ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

38.激闘の果てに

 閃刃が火花を散らす。二度、三度。鋭く、そして禍々しく。光芒が映し出すシルエットは青白い尾を残して宇宙に溶け、やがて、交錯するビームの後を追うように、再び激しく斬り結んだ。その瞳に憎悪の炎を滾らせて。
「お前達スペースノイドが、ジオンの真似事などするから!」
「何っ!?」
「だから30バンチを潰したと言っている」
「貴様っ!」
 デードリットの左腕がサーベラスの胸を押す。まるで、その内に座るミハイルの胸ぐらを掴むかのように。
「それこそザビ家のやり口ではないか!」
「ジオン信奉者共には相応しかろう?」
「あそこにはモニカが居たんだぞ!?」
「守れなかったのはお前だろうが!」
「殺した男が何を言う!」
「誰が!?」
 腕を払いのけるサーベラスが、返す刀でサーベルを叩きつける。それを受け流して最後の予備ライフルを引き抜くデードリット。鮮やかな閃光が宇宙を迸る。
 だが、そのビームが貫いたのは背後よりデードリットを狙ったマラサイであった。サーベラスの援護のつもりだったのだろうが、デュランはそれを許すほど甘くない。爆散するマラサイを一瞥し、振り向きざまにショットモードでライフル一射!
 一方のミハイルも、同様にネモの腹を薙いでいた。敵機より火器をもぎ取り、爆光を背に加速するサーベラス。迫るビームの散弾に、手中のビームマシンガンが唸りをあげる!
「——大尉!?」
 炸裂する火球の群に、ゼロを駆るリサが振り向いた。あるいは吠える二人の思念がサイコミュを叩いたからか。互いに斬撃を見舞うデードリットとサーベラスの姿を、彼女の視線は確かに捉えていた。
「ロッコか!」
 フェンリルのキボンズもまた、ゼロの動きにつられて二人の戦いを目撃した。付かず離れず、サーベルを振るい、避け、あるいは火器で牽制し合う二機のモビルスーツ。彼らの戦いは腕に覚えのあるキボンズの目から見ても驚嘆ものだ。
「……やる!」
 今さらながら、彼らの技量のほどに舌を巻くキボンズ。
 一方、フェンリルを追尾するディアスのフィルは、その光景を視界の端にちらりと捉えただけだった。それでも、デュランが敵機と共に繰り出す光は、彼の目に鮮やかな光跡を残した。激しいばかりではない、どこかもの悲しくも思える閃刃の煌めき。
 一瞬の観戦を終え、フェンリルが戦闘を再開する。そのダルマのような巨体を、フィルは黙って照準器に捉える。
 デュランの戦いに他人の感傷が入り込む余地などないことを、彼は知っていた。だから、デュランが単独で編隊を離れても不審には思わなかった。部隊の指揮官としてはあるまじき行動なのだろうが、あえてそうさせるほどの葛藤をデュランは抱えている。そのことを、フィルは薄々ながら察していた。

 ア・バオア・クーで死んだとばかり思っていたが……

 ティターンズの黒鷹を指してデュランが漏らした言葉を思い出す。安堵と困惑、そして憤りの入り混じった複雑すぎる口調は、フィルが初めて耳にする質のものだった。相手が何者であっても倒す。そう続けたデュランの顔には、決意以上の何かがあったように思う。
 もっともその時には、なんとなくそのように感じた、という程度のことでしかなかった。こうしてデュランの戦いを目にするまで、彼の言動が意味するところを理解できていなかったフィルである。
 いや、今もよく解らない。もとより他人の心の内など知りようもないし、想像するにしても経験が圧倒的に不足している。が、一瞬だけ目にした光の軌跡は、体の芯よりぞくりと沸き起こる何かを、フィルの胸に残した。上手く言い表せない類の衝動を。
 フィルは小さく息を吐くと、無意識に操縦桿を握り直していた。そして、掴みきれないもどかしさをトリガーに押し込める——。

 戦闘は奇妙な膠着状態にあった。
 迫り来るコロニーの姿を目前に、戦域離脱を意識し始めたティターンズ。衝突に巻き込まれることを恐れ、遠巻きにそれを包囲するエゥーゴ。互いにあと一歩を踏み込めぬ戦闘を続けている。
 生き延びることに必死である分だけティターンズが優位と思われたが、一撃離脱を繰り返すアクシズの部隊と、単機突撃するエゥーゴ旧第三艦隊所属機の奮戦が、辛うじて戦線を押し止めていた。全面対決と言うにはあまりに侘びしい戦況。
 それだけに、両軍を代表するエース同士の戦いは、戦場で異彩を放っていた。既に弾薬は底をつき、残された武器は予備のサーベル一本のみ。推進剤の残量すら心細い状況で、だが、彼らは互いに機を窺っている。
 止めの一撃を、相手に叩き込む、その時を。

「………」
 隕石の合間を器用に抜けながら間合いを計るデードリットを、ミハイルは無言で見つめていた。ア・バオア・クーの戦いで彼に瀕死の重傷を負わせた、旧公国軍の「ドム」に似たシルエットを持つマシーン。
 だが、それを見つめるミハイルの脳裏に浮かんでいたのは、生死をかけた戦闘の記憶ではない。僅かな間ではあったが、母艦ヨークトンで小隊の仲間達と過ごした平和な時間——。
 憧れであり、目標でもあったパウエル隊長。生真面目で少し口うるさいリー少尉。兄貴分のヤン曹長は、アルバートなんかに負けるなよ、と彼を送り出してくれた。ライバルとして、友として、時に対立し、時に肩を抱き合ったアルバートは、果たして彼の抜け駆けに気付いていただろうか。
 そしてモニカ。明るい笑顔が印象的だった彼女は、ミハイルの心にゆとりを与えてくれた女性だった。自然体で振る舞うモニカは、何かと気負いがちだったミハイルの、硬い思考を解きほぐしてくれた。ギスギスした感覚や偏ったものの見方をも、まとめて吹き飛ばしてくれた。そんな気がする。
 だから惹かれたのだろう。ア・バオア・クー攻略作戦出撃の直前、ミハイルはモニカに想いを告げた。感じたことをそのままに。
 結果は見事な敗北だった。モニカが選んだのは、ミハイルではなく、アルバートだった。もっとも、それは半ば予期していた結果でもある。共にサイド2ハッテ義勇軍として従軍した二人の絆は、単なる戦友を越えたものがあったからだ。故にミハイルはモニカとアルバートを生かそうと決意し、自ら囮となって敵陣の直中へ単機突撃したのである。
 いや、本当は単に妬いていただけかもしれない。ミハイルはふと思い直した。戦闘において幾度となく絶妙なコンビネーションを見せたモニカとアルバート。サイド2壊滅の地獄体験を共有する二人の間には、自分が入り込める余地などないと感じた。加えて、生粋の宇宙民スペースノイドである彼らとの間の避けがたいギャップが、ミハイルを悩ませた。
 アルバートに比べるとどうにも自分が不釣り合いだと感じてしまう。そして、パイロットとしての技量においても、宇宙での戦いはアルバートに一日の長があった。日々もやもやとしたものを抱えていたミハイルである。
 第117モビルスーツ中隊が三人だけとなったあの時、ヨークトン撃沈の報に接した自分は自棄になっていなかったと、本当に言えるだろうか。母艦の仲間を失った喪失感。そして、孤独にも似た焦燥感。最後の吶喊はそこから出た衝動的な行為ではなかったのか。
 だから30バンチで何も感じなかった。モニカの苦しみにも、アルバートの叫びにも気付けなかった。

 ——アルバートなんかに負けるなよ

 ヤン曹長の声が脳裏に響く。それはモニカに告白する直前にかけられた、ミハイルの気概を代弁する無邪気な言葉。だが、敗れた自分はその本質を忘れた。自己満足な行為に溺れ、結果として全てを失った。いや、奪ってしまった……。
 一つ目を伏せると、彼は愛機のフットペダルを踏み込んだ。

「……ミハイル」
 向きを変えるサーベラスの黒い機体を、デュランは呼びかけるようにして見やった。特徴あるツインアイに光はなく、無表情な顔が彼を見つめている。あるいは、それを装っているのか。
「お前はなぜ……」
 デュランの呟きは、それ以上続かなかった。いや、続けようとして言葉に迷った。
 なぜ、30バンチにいたのか。なぜ、モニカを殺したのか。……なぜ、今になって現れたのか。
 この四年間、彼はただひたすら、妻子を殺された恨みを晴らすために戦ってきた。30バンチ事件を起こしたティターンズという組織を、徹底して叩き潰すために。その目標は半ば達成されつつある。
 しかしながら、デュランはこれまであの惨劇の直接の加害者と相対する機会に恵まれなかった。そのせいか、いかに多くの敵を倒そうとも、彼の心はようとして晴れない。倒せば倒すほどに、それと同じだけの仲間を失い、リサのような新たな悲劇さえ生んだ。いたずらに傷口を広げてきただけのような気もする。
 今日こうして、デュランは永きに渡って待ち望んだとも言える敵と、初めて出会った。目の前で妻子の暮らすコロニーに毒ガスを流し込んだ部隊の人間に。だがそれは、彼の生命の恩人との予期せぬ再会でもあった。
 そのことが猛るデュランの心を悩ませる。
(……教えてくれ、モニカ。俺はどうすればいい?)
 視界に浮かぶ幻影に問いかけるデュラン。むろん、返事はない。代わりに耳に聞こえるのは、先にミハイルがぶつけてきた言葉。

 ——守れなかったのはお前だろうが

 ぐさりと突き刺さる響きは、だが、紛れもない事実だ。30バンチを異変が襲ったあの時、デュランは動けなかった。友軍機に押し止められたまま、ガスが流し込まれる様を虚ろに見つめていただけだ。絶望がようやく怒りに転じた時には、既に手遅れだった。
 護りの誓いを果たせなかった男が、誓った相手——モニカに答えを求めるのは筋が違う。そういうことか。
 ……いや。デュランは頭を振った。モニカの答えは訊かずとも解っている。肝心なのは自身の心。自らの意志で因縁にけりをつけねばならない。
「ミハイル、俺は——」
 静かに口を開くデュランの、操縦桿を握る手に力がこもる。隕石の一つを蹴るようにして、デードリットが加速する。

 サーベルを上段に構えるデードリット。腰を落として中段に据えるサーベラス。振り下ろす刃は肩口を、薙ぎ払う刃は脇腹を、光る粒子の軌跡を残して斬り付ける!
 その一挙手一投足を、リサの目はつぶさに捉えていた。同時に絶望するデュランの姿が脳裏に浮かぶ。
 なぜそんなものが見えたのか、リサには解らない。だが、それを疑問に思うよりも早く、彼女は叫んでいた。
「大尉、ダメェっ!!」
 デュランがどこか遠いところへ行ってしまうような、えも言われぬ不安。その悪寒を忘れようと、リサが力の限りに叫んだ瞬間、二機は交錯した。
 デードリットとサーベラスが互いに抱き合うような形で絡み、動きを止める。サーベラスの肩に食い込み、火花を散らすビームサーベルの光を受けながら、両機のセンサーアイが徐々にその輝きを失ってゆく。無限とも思える一瞬の静寂——。
「……なぜだ、ミハイル」
 グリップを握りしめたままのデュランが、呆然と口を開く。モニター正面に映るマシンの、静かにこちらを見つめるデュアルセンサーに向かって問い掛ける。
「なぜ、剣を収めた?」
 サーベラスの一撃は、確かにデードリットのコックピットを捉えていた。だが、実際に脇腹を叩いたのは光刃ではなく、ビームを失ったサーベルの柄だった。決してエネルギーが切れたのではない。叩き込まれる直前に、その所有者によって消されたのだ。
 サーベラスのパイロット、ミハイル・カシスの手で。
「……それはこっちの台詞だ」
 ノイズの波間をかき分けるようにして、ミハイルの声がスピーカーを伝った。憮然とした響きを携えながら、問いを返す。
「お前こそ、なぜひと思いに俺を殺らない?」
 そう、彼は気付いていた。デュランが共に倒れる心づもりであったことに。それが証拠に、サーベルを振り下ろすデードリットは隙だらけだった。命を懸けたにしても無防備すぎる。少なくとも、ミハイルの知るアルバートは、そんな攻撃を仕掛ける男ではない。
 果たして沈黙が返ってくる。
「どうした? 答えろ、アルバート」
 ミハイルは焦れた。まだ生きている。不本意なその思いが、僅かな間をひどく長いものに感じさせ、彼を苛立たせる。改めて返答を促そうと口を開きかけたとき、通信機にようやく反応があった。
「……最後に残った戦友を、この手で簡単に殺せると思うか?」
 装甲伝いに回路を流れるデュランの声が、スピーカーを低く震わせる。
「それで喜ぶモニカだと思うのか?」
 瞬間、ミハイルの視界は十年前の、巡洋艦ヨークトンのロッカールームへと飛んでいた。

「——ごめんなさい。でもミハイル、あなたが嫌いだからじゃないの」
 当惑から微笑へと表情を転じたのも束の間、そう言って頭を下げたモニカ。アルバートか、と口にしたミハイルに、小さく肯定の意を示した彼女は、
「彼は、私が一番辛かったときに支えてくれた。ことあるごとに私を励ましてくれた。自分だって充分辛かったはずなのに……」
 と続けて虚空に目を遣る。
 アルバートがこれまで心の内に溜めてきた、感情のほどを思っていたのだろう。彼女の目にうっすら浮かぶ涙に、ミハイルもまた、アルバートの言動を思い出して「ああ」と頷く。短い付き合いだが、彼には確かに、自身の感情を抑えてしまうようなところがあった。
 ミハイルの理解が嬉しかったのか、指先で目元を拭って視線を戻したモニカの顔は、元の明るさを取り戻していた。はにかみながらも真っ直ぐに目を合わせたのは、あるいはミハイルの気持ちに対する感謝の意味があったのかもしれない。
 片手を胸に当てるモニカは、一言一言を噛みしめるようにして、自身の想いを紡いだ。
「だから生き残れたら、今度は私が支えてあげたい。アルの力になってあげたい。この生命が続く限り、ずっと——」

「……そうだったな」
 一瞬の過去からサーベラスのコックピットへと戻ったミハイルは、正面に映るデードリットを見ながらぽつりとこぼした。
 他の誰かのために自分の感情を抑えてしまう、優しくもあり、同時に哀しくもある心の持ち主。それが彼が理解し、モニカが選んだアルバート・デュランという男である。
 敵とは言え、かつて同じ中隊にいた自分を殺すことは、死んだモニカの望むところではないだろう。だが、その彼女を殺した行為は到底許し難い。相討ちというのは、激しい葛藤の末のぎりぎりの選択だったのだ。
 だからそれが出来ないと判ったとき、アルバートはサーベルを振るうデードリットの腕を止めた。今は亡きモニカのためを思って……。
「投降しろ、ミハイル。原隊復帰令はまだ生きている。……お前が二人を殺したんじゃない。モニカだって、きっとそのことを解っているさ」
 感情を押し殺したと言うにはあまりに穏やかな口調で、デュランが言う。
「解っている、か……」
 ミハイルもまた、静かに応えた。ヘッドレストに頭を預け、目を閉じる。まぶたに浮かぶモニカは笑っていた。背景の事情さえ解れば、彼女はこの眩いばかりの笑顔で、犯した罪の全てを許してくれる気がする。そう思うと、いくらか気が楽になるのを感じた。
 一度はサーベルを止めたアルバートを恨めしく思ったミハイルだったが、こうして穏やかにまぶたを上げる今は、感謝の念ばかりが胸を満たしている。
(……そうか。こういう男だから、俺はあの時、二人を護ると誓ったんだな)
 ミハイルはパイロットスーツの内に手を入れた。丁寧に折り畳んだ二枚の写真を広げる。一つはデュランが持つのと同じ、第117MS中隊の各員が並んだ集合写真。そしてもう一枚は、アルバート、モニカら談笑するサイド2ハッテ義勇軍のメンバーに混じって、同様に笑みを浮かべたミハイルが写るスナップ。
 それは、ア・バオア・クーで戦死したヤン曹長が、プリントカートリッジのラスト一枚で撮ったものだ。集合写真に比べて自然な表情を見せる彼らの姿は、裏の仕事を手がけてきたミハイルの、ともすれば沈みがちな心を幾度となく癒してきた。
 叶うものならこの瞬間に戻りたい。だが、仮に実現できたとしても、彼らに合わせる顔はないだろう。そのことを、自分は誰よりもよく解っている。
「——済まない」
 呟くように口にすると、ミハイルは愛機を強引に動かした。灼熱の刃が肩を断ち、爆光が黒い機体を朱に染める。コックピットを襲う振動。
「ミハイル、何を!?」
 デュランが顔を上げたときには、サーベラスは片腕を残して流れている。

 俺が許せねぇんだよ——

 微かな囁きを宇宙そらに残して……。
 スパークと共に去る機体が、不意に巨大な円筒形に包まれる。デードリットの眼前を駆ける鋼鉄の壁。聞こえるはずのない轟音が、デュランの耳に響く。
 潰れ行くスペースコロニー。ミハイル・カシスの肉体は、ゼダンを覆う光の一閃となって消えた。

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