ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

19.若さ故に

 間近で膨れ上がった爆光に、フィルは我に返った。いや、我に返って光を見たというのが正しい。フレディの声を聞いたような気がしたのだ。
 むろん、声など聞こえようはずもない。仮に死に際して彼が何か叫んでいたとしても、無線に乗る前に散っている。
 だが、フィルは彼の声を聞いたと思った。どこか納得してないような声を。でなければ、ディアスが四散していく様をつぶさに見ることなどなかったに違いない。
「フレディさん!」
 内側から膨れ、砕ける赤い機体に向かって叫ぶ。が、気休めだ。フィルはビームの飛んで来た方角を目で追った。フレディが自分のために死んだと思いたくはないが、そう感じてしまう心がある。仇を討とうと思った。トニーの死も忘れたい。
「あいつか!」
 ゼロにビームを浴びせる黄色いダルマ、フェンリルの姿を認めたフィルは、勢い良くフットペダルを踏み込んだ。

 フェンリルに追われるゼロのリサも、ディアスが散ったのを知って機をモビルスーツ形態に戻した。フェンリルに向き直りつつ、ライフルで牽制する。
 誰が死んだのかは判らないが、それが誰にしろ、リサにとってはショックだった。自分の避けたビームが仲間の生命を奪ったのだから。しまった、と思う。
 艦隊から引き離すつもりでフェンリルの気を引いた。それは上手くいった。だが、本当に引き離すためには、もっと早くに奴に振り向くべきではなかったのか。
 彼女は怖かったのだ。絶え間なく襲うビームに貫かれるのではないかと。機動性が高く動かし易いアーマー形態ならまだしも、不慣れな人型で避ける自信はない。フェンリルの火力はハンブラビのそれと桁が違うのだ。
 もっとも、それ以前に振り向く勇気がリサにはなかった。背中のカノン砲は、はじめの一発以来沈黙したままである。そうこうしているうちに、いつの間にか艦隊近くに戻ってしまった。
「あたしにもっと勇気があれば」
 慚愧の色を浮かべて呟くリサ。
 戦場での生き死には、その半分以上が運に因る。特に三百六十度全てが戦場と化す宙間戦闘では、どこから弾が飛んでくるか分からないのである。流れ弾の心配は常に頭の中に入れておかねばならなかった。もっとも、意識していれば当たらないというものでもないのだが。
 フレディが死んだのは、単に運がなかっただけだ。確かにリサの避けたビームに当たって彼は死んだ。だが、避けなければ死んでいたのはリサの方だ。
 誰が悪いと言うことはない。確かに悔やまれることではあるが、いちいち気に病んだところで仕方ない。どこかで割り切らなければならなかった。それができないのは、経験が少ないからであろう。あるいは若さか。
「インコム!」
 言いながら、コンソール脇のスイッチを押すリサ。ゼロの肩口から円盤状の物体が放出される。ワイヤーで機体と結ばれたそれは、フレキシブルな動きで遠隔から敵を狙う補助兵器。ビームの出力はさほど高くないが、それでも相手に与える心理的影響は大きい。
「むっ?」
 フェンリルを操るキボンズも、あらぬ方角からの攻撃に注意を削がれた。が、彼は並みのパイロットではない。一瞬、ゼロから視線を逸らしたものの、彼女のライフルによる一撃を難なくかわしてみせる。
「インコム、か。面白い」
 前にゼロと相対したダンケル・クーパとは違い、彼はその武器を知っていた。小さく笑うと、自機の背にあるもう一対の腕に指令を出した。
 一見、ミサイルポッドのように見えるそれも、インコムと同じく有線で制御されるオールレンジ攻撃用のビーム兵器だ。ただし、インコムとは違い、一撃でモビルスーツを葬り去るほどの出力を有する。
 ワイヤーアームの一撃は、ゼロではなくインコムの一つを捉えた。白い円盤がビームの奔流に飲まれて瞬時に消失する。
「そんなっ」
 リサは慌てて、残ったインコムを回収させた。まやかしに近い武器でも、二つとも失ってしまうには心細い。
「ふっ……」
 そんな彼女の心理をゼロの動きから悟ったのか、キボンズは笑った。ワイヤーアームを納めると、ライフルの引き金を絞る。無照準でだ。迸るビームは避けずとも当たらない。
「遊んでる!?」
 同じくライフルで反撃しつつ、リサは戦慄した。遊び弾を使うということは、それだけ余裕があるということだ。戦場では余裕のない方が敗れる、そう教えてくれたのは誰だったか。
 ゼロがライフルを撃つ撃つ。他の機体に比べれば、それは遙かに高い出力を持つ。だが、巡洋艦並みのビームも、当たらなければ意味はない。
「くっ!」
 思わず唇を噛むリサ。と、別のビームがフェンリルを狙って飛ぶのを見た。
「誰? フィル!?」
「うおぉぉぉぉっ!!」
 雄叫びを上げる彼のネモは、一直線にフェンリルを目指した。敵機の牽制を避けようともせず、ただひたすら、ビームライフルを撃ち鳴らす。
「何だと!?」
 狙いをつけるキボンズ。だが、撃墜するには近すぎた。
 フェンリルのビームがネモの右腕を貫く。一方のフィルは、その振動をものともせず、機体ごとぶつけるような勢いで、左手のサーベルを斬り上げた。ビームの刃がフェンリルのライフルを裂き、胸の装甲を切っ先で抉る。
「墜ちろぉっ!」
 フェンリルに取り付くや、彼は斬り上げたサーベルをすかさず下ろした。その首を落とさんばかりに。
「ええいっ!」
 そのフィル機を、キボンズは横から殴りつけた。脇腹を襲った衝撃に、ネモの手からサーベルが飛ぶ。
 だが、フィルはそれでも離れなかった。左手にフェンリルの首筋を掴ませると、頭部バルカンを連射する。フェンリルのモノアイが光を失う。
「うっとおしいわっ!」
 フェンリルがなおも殴りつける。三発目で、ネモの左腕が付け根からもげた。
「グッ……」
 揺れるコクピットで、フィルの意識が薄れる。いかなリニアシートとはいえ、衝撃を完全に消し去るわけではないのだ。もしここでネモの左腕が外れてなければ、いずれ内臓が破裂していたかもしれない。
「よくも邪魔を」
 フェンリルがネモから遠ざかる。ワイヤーアームで狙撃しようというのだ。
 それを知ったとき、リサの中で何かが弾けた。
「させないっ!」
 ゼロのバックパックが開き、四基の中型ミサイルが放出される。一呼吸おいて、それはフェンリルを目指した。
「むっ?」
 迫り来るミサイルを認めたキボンズは、すかさず機を上昇させてそれをかわす。かわしたつもりだったが、ミサイルもまた、彼を追って上昇する。
「誘導弾だと!?」
 キボンズはワイヤーアームの照準を絞った。一撃でモビルスーツを撃破するビームの束が、四基のミサイルに向かって放たれる。だが、仕留めたと思った瞬間、キボンズは我が目を疑った。
 四基のミサイルが、まるで自らの意志を持つかのように、各々ビームを避けたからだ。
「な——!」
「当たれぇっ!!」
 ゼロのコクピットで叫ぶリサ。その彼女の命に従い、ミサイルは背後からフェンリルを突く。まさにそうとしか思えない動きだった。
「ちぃっ!」
 衝撃に顔をしかめながら、キボンズは舌打ちした。機体そのものは無事だったが、ワイヤーアームはもはや使いものにならない。
 と、
『少佐! 艦隊は間もなく、ソロモン湾に侵攻します。急いでお戻り下さい!』
 イスマイリアからの通信が入った。それを耳にしたキボンズは、再度舌打ちする。
 ハロルド・スミスと組んでコンペイトウを押さえたとはいえ、司令部を制圧する前に出撃していたコンペイトウの連邦艦隊は健在なのだ。
 早々に恭順を示した第九戦隊はいい。だが、残る第六、第七戦隊は、彼が射殺したコンペイトウ鎮守府司令、トーマス・ウォルター少将の直属である。徹底抗戦の構えを見せている。彼らを破らない限り、ティターンズの艦隊はコンペイトウに入れない。
 コンペイトウ内の親ティターンズ派は、コンペイトウの完全鎮圧が成るまで動けなかった。また、恭順を示したとはいえ、第九戦隊に第六、第七戦隊を撃つ意志はないだろう。
 そのことを、彼は迂闊にも失念していた。遊びすぎたのである。
「ちっ……。バスターランチャーの回収は済んでいるな?」
『はっ! 第四小隊が間違いなく』
「よし。各小隊! これよりコンペイトウ残存艦隊の鎮圧にかかる。各個に後退せよ!」
 指示しておいて、キボンズはゼロを見た。両腕を失ったネモを庇うように立ち塞がり、銃口をこちらに向けている機体を。
「次こそは必ず倒す」
 言い捨てて立ち去るフェンリル。それを目で追ったリサは、ややあってから、ふうっと大きく息を吐いた。力が一気に抜けて行くのが分かる。それだけ緊張していたということだ。
 一息ついたリサは、ゼロに異常がないのを確認して、フィルのネモに目を転じた。両腕を失い、ボディも変形している様は見るに無惨だが、爆発する心配はなさそうだ。
 ゼロがネモに触れる。と、鼻をすするフィルの声が、接触回線特有のやや籠もった調子で伝わってきた。泣いているのか。
「フィル?」
「トニーが……あいつにやられたんだ。中尉も……。フレディ中尉も……」
 それを聞いて、リサの顔が歪んだ。あれはフレディの機体だったのか。
「僕がもっとしっかりしてれば……!」
 フィルの声が耳に痛い。中尉の機体を貫いたビームは、フェンリルから逃げることしかできなかったリサが避けた流れ弾。自分こそ、もっとしっかりしていなければならなかったのだ。
「そんなこと……そんなことないわよ。だって、フィルのおかげで、あたしは助かったんだもの」
 なんとか慰めようとするリサだったが、
「……でも、仇は討てなかった」
「フィル……」
 胸を突くその一言に、彼女はかける言葉を失った。
「……とにかくカージガンに戻りましょう。敵はもう、来ないみたいだから」
 呟くように言うと、返事を待たずにネモを抱える。傷心の二人とは裏腹に、ゼロは鮮やかな航跡を描いて戦場を後にした。

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