星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -
作:澄川 櫂
9.分身達の声
三体のゴーレムをミーナとラッセルの魔法が迎え撃つ。炎弾と雷風が弾けてゴーレムを吹き飛ばしたのも束の間、彼らはすぐさま再生して腕を振り上げる。肘より先が巨大な斧と化し、敷石に深い溝を穿った。斧の一撃を飛び退いて躱したリュートとエジを、砕ける敷石の破片が襲う。
「危ない!」
ラッセルの放った旋風が破片を散らし、剣を振るう二人の窮地を救う。が、その間に一体のゴーレムが彼に迫り、間近で戦斧をかざすのだった。
「ラッセル!」
一番近くにいたミーナが、それでも特大の結界を咄嗟に張る。二人を覆う結界はゴーレムの斧を間一髪で受け止めたが、そこに余裕が無い事は苦しげに顔を歪めるミーナを振り返るまでもなく明らかだ。ラッセルは慌てて、風の力を借りてミーナの隣に移動した。直後に響く床を砕く震動。
「このぉっ!」
一瞬、尖耳人の姿に戻るラッセルが、強烈な風刃を見舞う。腰で二分されて吹っ飛ぶゴーレム。だが、腕を動かす上半身は事も無げに下半身を引き寄せると、たちまち再生を始めてしまうのだった。
「くっそー、キリがねぇ」
肩で息をするリュートが苛立たしげに口を開いた。
「全く。難儀な事だな」
長剣を構え直してエジが応じる。彼らが揃って首を落としたゴーレム達もまた、拾い上げた己の頭を元の位置に戻そうとしているではないか。
「無駄だ無駄だ。我が下僕たるゴーレムは無限に再生する。貴様らに勝ち目などあるものか」
ヴォルフドーレンは哄笑した。憤怒の色はようやく鳴りをひそめ、代わって浮かぶ優越の眼差しが、その口元を斜めに歪める。
「もはやオニの娘に興味はない。貴様ら全員、揃って無残な屍を晒すが良いわ」
ヴォルフドーレンの強い意志がゴーレムに伝わり、再生を加速させる。いや、そればかりでない。鈍重そうだったゴーレム達の体が徐々にスリムになっていく。攻撃特性を変えようというのだ。
そのヴォルフドーレンの思念は、カルロにも同様に伝わっているようであった。結界の籠の中で、カルロは幾度となく顔を上げて咆哮した。
(カルロ……)
結界に片手を当てて俯くリリィの頬を涙が伝う。カルロの気配はもう、彼女の知るものではなかった。微かにあったカルロの波動は今や完全に消えており、失われた紐帯がリリィの胸に深い風穴を穿つ。
彼女の他の分身達もまた、悲しげに身をよじらせた。長兄の消失を嘆くスレイプ、フレイル、ウィドの波動が、リリィの胸で寂しくこだまする。
「——許さない」
リリィは拳を握り締めた。キッと顔を上げ、ヴォルフドーレンと彼のゴーレム達を見据える。眼光鋭い彼女の視線は、彼らの間に伝わる波動を余すところなく読み取った。
「ヴォルフドーレン!!」
リリィの口が裂帛の一語を吐いた。胸に滾る炎は分身達の魂を震わせ、躍動する三体の絵獣は、振り払うリリィの涙を後にゴーレムを目指した。
轟という音を残して、それぞれが一体のゴーレム目掛けて加速する。黒の大剣と炎の槍が切っ先を立て、高速回転する珠の羽もまた、その身を若草色の矢に転じてゴーレムの一点を貫く!
「馬鹿な!?」
驚愕に目を剥くヴォルフドーレン。
絵獣に貫かれた三体のゴーレムが、揃って崩壊を始めていた。強靱で無駄のない四肢を備えた姿に転じた彼の下僕達は、その最初の一歩を踏み出す間もなく、元の石塊へと還って行く。
リリィに導かれた絵獣達は、いずれもゴーレムの核を一撃で砕いていた。それは仮初めの命を支える要石。どんなに強力な人形も、核を失えば形を保てない。だから人形遣いは巧みにそれを隠す術を心得ている。一流の魔導師すら欺く技を。
だが……。
「——貴様、私の思念を読んだのか」
ヴォルフドーレンはリリィの力を見くびっていた。己が魂の分身を統べる絵術士は、人形遣い同様、紐帯を編み操る者。カルロの奪還を試みる過程で、リリィはヴォルフドーレンの波動を完璧に掴んでいたのだ。
「ヴォルフドーレン。私は……あなたを許さない」
リリィの意志に応えて、彼女の創りし絵獣達は再び構えた。ヴォルフドーレンを取り囲み、闘気を纏って合図を待つ。
「くっ……!」
「カルロの痛み、思い知れ!」
結界を巡らすヴォルフドーレンの機先を制して黒の大剣が唸る。振り払う一撃は閉じかけの防壁を薙ぎ、生まれる僅かな綻びを炎の槍が突く。穂先に揺れる炎が膨らむと思えた瞬間、眩い閃光が不完全な結界を内から吹き飛ばす。そして、灼熱する空間を辛うじて脱したヴォルフドーレンの眼前には、回転する珠の羽の姿があった。
「馬鹿な! 小娘如きが、こんな完璧な連携など……!」
瞬時に超高速に達するウィドが、数多の羽根を嵐の如く解き放つ。
「ぐわぁぁぁっ!」
咄嗟の防壁群を圧倒する硬質の鏃は、ヴォルフドーレンを容赦なく打ち据えた。壁に叩き付けられる彼の姿が、濛々たる煙塵に遮られて見えなくなる。
「ウィド!」
「キューイ!」
なおも回転を続けるウィドの巻き起こす旋風は、その靄を一瞬にして吹き消した。刺し傷にまみれた無残な姿を見せるヴォルフドーレンは、それでもなお、息があった。
「私は……あなたを……」
全身で荒く息をするリリィは、それと知って術の構えを取った。ミーナ達が固唾を呑んで見守る中、さらなる念を込めるべく呼吸したところで、リリィは膝から崩れ落ちた。
……気が付くと、リリィは少女の膝に抱えられていた。心配そうなミーナの顔が見え、次いでその向こうに、落ち着き無く飛び交う絵獣達の姿が映る。癒やしの術だろうか。柔らかな感触が全身を包み込んでいるのが判る。
一瞬、その心地よさに浸りたい衝動に駆られるリリィだったが、ヴォルフドーレンとの戦いを思い出し、慌てて体を起こそうとする。だが、体はまるで自分のものではないかのように、彼女の言うことをきかなかった。
頭が重い——。
強い疲労感を覚えて目が眩むリリィの口から、無意識にカルロの名前が突いて出る。その自分の声に背中を押され、なおも起き上がろうと試みたところで、リリィはミーナに止められるのだった。
「リリィさん、ダメ!」
言いながら、両腕でぎゅっと抱きしめるミーナ。
「……こんなの、カルロちゃんだって喜ばないよ」
その瞬間、リリィは胸の風穴に向かって温かな風が流れ込むのを感じた。同時に、脳裏に蘇るカルロの懐かしい声。
——お姉ちゃん?
きょとんとした様子のその問いかけは、初めて目にするものや理解の及ばぬものに遭遇したカルロが、決まって発したものだ。
何?
どうして?
様々なニュアンスのこもったカルロの問いは、幼い頃から変わらずリリィを戸惑わせ、あるいは和ませてきた。いつも傍らにあった絵獣の何気ない一言。それは時に、魂を分け与えたリリィ自身の声だったかもしれない。
そうだ。幾重に脳裏に浮かぶカルロとの思い出に、リリィは今さらのように納得する。
カルロはよく自分に尋ねたものだ。どうして、と。それがどんな些細な事であっても。そしてリリィは、困りながらも毎回答えを考え、行動してきた。
もちろん、小さな間違いは数え上げればきりがない。それでもカルロという分身とのやりとりを通して、リリィは学んできた。決して流される事なく、自分を保って行動する事の大切さを。
今の自分はただ流されていただけだ。カルロを奪われた怒りを晴らすために。それが間違っていたとは思わない。でも、自分の体を痛め続ければ、やがてカルロの弟達をも失う事になる。
どうして?
カルロの声が再び聞こえる。だが、その問いに対する答えを、リリィは持ち合わせていなかった。
「キューイ……」
耳元で不安げなウィドの声がする。ゆっくりと目を醒ましたリリィは、スレイプが黒い柄を揺らす姿を見た。穂先の炎を小刻みに震わすフレイルの波動を感じた。
もう充分だよ。
だから自分を大切にして。
だって僕らの使命は、お姉ちゃんを護る事だもの——。
「あんた達……」
胸に流れ込む分身達の声に、リリィはそれ以上続けられなかった。角のある少女に抱かれたまま、リリィは子供のように声を上げて泣いた。
© Kai Sumikawa 2015