ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

26.十年の符号

 行き交う火線の中から、時折こちらへ突き抜けてくるものがある。それらは僅かにかすめるだけで、彼らを直接に傷つけることはない。が、火線が彼らをかすめた後には、決まって眩い光が、前衛艦隊を白く染め上げるのであった。
「カラチ、撃沈されました!」
 連邦討伐艦隊旗艦ラ・ホールの戦闘ブリッジに、オペレーターの声が響く。
「……十分と経たずに一隻とはな」
 艦隊司令を兼ねるラ・ホール艦長パトリック・コスター大佐は、眼前で展開される事実に、部下とティターンズ兵との技量の差を改めて痛感した。
 現在、砲火を交えている敵艦隊の主力は、元コンペイトウ鎮守府駐留の連邦軍である。それら部隊とは互角の戦いを繰り広げるコスター艦隊であったが、ティターンズ所属のモビルスーツ部隊が戦闘に加わるや否や、呆気なく巡洋艦一隻を失った。対するコスター側に、めぼしい戦果はいまだ無い。
 僅か十数機の加勢でこうも差が出るものか。ティターンズ残党軍の中核をなすワーノック艦隊が本腰を入れれば、我が艦隊などひとたまりもないかもしれない。
「ワーノック艦隊はなぜ動かないのでしょうか」
 コスターと同じことを思ったのか、副官のクライン中佐が疑問を口にした。造反した元連邦の艦隊とワーノック艦隊を合わせれば、コスター艦隊と数で互角、戦力で倍以上の大部隊となる。短期決戦を目指しているはずのティターンズ残党軍が、なぜそうしないのか。
 壊滅したコンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊に引き続いての戦闘であることを差し引いても、あまりに不自然な布陣と思えた。
「さて。エゥーゴ艦隊を警戒しているのか、あるいは……」
 言いかけて、
「おい、連絡のあったモビルアーマーは確認されているのか?」
 コスターは急に鋭い口調でオペレーターに尋ねた。モビルアーマーという単語に、ブリッジに居合わせた誰もが顔を強ばらせる。
「い、いえ。捕捉したとの報告はありません」
「……モビルアーマーが単独で我々を襲うと?」
「元々、そのために開発された兵器だ。現にエゥーゴも、第六、第七戦隊も、たった一機のモビルアーマーによって壊滅させられている。可能性は大いに……」
「九時方向よりモビルアーマー接近! 距離6500!」
「なに!?」
 噂をすれば、というのだろうか、不吉な報告がオペレーターの口からなされた。
「迎撃しろ!」
「総員、迎撃ッ!」
「あ……。待って下さい! エゥーゴです! 識別信号、確認しました。ティターンズではありません!」
「いかん、迎撃中止だ!」
 慌てて命じるコスター。
「迎撃中止ッ!!」
「モビルアーマー、来ます!」
 オペレーターが告げるのと、モビルアーマーが接触するのはほぼ同時だった。いや、正確にはモビルアーマではない。モビルスーツだ。
 そのマシーンは瞬時に人型に姿を変えると、右腕を伸ばしてラ・ホールのブリッジに触れた。展開したアンテナの下の、細い二つ眼が淡く光る。
「ガンダム……!」
 思いもかけない機体——ゼロの登場に息を呑むコスターは、
『ご無礼をお許し下さい。私はエゥーゴのリサ・フェレル曹長です。討伐艦隊司令パトリック・コスター大佐に、カーター准将からの伝言をお伝えに参りました』
(……子供?)
 ゼロから発せられた少女の声に戸惑いを隠せなかった。ガンダムと少女がにわかには結びつかなかったからだ。とは言え、エゥーゴ総司令の言葉とあっては、聞かないわけにもいかない。
 コスターは部下に命じてゼロとの回線を開かせた。通信モニタにリサの小柄なノーマルスーツ姿が映し出される。
「私がコスターだ。伺おうか」
 先ほどの戸惑いなど微塵も見せずに、コスターは言った。
「はっ。『貴艦隊は現状を維持し、モビルスーツ部隊も、ソロモン第六宇宙港へのラインには近づくな』 以上が、カーター准将からの伝言です」
「ソロモン第六宇宙港? どういうことかね?」
 緊張した声で一気に伝えるリサに、さすがに訝しげな表情を浮かべるコスター。コンペイトウではなく、なぜ「ソロモン」なのか。
 だが、
「確かにお伝えしました」
 彼女はコスターの問いには答えず、敬礼を残して通信を終えた。ゼロもまた、アーマー形態へと姿を転じると、瞬く間にコンペイトウへ向かって去って行く。僅か一分足らずの接触に呆然とするコスターであったが、オペレーターの「エゥーゴ艦隊です!」との報告に、ゼロの急いだ訳を理解した。
 ガンダムタイプと言えば高性能モビルスーツの代名詞である。それがわざわざ伝言を伝えるためだけにここまで来たのは、単に卓越した機動性を持っていたからだろう。第三艦隊が壊滅した今、エゥーゴの戦力に余裕はないのだ。
 だが、そこまでして伝えに来たからには、それだけの理由があると言うことだ。急を要する何かが。
「コンペイトウの、ソロモン時代の宇宙港配置図を出せるか?」
「はっ!」
「……フム。旧第六宇宙港は、ここか」
 コンペイトウのコンピュータグラフィック画像に重ねられたソロモン時代の宇宙港配置図を見ながら、コスターは呟いた。
 旧宇宙港と言っても、そこに港の跡があるわけではない。かつて一年戦争の折り、ソロモン攻略戦に用いられた連邦軍の新兵器「ソーラシステム」が圧倒的な熱量で薙ぎ払った場所こそが、件の第六宇宙港である。故に、今ではそこは単なる岩鉄の固まりに過ぎない。
「このような場所が、一体なんだというのでしょうか?」
 クライン中佐が思わず訝しげな声を出したのも無理はないだろう。だが、続いて戦略図に視線を移したとき、彼の顔色が変わった。
「——まさか!」
「気付いたか」
「し、しかし、今のエゥーゴにあれが存在するはずがありません」
 ソーラシステムは連邦軍の秘匿兵器である。半賊軍と化した現行のエゥーゴ部隊に貸与される可能性は無に等しい。以前、グリプス戦役後の混乱がピークに達していた頃、ハマーン軍の拠点であった小惑星“アクシズ”攻略の為、エゥーゴ側へ持ち出されたことがあったが、それも攻略に失敗して完全に破壊されたと聞く。
「ああ。だが、アクシズ艦隊による発電衛星奪取の報告もある。上の連中はエゥーゴとは別個のものと考えているようだが、いまやアクシズ艦隊はエゥーゴだ。わざわざソロモンと言ってきたことといい、これは何かあるぞ」
「……確か、カーター准将は」
「ソロモン攻略戦経験者だ」
 コスターはクラインに頷くと、
「モビルスーツ隊に戦線を二キロ後退させるよう伝えろ」
 そう命じた。
(まさかな)
 徐々に後退をはじめる味方モビルスーツ部隊の光点を見つめながら、コスターはある想像に、首を横に振っていた。
 それはエゥーゴであれば可能性のあるものだ。だがそれを使えば、エゥーゴは間違いなく自らの首を絞めることになる。だいたい、使えるようにするための時間も余力も、現状の彼らにはないはずだ。
(……まさかな)
 アクシズ艦隊の動きを気にかけながら、コスターは再び頭を振った。が、一度浮かんだ想像は、容易に晴れることはなかった。

「——何!?」
 後方で走った火線に最初に気付いたのは、ヘルハウンドを駆るダンケル・クーパ中尉であった。
「エゥーゴか!」
 慌てて機の向きを戻すクーパ。だが、そこで彼は迷った。彼の任務は、連邦軍第三次討伐艦隊を攻撃するスミス艦隊の援護。いや、敵艦隊の撃滅そのものである。
 彼に言わせれば、スミス艦隊所属のパイロットはまるで素人である。むしろ敵であるコスター艦隊のパイロットの方が、技量的には上であるとさえ感じた。故に、彼の小隊は突出して巡洋艦一隻を沈めて見せたのだ。
(我々がここを退いて、戦線を維持できるのか?)
 と、右手からロッコ大尉のサーベラスが上がってきた。サーベラスはクーパに向かって左の親指を立てると、人差し指と中指を束ねてコスター艦隊の方を指す。
 その意味するところを、クーパは即座に理解した。
「了解した」
 再び討伐軍のまっただ中に身を躍らせるクーパ。その後方では、サーベラスが単身、エゥーゴ艦隊の方角へ向かって飛んでいた。ロッコはこの場の指揮をクーパに委ねたのである。同時に、後方は任せろという意志表示でもあった。
(頼んだぜ、黒鷹さんよ)
 リアカメラの映像越しにサーベラスを見送ったクーパは、声には出さず呟いた。
 エゥーゴ第三艦隊との戦いで命を救われたこともあってか、クーパのロッコに対する見方は変わっていた。それまでは「暗くて得体の知れない奴」と毛嫌いするばかりであったのだが、今は彼の戦いぶりがひどく気になる。
 そしてクーパは知った。ロッコがティターンズには珍しい型のパイロットであると。
 ティターンズのパイロットには、多かれ少なかれ野心を抱く者が多い。クーパ自身そうである。そして立身出世を願うばあまり、野心は時として友軍を蹴落とし、見捨てる要因にさえなっていた。
 だが、ロッコは違う。ティターンズ軍、スミス艦隊を問わず、戦場で危機に陥る味方機を見つける都度、それを助けるのである。決して目立たないが、さりげなく。
(あんたは信用できる)
 ロッコの知られざる働きを目にしたクーパは、正直にそう思った。ワーノック艦隊に拾われて以来、久しく忘れていた感覚だ。あの頃は長年コンビを組んできた仲間がいた。躊躇なく後を任せ、野心成就を共にできる仲間が。だが今は、彼も一人。
 ティターンズの勝利など、所詮、夢物語に過ぎないのかもしれない。クーパはふと、漠然とそんなことを思った。いや、それ以前に勝利など信じていたのだろうか。だいたい、俺は何のために戦っているのか?
「フン……」
 一瞬だが感傷的になった自分を、クーパは鼻で笑った。何を悩むことがある。俺はただ、帰る場所がないから戦っているのだろうが、と。
(戦うしか能のない男の、当然の末路か。……あんたはどうなんだい?)
 そのミハイル・ロッコは、あらぬ方向から走った光を目にして眉をひそめた。光の向かった先に見える小さな火球がゴミの発したものではないことぐらい、この距離からでも充分判る。ましてやモビルスーツのものでも。
(——艦艇を狙撃するつもりか?)
 再び一条の光。今度は巨大な、核の華が咲くのが見えた。艦が沈んだのだ。
「戦艦でもないのにこの威力! なんだ!?」
 位置からして、それがエゥーゴ艦隊から発せられたものでないことは明らかである。ロッコは機を反転させると、光を放ったものの姿を求めた。
(あれか……?)
 今ひとつ走る光を追ったロッコは、その奥に佇む機影を認めた。モニターに拡大させる。最大望遠で捉えたシルエットを確認したとき、彼は息を呑んだ。
「09R……!?」
 ロッコの脳裏に十年前の悪夢が蘇る。
 行く手に見えるのは、大筒を担いだ太身のマシーン。グレーとグリーンの色彩は明らかに異なるが、ロッコの目には旧ジオン公国の重モビルスーツ、リック・ドムとしか映らない。
「……馬鹿な」
 呻くように呟くと、機の速度を上げるロッコ。それまで「類似機ドム」と答えていたサーベラスのデータバンクが、ようやく「該当無し」と機種を返す。
 だが、ロッコにとって、機種などもはやどうでも良いことだった。戦士の勘、とでも言うのだろうか、彼には目の前のマシーンに乗る男が誰か判っていた。
 それはかつて“月の死神”と呼ばれ、此度の戦いで唯一ロッコに恐怖を与えた男。
「貴様は……。そうやって再び、俺を惑わすのか」
 奥歯を噛み締めながらロッコが撃つ。むろん、この距離では当たらない。あくまでも牽制である。
 が、それで動じる相手でもなかった。
「ふっ……。その距離ではかすりもせんよ」
 アルバート・デュランの嘲笑と共に、デードリットは引き金を引いた。

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