星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

7.出会いは必然

 一瞬、何が起きたかリリィには解らなかった。「あ」という自分の声を聞いたと思ったときには、大小さまざまな橋の破片と共に、宙を飛んでいる。もっともそれはほんの瞬きする間のこと。大地の精霊の虜となったリリィの体は、真っ逆さまに頭から下に向かって落ちて行く。
 絵獣トリオが慌てて後を追ってくる。咄嗟にフレイルの長い柄を掴むが、もとより彼らにリリィの体重を支えるだけの力はない。分身たちの奮闘もむなしく、バラバラに崩れて僅かに両端を残すばかりの石橋は、見る間に遠ざかるのだった。
(ああ、私が仕掛けを踏んだんだ)
 視界の端に、リュートとミーナが手をつなぐ姿が映る。自分を手伝いさえしなければ、彼らもこんなところで墜ちることは無かったろうに。
(みんな、ごめん……)
 後悔の念と共に伏せる瞼の隙間から涙がこぼれる。カルロを見つけ出せないまま終わるだなんて。チクショウ。
 ――その時、一筋の風が頬を撫でた。溢れる涙を拭い去るように、天井目指して吹き抜ける。風はいく筋にも幾重にも重なりながら、次々と舞い始めた。リリィの髪を揺らし、服をばたつかせる。彼らの勢いは止まらない。見る間に数を増し、ついには全身をすっぽりと包み込む。そうして風達は揃って上へ上へと力を込めるのだった。
 ふと体が軽くなったような気がして恐る恐る目を開けたリリィは、眼前に広がる光景に唖然とした。吹き溢れる風に乗って、崩れた橋の破片が宙を漂っている。リリィはもちろん、リュートやミーナ、絵獣トリオも皆同じ。ゆっくりと時計回りに動くのは、風が竜巻状に舞っているからか。
(これって、狐くんラッセルの魔法?)
 ようやく少し落ち着いて風の元を辿ってみると、案の定、青いバンダナ姿が目に入る。ところが……。
(――え?)
 リリィは目を疑った。
 渦を巻く風の真ん中で両腕をめいっぱい広げている少年には、特徴的な大きな耳もふさふさしたしっぽも無かった。ぴったり目を閉じた横顔も、見慣れた服の合間から覗く肌も、自分と同じ毛のないそれに見える。唯一、バンダナの下で風に踊る髪の毛だけが、狐くんの毛並みを思わせる薄茶色だった。
 そこにいたのは狐人スマリのラッセルではなく、どこか見覚えのある尖耳人トカリの少年。
「君は……」
 思わず彼に呼びかけようとしたリリィだったが、いつの間にすぐ近くまで流されてきたミーナが口に指を当てているのに気付いて、慌てて口を噤む。彼女の示す「黙って」の理由にすぐ思い至ったからだ。今ここで彼の集中が途切れて風が止めばどうなるか。
 小さく身震いしてから、解った、と頷いてみせるリリィ。それを見てホッとした表情を浮かべるのもつかの間、ミーナは次いで頭をぺこんと下げる仕草を繰り返した。「後で説明しますから」ということだろう。
 そうこうする間にも風の渦はゆっくりと降下していく。徐々に近づいてくる地面の様子が視認できる頃には、リリィにも辺りを観察する余裕が生まれていた。
 外側の塔の内壁も、内側の塔の外壁も、どちらものっぺりつるりという印象を受ける。継ぎ目が全くないわけではないのだが、煉瓦積みの塔のような凹凸感がない。そして、内側の塔が垂直に建っているのに対し、外側の塔の内壁は、下へ行くほど内側に向かって少しずつせり出していた。全体で見ると、すごく深いすり鉢の真ん中に、丸鉛筆を立てたような形状をしているのだろう。どうやったらこんなふうに作れるのか、リリィには見当もつかない。
 外側の塔の張り出しと地面が出会うところに、一カ所だけぽっかりとトンネルが開けていた。その両脇に二体の彫像が門番よろしく立っているのが判る。地面に敷き詰められたタイルは、そのトンネルと内側の塔の扉を結ぶ部分だけが他と色が違っていた。
 リリィ達を乗せた風の渦は、内側の塔からトンネルへと向かう道の真ん中めがけて降りていった。あと少しで足が届く。と思ったその時、不意に風が消えた。つんのめりながら降り立つリリィ。ミーナとリュートに至っては、ほとんど飛び降りたようなものだ。
 なんとか転ばずに済んでほっと一息ついたリリィは、風を操っていた少年の方を向いた。相当な量のマナを扱っていたようで、風が消えたにもかかわらず、まだひしひしとパワーが伝わってくる。
 彼は両腕をゆっくり広げたり閉じたりしながら、大きく深呼吸を繰り返していた。それに合わせて放出されるマナの量が次第に減ってゆく。と、その輪郭がぼんやりと薄らぎ……。やがて大きな耳としっぽを持った狐顔の少年、ラッセルの姿に戻るのだった。
「ふう……」
 閉じていた目を開いて大きく息を吐いたラッセルは、じぃっと見つめるリリィの視線に気付いて気まずそうな表情になった。困った感じでリュートとミーナを見やる。
「ま、ばれちまったもんはしょうがねぇな」
 リュートに促されたラッセルは、その場でひょいとバック転。尖耳人トカリの姿になるや、頭のバンダナを手早く外すのだった。
「……やっぱり」
 髪を露わにした彼の顔を見て、リリィはぽつりとこぼした。そこにいたのは間違いなく、トロンプの町でカルロの絵を渡してくれたあの少年だったからだ。
「狐は化けるって噂には聞いていたけど……。あれは、君が化けた姿だったのね」
 やられた、との思いを隠せず口にすると、
「それ、ちょっと違う」
 リュートが首を横に振った。
「こっちがラッセルのホントの姿」
「……は?」
「僕、尖耳人トカリに化ける狐人スマリじゃなくて、狐人に化ける尖耳人なんだ」
 きょとんとするリリィに、ラッセルは申し訳なさそうに言った。
「え? でも、だって……。えーっ!?」
 自分を含む丸耳人マールと尖耳人の違いは、耳先の形くらいのはずだ。少なくとも、何かに化ける能力があるなんて話は聞いたこともない。
「気にすんなって。こんな真似できるの、ラッセルくらいなもんだから」
 よく解らない理由でリュートが慰めてくれるが、リリィの耳にはその半分も入っていなかった。これも魔法の一種なのかしら。でも、それにしては化ける前後で雰囲気がまるで違うし……。
 リリィは小さく溜息を吐いた。どんなに考えても正体の判らないことが解ったからだ。さらには、詳細を尋ねたところで教えてはくれないであろうことも。上目遣いに自分を見上げるラッセルの表情から、そうした色を感じ取る。
 それでも、これだけは確かめておかねばならなかった。
「……で、こっちが本当の姿だとして、どうして変身を解いてあの絵を渡してくれたの?」
 普段、偽りの姿でいるからには、それ相応の理由があるのだろう。にもかかわらず、ラッセルはなぜ、あのとき本来の姿を晒したのか。そうまでしたわけのほうが、むしろ気になる。
「それは、えっと……」
 しどろもどろのラッセル。と、
「ごめんなさい! あたしが頼んだんです!」
 それまで黙っていたミーナが、突然、頭を下げた。呆気にとられるリリィに構わず続ける。
「あの日、トロンプの町でリリィさんの姿を見た瞬間に思ったんです。拾った絵を渡さなきゃ、て。でも同時に、あたしたちの姿を見せちゃいけない気もして。それで……」
「なぜ、そう思ったの?」
「分かりません」
「え?」
「ときどき『こうしなきゃ』て強く感じることがあるんですけど、それがどうしてなのか、自分でもよく解らないんです」
 ミーナはそう言って視線を伏せた。紅藤色の髪の下、僅かに逸らした横顔に陰が落ちる。
「で、でもさ、僕達それで何度も助けられたよ」
「そーそー、結果はいつも正解だったじゃん?」
 男の子コンビが慌てて取り繕うが、
「良いことばかりじゃないけどね」
 寂しげに笑うばかり。
(ミーナの勘は外れない、か)
 リリィはようやく、彼らの微妙な言い回しのわけが解った気がした。
 正解が当たりとは限らない。後になって思い返してみれば「なるほど」と思えることでも、その時点では到底受け入れ難いことがよくある。不快な結果ならなおさらだ。
 だから彼女の勘は、当たるのではなく、外れない。嫌なことも何もかも飲み込んで、それでも望ましいと思われる道を指し示す。
 でも、今回に限って言えば、たぶん良い意味での正解だ。
「ミーナ、あなたの勘、当たってるわ」
 リリィは言って頭をかいた。
「もしもあのとき、トロンプであなた達と会ってたら、こうしてここに一緒にいることはなかったと思うから」
 絵を拾った人物に助けられたとしたら、まず第一に、罠の可能性を疑ったことだろう。サソリの怪物を倒した腕が見事だっただけに、彼らもまたヴォルフドーレンの人形かもしれない、などと考えたように思う。そうして恐らくは、同行の申し出を断ったはずだ。そうなればここまで辿り着くのはおろか、塔に入ることさえできなかったろう。
「おいら達を疑ったかもしんない、てことかー」
 彼女の言わんとするところを知ったリュートが、間延びした声で口にする。そのまま視線を天井に向けていたが、不意に意地悪そうな笑みを浮かべると、
「なーんて、実はたばかってるかもよ?」
 と続ける。
「それはない」
 リリィは即座に言って、彼の目をまん丸くさせた。彼らにそこまで器用な真似ができるとも思えないし、それに、ごく微かだがカルロの“波動”を感じるのだ。
 ヴォルフドーレンは自分がカルロと会うことを望まないはず。そのカルロに近付いていると言うことは、三人がヴォルフドーレンの仲間でないことを間接的に示している。
「だからさ、ミーナ。もっと自信持ちなよ。そんな顔する必要なんてないんだから。ね?」
「あの、気にしてないんですか?」
「ぜんぜん。てか、ポカやったのは私だし、それで助けられたんだから文句なんか言えないわ。まあ、さすがにビックリだったけど」
 そう言ってリリィがおどけてみせると、ミーナはようやく笑みを浮かべた。
「でも、どうしてわざわざ狐人スマリに化けてるの?」
「んっと」
 ラッセルは少し考える素振りを見せると、くるりと宙返りを打って、再び狐人スマリの姿になる。
「こっちの姿でいると、いろいろ便利なんだ。鼻と夜目が利くし、音も良く聞こえるから」
「ノーコンもいくらか直るもんな」
 背後でボソッと口にするリュート。無言で彼を向くラッセル。
「そう睨むなって。ホントのことじゃんか」
 ちょうどリリィに対して背を向けているため、ラッセルの表情までは伺えないが、リュートの反応からしてよほどの剣幕なのだろう。ふさふさのしっぽもまた、不服そうに揺れている。しっぽ。尖耳人には本来生えていないものだ。ふと気になって、リリィはそっと手を伸ばして触れてみた。柔らかい毛の感覚が確かに伝わる。
「ひゃあっ!?」
 珍妙な声と共にラッセルが飛び上がったのは、リリィの指が毛先に触れるのとほとんど同時だった。慌てて手を引っ込めるリリィ。両手でしっぽを押さえるラッセルは、
「ぼ、僕のしっぽ、とっても敏感なんだ!」
 と、顔を真っ赤にして抗議するのだった。
「あ、あたしもそれやった」
「そーなんだよな。本物のしっぽかどうか、気になるんだよな」
「もー。なんでさ」
「あんまりにも見事に化けっからさ。触ってみなきゃ幻じゃないって判らないだろ?」
 リュートの言う通りだった。狐人スマリの姿に変わった途端に、ラッセルの気配は尖耳人トカリの時のそれとまるきり違っている。直にこの目で見てもなお、同一人物のものとはとても思えない。だからしっぽが気になったのだ。
 どうやら本物のしっぽを生やしていたらしいラッセルは、不服そうな表情でバンダナを巻き直した。だが、それがひと段落してリリィの方を振り向いた途端、きょとんとした顔で固まるのだった。
「……何?」
「あれ、さっきまでもっとあっちになかった?」
「え?」
 言われて背後を向いたリリィは、そこに彫像があるのに気付いて、思わず声を上げそうになった。いつの間に移動したのだろう。外側の塔の出入り口脇に控えていたはずの甲冑を模した像が一体、すぐそこでこちらを見下ろしている。フェイスガードの合間に覗く赤い目が、微かに笑ったようだ。
 目……?
「お前、なにもんだ!」
 いち早くその異常に気付いたリュートが、両刀を抜いて声を鋭く前に出る。緊張するリリィの心を読んだように、黒の大剣スレイプ炎の槍フレイルもまた、彼女を庇って進み出た。やや遅れてラッセルとミーナが魔法の構えを取る。
 と――。
「待て待て、君たちをどうにかするつもりはない」
 両手をガチャガチャと横に振りながら、鎧が男の声で口にした。その身振りとは対照的な、落ち着きのある渋い声で。
「これ以上壊されてはたまらんからな。奴の居るところまで案内しよう」
「奴って……」
「この男を捜しているのだろう?」
 言って、色鮮やかな絵を見せる。息を呑むリリィ。そこに描かれていたのは間違いなく、彼女からカルロを奪った人物、ヴォルフドーレンその人だった。

「この“翡翠の錐”は、もう永いこと外界との接触を断ってきた」
 六角形の板に乗り、音もなくリリィ達を先導する鎧の声が淡々と響く。
「それでもかつては、我が妻を神と仰ぐ者達が洞窟に社を建て、定期的に神事を執り行ったものだが、ここ数百年ほどは訪れる者も滅多になく、我らも半ば眠りについていた」
 エジ・エジェントと名乗った鎧の彼は、驚くようなことをさらりと口にした。数百年だって? だが、耳を疑うリリィ達の事など気にも留めずに彼は続ける。
「それをどうやったか、あの男は我らが防壁をすり抜け、“翡翠の錐”の内部に忽然と現れてな。中枢への干渉を試みた故、やむを得ずサカン共を数体、奴に従わせた。それで満足したようだったのだが……」
「えっと、エジェントさん?」
「エジ、で良い。“エジェント”はしるしであって、ヒトの姓ではないからな」
「はあ……。エジさんはその、どういう方なんですか?」
「そうだな」
 その問いに、彼は僅かに思案する素振りを見せた。
「君らの言葉で表現するなら、この地を護る精霊達の頭領、と言ったところかな」
「なあ、おっさん。あんた、ホントにヴォルフドーレン、て奴の人形じゃないんか?」
「今こうして君達と話している私の体は、君が言う人形のようなものだが、私そのものは人形ではないし、あの男の意志とは無関係に行動している」
「証明できる?」
「手厳しいな」
 あくまでも疑わしげなリュートの問いに苦笑混じりの声を返すと、
「確かにそれを証明する術は持ち合わせておらん。だが、それは君らとて同じだろう。私としては、我らが居城を壊した咎を問わないことで、最大限の信用を示したつもりなのだがな」
 言って、フェイスガードの奥の赤い目を細める。
「壊したって……。だまくらかしたんじゃなかったのかよ?」
「だからぁ、気が進まないって言ったじゃん」
 驚いて小声で尋ねるリュートに、ラッセルは上目がちにエジを気にしながら、同様に小声で応える。その口振りからすると、どうやら彼自身には「仕掛けを破る=壊している」という自覚があったようだ。
「ええっと……」
「ごめんなさい」
「そう畏まるには及ばんよ。こちらもそれなりにやり返したようだし」
 全身すり傷だらけのリュートを見やって楽しげに言ったエジは、ゆっくりと視線を転じながら「それに」と言葉を続ける。
「珍しき客故に、少しばかり試したのもあるからな」
 鈍く光る赤い瞳が、ミーナを向いたところで止まった。目をぱちくりさせるミーナ。
「おおっと、いかん。行きすぎるところだった」
 が、彼女が何を口にするより早く、エジは唐突に浮かぶ板から降りた。そのまま自身の足で壁際へと向かう。
 そこはドーム状に開けた空間だった。床の所々に塔の外で見たのと同じ、中途半端な高さの石柱が何本も立っている。エジはそのうちの一つに近付くと、ふと気付いたように振り返る。
「そんなに離れていると怪我をするぞ」
 訳が分からずに顔を見合わせるのもつかの間、とりあえずエジに駆け寄るリリィ達だったが、微かな振動と共に床が下降し始めたのを知って、揃って目を見張った。
 彼らが乗る六角形の床板は、よく見れば透明な壁に沿って移動していた。壁と床の間には大人の片足がすっぽりはまるくらいの隙間があり、床板はその間隔を保ったまま、斜めに移動しているようである。挟まれたら大怪我すること間違いなしだ。
「ところで」
 驚く彼らをよそに、唐突にエジが言う。
「ものは相談だが、一つ手を貸してはもらえまいか」
「貸すって、なんに?」
「奴を退けたい」
 その言葉を耳にした瞬間、リリィは体が強ばるのを感じた。リュート達もまた、揃って緊張するのが判る。
「どうも我らの能力ちからは奴に効かないようなのでな。目には目を、とは言うではないか。手伝ってくれると助かる」
「……彼の傍らに、翼の生えた大きな猫はいました?」
「いた。あれが一番手強い」
 エジの答えに、リリィは大きく息を吐いた。が、沈黙は僅かのことで、すぐに顔を上げると静かに言った。
「わかりました。やりましょう」
「リリィさん……」
絵獣かいじゅうは絵術士の分身。責任を持って収めないとね」
 心配顔のミーナに向かい、大丈夫よと微笑んでみせる。もっとも、そこに自身に言い聞かせる響きがあるのに気付いたらしく、
「おいら達も手伝うぜ」
 リュートがすかさずそう続けた。傍らのラッセルもこくこくと頷いている。
「ありがとう」
 二人に勇気づけられて、迷いの消えた視線を流れる壁に向けるリリィ。まるでそれを待っていたかのように下降する床が止まり、正面に現れた扉がゆっくりと左右に開き始めるのだった。