ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

20.思惑

 エゥーゴ第三艦隊、及びコンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊の奮戦虚しく、コンペイトウは陥落した。いや、反旗を翻したと言うべきか。
 コンペイトウ鎮守府副司令、ハロルド・スミス大佐と通じていたエドガー・キボンズは、今戦闘に先立って密かにコンペイトウへ乗り込み、鎮守府司令トーマス・ウォルター少将を殺害。その司令部を掌握した。
 同時にコンペイトウ内の親ティターンズ派が蜂起し、モビルスーツ製造工場などの要所を占拠。そしてキボンズは、同格納庫内にあった拠点防衛用試作モビルスーツ、フェンリルでもって戦闘に参加。エゥーゴ第三艦隊を事実上壊滅させ、コンペイトウ鎮守府第六、第七戦隊をも撃退せしめた。
 旧ゼダンの門に籠もっていたティターン残党軍は、再びコンペイトウという強固な城塞を手にしたのである。
 残党軍を率いるクレイブ・ワーノックは言う。
「我々は、今は亡きジャミトフ・ハイマン閣下が提唱された地球至上主義こそが、地球圏に真の平和をもたらすものと確信している。
 本来、人は大地に生まれ、大地に死するのが理である。だが、スペースノイド達は、宇宙こそが人の革新であると言う。全ての人類は宇宙へと上がり、ニュータイプとしての覚醒を待つのが必然であると。これは大きな誤りだ。
 宇宙という不安定な環境下で、しかも我らアースノイドの支援を受けながら育ったものが、果たして人として優れていると言えるのか。否、彼らは人としての本質を失った、極めて不自然な人種である。そのような者達に、地球圏の統治など出来るはずもない。
 顧みよ、彼らが忌まわしき行いを。
 ザビ家一党の率いたジオンはスペースノイドの独立と称して数十億の民を虐殺し、スペースコロニーを地球に落とすという暴挙に出た。一年戦争で敗れてもなお、ジオン残党は戦争を続け、コロニーを再び地球へぶつけるに至った。罪のない多くのダブリン市民が犠牲になったことは、まだ記憶に新しい。残忍な彼らの思考が流血を求めた最悪の結果だ。
 これは、ジオンというイデオロギーにのみ、起因する問題だろうか。残念ながらそうではない。同じ連邦軍に所属する身でありながら、戦後、新たな戦争を求めた輩が、スペースノイドの内に存在する。エゥーゴだ。エゥーゴは月面に巣くう戦争商人らと語らい、武力による反乱を企てた。数多の血を流して地球が勝ち得た平和を良しとしない、過激なスペースノイドの一団は、己の欲求不満を晴らすためにグリプス戦役を引き起こした。
 確たる思想を持たぬエゥーゴは、アナハイムを中心とする月面商人から無尽蔵の支援を受け、彼らスポンサーの求めるがままに戦った。シャア・アズナブルのような元ジオンの人間をも躊躇なく引き入れ、節操のない戦いを挑んできたのである。
 結果、我々ティターンズは、グリプスの決戦において手痛い敗北を喫した。そう、敗れたことは認めよう。だが、それは我々が悪であったことを意味しない。彼らエゥーゴに正義が存在しないことは明白だからだ。
 彼らは犬である。死の商人共に操られるだけの、汚らわしき野犬である。それら野犬の打ち立てた政権が、果たして地球圏を統治するに足る存在であると言えようか。否、それはさらなる戦乱を望む者共の傀儡に過ぎない。地球圏は今、大いなる危機に瀕しているのだ。
 本日、我々はコンペイトウ鎮守府に集いし同志諸君の協力により、新政府最強を謳われたエゥーゴ第三艦隊をソロモン海に沈めた。見よ、正義は我らと共にある。
 今こそ私はここに誓う。地球圏の平穏を乱し、平和を偽る者共に正義の鉄槌を下すと。手始めに、諸悪の根元たるルナリアンには近い将来、裁きの嵐が降り注ぐであろう」
 ルナリアン。それは、月に住むスペースノイドの蔑称である。そしてこの場合、それが月面に居を構える世界最大の複合企業、アナハイムエレクトロニクス社を指しているのは明白であった。目標はグラナダか、あるいはフォン・ブラウンか。だが、エゥーゴとの関係を考えれば、おのずと答えも判ろうというものである。
 グラナダの、エゥーゴ参謀本部は慌てた。

「我々に正義の鉄槌を下す、か。大きく出たものだな」
「だが、コンペイトウを奪ったくらいで何をしようというのだ。たかだか隕石基地の一つ、囲んでしまえばそれだけのことではないか」
「クレイブ・ワーノック。もっと利口な男だと思ったがな」
「ですが、コンペイトウにいた正規軍のおよそ三割が、反旗を翻したのですぞ」
 地球連邦宇宙軍月面司令部の高官達を前に、アボット・ブリードは苦虫を噛み締めながら言った。つい先日まで自分に媚びへつらっていた彼らが、第三艦隊壊滅の報を聞くや掌を返したように高慢になった、というのもある。だがそれ以上に、コンペイトウ陥落という大事にも緊張感の乏しい彼らの態度に、アボットは苦り切っていた。
 対策を検討しているようでいて、その実、他人事のような口振りで詮無い会話を繰り広げるばかりの高官達。対策会議が終わり次第、グラナダを発つ彼らのことだ。本心から他人事と捉えていても不思議ではない。が、職責上、当事者としての責任はついて回る。まさか、その程度の自覚もないわけではあるまい。
 いざとなれば切り捨てる尻尾の二、三本は持ち合わせているのだろう。あるいはそれ故のゆとりかもしれないと思い、苦汁を嘗める思いを新たにするアボット。
 彼にはもはや、連邦軍における居場所がなかった。主力部隊を失ったエゥーゴという義勇軍の、一介の参謀に過ぎない。いや、その残存する部隊でさえ、既に彼の指揮下を離れている。グラナダの第一艦隊などは連邦軍を港から叩き出し、今なお籠城中という有様だ。まさに四面楚歌。アボットは今や、全ての実権を失った哀れな男でしかない。
 エゥーゴ軍総司令ラレフ・カーターの身柄を拘束していることが、アボットにとって唯一の慰めであった。いや、カーターの存在があるからこそ、彼は未だに、こうして連邦軍幹部と顔を合わせることを許されている。
 エゥーゴ第一艦隊の行いは、連邦に対する紛れもない反逆行為である。しかしその実態が、カーター拘束に対する突発的な反抗に過ぎないが故に、連邦軍は事態を静観している。カーターの身柄を押さえたアボットを引き続きエゥーゴ参謀として遇することで、彼に心理的な圧力をかけると同時に、事態解決の切り札を手中に収めた。連邦軍にしてみれば、まだ使いようがあるのだ。
 もちろん、アボットはそのことに気付いていた。だから余計に苛立つのだろう。
「宇宙軍の統制が依然としてままならぬ中、これは大変に由々しき事態です。一刻も早く、ご決断を!」
 にわかに語気を強めて高官達に迫った。だが、口元にうすら笑みを浮かべる彼らの様子に変化はない。
「分かっておる。我々とて、黙って手をこまねいているわけではない」
「既に生き残ったコンペイトウ第六、第七戦隊を再編し、反乱分子鎮圧の先遣隊として連中の監視に当たらせた。討伐軍の第二陣も、三時間後にはコンペイトウへ向けて出撃する」
「コンペイトウはいずれ奪還される。貴官は何をそんなに心配するのかね?」
「……こちらをご覧いただきたい」
 アボットの言葉に合わせ、モニターにコンペイトウを中心としたの戦略図が映し出された。真ん中にコンペイトウ、そしてその周りに、小さく点滅する無数の赤い点。
「それは?」
「現在稼働可能と思われる、隕石ミサイル群です」
 その言葉に、連邦宇宙軍幹部達の顔色がようやく変わった。
 コンペイトウはかつて、ソロモンと呼ばれたジオン公国の要塞であった。一年戦争における激戦地の一つである。ソロモン攻略に際して、連邦軍は新開発の光学兵器”ソーラシステム”を使用した。四百万枚を超えるミラーで太陽光を一点に集中。圧倒的な熱量でもって、宇宙港の一つを粉砕した。そして、そこを足がかりに戦力を大量投入し、比較的短時間でこれを陥落せしめたのである。
 だが、連邦側の損害も決して少なくなかった。多くの艦船が、この戦いでソロモン海の藻屑と消えた。その沈んだ要因で意外と多かったのが、隕石ミサイルの直撃である。
 隕石ミサイルはその名の通り、隕石にブースターを取り付けただけの、ごく単純で安価な兵器である。しかしながら、一撃で戦艦すら沈めてしまうだけの威力を持つ、恐るべき武器でもあった。
 ソロモン占拠と同時にその呼称を“コンペイトウ”と改めた連邦軍だったが、多量に残された隕石ミサイルはそのままにされた。戦力の疲弊おびただしい連邦軍にとっても、要塞防衛のための有用な兵器であったからだ。
 戦後のデラーズ紛争などで大半が使い物にならなくなった隕石ミサイルであるが、ハマーン・カーン率いるネオ・ジオンの台頭と前後して、連邦軍により再配備されていた。エゥーゴ、ティターンズの抗争で弱体化していた連邦軍にとって、コンペイトウの防衛力強化に最適な手段であったからだ。
 連邦宇宙軍の幹部連中は、そのことを迂闊にも失念していたようだ。ワーノックの言葉など脅しに過ぎない。反乱軍風情に何が出来るものか。そう、高を括っていたのだろう。
「なんて事だ……」
 連邦幹部の一人が呻いた。
 地球から見て常に裏側に位置するグラナダは、不幸なことに、コンペイトウと向かい合っていた。若干の軌道修正さえ行えば、隕石ミサイルは確実にグラナダを捉えるのである。コンペイトウを手にしたワーノック艦隊は、一歩も外に出ることなく、グラナダを脅かすことが出来る。
 グラナダは連邦の最重要拠点の一つであり、月の裏側を睨む数少ないポイントである。仮にそのグラナダを失うようなことにでもなればどうなるか。ハマーン軍が降伏したとはいえ、反地球連邦政府運動の芽は、未だ潰えていない。軍の統制すらままならない現状では、第二のグリプス戦役へと発展しかねなかった。
「事態は一刻を争うのです。第六、第七戦隊への攻撃命令と、月機動艦隊の緊急展開を!」
 茫然自失の宇宙軍幹部連中に、アボットは改めて迫った。エゥーゴ第三艦隊という最強の実戦部隊を失った今では、もはや自身の連邦での出世は望めない。ただ、内戦再開の当事者という汚名を着ることだけは、断じて避けねばならぬ。
 と、
「貴君の言いたいことは解った。しかし、貴君にもまだ、やれる事があるのではないのかな?」
 動揺する高官の中にあって、一人静かに座していたダークスーツの男が口を開いた。
「……は?」
「月機動艦隊の展開は急がさせる。六、七戦隊への攻撃指令も間もなく下されるだろう。だが、エゥーゴの戦力とて、全てが失われたわけではあるまい?」
 男の目が笑う。その意味するところに気付かぬアボットではない。
「ですが、パラヤ参謀補佐官、現状の艦隊戦力では……」
「カーター准将は有能な将軍だ。准将の艦隊が後方に控えているとあれば心強い。幸いにもエゥーゴ艦隊は全て臨戦態勢にある。我々よりも早く出撃できるのではないのかな」
 アボットは黙した。
 現行の連邦政府にあって、エゥーゴの扱いは微妙である。軍の主導がティターンズからエゥーゴに移ったとは言え、政府とっては所詮、独立性の高い一部隊に過ぎない。だが、連邦軍の指揮系統から完全に離れているところに問題があった。
 規模はともかく、エゥーゴは強力な実戦部隊であり、敵対するともなれば脅威となる。そのため新政府は、彼らを正規軍に編入しようと躍起になっていた。エゥーゴ参謀本部のメンバーに高位のポストを用意したのもそのためだ。
 ところが、新政府の思惑は見事に外れた。グラナダを中心に点在するエゥーゴの部隊はもはや、エゥーゴ参謀本部からも離れた独立義勇軍として活動していたからだ。彼らは旧態然とした新政府のありように失望し、反地球連邦政府組織エゥーゴであり続ける道を選んだ。
 こうなってしまっては、エゥーゴはもはや邪魔者以外の何者でもない。ただ幸いなことに、その中で最強を誇っていた第三艦隊は壊滅した。あとは比較的に連邦軍との能力差が低い部隊ばかり。一段落ついたところで刈り取れば良いだけだ。
 カーターの拘束を解いてエゥーゴ艦隊を率いさせ、ワーノック軍にぶつける。この状況下で断る准将ではあるまい。そして、カーターの下であれば、急進的なエゥーゴ将兵もワーノック軍と存分にやり合ってくれることだろう。そうして弱体化したところを、折を見て叩く。そのための口実は既にある。
「……我々を潰すつもりか」
 アボットは低く呟いた。ダークスーツの男、パラヤ参謀補佐官の思考は手に取るように解る。仮にカーターが敗れても、それでエゥーゴが壊滅するなら構わないのだ。隕石ミサイルがグラナダに着弾するのは困るが、それこそエゥーゴに責任を擦り付ければよい。
「スペースノイドを護るのは、君らの本分だろう?」
 彼の呟きなどまるで聞こえないように、参謀補佐官は言った。エゥーゴの実働部隊に見放されたアボットに対する皮肉、とも取れる口調で。鼻白む彼を一顧だにせず、
「独力で一掃しろ、などとは言わんよ。ただ、共に矢面に立つくらいのことは、して頂きたいものだな」
 と言葉を重ねる。
 共に、などと口にはしているものの、そうするつもりなど毛頭あるまい。端から私一人に押し付ける気なのだ。握った拳を小刻みに震わせる。が、今のアボットに、参謀補佐官が示唆した以外の選択肢が残されていないのも事実だ。怒りを押し殺して彼を見つめる。
「今後の君自身のこともある。期待しているよ」
 追い打ちをかけるパラヤ参謀補佐官の言葉に、アボットは唇を噛み締めながら、足早に退出するのであった。

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