星のかけらを集めてみれば - お月さまとしっぽ -

作:澄川 櫂

6.スマリの村の長

「……暗くなっちゃったね」
 木々の合間を風に乗って飛んで行くラッセルは、ふと辺りを見渡して、ぽつりと言った。稜線が僅かに赤く色づいているものの、目を細めるような眩しさはなく、少し肌寒くなった空気が心細さを誘う。こんな時間に森にいるのは滅多にない。
 が、不安そうな表情を見せたのも束の間、すぐに明るい声で続ける。びっくりするような体験に、彼の心は弾んでいた。
「でもね、不思議なんだ。いつもよりよく見えるの。なんでだろ?」
〈お前さぁ……〉
 かばんからちょこんと出した顔を上げるチターは、狐人スマリ姿のラッセルに何事か言いかけたが、
〈……ま、いっか〉
 思い直したように首を振る。
〈それより、もっと暗くなんだろうから〉
 言って、念じるように目を伏せるのだった。直後、青白い炎のようなものが三つ、ラッセルの周りに浮かんで明かりを灯す。
 大きさはいずれも彼の握り拳くらい。一個は顔のすぐそばにあったが、不思議と熱くも怖くもなかった。むしろ月明かりにも似て、どことなくほっとするものがある。
「すごーい。何? これ」
〈狐火って言うんだ。俺たちが生まれたときから持ってる力。一応魔除けなんだけど、提灯代わりにもなっから〉
「ふーん……。ぼくにも出せるかな?」
〈え?〉
 唐突に訊かれて、返答に困るチター。
〈さ、さぁ……〉
「ねえ、どうやるの?」
〈どうって言われても、意識したこと無いからなぁ。単に念じるだけで〉
「……魔法使う時みたいに、頭に絵を描けばいいのかな?」
 枝を蹴りながら小首を傾げると、ラッセルは目を閉じた。チターの出した狐火の姿を、頭の中で思い描いてみる。
 すると——。

 ポウッ……

 四つ目の狐火が、ラッセルの頭上に灯火を上げるのだった。
〈……!?〉
「できた!」
 目を丸くするチターをよそに、歓声を上げるラッセル。その瞬間、集中が途切れたのか、体を支える風が姿を消した。
「わわっ!」
 がくん、と落下する感覚に、慌てて手近な枝にしがみつく。間一髪! ラッセルは、ちょっと手を痛くするだけで落ちずに済んだ。
〈はぁ〜……。心臓に悪ぃなぁ〉
「……まだ一緒にやるのは無理みたい」
 枝にぶら下がった格好のまま、照れ笑いを浮かべるラッセルは、気を取り直して風を起こした。小さな体が舞うようにして浮き上がり、キツネの尻尾を揺らしながら、軽やかにとん、と枝に降り立つ。
 再び、枝から枝の道中に戻った一人と一匹。
〈あ、そこ左な〉
 もうすぐ街道に出るというところで、チターがやおら指示を出した。
「え? スマリの村って、こっちだよね?」
〈あそこは商売用なんだ。住んでるところはもっと奥〉
 釈然としないながらも、言われるままに左に折れたラッセルは、眼前に広がる光景に、ほどなく納得するのだった。
〈ほら、灯りが見えるだろ?〉
 チターが言うように、狐火に似た淡い光が、木々の合間に見え隠れしている。何より美味しそうな匂いが、つんと突き出た鼻腔をくすぐっていた。グゥと鳴く腹の虫。
〈ちょっと行くと広場があるから、そこに降りてくれるか?〉
 笑いながら頼むチターに、ラッセルは顔を赤らめながら頷いた。

 突然空から舞い降りた、見慣れぬ同族の子供の姿に、居合わせたスマリ達は揃って煙に包まれた表情を見せた。色取り取りのバンダナ頭が、呆然とその姿を見つめる。
 けれども、肩にかけたかばんから飛び降りる子狐を目にするや、ふくよかな一人の女性が、遠巻きにする人々の間から飛び出してくるのだった。
「チター、あんた、無事だったんだね!」
〈母ちゃん!〉
 大きく両腕を広げたその女性の胸元に、チターは勢い良く飛び込んでいく。
〈ただいま! 母ちゃん〉
「全く、この子ったら。あんまり帰りが遅いから、みんな心配してたのよ? おまけにこんな傷まで作って……」
 胸元の白い毛にしがみつき、深く顔を押しつけるチターの頭を、彼女はさも愛おしげに優しく撫でた。チターもまた、心底嬉しそうに、目を細めて短く鳴く。
「でも、その様子じゃ、上手く行かなかったのね」
 ひとしきり撫でてから、両手でチターを抱え上げる彼女は、幾分、残念そうに言った。その言葉を耳にした途端、チターは母親の手の間からするりと抜け出すと、得意げに胸を反らせてみせるのだった。
〈へへん、見て〉
 足の痛みもすっかり忘れ、くるんと大きく一回転。瞬く間に、彼の姿はスマリのそれに転じている。
「おおっ」
「チター、やったんだな!」
「おめでとう! チター」
 これには村人の誰もが、口々に祝福の声を上げた。彼の母もまた、目を見開くのも束の間、スマリに変わった我が子を全身で抱きしめ、しきりに頬を擦り寄せる。
「……もう、びっくりさせて。いったい誰に似たのかしら?」
「へへ、半分はあいつのおかげなんだけどな」
 さすがに照れくさくなったのか、チターは右手で鼻の辺りを擦ると、ラッセルを指差した。一同の視線が、唯一、薄茶色の毛並みを持ったスマリの子供——ラッセルに向けられる。
「……あ。えっと、その」
 何人もの大人達に見つめられて、思わずしどろもどろのラッセル。それでもほどなく、自分を見つめる視線が自身の姿以外に向けられていることに、彼は気付いた。
 一同の視線は、ラッセルが頭に巻いた、青い狐柄のバンダナに向けられている。
「あの……」
 彼が心底困惑した表情で口を開きかけたとき、
「おー、チター、戻ったか。無事に儀式をこなしたみたいで何よりだ」
 通りの良い、張りのある声が、辺りに響いた。スマリの大人達が揃って居住まいを正す。
おさ——!」
 現れたのは、長身で精悍な面立ちをした壮年のスマリだった。今のラッセルほどではないが、茶色かかった毛並みは黄色を基本とするスマリには珍しい。なにより三日月形に生えた白い前髪が、そこだけメッシュを入れたように映え、子供心にも印象的だ。
 長と呼ばれたそのスマリは、慌てて挨拶しようとするチターに「構わんよ」と声を掛けると、その肩をぽんと軽く、両手で叩いた。
「やったじゃないか」
 まるで我が事のように、顔をほころばせて喜ぶ様子からすると、見かけと違って優しい人のようだ。それでラッセルもほっとしたのだったが、視線があった瞬間、どきっとなる。
 長の目が怪訝そうに、真っ直ぐにこちらを見つめている。
「君は……?」
 言いながら、ラッセルに歩み寄る長。彼のバンダナに目をやると、次いで、頭のてっぺんからつま先までをゆっくりと見やる。そして同じように、今度は目線を上に戻して、ラッセルの瞳をひたと覗き込んだ。
 どぎまぎするラッセルをよそに、少し考え込むふうだったが、そのうちに、何かに気付いたように目を見開くと、
「——ひょっとして、君は、元はキツネじゃないんじゃないかな?」
 と尋ねるのだった。その言葉に、辺りの空気がざわっと揺れる。
「……あ。んと」
 しどろもどろのラッセルは、困り果てて思わずチターを見た。チターもまた、困った顔で耳を伏せると、首を横に振ってみせる。
 その様子に、もうごまかせないと悟ったラッセルは、諦めてその場で一回転した。狐の耳と尾が消え、ラッセルの姿が瞬く間にトンガリ耳で毛のない二本足——尖耳人トカリに戻る。
 その時の周囲の驚きようと言ったら、先ほどの長の言葉の比ではない。だが意外にも、彼等の長は驚くより先に、大きな声で笑うのだった。
「まさかとは思ったが、やっぱりそうだったか」
 いかにも愉快で仕方ない、といった感じで目を細めると、チターを褒め称えたとき以上に緩んだ表情で、ラッセルに微笑みかける。
「君、ラッセルくんだろ?」
 今度はラッセルが驚く番だった。さっきまでの緊張もどこへやら、きょとんと目を瞬かせる。
「……どうしてぼくの名前、知ってるの?」
 その反応に嬉しそうな笑みを浮かべる長は、優しくラッセルの手を取ると、一同を促しつつ、自らの屋敷へと案内するのだった。