星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

8.少女と人形遣い

 壁と天井に大小の円盤がいくつも並んでいる。金属質の光沢を放つそれは、壁や天井に設けられた窪みにはめ込まれているようだった。円盤と円盤の合間には、サイズの一致しそうな丸い窪みがいくつも見受けられる。
 天井の真ん中にあるひときわ大きな円盤だけが、半球状のドームに覆われていた。半透明なドームの奥では、赤、黄、緑と、色はもちろん大きさもまばらな光が不規則な明滅を繰り返している。
 濃紺の衣に身を包んだ男は、その半球状のドームを見上げていた。細身で背は高く、グレーの髪を後ろで束ねている。なにやら呪文を唱える彼の傍らには、翼を持った大きな猫――カルロが控えており、その足元でエジに似た鎧の残骸が数体、無惨な姿を晒していた。
「これはこれは……」
 こちらへ顔を向けるカルロの気配に、呪文を止めて振り向いたヴォルフドーレンは、リリィの姿を認めて端正な口元を斜めにゆがめた。
「感動の姉弟対面ですな」
 明らかな皮肉だ。カルロは確かに顔をこちらに向けたが、リリィへの興味などまるでないらしく、無表情に一同を眺めやっただけで丸くなる。精気のない瞳を閉じ、退屈そうに欠伸をする様は、リリィの好きなカルロの姿ではない。指示があるまで待つばかりの、味気ない絵獣かいじゅうの典型――。
「カルロ!」
 リリィはたまらず呼びかけた。声と心の両方で。だが、盗られたときと変わらず、カルロはそのどちらにも応えることをしなかった。
「無駄ですよ。我が傀儡の術は完璧だ。彼はもう、私の道具に過ぎない。あなたの声など、彼にとっては雑音ですらありませんよ」
 嘲笑するヴォルフドーレン。彼もまた、睨み付けるリリィにそれ以上の興味を示さず、冷めたブルーの瞳をエジに向ける。
「あなたも懲りませんね。大人しくしていれば、こんな醜態を晒すこともなかったでしょうに」
「それが私の存在理由だからな」
 言うやエジは床を蹴った。ヴォルフドーレンに迫って剣を払う。だがそれは彼に届かなかった。即座に起き上がったカルロが、逞しい前足に伸びた爪で受け止めたからだ。
「何度やっても私の護衛には通じませんよ」
 哄笑するヴォルフドーレンの目が光るのと、カルロが剣を受け止めた前足を払うのは同時だった。エジの巨漢が軽々と吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「おっさん!」
 呆気にとられていたリュートが声を上げた。崩れる壁と共に、力なく床へとずり落ちるエジ。だが、想像とは裏腹に、彼はすぐさま立ち上がった。傍らに剣を突き刺し、空いた手をヴォルフドーレンに向かって広げる。そして、袖口に伸びる筒から光弾を次々と放った。
 耳をつんざく爆音。眩いばかりの閃光。爆炎と爆煙がヴォルフドーレンとカルロを包み、その姿を覆い隠して行く。
 だが――。
「その攻撃も無駄と言ったはず」
 開けた視界にヴォルフドーレンの無傷の姿が現れる。彼とカルロを覆う結界が、エジの攻撃を難なく防いだのだ。
「なんと学習能力のない」
 言うや、ヴォルフドーレンは片手を横に払った。宙に現れる禍々しい光球が、エジ目掛けて突進する!
「危ない!」
 ミーナが咄嗟に魔法を放った。小さな光がエジの足元で弾けて魔法陣となり、そこから縦に延びる半透明な幕が間一髪で光球を受け止める。再び激しい爆発が辺りを覆うが、先ほどのヴォルフドーレン同様、エジは無傷。
「ほう……」
 それを見て、ヴォルフドーレンはようやくミーナ達に視線を向けた。
「私の魔法を防ぐとはなかなかのものだ」
 その口調に何かしら含むものを感じた気がして、リリィは咄嗟に、ミーナを庇うようにして前に出た。
「安心しろ。いくら私でも、生きている人間を人形にすることはできないからな。もっとも……」
 そこで言葉を区切るヴォルフドーレンの視線が、一瞬だけ傍らを向く。
「その娘が本当にヒトの子ならばな」
 瞬間、カルロの姿が消える。あ、と思ったときには、カルロはミーナの真横にいた。前足の片方を振り上げ、立ち竦むミーナの頭を狙う。
「ミーナ!」
 ラッセルが咄嗟に風を放ち、リュートはミーナの手を引いて自分の方へと引き寄せた。風に押されて踏ん張るカルロ。それでも振り下ろされる爪先は、ミーナの帽子を僅かに引っ掛けた。ベージュのニット帽が飛び、彼女の紅藤色の髪を揺らしていく。そしてリリィは見た。ミーナの額、髪と髪の合間に覗く二本の黄色い角を。
「知っているか? その昔、“オニ”と呼ばれた人形が存在したことを」
 当惑するリリィに、ヴォルフドーレンが口を開いた。
「ヒトの体に角を持つ彼らは、角に命ぜられるがままに地を焼き払い、数多のヒトの命を奪ったと言う。無慈悲な怪物にして悪魔の化身。闇の創りし人形。ただの丸耳人マールではないと薄々感じてはいたが、まさかオニだったとはな」
 傍らに戻ったカルロの喉元をなでながら、愉しげに続けるヴォルフドーレン。目を細め、露わになったミーナの角をじっと見つめる。
「私の魔法を防ぐほどのその力……欲しいな」
 彼は右手をミーナに向けた。掌に浮き出る見慣れぬ紋様。
「我が物になれ、オニの娘よ。人形の本分に従い、新たな主に仕えるのだ」
「……違う」
 リュートに抱えられるようにして立ち上がるミーナは、ヴォルフドーレンを見据えて言った。
「あたしは、オニなんかじゃない」
「そうだそうだ!」
「ミーナは人形なんかじゃねぇぞ!」
 ラッセルとリュートが声を張り上げる。だが、ヴォルフドーレンはそれを鼻で笑うと、
「素晴らしい友情だが、事実は時に非情だ。我が力をもってすればすぐに解るさ」
 そう言って、伸ばした右手に念を込めた。掌の紋様が妖しい光を放つ。
「さあ、我が物になるのだ。オニの娘よ」
 強弱をつけて瞬く紋様に、リリィは不吉なものを感じた。洗脳。カルロを奪われた際の記憶と共に、その単語が脳裏をよぎる。
「ミーナ!」
 咄嗟に叫んだリリィに応えて、スレイプ、フレイル、ウィドが揃ってヴォルフドーレンを攻撃する。だが、目に見えぬ結界に阻まれて、彼にはまるで届かない。
 攻めあぐねる絵獣かいじゅう達の様子に、リリィは焦った。ヴォルフドーレンの力は強大だ。例えミーナが人形でなくとも、下手をすれば操られてしまう。私のような悲しい思いを彼らに味わせてなるものか。
 そんなリリィを嘲笑うように、口元に勝ち誇った笑みを浮かべるヴォルフドーレンだったが、そこに怪訝な色が加わるのにさして時間はかからなかった。
 彼の視線をまっすぐに受け止める緋色の瞳には、自己を保つ強い光が溢れている。そうしてひとしきりヴォルフドーレンを見据えると、ミーナは不意に圧縮呪文メロディを唱えてカルロを向いた。
 両手を突き出すミーナの掌の間から、マナが弧を描いて放たれる。一条の軌跡を残して翔るマナは、反射的に飛び退くヴォルフドーレンの眼前を掠め、カルロの頭上で弾けた。宙に現れる魔法陣は瞬く間に結界と化し、カルロの巨体を包み込む。
「何だと……?」
 目に見えぬ結界に取り込まれたカルロは、苛立ちを露わにその場で暴れるばかりだった。ヴォルフドーレンが魔法を放つが、それもまた、結界に阻まれ消えるばかり。
「味な真似を」
 翼ある大きな猫は、もはや籠の中の哀れな獣に過ぎなかった。
「リリィさん、これで説得できませんか?」
 捕らわれのカルロを呆然と見つめるリリィに、ミーナが声をかけた。はっとして振り向くと、黄色の角を持つ少女は先と変わらぬ可憐な笑顔で頷いてみせる。
「カルロちゃん、呼び戻してあげてくださいね」
「無駄だ。あれはもはや私の分身。余人の声など聞く耳を持たぬ」
「そんなの、やってみないと判らないじゃない」
 ヴォルフドーレンの言をあっさり流して、ミーナは両手を構えた。きっ、と彼に向けるその顔は、人形とはほど遠い決意と意志に満ちている。リュートとラッセルが同様にヴォルフドーレンと対峙し、様子を見守っていたエジもまた、剣を抜いてその切っ先を向けるのだった。
「キューイ」
 いつの間に戻ったウィドが、リリィの耳元で促すような声を送る。スレイプとフレイルが、暴れるカルロの傍で回転しながら呼んでいる。
「早く行ってやれよ」
「こいつは僕達に任せて」
「……ありがとう」
 男の子達の言葉に背中を押されてようやく、リリィはカルロの元へと駆け出した。まだ知り合って間もない自分のために、彼らは時間を稼ごうとしてくれている。リリィが半ば諦めかけた可能性を信じている。
 思いもかけず得たチャンス。そうだ。何事もやってみないと判らない。弟達もそれを望んでいる。やれるだけのことをやる。それもまた、カルロの創造主たる自分の義務――。
「カルロ!!」
 幼き日に描いたスケッチを胸に抱き、リリィは心の底から、共に育った分身の名前を呼んだ。たとえ一瞬だけでも構わない。弟の心を取り戻すんだ。
「無駄なことを……」
 カルロと向き合うリリィの姿を、だが、ヴォルフドーレンは冷ややかに見やった。いかに必死に呼びかけようとも、彼が少し念じるだけで、カルロはリリィに牙を剥く。
「ま、改めて絶望を味わいたいと言うなら、あえて止めはせんがね」
「なにお高くとまってるんだっ!」
 二刀を構えるリュートが先陣を切った。次いでエジが床を蹴る。二人の斬撃が前後からヴォルフドーレンを狙い打つが、
「無駄!」
 一喝する彼の結界が難なくそれを受け止める。
「二人とも離れて!」
 間髪入れずにラッセルが風刃を繰り出し、そのすぐ後をミーナの焔竜えんりゅうが襲う。轟く疾風。灼熱する爆炎。だがそれも、彼の四方でただ騒いだだけであった。ヴォルフドーレンを包む結界が、炸裂したマナの名残を払うように淡く揺れる。
「なかなかの威力だが、その程度で我が護りを貫くことなどできん」
「ラッセル、雷撃!」
 それでも彼らは諦めない。
「行っけぇぇぇっ!」
 リュートの声に応え、一回転するようにして大きな雷球を放つラッセル。ヴォルフドーレンの頭上を越えそうなそれを、両手で束ねたリュートの二刀が捕まえる。リュートの手に出現する長大なエレメンタルソード。
「喰らえっ!」
 壁を蹴るリュートは、落下する勢いそのまま、それをヴォルフドーレンの脳天目掛けて突き立てた!
 エレメンタルソードと結界。マナとマナがぶつかり合い、激しく明滅する。結界に生じる亀裂。
「くっ……!」 
 ヴォルフドーレンはたまらず結界を解いて魔法を放った。怪しく蠢く光球が支えを失ったリュートに迫る。が、その眼前に現れる魔法陣が、光球を弾いてリュートを護った。ミーナの防護結界だ。
「ちぃっ!」
 舌打ちするヴォルフドーレンを間髪入れずに襲う突風。ふらついた所をエジの長剣が横に凪ぐ。
 手に防壁を携えて斬撃を受け流しつつ、大きく横へ跳ぶヴォルフドーレン。リュートのエレメンタルソードが追いすがるように一閃する!
「があっ!」
 紙一重で逃れたヴォルフドーレンは吠えた。衝撃波がエジとリュートを吹き飛ばす。再び結界に籠もった彼は、胸元に手をやって顔を顰めた。濃紺の衣がすっぱりと切り裂かれている。
「おのれ……」
 ヴォルフドーレンの形相が憤怒に染まる。
 一方リリィは、一心にカルロの名を呼び続けていた。微かに伝わる分身の気配を手繰り寄せるように。
 ヴォルフドーレンが四人相手の攻防に精一杯だからだろう。結界に囚われたカルロは、時折鬱陶しそうに周りを気にする他は、目立つ動きを見せないようになっていた。概ねぼんやりとリリィに顔を向けている。
 かといってリリィの声に耳を傾けているわけでもなかった。半分閉じられた生気のない瞳を見れば、カルロが単に待機状態にあることは一目瞭然だ。カルロの魂は未だヴォルフドーレンに支配され、その指示を待っている。
 だが、リリィの知る魂の波動も、ごく僅かだが感じられるのだった。まるで深い海の底で眠りに就いているかのような、緩やかで小さな律動。リリィは結界に額を当てて目を閉じた。心に届く鼓動に耳を澄ませる。
(お願い、カルロ。目を覚まして。みんながあなたのために戦ってくれている。弟達もあなたの帰りを待っているのよ)
 自分を取り巻く分身達――黒の大剣スレイプ炎の槍フレイル珠の羽ウィド――の波動を背中に感じながら、静かに呼びかける。ゆっくりと細く流れるカルロの波長に己が心を乗せて、リリィは願った。
(カルロ、目を覚まして。お姉ちゃんの元に帰ってきて!)
 リリィの声は、結界越しに伝わる波動に乗って響いた。とくん、と一つ大きく波打つ鼓動。そして、その余韻が消えかけた時だった。
〈――お姉ちゃん?〉
 懐かしい呼びかけが脳裏に聞こえる。はっ、と目を見開くと、カルロの瞳が焦点を結んでリリィを見つめている。
「カルロ!」
 歓声を上げるリリィに応えて、カルロもまた、嬉しそうな声で鳴いた。リリィの心に明確に響く、カルロの波動。やった、取り戻したんだ。湧き上がる歓喜の情。胸に込み上げる熱い塊が涙を誘う。
 だが――。
「ぬうんっ!」
 辺りを揺るがすヴォルフドーレンの憤怒が、それら全てを消し去っていった。ヴォルフドーレンの暗い思念は、カルロの波動をきつく縛り上げる。一瞬だけ伝わる悲鳴。瞳から生気が失われ、カルロは再び暴れ出した。
 結界を揺する振動によろめくリリィは、呆然と振り向き、そして、何が起きたのかを悟った。
 床に転がる鎧の残骸を素体とした三体のゴーレムが、大柄な姿を徐々に見せ始めていた。手近な敷石を飲み込んで大きくなるゴーレムの向こうで、ヴォルフドーレンが強く念を込めている。ひしひしと肌に伝わる彼の怒りは、波濤を駆ける蛇となってカルロの心に侵入し、その魂を締め付けたのだ。
 微かに残っていたカルロの波動が、先にも増してか細くなってゆく。
「止めてぇっ!!」
「行けっ!」
 リリィが叫ぶのとヴォルフドーレンがゴーレムを放つのは同時だった。荒れ狂う憤怒の波。翼ある大猫がそれに応えて咆哮する。
 ――リリィの知るカルロの旋律は、完全に途絶えた。