星のかけらを集めてみれば - お月さまとしっぽ -

作:澄川 櫂

9.大胆に隠れん坊

「お母さん、やっぱりいないよ?」
「また?」
 ササラがそう言うと、クレンは読んでいた本を閉じて、小さくため息を吐いた。
「ササラ、悪いんだけど、外の方も探してきてくれる? さっき、スマリの子が遊びに来てたみたいだから」
「はーい。おいで、クッキー」
 机の足もとで、ふてくされたように丸くなっていたクッキーに一声掛けて、ササラは勝手口から表へ出た。ちょっと考えてから、そのまま裏庭の奥へと向かう。うっそうと生い茂った草木が、眩い陽の光に濃い影を落としている。
「さてと、どこにいるのかしら?」
 両手を腰に当てると、ササラは辺りを見回しながら、耳を澄ませた。足もとのクッキーもまた、僅かな音も聞き漏らさじと、ぴんと耳を立てる。隠れ処には事欠かないこの庭から、午前の勉強をほっぽり出したラッセルを見つけ出そうというのである。
 先月から、週の三日は読み書きと魔法を母から教わることになっていた。それまでは週に二日、父に弓を習っていただけだったのが、五歳になるのを機会に増やしたのである。と言っても、午前中だけのこと。週に五日、地理や歴史の学問、それに剣術の稽古をみっちりとやるササラに比べれば、遙かに易しいものだ。
 それなのに、ラッセルと来たら、一ヶ月と保たずにサボるようになったのである。特に魔法の勉強の日は、その傾向が強かった。母に憧れながら、魔法が全く使えないササラにしてみれば、それだけでも腹立たしい。
 とは言え、この庭から探し出すのは大変なことだ。そのことをササラはよく知っていた。なぜなら、ラッセルには口が裂けても言えないことだが、ササラもまた、ここに隠れたことがあるからだ。
 元はガーデニングが好きな祖母ご自慢の、きれいな庭だったのだが、七年前に祖母が他界してからは手入れもおざなりで、子供が隠れる場所には事欠かない。
 なにより、庭には小さなほこらや石橋などの面白いものがたくさんある。格好の探検スポットだ。そして、ご多聞に漏れず、ラッセルもここを気に入っていた。
「ラッセル、隠れてないで出ておいで。私も一緒に謝ってあげるから」
 隠れん坊でよく弟が隠れていたところを、一つ一つ周って行くササラ。と、庭の一番奥、ちょうど銀杏イチョウの巨木がある辺りから、がさがさと葉を揺らす音が聞こえた。吠えようとするクッキーを制して目を凝らすと、ほこら付近の少し開けた場所に向かって、低木が揺れて行くのが判る。
 そーっと近寄り、そこにいる小柄な誰かが青いバンダナを巻いているのを確かめると、ササラはぱっと飛び出した。
「ラッセル!」
 だが、その声に振り向いたのは、薄茶色の毛並みをした狐人スマリの男の子だった。
「……ご、ごめん」
 意気込んでラッセルの名前を叫んだササラだったが、慌てて謝る羽目になった。びっくりして固まる男の子の様子は、どこか怯えているようでもある。
 悪いことしちゃったと頭を下げつつ、彼がラッセルの遊び友達かもしれないと思い直したササラは、駄目元で尋ねることにした。
「ねえ、君。ラッセルを見なかった?」
 スマリの子は小首を傾げた。その様子がなんとなくラッセルに似ている気もしたが、きっと気のせいだろう。姿形はもちろんのこと、気配が全く違う。何より、彼がラッセルならクッキーが黙っているわけがない。
「んと、君と同じくらいの歳で……そう、同じような青いバンダナをしてるんだけど」
 そう続けたササラに、スマリの子は少し考え込むふうであったが、やがて軽く尻尾を揺らすと、首を横に振った。
「そう……。ゴメンね。びっくりさせちゃって。もし、青いバンダナを巻いたトカリの子を見かけたら、家に帰るように言ってくれるかな?」
「……うん」
「よろしくね。行くよ、クッキー」
 一つ吠えて応えるクッキーを連れて、ササラは右手の小道に分け入った。ここじゃないなら、きっと、石橋の近くにいるに違いない。
 一方、スマリの男の子は、彼女の姿が茂みの向こうに消えてもなお、そちらをじっと見つめていたが、しばらくして、くすくすと小声で笑い始める。
 もちろん、彼はラッセルだ。
「へへへ、お姉ちゃんにも、クッキーにも判らなかった。お守りだってしてたのに」
 懐に突っ込んだ手でお守り袋を握り、空いた手で鼻面をかきながら言うと、
「すごいや」
 尻尾を揺らしてぴょこんと跳ねる。そこへ、赤いバンダナを巻いたチターが、別の茂みから顔を出した。
「おーい、何してんだよ」
「実験」
「じっけん?」
「うん。ぼくのこと、誰が最初に気付くかなー、て。でも、誰にもバレなかったよ」
「そりゃそうだろ。ラッセルの変化へんげはかんぺきなんだから」
「へへ」
 そう言われて照れくさそうに笑うと、
「ね、今日はどこに連れてってくれるの?」
 ラッセルは期待に胸を膨らませながら尋ねた。先日知り合った新しいお友達は、ラッセルの知らない面白い場所をいくつも知っている。そして、今日みたいに天気の良い日には、決まってそこへ連れて行ってくれるのだ。
「今日は……そうだな、洞窟探検かな」
「どーくつ?」

 ——わくわく。

「ああ。一本小道がくねくねしてるだけの洞窟なんだけど、突き当たりの池の周りにはヒカリゴケがいっぱい生えてて、とってもきれいなんだぜ」
「わぁ。ねね、早く行こうよ」
 ついつい目を輝かせて急かしてしまう。もっとも、チターの方もその反応を喜んでいるようだったけれど。
「妹たちも来るけどいいよな?」
「もちろん!」
 そうしてラッセルは庭外れの一角、柵の僅かに破れたところから、森の中へと飛び出した。これもみんなにナイショの秘密道。鼻いっぱいに森の匂いを吸い込んで、チターの手を取り、風を起こす。大きな岩をふわりと乗り越えると、すっかり通い慣れた獣道が見えてくる。
 心地良い木漏れ日の下、草を踏みしめながら駆け出す二人。薄茶と黄色。二つのキツネしっぽがたなびいた。

「お月さまとしっぽ」おしまい