ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

終 ゼロの軌跡

「エゥーゴ艦隊、捕捉しました」
「各艦に通達。第一戦闘配置」
 地球連邦宇宙軍第三次討伐艦隊旗艦、ラ・ホール艦橋。オペレーターより報告を受けた艦隊司令兼艦長のパトリック・コスター大佐は、物憂げな顔で静かにそう命じた。艦内に警報が鳴り響き、ブリッジの様子がにわかに慌ただしくなる。
 だが、副官のクライン中佐はコスターの元に歩み寄ると、小声で尋ねるのだった。
「……よろしいのですか?」
「この状況下ではやむを得まい」
 憮然とした表情で応えるコスター。先に総司令部より通達のあった命令のことである。
 投降したコンペイトウ鎮守府艦隊の武装解除を命じて以降、沈黙を守り続けてきたダカールの軍総司令部であったが、エゥーゴによるティターンズ残党軍の討伐が一段落した今になって、出撃を命じてきた。目標はエゥーゴ主力艦隊。アクシズの残党と組んで廃棄コロニーをゼダンに落とした行為を非とし、その撲滅を図ろうというのだ。
 エゥーゴ実働部隊に対する賊軍認定が取り消されていない以上、出ても不思議のない指令ではある。だが、コスターには納得がいかなかった。
 確かにアクシズの残党と手を結んだことは、危険分子と見なされても仕方のない行為であろう。しかしその結果、彼らはグリプス2を稼働状態へと持ち込むことに成功し、隕石ミサイルの脅威から月を救ったのである。それもまた紛れもない事実だ。
 にも関わらず、連邦は自らの意に添わぬという理由だけで、彼らを討ち滅ぼそうとしている。聞けば上層部には、グリプス2の使用そのものを問題視する向きさえあるという。なんと身勝手なことか。
 コスターにしてみれば、そのような手前勝手な指令など願い下げである。しかし、異を唱えて行動を起こすには、エゥーゴはあまりに消耗しすぎていた。仮に艦隊を挙げて彼らに協力したとしても、連邦本軍との圧倒的な物量差の前に飲み込まれ、あえなく噛み砕かれることだろう。部下をみすみす死なせるようなものだ。それは何にも増してコスターの望むところではない。
「せめてカーター准将が健在であったならばな」
 戦死したエゥーゴ総司令の名を口にするコスターであったが、それは連邦と渡り合えるという意味ではない。カーターが健在であれば軍上層部もこのような酷い真似はすまい、との思いから出た言葉だ。
 傍らでクラインが同意を示すように頷く。いや、彼ばかりではない。第三次討伐艦隊に参加する将兵の多くが、同じような思いを抱いていた。命令とはいえ、月に住む家族の命を守った人間を攻撃しなければならない。道義に悖る行為を、彼らは強制されるのである。
「戦乱の世は続く、か……」
 正面に見え始めた光点に向かい、コスターは暗澹と呟いた。スペースノイドの心を知ろうとしない連邦の無能を憂いながら。この戦いは勝っても負けても禍根を残す。反連邦の土壌を豊かにするばかりだ。
 と、その時、
「エゥーゴ艦隊旗艦、カージガンより入電」
 通信士が意外な言葉とともに振り向いた。
「……!? 読め」
「はっ。『我、貴艦隊ト交戦ノ意志ナシ。全艦集結後、軍ヲ解散スルモノ也。我、無用ノ戦闘ヲ望マズ。道ヲ開ケラレタシ』」
「なんと——」
 読み上げられた電文の内容に、コスターは続く言葉を失った。エゥーゴはその活動に自ら終止符を打つというのだ。なんと潔いことか。そして気付いた。これが正規軍の追及をかわすための最良の手段である、ということに。
(組織としてのエゥーゴがなくなれば、彼らを掃討する名分も立たなくなる……)
 元々、正規軍に統合する方向で進んでいたエゥーゴの戦力だ。本音を言えば、軍としては実戦慣れした彼らが欲しいのである。部分的とは言え、元の鞘に収まる可能性があるものを一様に排除するというのは、望ましい選択とは言えなかった。
 むろん、軍隊である以上、上からの命令は絶対である。相手方の事情がどうであれ、討てと言われれば討たねばならない。そのことはエゥーゴも重々承知しているだろう。
 だが、コスター率いる第三次討伐艦隊は、比較的エゥーゴ寄りだった月軌道艦隊を中心に組成された部隊だ。艦隊構成員の出自を思えば、士気が上がらないであろうことは容易に想像が付く。実際、ブリッジクルーですら作戦に気乗りしない有り様である。指揮する立場から言えば、この状態での戦闘は避けたいところだ。
 何よりコスター自身、無用な戦いを望んでいなかった。先方が戦う意志を否定した以上、あえて攻撃する理由がない。自分一人の処分で済むなら見逃しても構わないと思うコスターである。
 エゥーゴのやりようはそこまで読み切ってのことだろう。コスターは感嘆し、そして信じた。彼らの潔い宣言を。
「各艦に通達。総員、第一戦闘配置のまま待機。命あるまで発砲を禁ずる」
「はっ!」
 コスターの指示に弾けるように答える通信士。彼もコスターと同じ事を思っていたのだろう。心なしか後ろ姿がほっとしているようでもある。
 やがてエゥーゴ艦隊が姿を現した。どれもひどく傷ついており、中には動くのがやっとという艦も見受けられる。交戦の意志がないと告げてきたにも関わらず、モビルスーツ隊を展開しているようであったが、これは当然の用心と言うべきであろう。少なくともコスターにそれを咎めるつもりはない。
「彼らこそ、真の意味での連邦軍人であるかもしれないな」
 打倒ティターンズの誓いを果たし、新たな火種を残さず去ろうとする傷だらけの艦隊。その姿にある種の感動を覚えたコスターが、ゆっくりと敬礼を送る。クラインが、通信士が、そしてブリッジに居合わせたすべての人間が、それに倣う。
 その波はいつしか討伐艦隊全体に広がっていった。
『貴艦隊ノ奮闘ニ敬意ヲ表スト共ニ、英霊達ノ冥福ヲ祈ル。良キ航海ヲ』
『オ心遣イ感謝スル——』
 短い光の明滅を残してすれ違う二つの艦隊。それがこの短くも激しい戦いの、終幕の光景であった。

 集結を終えたエゥーゴ、アクシズの連合艦隊は、解散の儀式もそこそこに喧噪の中にあった。内火艇やモビルスーツが各艦の間を忙しく行き交っている。
 よく見れば、そこには見慣れぬ艦艇の姿もあった。ジオンのムサイ級に似た茶褐色の艦で、傷一つない船体はこの場にそぐわない印象を受ける。何よりこれらの艦艇からは、飛び立つ光が一つとして存在しない。
 解散を決めた彼らの身の振り方は様々だった。元いた場所に戻り、連邦の良心として生きることを誓う者。再編進むネオ・ジオンに参加し、さらなる戦いに身を投じようとする者。見慣れぬ艦は後者のために用意された迎えの艦なのであった。
 だが、ノーマルスーツを身につけてエアロックに立つデュランの行き先は、その真新しい戦艦ではない。
「……本当に行っちゃうんですか?」
「ああ……」
 リサの問いかけに、心ここにあらずといった風体で力無く応えるデュラン。彼は連邦に戻ることも、反連邦としての立場を貫くこともせず、再びアステロイドベルトへと向かうアクシズ艦隊に同乗し、地球圏を離れようとしているのであった。
 それはすなわち、全てに絶望しきったということである。その悲しみのほどを改めて知った時、リサは泣きそうになった。彼女は決してデュランを見送りにきたのではない。遠く旅立とうとする彼をなんとか引き留めようと思ったのである。
 両親を共に戦乱で失ったリサにとって、自分の命を救ってくれたデュランは、単なる憧れの人という存在ではない。辛い過去を忘れることのできる新しい家族であった。だからこそデュランの過去を知った時、リサは彼にとっての自分が同じ存在になれることを願った。
 だが、結果は惨めなものであった。リサとデュランの間には、彼女が思っていた以上に深い溝が横たわっていた。リサがいくら努力しても埋めることを許されない深い傷——。
 リサの表情に気づいたのか、デュランが小さく笑って見せる。それが却って逆効果になっているとも知らずに。
 力無い笑みを浮かべるデュランは、ややあって静かに口を開いた。
「……フィルの姿が見えないようだが?」
「ったく、見送りに来るって言ってたのに!」
 必要以上に憤慨してみせるリサ。それはせめて涙は見せまいとする彼女の、精一杯の強がりである。もっとも今のデュランには、そんなリサの心の内も伝わらない。
「そうか……。できれば二人に聞いて欲しかったんだがな」
 残念そうな表情を浮かべるデュランの次の言葉を気にするリサは、ともすれば口から溢れそうになる悲しみを堪えるのに必死であった。
「今の世は欺瞞と矛盾に満ちている。それに怒りを覚え、行動するのは大切なことだ」
「……。はい」
「だがな」
 遠い目で虚空を見上げるデュラン。
「決して俺のようには生きるな。復讐など考えるな」
「大尉……」
「……もう、疲れたよ」
 呟くように言い残して、デュランの背中は厚い扉の向こうに消えた。エアロックを隔てる扉に手を突いて俯くリサ。その頬を一筋の涙が伝う。デュランは遂に自分を特別な存在としては見てくれなかったのである。
 たとえそれが口先だけであったとしても、自分にのみ向けられた言葉であったなら、どんなに楽だったろうと思う。あるいは普段のデュランであれば、そうしてくれたのかもしれない。
 だが、今のデュランの心には、リサを思いやるほどの余裕がないのだろう。そのことは彼の顔を見れば明らかだ。だからこそリサは余計に悲しくなるのだ。デュランの僅かな支えにすらなれない、己の無力に。
 意気消沈のまま、リサは整備員詰め所の一つに入った。ここからだとモビルスーツ発進の様子が見えるのである。ちょうどデードリットがカージガンを離れるところだった。
「大尉……」
「ああ、間に合わなかった」
 その声が響いたのは、デードリットが飛び立って間もなくのことである。
「フィル!」
 滲んで映るテールノズルの光を追いかけていたリサは、目元を拭うとさも苛立たしげに振り向いた。ただでさえ誰かに当たりたい気分だったのである。それが遅れてきたフィルならばなおさらだ。
 だがそれも、彼の姿を目にした途端にできなくなってしまった。フィルもまた、荷物をまとめ、ノーマルスーツを着込んでいたからだ。
「その格好……」
「ああ、これ」
 リサに指摘され、フィルは少し困ったように手にした荷物を持ち上げて見せた。
「フィルも、グワラルに行くの?」
「いや」
「じゃあ、ネオ・ジオン?」
 続けざまに尋ねるリサ。ネオ・ジオンとは、至近に停泊している真新しい茶褐色の艦のことだ。
 ところがフィルは、その問いにも大きく首を横に振るのだった。
「30バンチに行ってみようと思うんだ」
「……!」
 あまりに意外な言葉に、リサはただ驚くしかない。
「今まで僕、本当に何にも解ってなかった。大尉のこと、エゥーゴのこと。そして、自分自身のことも。口では偉そうなこと言ってたけど、ただ格好良いからパイロットになったんじゃないかって、そう思ったんだ」
 そんなリサの様子に構わず、フィルは言葉を続けた。いや、恐らくそれは、他ならぬ自分に言い聞かせていたのだろう。一言一言を噛み締めるように口にする。
「だから、大尉の見てきたものを見に行こうと思う。そして考えたい。自分がこれから何をすべきなのか。どう生きるべきなのかを」
「フィル……」
 彼もリサと同様にデュランの身を案じている。それは間違いない。窓の外へと視線を移す彼の瞳は、憂いの色に揺れている。だが同時に、心配したところで何もできないということも、彼は正しく理解していた。だから、せめてデュランの心の内を、ほんの少しでも良いから分かるようになりたい。これはそんな思いから出た言葉なのだ。
 翻って自分はどうだろう。いくらかでもデュランのことを理解しようとしただろうか。デュランのためと偽って、自分の気持ちをただ押しつけてはいなかっただろうか。
 そこに思い至った時、リサはひどく打ちのめされたような気がした。フィルに比べてあまりに勝手で未熟な己の心が悲しかった。
「あたし……あたし……」
 こみ上げる涙が止まらない。
 肩を落としてすすり泣くリサを、フィルは困ったように見つめた。そんなつもりで口にした言葉ではなかったが、リサの涙のきっかけが何か、なんとなく分かってしまったからだ。口を開きかけてためらったのも束の間、意を決して呼びかける。
「もし良かったら、リサも一緒に来ないか?」
「え……?」
 思わぬ誘いの言葉に、リサは泣くのを止めて顔を上げた。澄んだフィルの瞳と目を合わせる。が、すぐに申し訳ない思いが胸を満たして、俯いてしまうのだった。
 彼が自分に好意を寄せていることは知っている。でも、自分の気持ちは常にデュランを向いていた。これからもそうかもしれない。フィルの申し出を受け入れる資格は、自分にはないのだ。
「でも……」
「ううん。いいんだ。リサが大尉のことを好きなのは分かってる」
 そんなリサの思いとは裏腹に、真っ直ぐに彼女を見つめるフィルの視線に迷いはない。
「それでも、僕はリサが好きだ」
 自分の想いをきっぱりと告げる。もっとも、さすがに照れくさくなったのか、
「今はまだ、リサの力にはなってあげられないけど、いつか大尉のような、リサが頼れる男になりたいと思ってる。だから、それまででもいいから、僕の側にいてくれると……嬉しいな」
 呆気にとられた様子のリサに向かって、指先で頬を掻きながら、どもり気味に言葉を続けるのがフィルらしかった。あるいはそれは、デュランを好いているリサの心を思いやってのことかもしれない。
「……ありがとう」
 やっとの事でそれだけを口にすると、リサは今度は嬉しさのあまり泣いた。

「一段落したら、一度、サイド2へ顔を出せよな。何時だって歓迎するぜ?」
「はいっ。喜んで」
 ディスプレイの向こうで親指を立てるステファンの言葉に、フィルの声が弾んだ。同じように親指を立ててから、ディアスを手際よく始動させる。
「予備のパーツはスーツキャリアに積めるだけ積んでおいた。とは言っても、数に限りがあるから、無理は禁物だぞ」
 そのディアスが足をかける輸送機を顎で指しながら、チーフメカニックのイがリサに声をかけた。整備マニュアルの入った鞄を彼女に手渡す。ただでさえ忙しい状況にあったにも関わらず、リサの急な出立の申し出に、彼ら整備員は快く応えてくれたのだ。
「あの、いろいろありがとうございました」
「……ん。頑張れよ」
 口元に僅かな笑みを浮かべて離れるイは、結局、サイコミュシステムについて告げることはしなかった。黙ってリミッターを再設定しただけである。
 彼女に渡したマニュアルは、イが使っていた特別のものだ。当然、そこにはゼロのシステムのすべてが記されている。これを今後どのように扱おうとも、パイロットであるリサの思うがままだ。
 不安が全くないと言えば嘘になる。だが、今の彼女であれば巧くやってくれると思っていた。いや、そう思わずにはいられない、と言うのが本当のところだ。
(俺たちのやってきたことは決して無駄なことじゃない。それを証明してくれよな)
 それはイばかりでなく、二人を見送るクルーの誰もが少なからず願っていることかもしれない。
「フィル・ホーガン、リック・ディアス、出ます」
「リサ・フェレル、ゼロ、行きます!」
 カージガンの白い艦体を揺らして、若い二人の機体が勢いよく放たれる。その光はグワラルの通路の一角で力無く宇宙を眺めるデュランの視界にも入っていた。
「あの光……?」
 見覚えのある航跡に思わず見入るデュラン。
「ゼロ……。リサと……もう一機はフィルか」
 そう当たりをつけたところへ、
「ああ、こちらにいらっしゃいましたか」
 アクシズのウェップ・ホーガン中尉が声をかけた。リフトグリップを離してデュランの側に流れると、手にした紙切れを彼に渡す。
「お弟子さんからですよ」
「フィルから?」
 不審顔でそれを受け取るデュランであったが、そこに記された文面を目を通した瞬間、表情の和むのが自分でも分かった。開いた状態のままホーガン中尉に戻して、再び窓の外へと目を転じる。
 念のためその意図を確認してから読むホーガン中尉もまた、同様に笑みを浮かべるのであった。

 大尉の見てきたものを見に行きます。いつかまたどこかで——。

「何も得るもののない、無意味な戦いだと思っていたが……」
 独り言にしては大きな声で、艦外に向かって語りかけるデュラン。
「あいつらにとっては始まりだったんだな」
 感慨深げに続けるデュランは、飛び立った二機の放つ光を目を細めて見送った。それはひどく眩いもののように思える。
「いえ、大尉。それは違いますよ」
 ホーガン中尉が口を挟んだ。
「ん……?」
「私達にとっても、でしょう?」
 フィルと同じ名字を持つ青年は、言って悪戯っぽく笑いかける。
「……そうかな? いや、そうだろうな」
 何となくフィル本人から言われた気がして、デュランは思わず苦笑した。再びゼロの飛び立った方角へと視線を戻す。
 今しばらくはモニカやフリッツ、そしてミハイルといった過去の幻影と共に、時を過ごすことになるだろう。だがいつの日か、自分も彼らと同じように、新たな目的を求めて旅立つかもしれない。その時にはリサの声に応えることができるだろうか。
(済まなかったな、リサ)
 デュランはこんな自分を家族と呼んでくれた少女のことを想った。
(今度会うときにはもう私など必要ないだろうが、もし何か助けが要るのであれば、その時は遠慮なく言って欲しい。それが君に対するせめてもの罪滅ぼしなのだから……)

 宇宙世紀0089年。
 この年、ティターンズ残党の一大勢力であったワーノック軍は倒れ、彼らと覇を競ったエゥーゴも自らその活動に終止符を打った。その二つの事実をもって地球連邦政府はグリプス紛争の終結を高らかに謳い、アースノイドとスペースノイドの融和にいっそう努めることを誓った。
 しかしながら、この紛争が両者の間に残したしこりはあまりに大きく、軍はその統制を欠いたまま、ジオン・ダイクンの息子、シャア・アズナブルの決起を迎えることになる。が、それはまた別の物語であろう。
 それぞれの思いに向けて船出するエゥーゴ艦隊。ゼロの軌跡は、長く、永く、穏やかな星の波間を伸びた。

「ゼロの軌跡」完

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。