星のかけらを集めてみれば - お月さまとしっぽ -

作:澄川 櫂

1.森の出会い

 その輝きに魅入られるように、彼はまだ幼い右の手を目一杯伸ばした。尖耳人トカリに特有の、やや先の尖った耳。青いバンダナが映える、薄茶色の髪。さらりとした前髪の下で、金色の瞳が好奇心を満面に讃えてその姿を映し出す。
 ほのかに赤みを帯びた半透明のかけらは、まるで彼の小さな手を待っていたかのように、陽の光を浴びて穏やかに輝いた。柔らかな掌に心地良い温もりを伝える。
(わぁ……)
 不思議な石を手にしたラッセルは、五歳になったばかりの顔を文字通り輝かせるのだった。
(これ、お母さんにあげたらよろこぶかな?)
 誕生日のプレゼントに貰ったバンダナに手をやりながら、そんなことを思う。コミカルな狐顔が一面にちりばめられたバンダナは、さっそく彼の宝物だ。
 わくわくしながら、半透明の不思議な石をズボンのポケットに仕舞い込む。彼の気分そのままに、風が舞う。ふわりと浮き上がる感覚。
 と、足もとから彼の名を呼ぶ声が聞こえた。何? と顔を向ける。瞬間、集中が途切れた。
「わっ!?」
 風の支えを失った小さな体が、大地の力に引き寄せられる。咄嗟に枝に腕を伸ばすが間に合わない。真っ逆さまに落ちる背中の矢筒から、転げ出る木製の矢。灰褐色の矢羽根をちらつかせながら、ぱらぱらと藪に降り注ぐ。
 幹の中程と言っても、壮年の赤杉セコイアは五〇メートルを優に超える。普通なら、到底無事では済まない高さだ。
 だが、両腕を広げて踏ん張るラッセルの体は、勢い良く舞い上がった風に支えられて、宙にあった。
 恐る恐る目を開けた彼は、自分が浮いているのを知って、ほっと胸を撫で下ろした。そして、今度はゆっくりと降りて行く。
「……あー、びっくりしたぁ」
 赤茶けた地面に降り立ち、風の衣を解いたラッセルは、そう言ってもう一つ胸を撫で下ろすと、足もとに駆け寄る小さな影に向かって声を掛けた。
「もう、急に話しかけないでよ、クッキー。ぼく、まだ下手なんだから」
「クゥ〜ン……」
 クリーム色のふわふわした毛に覆われた小動物が、申し訳なさそうに赤い瞳を伏せる。
 大きさは、五歳のラッセルが胸元に抱き抱えられる程度。一見するとただの子犬のようだが、その背中には細長い羽ともひだともつかないものが生えている。なかなに愛らしい姿ではあるものの、歴とした魔犬の子であるらしい。
「よっと」
 ずり落ちかかっていた短弓と矢筒を背負い直すと、ラッセルは辺りを見回して、小さくため息を吐いた。
「……あーあ、散らばっちゃった」
 本数はさほどでもないとは言え、結構な高さから落としてしまっただけのことはあって、ものの見事に、広範囲に渡って散らばってしまっている。藪の隙間に潜り込んだものもあるだろうから、拾い集めるだけでも一苦労だ。
 とりあえず、手近に落ちていた二、三本を拾って矢筒に放り込む。と、足もとの魔犬が、ハーフパンツの裾を掴んで引っ張った。
「なぁに、クッキー?」
「ワウ!」
「……え?」
 せき立てるようなクッキーの吠え声に、ラッセルが目を丸くする。
「だれが泣いてるの?」
 だが、魔犬の子はその問いに答えることなく、森の奥へと歩いて行く。彼を促すように、振り返り振り返り。
 名残惜しそうに矢の落ちた辺りを見やったラッセルは、諦めたように大きく一つ息を吐くと、その後を追いかけるのだった。

 茂みの中で一匹の子狐がもがいていた。黄色い体を一杯に伸ばして、懸命に抜け出そうとする。が、何度目ともしれない努力も空しく、左の後ろ足を咥える鉄の口は、ぴくりとも動かない。
 皮の剥ける痛みにたまらず声を上げると、全身の力がふいっと抜けた。肩で息をし、先の白い尻尾を苦しげに動かしながら、咥えられた後ろ足を恨めしく見やる。滲み出る血の量が増えただけで、鉄の口は相も変らず、しっかりと足に食い込んだままだ。
〈ちくしょう。こんな時にヒトの罠にかかっちまうだなんて〉
 泣きそうな顔で天を仰ぎ見る。お日様はとうに中天を通り越し、昼から夕へ移ろうとしている。
〈今日がダメだと来年になっちまう……〉
 慌てふためく彼は、再び抜け出そうと試みたが、消耗しきった体には、思うように力が入らなかった。
〈くっそー……〉
 ぺたんと体を横たえる。その時、彼の大きな耳は、こちらに近付いてくる複数の足音を捉えていた。
 一つは、彼と同じくらいの大きさの四本足。もう一つは、
〈——二本足ヒト!〉
 彼の表情が凍り付く。
 トントンと軽い調子はたぶん、子供のもの。それでも、彼より大きい相手であることに変わりはない。こんな所を見つかれば、一体なにをされることか。
〈来るな、こっち来るな〉
 出来るだけ体を小さくして、切に願う。が、そんな彼の祈りも空しく、青いバンダナを巻いた男の子が姿を見せるのだった。

「——あ!」
 うずくまる子狐を見つけたラッセルには、クッキーの言う泣き声の主が彼だとすぐに分かった。ウサギ用の罠に挟まれた後ろ足から、真っ赤な血が滲んでいる。
 大昔に仕掛けられて、ずっとそのままだったのだろう。鉄製の歯は、びっしりと赤錆に覆われている。
「大変!」
 錆びた刃物で作った傷はすぐに洗いなさい、と、父から繰り返し教えられている。威嚇する子狐に構わず、彼は罠を外しにかかった。
「じっとしてて」
 一声かけてから、罠の端を掴んだ両手に力を込める。子狐にも彼のやろうとしてることが判ったようで、警戒しながらも、大人しく様子を伺っている。
「う〜ん……」
 渾身の力を振り絞るラッセル。子狐の足を咬んだ歯が、僅かに開く。その瞬間を子狐は見逃さなかった。
 圧迫感が消えると同時に、跳ぶようにして足を抜く。ワン! と響くクッキーの声。それを合図に、ラッセルは罠を掴んだ手を放した。

 バチンッ!

「わわっ」
 勢い良く閉じられる罠の音に驚いたラッセルが、コテッとひっくり返る。一方の子狐。すぐさまその場を逃れようとしたが、足の痛みに耐えかねて、二、三歩進んだところで再び蹲ってしまった。
「あ、ダメだよ。ちゃんと洗わないと」
 窘めるように言うと、ラッセルは起き上がって、携えていた水筒を手にした。うずくまる子狐に歩み寄ると、かがんで傷口を洗ってやる。
「ちょっと待ってね」
 ひとしきり流し終えたところで、彼はそう言うとポケットをまさぐった。代わって、クリーム色の魔犬がぺろぺろと足の傷をなめ始める。やがて、目的のもの——ハンカチを見つけたラッセルは、
「もういいよ、クッキー」
 言って、連れの頭にポンと手を置く。意を酌んだ魔犬の子が顔を離すや、ハンカチで傷口を縛るのだった。慣れない手つきだったけれど、傷口はきちんと覆われ、止血も大丈夫そうだ。
「立てる?」
 心配顔で尋ねるラッセルに、子狐はゆっくりと四肢を立てた。痛めた左の後ろ足を庇う様子だったが、立ち上がる分には平気なようである。
 ほっとするラッセルの顔を、子狐はしげしげと見上げた。不思議そうに小首を傾げたのは、ラッセルの青いバンダナの図柄に気付いたからか。
 しばらくそうして、彼を見つめていた子狐だったが、
〈……ありがとな〉
 ひょいと頭を下げてみせるのだった。
「どういたしまして」
 その仕草に、子狐の言わんとするところを知ったのか、ラッセルはにっこりと笑って応える。が、すぐに真面目な表情に戻ると、続けて言った。
「でも、ちゃんとしたお医者さんに、早く診てもらった方が良いよ」
〈ダメだ。今日中に見つけないと、俺……〉
「今日中に……て。そんなに慌てて、何を探してるの?」
〈何って……〉
 言いかけた子狐が、口を半分開いたままの格好で、不意に固まった。一呼吸置いて、がばっと顔を見上げると、探るような視線で、まじまじとラッセルを見る。
〈……お前、ひょっとして、俺の言葉が分かるのか?〉
「うん。ねー、クッキー」
 事も無げに応えたラッセルは、そう言って、傍らの魔犬に振った。その通りとばかりに、吠え声が一つ、返ってくる。
「ぼく、ラッセル。こっちは友達のクッキー。きみは?」
〈……チター〉
 にこにこ顔を寄せる二本足ヒトの子供の、喜色溢れる雰囲気に呑まれて、おずおずと名乗る子狐。ぺたんと尻を着ける彼の困惑など知らず、ラッセルは前足の片方を掴んで握手。
「よろしくね、チター」
 なされるがままの彼に、ラッセルは満面の笑みを浮かべた。