星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

5.いざ、ダンジョンへ

 トロンプの町外れにある遺跡は、リリィが言うように人工物の固まりだった。石を積み上げて作られた門は当然として、山腹に顔を覗かせる洞窟も、その奥のドーム状に開けた巨大な空間も、一面が継ぎ目のない壁に覆われている。石とも金属とも異なるつるつるした質感は、到底自然のものとは思えない。
 なによりドームの真ん中には立派な塔が突き出ている。岩や鍾乳石などではない。正面に扉を備えた歴とした塔だ。それも、一周するのにどれだけかかるか判らないくらいの大きな塔。洞窟の先にこれほどのサイズの建造物があろうとは、誰も夢にも思わないだろう。
 初めてここを訪れた三人組は、揃ってぽかんと口を開けたまま、しばらく無言で立ち尽くしていた。
「……すげー」
「ここって、本当に洞窟の中?」
 ようやくこぼしたリュートの隣で、ラッセルが自分の頬をつねる。ミーナもまた、自分の目が信じられない様子でドームの天井を見上げながら言う。
「何でこんなに明るいのかな?」
「光りゴケ……じゃないよね」
「こんな明るい光りゴケがあるもんか」
 真っ先に我に返ったリュートはそう言うと、塔の扉を目指して駆けていった。長いしっぽを揺らしながら走る彼の後ろ姿を見つめるリリィは、だが、すぐには追いかけない。なぜなら、塔の扉が簡単には開きそうにないことを知っているからだ。
 扉と言えば普通、押すか引くかするものだが、この塔の扉にはそもそも取っ手がないのである。鍵穴もなく、隙間なくぴったりと閉じられた扉は、いったいどうやれば開くのか。リリィには皆目見当もつかなかった。
「今度こそ開ける方法が判ると良いんだけど……」
 小さく呟いて、ゆっくりと扉に向かって歩き始めるリリィ。と、小走りに追いかけてきて隣に並んだラッセルが、おずおずと尋ねてくる。
「あのサソリのお化けって、ここにいた?」
 なぜそわそわしているのか不思議に思うリリィだったが、扉をちら見する様子に気付いて、彼が何を心配しているのか解った気がした。
 正面にある扉はなるほど、例のサソリ型の怪物が出入りするのに十分な大きさがある。とは言え、今し方通ってきた通路の方はそうではないのだから、少し考えれば簡単に答えが出そうなものだが。
 案外と恐がり屋さんなのかもしれない。
「一昨日来たときには、ここには何もいなかったわ」
 彼を安心させるつもりで、リリィは努めて明るく言った。
「あいつに襲われたのはここを出た後のことだから。扉の開け方が判らなくてねー」
「え、そうなの?」
 最後のは何気なく付け加えただけなのだが、それを聞いたラッセルは目を丸くすると、次いで何事か考え込むような素振りを見せた。
「ミーナ、どう?」
「……わかんない」
 いつの間に追いついていたミーナが、同じようにして首を傾げている。
「何かが居た感じはあるんだけど……」
「ちょ、ちょっと、何の話?」
「リリィさんは感じませんか? マナのような、気配のような、不思議な感覚」
 彼女に真顔で問われ、リリィははたと辺りを探った。確かに、近くに何かが潜んでいるような感じがしないでもない。が、言われて初めて気付ける程度の、本当に微かなものだ。ウィドが落ち着きなく揺れている様子からすると、決して気のせいではないのだろうが……。
「サソリのお化けじゃないとすると、何かな。ひょっとして、ヴォルフドーレンって人の気配?」
「ごめん、私にはよく判らないわ」
 ラッセルに訊かれても、狐人スマリのような鋭い感覚を持ち合わせない丸耳人マールの身としては、そう答えるより他はない。
 と、その時。
「おーい、ミーナ。たぶん、こいつ」
 そんなことは全然気にしてないらしいリュートの声がホールに響いた。振り向くと、扉の手前に建つ中途半端な高さの柱に跨って、コンコンと探りを入れている。
「ああ、それ」
 その存在を思い出したリリィは、ゆっくりと歩み寄って柱に手を当てた。表面に時折浮き出る見慣れぬ文様が、掌の下で淡い光を放つ。が、先日と同じように、そこからは何の感触も伝わってはこなかった。
「私も怪しいとは思ったんだけどね。いかにも『カラクリのスイッチですよ』て感じだし。ただ」
 表面をひと撫でして続ける。
「こうも平らでツルツルしてると、どこをいじればよいのやら」
「この手のやつは、ラッセルに任せればちょちょいのちょい」
「え?」
 思わぬ言葉に柱を振り仰ぐと、
「なんたって騙しのプロだもんな」
 柱のてっぺんに両手を突いて座るリュートは、そう言ってにたりと笑うのだった。
「もー、その人聞きの悪い言い方やめてよ」
「でも本当じゃん?」
 抗議の声を上げるラッセルなど歯牙にもかけない。
「……。やればいいんでしょ。やれば。全く、気が進まないのに」
 諦めてぷーっとむくれるラッセルは、ぶつくさ言いながらリリィを押し退けるようにして柱に触った。その掌からほんの一瞬、稲光が発せられる。
 するとどうだろう。柱に浮かぶ文様が鮮やかに輝き、次いでズッ、という鈍い音とともに、ぴっちりと閉じられていた扉が開き始めるではないか。
「ほら見ろー!」
 喜々とした表情で、ぴょんと扉の真ん前に降り立つリュート。
「な? 簡単に開いたろ?」
 リリィを向いて得意げに笑う。
 だが、リリィの方はとても笑ってなどいられなかった。なぜなら、彼の背後で開く扉の間から、無数の赤い目が覗いていたからだ。
「ん……?」
 リリィの表情に気付いてリュートが扉を向いた直後、塔内の闇に浮かぶ数多の赤い目は、一斉に外に向かって飛び出してきた。
「げげっ!?」
 びっくりしながらも素早く小太刀を両手に握り、襲いかかる影を立て続けに斬り伏せたリュートはさすがだった。けれども、そんな彼の頑張りをあざ笑うように、怪物達はわらわらと絶え間なく扉の向こうから現れる。
 それはとても風変わりな生き物だった。丸だったり四角だったり三角だったりと、体つきはそれぞれに多種多様だが、いずれもお椀を立てて並べたような、大きな目を持っている。体には三本指の小さな腕が生えているばかりで、一見して足は見あたらない。そして、翼もないのに宙を行くさまは、さながらリリィの創る絵獣かいじゅうのようだ。
「大変!」
 ウィドを援護に向かわせつつ、懐から絵札を取り出すリリィ。ところが、ラッセルとミーナはというと、なぜかしら呆れ果てた表情でその光景を眺めているのだった。
「なんでいつも真ん中に立つかなー」
「中から何か出てくるのって、こういう扉のお約束よね」
 事態と全くそぐわないやりとりに、スレイプとフレイルを呼び出したリリィも思わず気をそがれてしまう。
「わーっ! のんびり見てねぇで助けろーっ!!」
 群がる怪物達を必死で押し退けるリュートの悲痛な声に、ようやく顔を見合わせた二人は、一つ大きなため息を吐くと揃って片手を突き出した。
 ミーナの手からは鮮やかな炎が、ラッセルの手からはまばゆい雷が、それぞれ扉に向かって迸り、慌てて身を伏せたリュートと高く舞い上がるウィドの間を吹き抜ける。
 どぉぉぉん!
 大きな音と共に、もうもうと舞い上がる砂埃。二人の放った魔法に直撃された怪物達の姿が、瞬く間に見えなくなる。咳き込みながら戻ってくるリュートの向こうでようやく煙が薄れたとき、怪物達の半分は真っ黒に焦げてピクピクと地を這っていた。一方、残りの半分は見た目はきれいなままだったが、こちらは地面に転がったままピクリとも動かない。
「この手のお化けにはやっぱ、ラッセルのが効くね」
「気が進まないなぁ」
 言葉通りの表情を浮かべつつも、もう一発放つラッセル。地を舐めるようにして走る稲妻が黒焦げの怪物達を包み込み、とどめを刺すのだった。

「それにしても見事ね」
 外とは打って変わって薄暗い塔の中を行くリリィは、炎の槍フレイルの明かりに時折照らし出される怪物の亡骸を見ながら、前を歩くラッセルに声をかけた。彼が放った雷撃は、そのまま塔の中に入って壁を伝い、奥に潜んでいた怪物達にもダメージを与えていたのである。
「えへへ……」
 青白い火の玉を三つ周りに漂わせた狐人スマリの少年は、照れくさそうに振り向いた。気乗りしないと口では言っても、褒められればやはり嬉しいのだろう。凄い魔法の使い手だが、こういうところは年相応だ。
 三つの火の玉がくるりと辺りを一周する。ウィドが戯れるように後を追う。ラッセルが呼び出したこの火の玉は、魔法によるものではなかった。“狐火”というもので、スマリの特技とのこと。曰く、「ホントは魔除けらしいんだけど、灯り代わりに便利でしょ」。
 らしい、という言い回しが少し引っかかるリリィだったが、塔内の薄暗さに慣れたところで尋ねたのは、それとは別のことだ。
「ねえ、ミーナ」
「はい?」
「さっき、この手のお化け、て言ってたけど、以前にもああいうのを相手にしたことあるの?」
 果たして事も無げに頷くミーナ。
「形はちょっと違いましたけど、さっきのと同じように、鋼の体を持ってましたよ」
「ゴレムの洞窟に棲んでること多いんだよな、あれ」
 続けたリュートが不意にジャンプする。向かう先には今まさに話題にしていた怪物が一匹。三角形をしたそいつは、うずくまっていた顔を上げ、最後の力を振り絞るようにゆっくりと浮き上がる。
 が、リュートの方が早い。手にした小太刀を立てると、狙いすましてお椀型の目の付け根――そこに隙間がある――に押し込む。瞬間、バチッ、という音と共に刀身から小さな稲妻が走り、怪物は大きな痙攣を最後に動きを止めた。
「弱点判ってんのはいいけど、めんどー」
 そう言って振り向く彼の小太刀には、ラッセルの雷撃が宿してあった。この手の怪物に止めを刺すには、それを殻の隙間に差し込むのが確実なのだとか。器用なのはもちろんだが、彼らの経験値の高さに改めて驚かされるリリィである。
 ちなみに、黒の大剣スレイプでも同じことができないか訊いてみのだが、耐性がないと壊れちゃう、と言われて諦めたのだった。そんな危ないこと、とうてい試してみる気になれない。
「お、扉だ」
「ラッセル、出番出番」
「やっぱり気が進まないなー」
 扉の脇にある小さなプレートに、ラッセルが右手をかざす。ほんの一瞬、迸る雷撃。程なくガコンと錠の外れる音がする。
「よっせ」
 リュートが扉の縁を掴んで力を込める。わずかに横にスライドしたところを、みんなで隙間に手を入れて、さらに押し開く。塔に入ってから出くわした扉は、いずれもこのパターンが多い。いや、塔の入り口の扉以外は、独りでに開くことはないのだった。
 ヒト一人が通り抜けられるくらいに開いたところで、フレイルを先に行かせて中を覗き込んだリリィは、そこにあったものを見て、思わず口にしてしまう。
「あ、まただ」
 扉の奥にあったのは、螺旋状に連なる下り階段。塔に入ってからずっと下りが続いている。ミーナがこくんと一つ頷くのを確認して、リリィは足を踏み入れた。金属板でできているらしい階段が、一段降りる度にかこん、かこんと音を立てる。
「やっぱりヘンテコだね、この塔」
「ホント。下に向かって延びる塔なんて、聞いたことないよ」
「というより、元々の塔の周りがあらかた埋まって、あの高さになったんじゃないかしら。ほら、入ってすぐのところ、天井までずっと吹き抜けだったじゃない」
「うっひゃー。あのホール、どんだけでかいんだ?」
 そうこうしながら階段を降りきったリリィ達だったが、辿り着いた先の扉を抜けたところで、にわかに戸惑った。なぜなら、先に見える通路という通路に、一斉に灯りが点ったからだ。
「……ラッセル、何やったんだ?」
 天井全体が淡く輝いている様子を呆然と見上げながら、リュートが尋ねる。
「なんにもしてないよ」
 狐火を消すラッセルは、こちらも呆然とした面もちで答えた。
「なんも?」
「だって僕、カミナリ出してないもん。扉、勝手に開いたし」
『ええっ!?』
 その言葉に、皆、一斉に彼を振り向く。
「ラッセル、それホント?」
「魔法使わないでどうやって開けたんだ?」
「わかんないよ。触っただけで開いたの」
「……マナに反応する仕掛けでも施してあったのかしら」
 その可能性に気付いて、そっと扉の脇のプレートに手をかざしてみるリリィだったが、これといった変化はない。ただ、ここに来るまでに目にしたものとは、明らかに違うものを見つけた。プレートの内側でチカチカと緑色の小さな光が点滅している。
「ヴォルフドーレンって奴の仕業か?」
 と、横から覗き込んだリュートが言う。
「さあ、どうだろう?」
 リリィは首を傾げた。
「あいつがいじったようにも思えないけど。この階のカラクリは上のと違ってまだ生きてる、てことなんじゃないかしら」
 特に根拠があってのことではない。強いて挙げれば、あのサソリもどきを用意しただけでウォルフドーレン的には事足りたはず、という推論が成り立つからだが、それより何より、古のカラクリが動いたと解釈した方が自然な気がするのだ。
 こういう時、リリィは自分の第一印象を信じることにしている。
「だとすっと、ちょっと厄介かもな」
 リュートが腕を組んで言う。
「何が?」
「罠。思いも寄らねぇモンが飛び出すかもしんねーだろ」
「あ、そっか」
 ぽんと手を叩くや否や、ラッセルは急に真剣な顔になって、あたりに気を配った。大きな耳が僅かな音も聞き漏らすものかとぴくんと動く。ミーナもまた、意識を集中するようにふーっと大きく深呼吸。
「二人とも、なんか変だと思ったらすぐ言えよ」
「うん」
「わかった」
「リリィ姉ちゃんもよろしくな」
 隊長よろしく先頭に立って歩きかけるリュートだったが、ふと気付いて振り向くと、
「おまえらも頼むぜ」
 リリィの後ろに控えるフレイル、スレイプ、ウィドに向かって片目を閉じてみせる。途端、絵獣たちは揃って宙を舞った。
 動きは三者三様だが、その意味するところは同じ。頼りにされることの喜び。そして、期待に応えようとする決意。リリィの内に響く彼らの声は、熱く胸を包み込み、彼女自身を勇気づける。
 ……こんなにも強く分身たちの声を聞けたのはいつ以来だろう。カルロを盗られてまだ一年足らずというのに、ふとそんな風に感じてしまった自分が情けない。
 彼らとの絆が弱まったなんてことは、少しもなかったのだ。むしろ強まっているかもしれない。それが証拠に、今ここにいる三匹の絵獣たちは、「兄を取り戻す」という意志を伴ってリリィを励ましているではないか。
 彼らは皆、カルロと同じだ。リリィの気持ちを汲んで自ら動いてくれる、素晴らしきパートナー。魂でつながる頼れる分身たち。
 彼らの声は自身の本音。そう、自分は自分の力でカルロを救い出したいのだ。偶然の出会いに力を借りはしても、それに頼ることは許されない。なぜならこれは創造主たる自分の役目であり、私たち姉弟の戦いなのだから。
 にわかに取り戻した自信を胸に、リリィはリュートに遅れまいと大きく前へ歩み出た。