星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

10.オートマンの末路

「……ごめん、ありがとう」
「あの、大丈夫ですか?」
「ええ。もう落ち着いたから大丈夫」
 まだ心配そうなミーナに応えて、リリィは立ち上がった。
「みんなもありがとう」
 同様に気遣ってくれている男の子達にも礼を言って、傍らのウィドに手を触れる。外聞もなく泣いてしまったので、さすがに恥ずかしくてまともに顔を合わせられない。が、リリィの心は穏やかに凪いでいた。
「カルロ……」
 結界の中で蹲る絵獣かいじゅうを見やって呟く。想いを吐き出してしまったからだろう。虚ろに佇むかつての分身の姿を見ても、怒りが湧いて出る事はもはやなかった。幾ばくかの哀しみと絵術士の掟だけが、リリィの胸を静かに満たしてゆく。
 胸に手を当て目を閉じる。気持ちの整理は粗方ついた。あとはこの、胸の奥底に残る迷いを断ち切るだけ……。
「おっさん、何してんだ?」
 しばらくして聞こえたリュートの声に、リリィは目を開けた。振り向くと、崩落した壁の側でエジが瓦礫を一つ一つめくっている。
「いや、あやつの姿が見当たらんのだ」
「ええっ?」
「嘘……」
「あんなに傷ついてたのに」
 リリィもまた、ラッセルと同じ理由で信じられなかった。ウィドの攻撃はそれだけ激しいものだった。自分の箍が外れた結果、分身である絵獣達は全く容赦しなかったからだ。あまり思い出したくはないが、ボロボロになったヴォルフドーレンの姿を見るまでもなく、倒したという確かな手応えを覚えたリリィである。
 リリィは気を集中させた。微かに残るヴォルフドーレンの思念を追いかけようと試みる。カルロから細く伸びたそれは、所々途切れそうになりながら上方へと続いている……。
 そこまで辿ったところで、足元がふらつきよろめくリリィ。ミーナが慌てて脇から支えてくれた。
「リリィさん、まだ……」
「ゴメン。でも、あいつの思念を捉まえられるのは、私だけだから」
 心配顔のミーナにリリィは言った。ここで終わらせないと。そのリリィの意思を汲み取ってくれたらしいミーナは、表情を引き締めるとリリィに手を貸してくれた。
「なら、あたしのマナを使ってください」
 リリィに肩を貸すようにして姿勢を整え、目を閉じる。途端、リリィは自分の中にミーナの温かな気が流れ込んでくるのを感じた。頭の重たい感覚が和らぎ、思考がはっきりとしてくる。疲労が薄れてだいぶ楽になったリリィの全身を、この場に居合わせる者の思念が余すことなく伝わる。
(これは……)
 リリィは目を見張った。ミーナはただマナを送っているのではない。リリィの波長に合わせることで、文字通り彼女の支えになろうとしてくれている。それは口で言うほど容易いことではないはずだ。
 昨夜、悪夢を祓ってくれた時にも、こんなに涼しい顔をしていたのだろうか。リリィは驚嘆すると同時に感謝した。ミーナという少女に出会えた自分の運命に。彼女の力を借りる今のリリィには、ヴォルフドーレンの微かな思念を追うことなど造作もなかった。
「あそこよ!」
 リリィは壁に張り出した空中廊下の一角を指した。手摺りを掴む手が見える。全身こそ確認出来ないが、ヴォルフドーレンに間違いない。
「あやつ、まさか……!」
 エジの声音に恐れのような響きが混じったと感じたのもつかの間、彼は手にした長剣を空中廊下に投げつけていた。手摺りの一部が吹き飛び、よろめくヴォルフドーレンが壁に凭れる。彼は片手に円盤のようなものを抱えていた。
「貴様、まだ狙うというのか」
「私もよくよくツイている。壁に嵌めてあったこれは、彼女の一部なのだろう?」
 回復魔法でも使ったのだろうか。円盤を翳して問いかけるヴォルフドーレンの動作は、あれだけの打撃を受けた後とは思えない程に滑らかだ。
 エジは彼の問いには応えず、細い筒の覗く袖をヴォルフドーレンに向けた。
「我が妻に手を出すこと、断じて許さん」
「人形風情が片腹痛い」
 フェイスガードの奥で赤い目を光らせるエジに、ヴォルフドーレンは低く嗤った。円盤を自分の胸元に寄せると続ける。
「まあもっとも、こうすればお前に私は攻撃出来んのだろうから、心とやらがあるのは認めよう」
 尊大な口調は余裕が戻った証だろう。腕を下げるエジが苛立ちを隠せぬように鎧を震わせながら呻く。
 その二人のやりとりを見守るリリィは、どことなく違和感を覚えた。具体的に何がと訊かれても困るが、どうにも不自然な気がしてならないのだ。
 その時、ミーナから流れ込んでくるマナの波動が止んだ。目を開けた少女はリリィをそっと傍らに休ませると、ヴォルフドーレンを見上げる。愁いを帯びた表情でじっと彼を見つめた。
「ミーナ……?」
「リリィさんを手伝っていて、あたしにもリリィさんの見ていたものが見えました」
 ミーナが静かに口を開く。自分を見つめる少女の視線にようやく気付いて、ヴォルフドーレンが怪訝な顔をこちらに向ける。その彼に、ミーナは平然と驚くことを尋ねるのだった。
「あなたは誰の分身なんですか?」
「何……?」
 ヴォルフドーレンは不快げに顔を歪めた。
「人形が何の戯言を」
「あたしは人形じゃない。だってあたしは、ちゃんとここにいるから」
 ヴォルフドーレンの言葉を遮って続けるミーナ。自分の胸に手を当て、彼の言を否定する。
「あたしのここにあるのは、リリィさんやリュート、ラッセル達と同じ光の塊。光は体の中から自然と湧いて出る感じがした。きっとこれが、魂とか心とかいうものなんだと思う」
 慈しむように両手で胸元を押えると、ミーナはエジに視線を転じた。
「エジさんの奥にある光の塊は、あたし達の“心”によく似てるけど、糸みたいなものが付いていた。光はその糸を伝って流れ込んでいるみたい。ゆらゆらと波打つみたいにして。でも、元を辿ればその先にちゃんと本当のエジさんの“心”があった。ウィド達がリリィさんと繋がっているように、鎧のエジさんは本当のエジさんと繋がっていた」
 そのミーナの言葉を聞きながら、リリィは再び感嘆していた。ミーナの優れた観察眼に。そして同時に、彼女が何を言おうとしているのかを悟った。それはまさしくリリィの感じた違和感の正体――。
 ミーナがヴォルフドーレンに視線を戻す。
「あなたの中の光の塊にも、鎧のエジさんやウィド達と同じように糸が付いている。途中で切れて誰とも繋がっていないけど、確かに糸があった。あなたは誰かの分身。あなたは、糸の切れた人形なのよ」
「黙れっ!」
 ヴォルフドーレンは吠えた。それは、一同に揃って半歩後退らせたほどの、激しい怒気。大きく上下する肩。目は吊り上り、振り払った左の拳はきつく結ばれ、小刻みに震える。円盤を握る右手は辛うじてそれを放り出さなかったようだ。
 この尋常でない反応は、ミーナの指摘が的中したことを如実に物語っていた。
「……私は、断じて人形などではない」
 いくらか落ち着いた様子で、それでも押し殺せない感情の昂りを言葉の端に滲ませながら、ヴォルフドーレンが口を開く。瞳に浮かぶ妖しい光。奇妙に歪む口元から溢れ出る笑声が、乾いた響きと共に辺りに満ちる。
「そうだ、人形であるわけがない。我が主をこの手に掛けてもなお、こうして生きているのだから。ヒトの束縛を脱した私が人形だと? 笑わせるな!」
「手に掛けた、て……」
 ミーナが戸惑ったようにリリィの顔を見上げた。その視線を感じるリリィもまた、困惑を隠せない。
 絵術士の絵獣。人形遣いの人形。どちらも術者の生命があってはじめて成立するものだ。彼らはあるじたる術者の分身であり、主の命に忠実に従う。そして、主が生を終えると同時に彼らも消える。分身のレベルは術者の技量に左右されるが、己の能力を超越した分身を創ることなどまず不可能なため、それは当然の理として捉えられている。
 ヴォルフドーレンは今、自ら主の生命を奪ったと言った。彼はヒトと異なる生を受けたことを否定していない。だが、主を失っても生き続ける分身が真に存在するならば、確かに彼はただの人形ではないだろう。
「――流離う人形オートマン
 リリィは修業中に父から聞かされた禁忌の話を思い出していた。

 絵に想いを込めすぎると術者は魂すべてを失いかねない。仮にそうして生み出された絵獣かいじゅうは、主を求めて彷徨うことになるだろう。自ら生死を選べぬ分身にとっては不幸そのものだ。彼らを統べる者として、そのことを深く胸に刻んでおきなさい。決して流離う人形オートマンを創ってはならないよ……。

 不意に爆音が轟いた。我に返ってリリィが見ると、ヴォルフドーレンの背後の壁が大きく吹き飛んでいる。
「私はこのように強力なマナを扱える。そして、ヒトの創りしものであれば、何であろうと統べることが可能だ。全て我が意のままに操ることができる。君が寄越したカラクリすら例外ではない」
 彼の左右に手の生えた箱が現れた。三本指の両手を高々と掲げる彼らの赤い目は瞬きを繰り返し、どこか怒っているように見える。その姿に、エジは彼らと同じ赤い瞳を見開いたようだった。
「これは……。貴様」
「少々手こずりはしたが、波動を合わせれば良いだけのこと。造作もない」
 ヴォルフドーレンが箱形のカラクリのひとつに触れると、それは対岸の空中廊下を目指して飛んだ。ヴォルフドーレンが左手を軽くかざすと、程なく彼の元へと戻ってくる。
 ヴォルフドーレンは勝ち誇るでもなく続けた。
「我が体はヒトより遥かに堅牢で、回復も早い。病にかかることはなく、寿命も無限に等しい。言わば私はヒトを超えた存在、超人だ。それをあの男は、我が主ヴォルフドーレンは、あろう事か失敗作と言ったのだ。『こんなガラクタは要らん』とこぼして、私を消そうとしたのだぞ。奴は!」
 双眸に再び怒気が灯る。たがそれはほんの一瞬のことで、
「だから私は抗った。奴を返り討ちにした。そして奴の名を継いだ。私という超人を生み出した功績を称えてな」
 皮肉めいた笑みが表情を満たす。ヴォルフドーレンを名乗る男は、抱え持った円盤を右手で掲げ、念を込める。
「さあ、遺跡の源たる存在ものよ。我が支配を受け入れ、我が手足となってその力を示すのだ」
「させるか!」
 エジが両手を合せて突き出した。直後、ヴォルフドーレンの掲げる円盤が淡い光に包まれる。
「ほう。防壁とは味な真似を。だが、この程度で我が力に耐えきれると思ってか」
 感嘆するのもつかの間、左手を円盤に添えて念を強めるヴォルフドーレン。エジはだが、それを一瞥しただけだった。ゆっくりとリリィ達の方へと歩み寄る。
「……貴様のやっていることは統率ではない。ただの破壊だ。貴様は支配と言うが、その実は亡骸を乗っ取っているに過ぎん。服従する意識なきものをいくら操ったところで、支配とは呼べんな」
「フン。その身を捧げたことに変わりなかろう?」
「諒解して行うのと勝手にそうさせられるのとでは大きな違いだ」
「いや、同じことさ。私に意識を消された時点で、彼らは私に屈服している。抜け殻となって操られる道を選び、我が手足となった。強要したのは事実だが、これは歴とした契約の結果だ」
「違う!」
 ヴォルフドーレンの勝手な理論に、リリィは我知らず叫んでいた。
「契約とは互いの利益を保つこと。一方的に奪うことじゃない。確かに絵術士は絵獣を統べる。でもそれは操ることじゃない。自らの魂の一部を分け与え、育て導くのが術士の役目。その対価として、絵獣達は術士に力を貸してくれる」
 そこで言葉を区切ると、リリィは立ち上がった。ヴォルフドーレンを正面に見据え、まだ少し震える両足に力を込めて言う。
「それが解らないあなたはヒトじゃない。あなたは流離う人形オートマン。主を失った哀れな人形なのよ!」
 だが、リリィのその言葉に動じるヴォルフドーレンでもなかった。
「私は超人、ヒトを超えた存在だ。ヒトの道理を当て嵌められる謂れはない」
 傲慢そのものの口調で応じる。うすら笑みを浮かべる彼にとって、ヒトでないと言われることは優越の極みであった。そして、超人という立場から見れば、格下のヒト――リリィがなにを言ったところで、何の痛痒も感じないのだろう。
 そのことを改めて知ったリリィは唇を噛んだ。この男は間違いなくヒトの手で創られた。だが、その能力がヒトのそれを凌駕していることもまた事実だ。彼自身が言うように、超人と表現すべき存在なのか。
「いや、君の言うとおりだ。あれはただの狂った人形だよ」
 負の疑念に捕らわれかけたリリィに、傍らに辿り着いたエジが言った。振り向くリリィとしばし目を合わせると、彼はミーナを向く。
「マスターキーを貸してくれるか」
「ますたーきー?」
「お守りだよ。三人で分けて持っているのだろう?」
 言いながらエジは手近の柱に触れた。そこから何かがせり出してくる。それが長方形の窪みを有していると知ったとき、ミーナは全てを理解したように大きく頷いた。
「リュート、ラッセル、お守り貸して!」
「お?」
「あ、三つ揃えるんだね」
「そーゆーことか」
 三人はそれぞれのお守り――赤みを帯びた星のかけら――を取り出すと、エジの示した窪みに嵌め込んだ。形違いの三角形が組み合わさって出来た長方形のプレートを、窪みの底から湧き上がる光が左右に照らす。
「貴様が我らの部下を消せるのなら、その逆もまた然り」
 エジの右の手首がぱっくりと折れた。そこから飛び出る棒のようなものを柱の穴に差し込みながら、淡々と続ける。
「我が妻の力、とくと味わうが良い」
 エジが右腕を時計回りに捻ると同時に、ヴォルフドーレンの手にする円盤が激しく明滅した。
「ぐわぁぁぁぁっ!」
 迸る絶叫。円盤がその手を放れて宙を舞う。落下する円盤を優しく抱き留めるエジの向こうで、ヴォルフドーレンは力なく崩れ落ちた。
「か、体が動かん。こんな、馬鹿なことが……」
「我が妻の持つシステム消去指令を一気に流し込んだ。貴様にできたということは、その逆もまた然り。承認権限を持つ“星追い人ナビ”の子が居合わせた不幸を呪うんだな」
 言いながら円盤を元あった場所に戻すと、エジは別の柱に手を当てた。柱の中程が左右に割れ、中から大柄のハンマーが現れる。片手で軽々とハンマーを引き抜く彼は、それを無造作に放り投げた。ハンマーは空中回廊の一角を崩し、うずくまるヴォルフドーレンを破片とともに床へと投げ落とすのだった。
「こんな……こんなカラクリ如きの力で……」
 呆然と呻くヴォルフドーレンは、ようやくのことで上体を起こすと、絞り出すように声を張り上げた。
「我は、我は超人ぞ!」
「そんなものは存在しない」
 彼の側に歩み寄ったエジが冷徹に言い放つ。拾い上げた大槌を肩に担ぎ、僅かに顔を上げるヴォルフドーレンを見下ろしながら続ける。
「ヒトはどこまで行ってもヒトであり、人形もまた、いかに出来が良くとも人形に過ぎない。この体を使うようになって久しいが、自分を超人などと感じたことは一度もない。……いかに悠久の時を過ごそうとも、妻と直に触れ合えた頃の幸せが戻ることはないのだからな」
 その声音に淋しさとも悔しさともつかない響きを感じ取ったリリィは、鎧の内に宿る人物が複雑な過去を持つのだろうと思った。だが、エジはそれ以上のことを匂わせることなく、大槌を振りかざす。
「それが解らぬ貴様は、やはり壊れた人形だ。我らにとっては脅威でしかない。故に私は、己が務めを全うする」
 輝く赤い瞳が最後通牒を告げる間もなく、彼の巨躯に相応しいハンマーは唸りを上げて弧を描いた。流離う人形オートマンを打つ槌が易々とその頭を落とし、床との間に挟んで押し潰す。大きく跳ねる身体。やがて力無く横たわるそれは、枯れ草のように干からび朽ちてゆく。
 何かに気付いて駆け寄るミーナの向こうで、濃紺の衣までもが細かな塵となって舞い上がり始める。屈んで両手を差し入れる彼女の掌中に僅かな破片を残し、ヴォルフドーレンは音もなく消えた。