ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

39.星に呼ぶ声

「どうした? アルバート」
 その問いにデュランはようやく顔を上げた。カタパルトデッキへと引き出されるデードリットのメインカメラが、ハンガーから艦外へと移動する見慣れた景色をコクピットに映し出している。その正面右手に投影されたサブウィンドウで、ステファンが怪訝そうに彼を見つめていた。
「気分でも悪いのか?」
「ん……? ああ、いや、何でもない」
 若干の間を置いて応えたデュランは、手にした写真をいつものようにコンソールパネルの下に貼り付けると、グリップを握った。出撃を告げる警報音が、その緩慢な動作に合わせるかのように、彼の耳で次第次第に大きくなる。イスマイリア以下のティターンズ主力艦艇を遂に捉えたのだ。
「……そうか。今度こそ決めようぜ」
 デュランの様子を万感胸に迫ってのことと解釈したのだろう。ステファンは静かにそれだけを言った。
「ああ」
 こちらも呟くように言って、フットペダルを踏み込むデュラン。軽い振動と鮮やかな輝きを残してデードリットが射出される。
 それはもう幾度となく目にしてきた光景である。だが、ゼロのコックピットで見送るリサの目には、ひどく覇気のないものに感じられた。あるいは先の戦闘から帰還した直後の、憔悴しきったデュランの表情がそう思わせるのかもしれない。
「大尉……」
 うつむき加減につぶやくと、出撃シグナルに合わせてゼロを発進させるリサ。すぐさま戦闘機形態へと転じるその姿もまた、どこか俊敏さを欠くようであった。

 廃棄コロニーをゼダンにぶつけるというエゥーゴの戦術は、まさしく効果的であった。直接的な戦果という点ではあまり意味をなさなかったかもしれないが、ティターンズ将兵に与えた心理的な影響は、計り知れないものがある。
 迫り来るコロニーの脅威を逃れ、各個にゼダンの宙域を脱したティターンズの部隊に、もはや組織としての戦闘力は無かった。散り散りとなった兵力を繋ぐ術は無く、たまたま居合わせた者同士が個々に小さな集団を作り、最後の反撃を試みるばかりである。
 これに対するエゥーゴ側の行動は、執拗であり、狡猾であり、残酷だった。彼らは艦隊をいくつかの小艦隊に分け、それぞれがペアを作って残存部隊を追った。先に見つけた方が囮として見せかけの攻撃を行い、もう一方が別方向から仕掛ける。浮き足立つティターンズの小部隊を取り囲んで殴殺するのである。
 いや、殴殺と言うには語弊があるかもしれない。なぜなら、エゥーゴ部隊は目標の移動力と幾ばくかの戦闘力を奪った時点で、それを捨て置いて行くのだから。捕虜を取るつもりは毛頭なく、負傷者の収容さえ明確に拒んだ。正規軍に知らせるからその救助を待て、とだけ告げて。彼らは実際に正規軍の周波数で座標を流していたが、正規軍の了解を待つことはしなかった。文字通り形式的な対応をしているにすぎない。言外に死ねと言っているようなものだ。
 もっとも、救いの手をさしのべる余裕も無いのが実情だった。ティターンズ残存部隊ほどではないにしろ、エゥーゴの戦力にも限りがある。掃討戦展開直前の補給が実質的最後の補給である以上、早々にケリをつけなければならない。鉄の塊に構っている暇は無いのだ。
 それはイスマイリア以下の残存部隊主力艦艇に対しても同様であった。モビルスーツ隊に向かって戦端を開いたのは、パレット少尉指揮するメタス、ディテクター等の支援機と一部ネモ隊であり、ディアス隊を中核とする主力攻撃陣は一も二もなく艦艇に殺到した。
 旗艦イスマイリアが轟沈するのは、戦闘開始後、ほどなくのことである。
「ぐ……」
 フェンリルのキボンズは、対峙するゼロとグレーのディアスを前に、口惜しそうに呻いた。この二機のコンビは前日の戦闘でも彼の相手を務めている。機動性に優れるゼロを前面に出し、要所要所をディアスが締めるという戦法は、彼の足を止めるには十分であったが、それ以上の効果があるわけではない。
 前回の戦闘結果から、そのことはエゥーゴの側でも承知しているはずである。にもかかわらず、前と同じ組み合わせで臨んだのは、フェンリルを足止めの対象としてしか見ていないからだろう。
 腕に覚えのあるキボンズにしてみれば面白くない話である。相手がガンダムタイプであることが、唯一の慰めであった。
 いや——。彼は思い直したように小さく笑った。
「今となっては天恵か」
 脇をかすめてゆくアーマー形態のゼロを見やって、呟く。
 ティターンズ再興の夢を捨て、打倒ガンダムを改めて誓ったキボンズであったが、それでもまだ未練があった。可能な限りの部隊を集結させ、エゥーゴ艦隊と正面からやり合いたいと考えていた。故の苛立ちである。
 だがどうだろう。彼の構想の中核をなすべきイスマイリアは、エゥーゴのモビルスーツ部隊の猛攻を受けてあっけなく沈んだ。残る二艦もいずれ同様の結末を迎えるに違いない。戦死したロッコに代わってモビルスーツ隊を指揮していたクーパ機の姿も、いつの間にか消えている。
 結局、彼にはガンダムを倒す以外の道がないのである。となれば、相手が昨日と同じというのは、むしろ好都合ではないか。
 ガンダム——ゼロは目の前にいる。
「えっ!?」
 急旋回するフェンリルの動きに、フィルは戸惑いを隠せなかった。前回戦った経験から、彼はフェンリルのパイロットを「機体を大切にする人間」と判断していたのである。被弾を気にせず突っ込んでくるとは思いも寄らない。
 最初のサーベルの一撃こそ防いで見せたものの、続く隠し腕の変則的な攻撃に、フィルは手も足も出なかった。
「うわっ!」
 腹部を殴られたディアスが一瞬にして吹き飛ばされる。フィルにとって幸運だったのは、キボンズの意識がゼロに集中していたことだ。でなければ、彼の機体は隠し腕にあるもう一振りのサーベルによって、切り裂かれていたことだろう。
 目障りなディアスを押しのけて、フェンリルの黄色い巨体がゼロに迫る!
「フィル!?」
 言いかけたリサが慌ててゼロを人型に戻す。だが、サーベルを持たせようとして、彼女は躊躇った。隠し腕に飛ばされたディアスのことが頭にあったからだ。
 その一瞬の迷いが仇となった。ゼロがサーベルを抜くよりも早く、フェンリルの逞しい腕が彼女の肩を鷲掴む。
「聞こえるか! ガンダムのパイロット」
「……!?」
 接触回線を通して響く声に、斬られるとばかり思っていたリサは、驚くより先に唖然とした。まさか戦闘中に敵のパイロットから話しかけられようとは夢にも思わないから、当然だろう。
 そんなリサの戸惑いなど気にかける様子もなく、キボンズの声は続く。
「我々は負ける。だが、それはガンダムがエゥーゴにあったからではないぞ」
「なに……?」
「それを今から証明してみせる!」
 言うやフェンリルは、ゼロを突き放してライフルを構えた。咄嗟にフットペダルを踏み込むリサ。至近からの一撃を紙一重でかわしたゼロの姿に、キボンズはコックピットで快哉を叫んだ。
「それでこそガンダムだ!」
 親友の裏切り。敬愛する上官の死。そして敗北。そんな屈辱まみれの戦場にあって、彼は今という時間をパイロットとしての誇りに注ぎ込もうとしていた。これという強敵を己の武勇を持って打ち倒す。それだけを思っている。
 一年戦争において最強の名を欲しいままにした伝説のモビルスーツ、ガンダム。その系統に属する機体であれば、相手にとって不足はないだろう。現に狙って撃った至近からの一撃を、眼前のゼロは難なくかわしてみせた。
 実際には辛うじて避けられたと言うのが正しいのだが、キボンズはそうは見ない。相手が自分の見込んだとおりの使い手と知って、喜んでいる。故の言葉だ。
 一方、
(そんなことで戦うの?)
 機体を小刻みに動かすリサは、相対するフェンリルを睨み付けていた。
 目の前でライフルを撃ち鳴らす機体のパイロットは、リサに向かって「ガンダムに敗れたわけではない」と言った。その証として彼女を、ゼロを倒すと。男の意地とでも言うのだろうか。
 リサにしてみれば迷惑きわまりない話である。そして腹立たしかった。
 彼女の脳裏には、戦闘に巻き込まれて散っていったシャトルの姿があった。両親との別れの瞬間であり、デュランとの出会いのきっかけともなったその事件は、当時“月の死神”とあだ名されたデュランに挑んだ、ティターンズの一パイロットが引き起こしたものである。
 つまらない功名心が生んだ惨劇。それは肉親を奪われたリサばかりでなく、間接的な加害者となってしまったデュランの心にも、暗い影を落としている。

 ……正直、虚しかったよ

 呟くように口にしたデュランの沈みきった表情——。
「そんなことで……そんなことで……」
 こみ上げる怒りが肩を震わせる。
「そんなくだらないことで、大尉を、みんなを悲しませないでよ!!」
 力の限りに叫ぶリサ。瞬間、ゼロは応えた。
 アーマー形態に変わると同時に火を噴くビームカノンの閃光が、ライフルを握るフェンリルの右腕を吹き飛ばす。
「何っ!?」
 急に敏捷さを増したゼロの動きに、驚きを隠せないキボンズ。その眼前で、ゼロはバックパックを展開させると、四基のミサイルを放出した。無造作に漂うミサイルが、ゆっくりとその頭部をフェンリルに向ける。
「こいつは——!」
 まるで獲物を確かめるかの如く、一呼吸おいてから加速する様に、彼は慄然とした。
 ワイヤーアームで牽制しつつ、隠し腕にシュツルムファウストを握らせる。ビームを器用に避けながら迫るミサイルに向けて、それを放つ。放ったところをワイヤーアームで狙い撃つ。
 ゼロの放ったミサイルは、明らかに意志を持っていた。恐らくはパイロットのものだろう。そういった兵器の噂をキボンズは知っている。だとすれば、まともに狙ったところで到底防げるものではない。
 貫かれたシュツルムファウストの弾頭が、瞬時に爆風と化す。その暴風にさらにグレネードを叩き込むキボンズ。ゼロが放ったミサイルの誘爆を試みたのだ。
 だが——。
「なっ!?」
 ワイヤーアームの片方を砕かれたキボンズは、続けて爆煙を突き破る三つの光跡に目を剥いた。一つとして欠けることなく嵐を乗り越えたミサイルが、リサの強い想いそのままに、フェンリルの上半身めがけて殺到する!
 炸裂するミサイル。人型に戻るゼロがサーベルを抜き、ツインアイを煌めかせる。
「たぁぁぁぁっ!」
 ゼロのテールノズルが眩いばかりの光を放った。自身の、そしてデュランの幸せを奪ったティターンズ。追い込まれてもなお、戦いを止めようとしない彼らの理由に、リサの心は猛った。
 彼女の目に映るフェンリルは、あまりに身勝手なティターンズのエゴそのものだ。リサはそれを憎むと同時に、打ち壊してしまいたいと強く願った。彼女の脳裏に浮かぶ、鋭く伸びる一条の矢。ビームサーベルを握りしめ、ゼロの機体が加速する!
 それを正面に見据えるキボンズは、割れたバイザーの下で血にまみれた唇を僅かに歪ませた。三基のミサイルをまともに食らったフェンリルである。無惨な外観を晒すばかりのマシンには、もはや避ける術があるとも思えない。観念したのだろうか。
 いや、そうではなかった。キボンズはこの時、確かに笑っていた。自らの勝利を確信して。
 彼の視線は半分だけ生き残ったディスプレイの、ただ一点を見つめていた。サブウィンドウに投影されたそれは、ワイヤーアームの照準器が捉えた映像である。そう、彼は自らが傷つくことと引き替えに、切り札であるワイヤーアームの一本を残したのだ。
 むろん、火器管制システムそのものが致命的なダメージを被る可能性は高かった。そうなれば文字通り手も足も出なくなる。だがそれでも、キボンズはあえて攻撃を受ける道を選択した。
 ゼロのミサイルが見せた不可解な動き。砕かれたワイヤーアームは、爆煙を突き破ってくるであろうゼロを狙った、まさにその瞬間をやられた。まるで彼の殺気を感じていたかのような、そんな動きだった。だからキボンズは、後続のミサイルを撃たなかった。結果、相手を一撃で倒しうる武器を手中にしている。
「——そうだ、ガンダム」
 急速に迫る機影に向かって、静かに口を開くキボンズ。
「全力で俺を倒しに来い。だが、最後に勝つのは……!」
 照準器が赤く色づく。ロックオンを告げる短いビープ音。トリガーにかかる指に力がこもる。キボンズが会心の笑み浮かべた、まさにその時——。
 疾駆するフィルのディアスがワイヤーを裂いた。支えを失ったアームは宙を舞い、あらぬ方向に光を発する。迸るビームの光芒に照らし出されるゼロ。その瞳が再び鮮やかな輝きを放った瞬間、灼熱の刃は黄色い巨体を貫いていた。
 サーベルを離してゆっくりとゼロが離れる。まるですがろうとするかの如く、ゼロに向かって腕を伸ばすフェンリルの機体は、やがて内から膨れて火球へとその身を転じて行く。
「やった……」
 大きく息を吐いて漏らすリサ。

 その時、デュランは誰かに呼ばれた気がして振り向いていた。ひときわ鮮やかな閃光の、徐々に消え行く様が目に映る。
 それはモニカであり、フリッツであり、あるいはミハイルであったかもしれない。誰のものであるか、また、なんと言っているのかさえ定かではない声。だが彼の耳には、確かに自分を呼んでいるように聞こえた。
 砕け散るフェンリルの放つ光が消えてもなお、声の聞こえた方角を見続けるデュラン。星々の瞬きは、十年前と変わらずそこにあった。

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