星のかけらを集めてみれば - お月さまとしっぽ -

作:澄川 櫂

7.ナイショのげんまん

「そうかそうか、バケバケ草をなぁ」
 フェルトと名乗ったスマリのおさは、ラッセルから一通り話を聞き終えると、興味津々の態で身を乗り出した。
「よく我慢できたな。ヒトの口にはとても耐えられないと思ったが……大したものだ」
 そう言って、ラッセルの頭を軽く撫でる。円座の上にちょこんと座るラッセルは、褒められていると判って僅かにはにかんで見せたものの、ぎゅっと握った両手を膝に置いたまま、変わらず体を硬くしている。
 イグサで編んだ敷物を一面に敷き詰めたその部屋は、ちょっとした集会場くらいの広さがあった。十数人ものスマリの大人達が、思い思いの格好で腰を下ろしている。中には寝そべっている者すらいたが、しっぽを踏みつける心配がないくらい、足の踏み場に余裕がある。ラッセルの部屋なら、とっくのむかしにみんなで立ちんぼだ。
 けれども、見ず知らずの大人達に囲まれてカチコチのラッセルは、そんなことを思う余裕もなく、視線を再び、目の前に置かれたお椀に落とした。
 なみなみと注がれた白い、牛乳のような飲み物が、甘い香りでしきりに誘っている。のどは渇いていたし、牛乳もジュースも大好きだ。それなのに、やっぱり手を伸ばせない。
 困り果てて上目使いに顔を上げると、一人だけロッキングチェアに腰掛けた、スマリの老婆と目があった。わけもなくどきっとするラッセルに、のんびりと椅子を揺らす老婆は微笑んだようだ。
 彼女は傍らのスマリを手招くと、何事か耳打ちした。一つ頷いて、若い女性のスマリが部屋の外へと出て行く。老婆もまた、立ち上がって戸棚を開けた。
「母上……?」
「まったく、大人が寄ってたかって囲んでたんじゃ、かわいそうじゃないか」
 訝しげなフェルトに向かって言いながら、お椀を一つ取り出す。そして、ロッキングチェア脇の丸テーブルに歩み寄ると、ポットを傾け、中身をお椀に注いだ。
 赤いバンダナを巻いた男の子が入ってきたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「ばば様、呼んだ?」
「あ、チター!」
 その声を聞くなり、ラッセルは表情を輝かせた。知り合って間もないとは言え、見知った顔にほっとする。
 チターの方でもラッセルに気付いて、「おう」と応えた。それから、自分の格好をまじまじと見つめるラッセルに、胸元を玩びながら、へへっと照れくさそうに続ける。
「……この服っての、なんかぞわぞわして落ち着かないのな」
「でも、格好いいよ、チター」
「そうか?」
「うん!」
 焦げ茶色の、ちょっとくすんだ色合いの甚平は、黄色い毛並みのチターによく似合っていた。対照的に、バンダナの赤は鮮やかで、良いアクセントになっている。ラッセルは素直に格好いいと思った。
 お気に入りは、自分の青いバンダナだけど。
 格好いいと言われたチターは、くすぐったそうに笑っていたが、実のところ自身でもそう思っていたらしい。それが証拠に、バンダナの間から覗く耳は、ピンと立って誇らしげだ。
 とは言え、それも僅かな間のことで、真面目な表情になるや否や、ラッセルに向かってぺこっ、と頭を下げる。
「ありがとな、ラッセル」
「え?」
「オレ、お前がいなきゃスマリになれなかった。ラッセルはオレの恩人だ。ホントにありがと」
 今度はラッセルが照れる番だった。そんなに凄いことをしたとは思ってないけれど、お礼を言われて嬉しくないはずもない。
「すっかり仲良しだねぇ」
 そんな感じで、二人してにへらしてるところに、ばば様は声を掛けた。手にしたお椀をチターに差し出す。
 途端、チターは顔を輝かせた。
「いいの? やた!」
 お椀を受け取るや否や、白い飲み物を一気に飲み干す。
「……ぷはー、うま!」
 幸せそのものの表情で口にしたチターは、ラッセルの前に置かれたお椀が手付かずなのに気付いた。
「あれ? ラッセル飲んでないの?」
「え? んと、その……」
「ばば様の作るこれ、すっげうまいんだぜ?」
 屈んでお椀を手に取ると、ラッセルの鼻先に向けた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。両手で受け取ったラッセルは、恐る恐る口をつけてみた。
「……おいしい」
 少し酸味の利いたそれは、思いのほかさっぱりしていて、渇いたのどに染み渡っていった。ほのかにシュワシュワとする感じが面白くもあり、爽快でもある。
 飲み干すのはあっという間だった。
「ようやく飲んでくれたわね」
 さも嬉しそうなばば様に、ラッセルははにかみながらも「ごちそうさまでした」と応えていた。ぺこり、と頭を下げる。さっきまでの緊張は、シュワシュワと一緒にどっかに行ってしまったようだ。
「……母上には敵わないな」
「伊達に四十年近く母親をやっちゃいないよ」
 ため息を吐くフェルトに、ばば様はさも当然とばかりに呟くと、狐目を細めた。
「しかし、こうやってみてると、ほんにまあ、クレンによう似とること」
 ラッセルは目をぱちくりとする。
「お母さんのこと知ってるの?」
「ああ、よく知ってるとも。のう、フェルト」
 ばば様がなぜだか意地悪そうに言う。水を向けられたフェルトは、これまたバツの悪い表情で頷くのだった。
「……私がまだキツネだった頃、そう、今のチターと同じくらいか。同じようにヒトの罠にはまってしまってな。そこをクレン——君のお母さんに助けられたんだ」
「ええっ、長が!?」
 と声を上げたのはチターだ。何人かの大人達も、同じように驚いて目を向ける。
「私はそんなに立派なスマリではないよ。傷が深くて、結局、一年も世話になってしまったんだからな」
「したらこの子、見事に惚れよってな。彼女に思い人ができて、結婚して、子供が生まれてもまだ好きときた。自分の毛を織り込んだバンダナをクレンの子達に贈るだなんて、どんだけ未練がましい……」
「母上!」
 フェルトはばば様に最後まで言わせなかった。それでも、周りの大人達は十分に事情が飲み込めたらしく、にやにやと笑みを浮かべている。
 一方のラッセルはと言えば、小首を傾げていた。辛うじて、お気に入りのバンダナをくれたのがフェルトだということは解ったが、それ以外はさっぱりだ。
 でも、それだけでも十分だった。ラッセルは嬉しくなって、フェルトに向かって丁寧にお辞儀する。
「フェルトさん、ありがとう」
「いや……」
「……?」
 再び小首を傾げるラッセル。どうして困った顔をするんだろう?
「のう、ラッセルや。ばばにもスマリの姿を見せてくれんか?」
 が、その疑問を口にするより先に、ばば様が声を掛けてきた。ラッセルは頷くと、その場でくるりと宙返り。薄茶色の毛が全身を覆い、ふさふさの尻尾と大きな三角耳が生える。
 途端、微かなざわめきが辺りを満たす。ばば様も僅かに目を見開いたようだ。
「こりゃ……。まるで、本当に孫ができたみたいだね」
「立派なスマリでしょう?」
 フェルトが嬉しそうに言う。
「この姿なら、お前が入れ込むのも解るよ」
「そんなにいじめないで下さいよ」
「嫌ならさっさと所帯を持ちな」
「厳しいなぁ」
 ばば様の言に苦笑するフェルトは、一つ咳払いをすると、真面目な顔を作った。
「なあ、ラッセル」
 屈み込んで目線を揃える。
「君にお願いしたいことがあるんだ」
「なあに?」
「バケバケ草のこと、誰にも言わないでくれるかな?」
 ラッセルは目をぱちくりした。
「ナイショってこと?」
「ああ」
「お姉ちゃんに言ったらダメ?」
「そうだ」
「お母さんにも?」
「うーん、お母さんは知ってることだけど、やっぱり内緒だなぁ」
「どうして?」
 フェルトは少し考える素振りをすると、
「悪いやつに知られると大変だからね。オオカミがヒトに化けたりしたら困るだろ?」
 オオカミと聞いて、チターが隣で身震いする。ラッセルも嫌な臭いを思い出して、顔をしかめた。確かに、あんなやつに知らない間に近付かれて、後ろからガブリとやられたら大変だ。
 こくりと大真面目な顔で頷くラッセル。それから、ふと思い付いておずおずと口にする。
「……あのね、ぼくのお願いも聞いてくれる?」
「何かな?」
「ぼくがスマリになれること、お母さん達にはナイショにして欲しいの」
 その言葉に、フェルトは目を瞬かせた。
「どうしてだい?」
「えっと、この姿なら、家を抜け出すのが簡単そうだから。だってお母さん、勉強しないと遊びに行っちゃダメって言うんだもん」
 ラッセルがそう言って口を尖らせるや否や、フェルトは大笑いした。きょとんとするラッセル達に構わず、ひとしきり笑い転げる。
「そうか、あのクレンがなぁ」
 さも愉快そうに顔を綻ばせると、
「分かった。お母さん達には内緒にしよう」
「ホントに?」
「ああ、約束だ」
 言って、小指を差し出す。ラッセルは顔を輝かせると、迷うことなく自分の小指を絡ませた。
「さてと。今日はこれからチターのお祝いなんだが……どうする? 夕飯を食べて行くかい?」
「——あ! お母さんに怒られちゃう!」
 夕飯と聞いて、ラッセルは飛び上がった。「夕飯までには帰ってきなさい」と、いつもうるさく言われている。ここに着いたときにはもう、暗くなっていたから、夕飯の時間はとっくに過ぎてるだろう。
 が、顔が青ざめるより先に、お腹がグゥ〜と鳴いた。夕飯と聞いて、腹の虫が騒ぎ出したようだ。そう言えば、今日はおやつを食べてなかったっけ。
「ええと……」
 怒られるのは嫌だけど、さりとてお腹はぺこぺこだ。
 どうしようかと迷っていると、フェルトが助け船を出してくれた。
「だったら、帰りは私が家まで送っていこう。今日のことは、私からお母さんに話してあげるから。それなら心配ないだろう?」
「ホント?」
 ラッセルの顔が輝く。
「ああ」
「ありがとう!」
「いやいや、礼を言うのは私らの方だ」
 お辞儀しようとするラッセルを押しとどめると、フェルトは深々と頭を下げた。
「我が一族の者を救ってくれて、本当にありがとう」

「ラッセル、また遊びに来いよな!」
「うん! チターも遊びに来てね」
「おう!」
 勢い良く右の拳を挙げるチターに、尖耳人トカリ姿のラッセルは、大きな獣の背にまたがって、満面の笑みを返した。
「そろそろ行こうか」
 茶色い九尾の大狐は、背中のラッセルにフェルトの声で呼びかけた。三日月形の白い前髪が、月光に映える。
「振り落とされないよう、しっかり掴まってるんだぞ」
 頷いて、ラッセルが背中の毛をぎゅっと握るのを確かめてから、フェルトは大地を蹴った。力強い躍動は瞬く間に彼を、一陣の風に仕立て上げる。
 森の木々の合間を疾走する背中で、あまりの速さにまぶたを閉じ、顔を伏せていたラッセル。かさかさと枝を揺らす音が聞こえなくなったところで、恐る恐る目を開けてみる。と、そこへ飛び込んできた光景に、ラッセルは先程までの怖さも忘れて上体を起こすと、歓声を上げるのだった。
 ぽっかりとお空に浮かぶ、まん丸のお月様。それも、二つ並んでこちらを見つめている。溢れるばかりの銀光が辺りを鈍く照らし出し、まるで昼間のように明るい。
 陶然と見とれるラッセルの様子をちらりと見やったフェルトは、
「少し寄り道しよう」
 ふと思い出したように向きを変えた。水辺に沿って平地を少し進むと、急な崖の斜面を一気に駆け上がる。
 そうして開けたところに辿り着くと、その先端付近で歩みを止めた。背中のラッセルに降りるように言うと、鼻先で先に進むよう促す。
 一つ首を傾げながらも、崖の縁近くまで歩いたラッセルは、眼下に広がる景色を見るや否や、言葉を失った。
 月明かりを受け、一面に蒼い光を湛えた湖。その真ん中にぽつりと位置する島を挟んで、大きな二つの満月が湖面に浮かぶ。水面の照り返しに、湖畔の木々も淡く輝いて見える。
「……きれー」
 しばらく呆然とそれを見つめていたラッセルだったが、不意に振り向くと、興奮を抑えきれない様子で声を弾ませた。
「凄いね!」
「だろ? ここは月を見るのにとっておきの場所なんだ」
「きれいだねぇ」
 再び湖面に視線を戻すラッセル。波間を横切る光に気付いて、ぱっと空を振り仰ぐと、一条の帚星が月の間を流れていった。
「わぁ……!」
「——そうしていると、本当にクレンにそっくりだな」
 月明かりの下で、目を輝かせながら星空を見上げるラッセルの様子に、フェルトは目を細めた。
「そうかなぁ」
 フェルトの言葉に、ラッセルは疑わしげに首を傾げる。
「だってお母さん、ぼくのこと怒る時、いつも『いったい誰に似たんだろう』って言うよ」
「間違いなく君は、お母さん似だよ」
 口を尖らせるラッセルに、フェルトは笑いながら言うと、
「勉強が嫌で家を抜け出すところなんかは特にな」
 と続ける。
「……?」
「君のお母さんがまだ子供だった頃、よく抜け出す手伝いをしたもんだ」
「ええっ? お母さんが?」
「ああ。そりゃもう、毎日のように。そんなクレンが教育ママとはなぁ」
 さも愉快げに語ったフェルトは、そこで拝むようにひょいと頭を下げると、片目を瞑って見せた。
「……私がこれを言ったこと、お母さんにはくれぐれも内緒にな」
 きょとんとしていたラッセルも、これにはつられてクスクスと笑い始める。
「ナイショがいっぱいだね」
「そうだな」
 笑って応えると、
「それじゃあ、行こうか」
 フェルトはラッセルを促した。風に乗って、ふわりと背中にまたがるラッセル。もう一度、湖の光景を目に焼き付けると、茶色の毛をぎゅっと握る。
 それを合図に、フェルトは再び風となって、ラッセルの家を目指して駆けていった。