星のかけらを集めてみれば - ヒトのかたち、想いのかけら -

作:澄川 櫂

1.夕暮れに輝く銀の羽根

「油断大敵な」
 サソリの形をした怪物の一撃を受け止めた少年は、少し訛りのある声で言うと、にっと笑った。二刀に構えた小振りの刀で怪物のいかにも重そうなハサミを撥ね除け、鋭く一閃して斬り伏せる。
 だが、リリィはその剣技の鮮やかさよりも先に、彼の容姿に息を呑んだ。
 褐色の肌にエメラルド色の瞳。量のある髪は若草色で、その合間から銀色の飾り羽根――森のお洒落な鳥が生やしているようなもの――が二本、ひょいと後ろに向かって伸びている。そしてお尻には、髪と同じ色の長いしっぽ。
 小柄な体にはいささか不釣り合いなしっぽを揺らしながら、少年は仰け反る怪物に向かって飛びかかる。木々の合間から差し込む西日に照らされて、銀の飾り羽根が鮮やかなオレンジ色の光沢を放った。
 その光景に思わず見とれるリリィだったが、すぐに我に返ると、懐から一枚の絵札を取り出す。刃幅の広い、黒い剣が描かれた札だ。
「スレイプ!」
 頭上に掲げて口にするや否や、絵と同じ形の大剣が宙に出現していた。
「スレイプ、援護してあげて」
 大剣は「承知した」といった感じで一回転すると、そのまま真っ直ぐに、サソリもどきに向かって飛んで行く。一気に速度を上げると、今まさに少年に向かって振り下ろされんとする針の生えた尾の先を、勢いそのままに切り落とす。そして返す刀で深々と、怪物の胸元を背中から串刺した。
「ナイス!」
 ちょうど怪物の頭上を跳び越えたところの少年は、大剣の絶妙な手助けに歓声を上げた。緑のしっぽを黒剣の柄に絡めてぶら下がる。反動をつけて器用に体を放り上げるや、彼の足は大剣を蹴った。二刀を束ねて両手で握り、怪物の脳天目掛けて思いっきり突き立てる。
「くらえっ!」
 耳をつんざく咆哮が怪物の口から溢れた。激痛に身をよじりながら、少年を振り払おうともがき苦しむ。
 少年は甲羅の突起に尻尾を巻き付けて体を固定すると、さらに深く小太刀を差し込んだ。さらなる咆哮が響き渡り、唐突に止む。力なく地に沈んでゆく巨体。
 ところが――。
「え!?」
 リリィは目を疑った。動かなくなったサソリもどきが唐突に破裂したのだ。そればかりではない。飛び散る破片が次々と、サソリの形に転じて行くではないか。
「な、なんだこれ?」
 地面に投げ出された格好の少年もまた、戸惑いを隠せない様子で見つめている。だが、ほどなくしっぽをピンと立てると、慌ててその場を飛び退いた。
 間一髪! ミニ怪物のひとつが彼の服をかすめて地に突き刺さる。
「げげっ!」
 すっぱりと切り裂かれた上着の裾に手をやるのもつかの間、彼は一目散に逃げ出した。今や無数の群れと化したサソリもどきが、一斉にハサミと針を突き立て降り注ぐ。少年の足跡を追うように、幾重にも連なるサソリ型の破片――。
 悪夢のような豪雨を右の小太刀で払いのける少年は、あろうことか全力でリリィに向かって駆けてくるのだった。
「ちょ、ちょっと!?」
 これには彼女も粟を食って逃げ出すしかない。
「なんだよ、あれ!」
「私が訊きたいわよ!」
 早々に追いついた少年の苦情に、負けじとリリィが怒鳴り返す。その合間にもミニ怪物達は次々と飛び込んでくる。少年の小太刀と黒の大剣スレイプが何とか防ぐが、多勢に無勢。しかも空からの攻撃とあっては敗色濃厚だ。
 もうダメかとリリィが諦めかけたその時、二人の頭上を一陣の風が吹き抜けた。地を目掛けて武器を突き立てるミニ怪物共が、轟音と共に薙ぎ払われる。次いで無数の光が降り注ぎ、二人と一剣を取り囲むサソリ達をも打ち据えていった。
「何が……?」
「ごめん」
 呆気にとられるリリィに、傍らの少年が不意に言った。
「え?」
 間の抜けた声を出すリリィを肩に担ぎ上げ、蹲るミニ怪物達の一角を跳び越える。
「わっ!?」
 ぐるりと回転する視界にいくつものサソリが見え、次いで、少年の長いしっぽが揺れる。だが、それも一瞬のことで、青々とした草むらが目に入るや否や、リリィは半ば投げ出されるようにして降ろされるのだった。
 幸い、柔らかな草がクッションになったこともあり、さして痛みは感じなかった。とは言え、乱暴な扱いをされれば文句の一つも言いたくなるというものである。
 むっと顔を上げるリリィ。ところがどうだろう。視線の先に立つ少年は、リリィ以上に不機嫌な表情で傍らの大木を見上げているではないか。
「……おせーよ、ラッセル」
「勝手に始めたリュートが悪いんじゃないか」
 彼の呼びかけに、頭上から別の少年の声が返ってくる。つられて視線を上げると、木の枝に獣族の男の子が立っていた。
 青いバンダナの隙間から覗く、ピンと立った大きな耳。先の方が白い毛に覆われた、太くてふさふさのしっぽ。薄茶色の毛並みは珍しいが、狐人スマリと呼ばれる種族の子だ。くりくりした金色の瞳が、やれやれといった感じでこちらを見下ろしている。
「刀抜いた途端に段取り忘れちゃうんだもんなぁ」
 白銀の弓を手にする狐くんは、そう言って肩をすくめて見せた。うっ、と言葉に詰まって頭の飾り羽根を揺らす少年。
「あ、あれは……」
 泳ぐ視線で言葉を探すと、
「そう! 臨機応変ってやつ」
 ぽんと手を打ち、うんうんと頷く。ところが――。
「そーんなこと言って、本当は戦いに夢中になってただけなんでしょ?」
 一人で納得する羽根くんを咎める少女の声が、リリィの隣から投げかけられた。驚いて振り向くと、いつ現れたのか、男の子達と同年代と思しき少女が腕組みをしながら立っている。
 こちらはリリィと同じ丸耳人マールの女の子だった。腰にかかる髪は艶やかな紅藤色で、自然に後ろに垂らしている。ベージュ色のニット帽が可愛らしい顔立ちによく似合う。
 だが、
「んなこたぁ……」
「なら、何で反対側に逃げたのよ?」
 そんな可憐な容姿とは裏腹に、少女の言葉は辛辣だ。
「えと、それは」
「どうせ大した考えもなしに、あいつに飛びかかっていったんでしょ」
「あー……」
「まったく、きれいなお姉さん見かけるとすぐこれなんだから」
「ミーナぁ」
 一気に畳みかけられて、羽根くんは心底情けない声を出した。その様子に少しだけ彼を可哀想に思うリリィ。
「リュート! ミーナ!」
 樹上の狐くんが叫んだのは、ちょうどそのタイミングだった。彼の指さす方向に視線を転じると、完全にのしたと思えたミニ怪物達が、再び元の大きなサソリもどきに戻ろうとしている。
「ミーナ、任せた!」
 途端にしゃんとして、二刀を抜いて地を蹴る羽根くん。少女がそれに応えて親指を立てる。
「任された!」
 一方の狐くんは、白銀の弓から次々と光の矢を放っていた。それは次々と急所――もしサソリの形をした怪物にそれがあるのなら――に突き刺さるのだが、怪物は一向に一つになるのを止めない。
 再び巨体を持ち上げたサソリの怪物は、羽根くんが斬りつけるよりも速く、ばくんと開いた口から大きな火の玉を吐き出した。
 軽いステップで難なく避ける彼とは違い、いまだ草むらに座り込んだままのリリィには、咄嗟に逃れる術がない。迫り来る火球を呆然と見つめるばかり。
 その時、傍らの少女が歌うような声を発した。ごく短いが耳に残るきれいな旋律――。
 直後、目前にまで迫った火の玉が唐突に弾けた。僅かな熱気を残して見る間に霧散する。リリィは目を見張った。
(魔法陣……?)
 そう当りを付ける。前方に向かって差し出された少女の右の指先に、呪文のような見慣れぬ文字列が浮かんだのを、彼女は見逃さなかった。
 もっとも、リリィがそれを気にしたのは僅かな間のこと。彼女の視線は少年達の見せる妙技に釘付けとなる。
「リュート!」
 枝の上でくるんと一回転する狐くんが、お返しとばかりにバチバチと爆ぜる雷球を放つ。地に突き立てられたサソリもどきのハサミを蹴る羽根くんが、その声に合わせて二本の小太刀を再び重ね合わせた。
 両手で束ね持った小太刀が雷球を捉える。双刀の隙間に雷球が嵌まったと思えた直後、彼は僅かにそれを左に寄せ、次いで右手の小太刀を振り払う。まるで鞘から剣を抜くように。
 左の刃先との間に伸びる光が弧を描き、輝く刀身となって迸る。鱗粉の如き光点を残して切っ先が離れたとき、羽根くんの右手には一本の長大な刀が握られていた。
「くらえっ!」
 彼の気合いそのままに振り下ろされた長剣が、光の軌跡を描いて空を裂く。一瞬の笛の音色と共に怪物の巨体を一刀両断!
 動きを止めた巨大なサソリもどきは、今度は破裂しなかった。縦に走る一筋の線が徐々に太くなり、やがてゆっくりと左右に裂けていく。
「リュート、右の首の付け根!」
 息を呑んで見守るリリィの隣で、少女が唐突に叫んだ。その声に、羽根くんは両刀をいずこかに収めると、しっぽを揺らして大きくジャンプ。崩れつつある怪物の体を器用に蹴って、あっという間に頭の上まで辿り着く。そして、サソリもどきの触角に自分のしっぽを巻き付けた。
「ここか?」
 裂けた首筋に両手を突っ込み、ゴソゴソと中を探る。彼の顔が輝くのと巨体が崩壊を早めるのはほぼ同時。
「よしゃ!」
 一気に砕け散る怪物から離れて、宙でガッツポーズを決める羽根くん。きらりと輝く羽根の横、勢い良く突き上げられた右手には、拳大の黒い石が握られていた――。

「お疲れ、リュート」
「へっへー」
 駆け寄る少女に羽根くんは得意げにVサインを作って見せた。だがそれも僅かなことで、すぐに肩を落とすとつまらなそうに続ける。
「んでも、外れだな」
「えー!」
 枝から飛び降りる狐くんが大声を出した。弓はどこへしまったのか、手ぶらの両手を広げてふわりと降り立つ。一瞬きらりと光ったものに気付いてよくよく見ると、彼は左の手首に弓と同じ銀色の腕輪をはめていた。頭に巻いた青いバンダナといい、なかなかお洒落さんのようである。
 一方、頭の飾り羽根以外は見るからにお洒落と無縁な格好の羽根くんは、ひょいと手にした石を放り上げ、どこからともなく二刀を抜いて斬りつけた。残ったかけらをしっぽで絡め取り、
「ほら」
 と、狐くんに向かって放りやる。おおっと。両手でそれを受け止めた狐くんは、確認するや否や、心底残念そうな顔をした。
「ホントだ。真っ黒」
 その言葉につられてリリィが覗き込むと、小さなかけらはまるで石炭のように、黒くて鈍い光沢を放っている。
「ありゃま」
 リリィの隣から頭を差し入れた少女もまた、期待外れといった感じの声を上げる。が、思い直したように一呼吸すると、両手をかけらにかざして耳慣れない言葉を短く口にした。子守歌のような静かな音色。柔らかな光が溢れ、少女と狐くんの掌を包んで行く――。
 すると、黒い石のかけらは光に溶け込むようにして、ゆっくりと崩れてゆくのであった。
「……やっぱり外れだったね」
「うー、ショック。あれだけ凝ってたから、ちょっち期待したのになぁ」
「あなた達、あれのこと何か知ってるの?」
 二人のやりとりを聞いていたリリィは、思わず問いかけていた。あれとはもちろん、サソリ型の怪物のことだ。
 だが、
「それ、こっちの台詞」
 二人が応えるより先に、いま一人の少年が口を開いた。頭の飾り羽根についた埃を払いつつ、
「あいつ、おねーさんのことずっと狙ってたみたいだけど、なんで?」
 エメラルド色の瞳で凝視する。問われて言葉に詰まるリリィ。もっとも、沈黙は長くは続かなかった。ぐぅ~……。羽根くんの腹の虫が高らかな音色を奏でる。
「……あー、ま、いっか。ミーナ、早いとこ飯にしよーぜ」
「そうだね」
 と笑う少女は、ふと気付いたようにこちらを振り返った。
「おねーさんも一緒にいかがですか?」
「え?」
 これまた咄嗟に返答に困るリリィだったが、朝から何も食べてない彼女のお腹は、言葉より先に明快な返事を返していた。