれを尋ねた。酔っぱらい達の歓声が食堂を賑わせているが、主人が気を利かせて奥の席に案内してくれたので、落ち着いて話ができる。
「そうねぇ……」
 ひと口お茶をすすって考えるリリィ。正直なところ、どうしようか迷っていた。
 サクの一件があるので郷里には戻り難いが、かと言って、他に行く当てもなかった。まだまだ修行中の身。今回の事は良い経験にはなったが、絵術士として独り立ちできるほどの自信を得たわけでもない。
 開け放たれたテラスの向こうに、足早に通り過ぎる旅人の姿が見える。
「せっかくだからもう少し旅を続けてみようかな。似顔絵描きでもしながらのんびりと」
 そう口にしてみるが、気の向くままに旅をする自分の姿も想像できなかった。
「ミーナ達は、今度はどこに行くの?」
「エジさんに教えてもらった遺跡を目指そうと思います」
 こちらは打てば響くように明快な答えが返ってくる。
 帰りがけに聞いた話では、ミーナは自分のルーツを探しているとのことだった。星のかけら探しも実はその一環なのだとか。赤子の時に育てのお婆ちゃんに拾われたというミーナ。今のところ、“星追い人ナビ”という一族の呼び名くらいしか手掛かりは得られていないらしい。「だから、リリィさんを手伝った時、あたし、自分が人形じゃないって証拠が見られて嬉しかったんです」とはミーナの弁。
 “翡翠の錐”の番人エジが言うには、北の隣国にミーナのことを識っていそうな遺跡が在るのだという。
「北へ向かうには良い季節だもんな」
 頭の飾り羽根を触るリュートの言葉は意味不明だが、
「でも、急がないと船がなくなって足止めされちゃうかも」
 続くラッセルの心配はリリィにもよく判った。
 ここから北の国境までは歩いて半月程。そこから船で湖を渡るのが隣国へ抜ける最短ルートだった。だが、国境を跨ぐ湖は冬になると凍ってしまうため、渡し船も運休となる。冬の湖は吹雪で視界が極端に悪く、その上どこに氷の裂け目があるかもしれないので、歩いて渡るのは危険だった。有事の軍隊ならともかく、一般の、それも子供の旅人が冬に対岸へと渡る術はない。
 国境を抜ける道にはもう一つ、山越えのルートがあったが、冬場はそれこそ論外だ。北の国境はあと一月足らずで閉鎖されるも同然だった。
「そうなのよねー」
 お財布を覗き込みながらミーナがぼやく。馬車を使えば数日で国境まで行けるが、結構な出費になる。冬服などの装備にかかる費用も考えると難しいだろう。
 小さくため息をつくミーナだったが、不意に何かに気付いたように顔を上げた。リリィをじっと見つめる。
「な、何かな……」
 戸惑うリリィが思わず口にする間に、ミーナはにっこりと笑みを浮かべて楽しげに頷いた。テーブルに軽く手を突いて立ち上がると、両隣の男の子達を交互に見やりながら言う。
「ねえ、久々にあれやらない?」
「え?」
「今から?」
「うん。なんかね、そうするととってもステキな事が起こる気がするの」
 胸の前で両手を合わせる彼女の言葉に、きょとんとしていたリュートとラッセルの背中がしゃっきりする。二人は互いに視線を合わせると、揃って頷き立ち上がる。
「なーる、そーゆー事なら」
「お店の前の空き地が良いかな?」
「そうね、そうしましょ」
「おいら、店の人に断ってくる」
 リュートが店主の元に駆けていって何やら話を始める。腰の後ろから細い銀色の棒のようなものを見せると、店主は笑って頷いた。振り向くリュートが手にした棒、いや、笛を大きく振ってみせる。それを見て、ミーナも表に向って小走りに駆けて行った。
「……ねえ、何をするの?」
 呆然とその背中を見送るリリィが傍らのラッセルに訊ねると、
「まあ見ててよ。ミーナの勘は外れないんだから」
 彼は狐人スマリ顔の片目を閉じてみせるのだった。

 ぱぱぱぁん。
 時ならぬ華やかなもの音に、往来の人々やお店の客人達が何事かと一斉に振り向いた。視線の先には即席のステージがあり、その傍らでラッセルがしっぽを揺らしながら右に左に跳ねている。彼の周りで幾重に弾ける鮮やかな光。カミナリの魔法を応用して花火を拵えているのだ。
 ステージの中央にミーナが立ち、笛を口元に当てるリュートはやや後方に控えている。注目が集まった頃を見計らい、ラッセルは軽く咳払いして始めるのだった。
「僕達、三人で旅をしている者です。今夜は星がとっても綺麗なので、ひとつ芸を披露することにしました。お急ぎでなければ是非ご覧ください」
 そう言ってぴょこんと一礼。狐火が三つ舞い上がり、ミーナの頭上を囲んでステージを明るく照らし出す。
 飾り羽根を微かに煌めかせるリュートの笛が、静かな音色を奏で始めた。軽くリズムを取りながら胸の前で両手を組むミーナ。少し上向きに顔を上げる彼女の口から、笛に劣らぬ綺麗な歌声が溢れ出る――。

 腕を伸ばして月を握れば
 掌からこぼれる星のシャワー
 降り注ぐ光は柔らかく
 僕らをほんのり染めて行くよ

 銀のしずく 金のしずく
 流れるしずくは星の想い
 両手でお椀を作っても
 すぐに溢れて収まらないね

 微かなどよめきが生じたのは、両手をすくうようにして上げるミーナの頭上に星が流れたからだ。これもきっと、ラッセルのやったことだろう。いつの間にステージ後方に上がった彼が、何食わぬ顔で体を揺らす姿が目に入る。

 どうせ抱えきれないのなら
 体いっぱい受け止めて
 天の河めがけて飛び立とう

 そうこうする間に静かな調べは終わりを告げ、曲調が次第に明るく楽しげなものへと転じて行く。笛を奏でるリュートの動きもそれに合わせて大きくなり、ごく僅かに音色が止んだその瞬間、ステージの上方で一際鮮やかな花火が弾けた。
 ミーナが眩い笑顔で弾んだ声を解き放つ。

 星のしっぽを捕まえて
 風に乗って夜空を駆けるよ
 明日のことなんか分からない
 だから今宵を目一杯楽しもう

 最後方でふわりふわりと宙返りにバック転を繰り返すラッセル。彼の手がアップテンポのリズムを刻む度、大小様々な星々がシャンと軽やかな音を立ててステージを彩る。釣られて手拍子を打ち始める観客達に手を振り応えると、ミーナは軽快な音色そのままに歌を続けた。

 腕を広げて空を仰げば
 月夜に揺れる星のカーテン
 たなびく光は温かく
 僕らをそっと包んでくれるね

 銀のしずく 金のしずく
 揺れるしずくは星の願い
 両手で水面みなもをすくっても
 すぐに溢れて輝きだすよ

 どうせ抱えきれないのなら
 思い切って飛び込んで
 波間に浮かぶ月を目指そう

 星のしっぽを捕まえて
 風に乗ってどこまでも行くよ
 明日はいつだってやって来る
 心おきなく今宵を楽しもう

 ステージから星の姿が消える。狐火の青白い光に照らされる銀の笛は、一転して穏やかなメロディを紡ぎ始め、透き通るような調べは夜空にあまねく溶けてゆく。

 星のかけらは想いのかけら
 またたく光は願いのかたち
 夜空に網を投げ入れたって
 編み目をすり抜け流れ出す
 欲張ったらいけないよ
 でも、諦めないで追いかけて
 一つ一つを忘れずに
 胸にいだいて心を開けて……

 再び転調。アップテンポを取り戻す軽やかなリズムと共に星が舞い、ステージ狭しと跳び回るラッセルが観客達の興奮を誘う。リリィもまた、知らず知らずのうちに手拍子を送っている。

 星のしっぽを捕まえて
 風に乗って夜空を駆けるよ
 明日のことなんか分からない
 だから今宵を目一杯楽しもう

 星のしっぽを捕まえて
 風に乗ってどこまでも行くよ
 明日はいつだってやって来る
 心おきなく今宵を楽しもう

 星のかけらを集めたら……
 宇宙そらに流れる想いはほうき星
 そうさ願えばきっと叶うから

 最後は本当の星空に見守られ、少女は思い入れたっぷりに歌い上げた。
 瞬間、水を打ったような静寂が訪れる。だが、右手を前、左手を後ろに三人が揃って頭を下げるや、途端に拍手喝采の嵐に包まれた。いつの間にか倍以上に膨らんだ観衆の輪から、次々とおひねりが投げ込まれる。
 咄嗟にバンダナで袋を作って受け取るラッセルのパフォーマンスに、さらにやんやの喝采が続く。そこここで麦酒を求める声が上がり、リリィの隣で観ていた店主は「こりゃあ、朝食もサービスせんとな」と言って、ほくほく顔で商売に戻るのだった。
「凄い……」
 けれども、感動のあまりそれしか口にできないリリィの耳には、そんな店主の言葉は少しも届いていなかった。
 三人の演じた歌はリリィもよく知る有名な曲だ。それでも、こんなに感動したことはない。ラッセルの演出のおかげで芸として成立しているのもあるが、それ以上に、心を込めて歌うミーナの声が胸に響いた。前向きな歌詞の言葉ひとつひとつが温かく、沢山の勇気を貰った気がする。
 どんな選択をしても私は大丈夫。きっと上手くやっていける。
 と、その時、
「リリィ、リリィじゃないか!」
 聞き覚えのある声が耳を打つ。信じられない思いで振り向くと、そこには見知った青年の姿があった。
「サク……?」
「良かった、すぐに見つかって」
 リリィより少しだけ長身の青年は、日焼けした顔を綻ばせた。両手でリリィの手を取って、「こっちの噂を信じて正解だった」と続ける。
「なにぶん旅費が限られてるからさぁ」
「……体、もう良いの?」
「ああ、バッチリ。ちょっと血が抜けすぎてふらふらになったけど、傷自体はそんな深くなかったから。割と早く治ったんだぜ?」
「そう……。良かった」
 突然のことで戸惑いながらもほっとするリリィの目に、サクの後ろで慌てて縮こまる少女の姿が映った。その視線にサクの方でも気付いたようで、
「こら、なんで隠れるんだ」
 と言って片方の手で彼女――妹のサヤを押し出した。
「だってぇ……」
「ほら、謝るんだろう?」
 もじもじするサヤの頭をくしゃっとやる。サヤはそんな兄を不安げに見上げていたが、リリィの視線に気付いてぱっと俯いた。
「あの……その……」
 胸元を弄りながら、俯いたままで口ごもる。しばらくそうやっていたサヤだったが、優しく背を撫でる兄の手に促されて、ようやく顔を上げた。リリィを真正面から見つめる瞳いっぱいに涙が浮かぶ。
 そうして唐突に、深く頭を下げるのだった。
「リリィお姉ちゃん、ごめんなさい!」
「皆に聞いたよ。こいつ、リリィはちっとも悪くないのに、お前のこと責め立てたんだってな。カルロを盗られたリリイの方がよっぽどショック受けてたのに」
「それは……そうだけど、でも……」
「いや、人には言って良いことと悪いことがある」
 サクがきっぱり言うと、まだ深く頭を下げたままのサヤはぴくりと身体を震わせた。
「……親父にお袋、それに俺と、家族総出で叱られたもんだから、すっかりおどおどしちまって」
 慈しむようにサヤの背中を見下ろすと、サクもまた真面目な顔でリリィを向いて、サヤに倣う。
「こいつももう充分反省してるから、許してやってくれな」
「許すもなにも」
 そんな兄妹の様子に、リリィは苦笑しながら屈み込んだ。サヤに顔を上げさせると、目元の涙を指で拭ってやる。
「最初から怒ってなんかいないわよ、私。サヤは自分の気持ちに正直なだけなのよ。ね?」
「お姉ちゃん……?」
 小首を傾げるサヤは、リリィが微笑みながら頷くとようやく安心したようだった。リリィの首筋に抱きついて小声で泣き始める。よしよしと背を擦ってやるリリィは、懐に入れたカルロの星がほのかな温もりを帯びているのを感じた。
 ふと気付いて顔を上げると、目の合ったラッセルがウィンクをして寄越す。ミーナの勘は外れないでしょ。愉快げな狐顔が言っている。その隣でしっぽの先を左右に揺らしながら、鼻の下を擦るリュート。酔っぱらいのおじさん達に囲まれるミーナも、リリィの視線に気付いてとびきりの笑顔を返してくれる。
 私達はみんな揃ってサクとサヤの元へ帰ってきた。それはこの上なくステキなこと――。
(本当にありがとう……)
 どこまでも気持ちの良い三人組と、彼らとの出会いをもたらしてくれた己の運命に、リリィは感謝した。そして、三人の旅の成功を心から祈る。
 一筋のほうき星が、長い尾を残して流れて行った。

「ヒトのかたち、想いのかけら」おしまい