星のかけらを集めてみれば - お月さまとしっぽ -

作:澄川 櫂

8.おやすみなさーい

「ラッセルー!」
 夜のとばりが降りた林の中を、彼の名を呼ぶ少女の声が伝わっていく。よく通る澄んだ声は、木々の間をくまなく響いていったが、呼びかけに応える声はいつまで経っても聞こえない。
 赤いバンダナを巻いた、ラッセルとよく似た顔立ちの少女——ササラは、ふうとため息を吐くと、城柵に沿って歩き始めた。肩の高さで切り揃えた、黄色かかった明るい茶色の髪が夜風に揺れる。
「まったく、こんな遅くまでどこで遊んでるのかしら。クッキーをほったらかして」
 足もとに付き従うクッキーが、寂しそうに鼻を鳴らした。よしよしと撫でてやりながら、もう一つため息を吐く。
 ササラはなかなか帰ってこない六歳年下の弟を心配して、家の近くを探して歩いているのだった。やんちゃで遊び盛りの弟だが、夕飯時になっても帰ってこないのは初めてのことだ。それも、大の仲良しであるクッキーを連れず、一人で。
「まさか、まだ森にいるんじゃ……」
 言いかけて、それはないと思い直すササラ。去年の冬、ラッセルが森で迷子になった時のことを思い出す。
 今日よりはもう少し早い時間だったが、すっかり暗くなった小道に座り込んで、べそをかいていたラッセルのこと。夜の森の怖さは身に染みて解っているはず。
 ササラは家の方に目をやった。
「ひょっとしたら、もう帰ってきてるかも」
 なかば期待を込めて口にする。うん、きっとそうだ。
 ササラは向きを変えた。お父さんとおじいちゃんも探しに出ているし、どっちにしても、いったん家に戻った方が正解だろう。
 広場を突っ切って、ヒマワリ畑を抜ける。その時、月夜に伸びるヒマワリの影がかさかさと揺れた。
「ラッセル?」
 隠れん坊でもしてたのかと覗いてみるが、誰もいない。
「……なんだ、風か」
 そう呟いたとき、
「お姉ちゃーん!」
 ラッセルの声が後ろから聞こえた。ぱっと振り向くササラだったが、途端に固まってしまうのは、たくさんのしっぽを生やした大きな獣が、彼女を間近で見つめていたからだ。肝心のラッセルの姿は、どこにも見えない。
「こっちこっち」
 そう呼びかける声に、恐る恐る視線を上げていく。すると、獣の背にまたがって、笑いながら見下ろしているラッセルと目があった。
「……な、なに? この、大きいのは?」
 ようやくそれを口にする。一方、足もとに寄り添うクッキーの方は、声もなくぽかんと見上げていた。
「フェルトさん。お母さんの知り合いなんだって」
 獣の背中からぴょんと地面に降り立つラッセルは、あっけらかんと答えた。その言葉に、ササラは戸惑いを隠せない。
「知り合い、て……」
「あら、誰かと思えばピッケルじゃない」
 と、その時、ヒマワリ畑に別の声が響いた。黄色味の強い、さらりとした髪を後ろで一つに束ねた女性が、畑の端から小道を覗き込むようにして立っている。「お母さん!」と勢い良く飛び込んでくるラッセルを受け止めながら、彼女は笑って続けた。
「……と、いけない。フェルトだったわよね」
「クレンの好きに呼んでくれて構わないよ」
「しゃ、しゃべった?」
「そりゃあ、しゃべるわよ」
 フェルトの傍らで目を丸くする娘の姿に苦笑しながら、息子を連れて歩み寄る。何も知らないササラにしてみれば、大きなキツネがしゃべるのは仰天ごとなのだが、クレンはさらりと流して言った。
「久しぶりじゃない。子供達の誕生日にはいつもお祝いをくれるくせに、ちっとも遊びに来てくれないんだから」
「立場上、いろいろと野暮用が多くてね」
 首をすくめるようにして、フェルトが応える。
「それがいったい、今夜はどうしたの?」
「我が一族の子の大事を、ラッセルが助けてくれてな」
「そういえば、今日だったわよね」
 クレンは思い出した。二つの月が共に満月となって並ぶ今日が、年に一度、バケバケ草が顔を出す日——狐人スマリの大切な通過儀礼の日であることを。
「じゃあ、ひょっとして……」
 期待を込めて口にするクレンに、フェルトは一つ頷いて見せた。
「やったじゃない、ラッセル」
 彼女は心底嬉しそうに、腰に抱きついているラッセルの頭を撫でた。
「怪我をした子を心配して、わざわざ村まで連れてきてくれてな。それで帰りが遅くなってしまった」
「……そうだったの。ラッセル、良いことをしたわね。本当に偉いわ」
「えへへ……」
 母に褒められて、ラッセルはくすぐったそうに笑った。
「さて、そろそろ失礼するとするかな」
「そんなこと言わずに、ゆっくりしてきなさいよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだが……。祝いの席に長がいないのも問題なんでな」
「なるほどね。あ、じゃあ、ちょっとだけ待ってて」
 そう言うと、クレンはラッセルをその場に待たせて、家の方へと駆けて行く。少しして戻ってきたとき、彼女の手には紙包みと風呂敷があった。
 差し出された紙包みの匂いを知るや、フェルトが顔をほころばせる。
「あなたの好物だったわよね?」
 紙包みに入っていたのは、シナモンを利かせた焼き菓子であった。
「こりゃまた久しぶりのご馳走だ」
「私も久々よ。何だか知らないけど、急に作りたくなったのよね」
 笑って言うと、クレンは紙包みを風呂敷に入れ、フェルトの首に巻き付けた。
「どうもありがとう。ラッセルを送ってくれて」
「いやいや、それはこちらの台詞だよ」
 互いに軽く額を合わせると、二人はしばし見つめ合った。
「なあ、クレン」
「うん?」
「ラッセルだが、たまに我らが村に遊びに来ることを許してやってはくれないか? 我が一族の子等も喜ぶと思うんだが……」
「……考えておくわ」
 フェルトのその言葉に、クレンは半ば苦笑しながら応えた。彼は「一族の子等」と口にしたが、それがラッセルのことを思っての言葉であると気付いたからだ。
 案の定、飛び上がって喜ぶラッセルの気配が、背後から伝わってくる。
「それでは、これで失礼するよ」
「あなたもたまには遊びに来なさいな」
 やり返すようなクレンの言葉に、ひょいと頭を下げてみせると、フェルトは瞬く間に風となって、夜の森へと消えていった。

「それでね、チターったら凄いんだよ。こーんな大きな肉まんを一口で食べちゃうんだから」
 ベッドに腰掛けるラッセルの話は、留まることなく続いていた。
「あらあら。でも、一回でそんなに頬張ったら、飲み込むまで大変だったんじゃないの?」
 身振り手振りを加えながら楽しげに語る様子に、クレンはいささかうんざりした表情を浮かべながらも、話を合わせる。
「うん。ゲホゲホしてた」
 その時のチターの様子を思い出して、くすくすと笑うラッセル。苦労して寝間着に着替えさせたものの、一向に寝ようとする気配がない。
 クレンはそんなラッセルに気付かれないよう、そっと嘆息すると、砂埃にまみれた彼の服をぱんぱんとはたいた。ポケットの中になにやら入っているのに気付いて、さらに顔をしかめる。
「またぁ。何でもかんでもポッケに詰めちゃダメだって言ったでしょう?」
 やんわりと叱りながら中身を取りだしたクレンは、そこにほのかな赤みを帯びた半透明の石片があるのに気付いて、目を細めた。
「あら、“星のかけら”じゃない」
 言われてその存在を思い出したラッセルが、あっと短く声を上げる。
「でも、こんな色をしてるのは初めて見たわ。きれいね」
「あのね、それ、森で木の枝に引っかかってたのを見つけたの。お母さんにあげようと思って」
「私に?」
「うん!」
 頬を紅潮させながら、ラッセルは頷いた。
「まあ」
 嬉しそうに顔をほころばせるクレンだったが、ふと思い付いてぽんと手を打つと、「ちょっと待ってね」と告げて部屋を出ていく。ほどなくして、小さな袋と細い紐を手に戻ってきた。
 深く屈んで、ベッドに座るラッセルと目線を揃えるクレン。
「ありがとう、ラッセル。お母さんとっても嬉しいわ。でも、これはあなたが持っていなさいな」
 言って、小袋——お守り袋に石片を入れると、紐を通して輪を作り、ラッセルの首に掛けてやる。
「星のかけらは見つけた人に幸あるものだからね」
「ねえ、星のかけらって、なぁに?」
「幸運の印。空から落ちてきたお星様が、飛び散ったときにできたと言われているわ」
 そう答えると、クレンは目を閉じ、詩の一節を諳んじた。

 星のかけらを100集めれば
 あまに翔るはほうき星
 見つめ祈れよ願い事
 さすれば三つまで叶えたもう

「……どういうこと?」
「百個集めると、願い事が三つも叶うんだって」
「すごい! でも、百個も集められるかなぁ」
「んー、それは判らないわね。けど、こんな色のかけらは珍しいから、持ってるだけでもきっと、良いことがあるわよ」
 良いこと。そう聞いて、ラッセルははっとした。今日は本当に、良いことがたくさんあった。新しいお友達ができたし、美味しいものをいっぱい食べられた。そして何より、
「お母さん、あのね」

 ——ぼく、スマリになれるんだよ。

 言いかけて、慌てて口を押さえる。あぶないあぶない。教えちゃったら、家を抜け出すのが大変になる。
「……ん?」
「なんでもない!」
 ラッセルはベッドに横になると、がばっと布団をかぶった。そうして、そーっと目元の辺りまで顔を出す。
 恐る恐る見上げたお母さんの顔は、けれども、優しく笑っていた。
「……ねえ、ラッセル。あなた、見たの?」
 一瞬、何のことかと思うが、ほどなく気付いてこくりと頷く。チターがキツネから狐人スマリになった瞬間のことを言っているのだろう。
「でも、お母さんにもナイショなの」
「私も内緒にしないとね」
 クレンがウインクする。目を見合わせた二人は、やがてどちらともなく笑い出した。
「さ、今日はもう寝なさい。続きは明日、聞かせてね」
「は〜い。おやすみなさーい」
 ランプの明かりを吹き消して、クレンは静かに戸を閉めた。部屋が月明かりだけになるのに合わせて目を閉じる。ほどなくすとんと、夢の世界に溶け込むラッセル。
 夢の中で彼はキツネになり、広い広い原っぱを、チターと共に転がりながら駆けていった——。