ゼロの軌跡

作:澄川 櫂

18.運

 サーベラスの放ったビームがディアスの至近距離をかすめて飛ぶ。狙いは実に正確だ。逃げるディアスを追い込み、あるいは誘導するように、二条、三条と閃光が迸る。
 それはとても厚い射撃だった。いわゆる無駄弾というのがないのである。それでいて当たらないのは、紙一重でかわすデュランの技量が、並みのパイロットとは異なるからに他ならない。
 ディアスの残った右腕には、出力をやや押さえたビームサーベルがあった。この期に及んでもなお、デュランは反撃のチャンスを窺っているのである。だが、それは決して容易なことではなかった。
 互いに高速で、しかも縦横無尽に移動しながらの宙間戦闘において、白兵を挑むなどというのは愚にも等しい行為である。相手を捉えられないばかりか、一歩間違えればいい標的にされてしまうからだ。
 よほど腕が立つ、もしくは、相手との間に歴然たる技量の差が存在する場合でもない限り、斬りつけるなど夢のまた夢。これまでデュランにそれが可能だったのは、そのどちらもが揃っていたからだ。
 だが、今回は違う。
 凶悪な印象を与える眼前の黒いマシーン、サーベラスのパイロットは、間違いなくデュランと同じか、それ以上の腕を持つ猛者である。左腕と右の足首を欠き、飛び道具すら失った今のディアスで、奴に太刀打ちできるのか。
「む……」
 デュランの視界に岩石が上がってきた。一年戦争の遺物だろうか。ブースターらしきものを付けた、小柄な隕石である。小柄といっても、モビルスーツに比べれば遙かに大きいのだが。
「……使える」
 小さく呟くと、デュランは隕石を目指して加速した。
「なっ!?」
 ディアスを追いかけるサーベラスのパイロット、ミハイル・ロッコは目を見張った。岩の影に回り込むものとばかりと思っていたディアスが、隕石の手前で逆制動をかけ、まるで壊れた糸人形のように、ふらふらとサーベラスの側へ流れてきたからだ。
 反射的にロッコがトリガーを押す。サーベラスのライフルが、迸る光を放つ。
 その瞬間、ディアスは何かに引っ張られるようにして、足を蹴り上げた。背面すれすれにビームをかわす。抜けて行くビームに合わせて体をひねりざま、すくうようにサーベルを斬り上げる。それと同時に、頭部バルカンが唸りを上げた!
「何っ!?」
 瞬く間にライフルを斬り裂かれ、両眼を潰されたサーベラス。その妙技にロッコは目を剥いた。
 が、そこはティターンズの誇る黒鷹である。驚きはしたものの、斬り上げた勢いよろしく離脱するディアスに、グレネードを叩き込むことを忘れない。
「ぐおっ!」
 ディアスのコクピットが揺れる。バックパック付近に直撃を受けたのだ。推力を失ったディアスの機体が、観念したかのようにサーベラスを向いて動きを止める。
「……これまでか」
 こうなってしまっては、いかなデュランとてどうしようもない。彼の目前で、サーベラスはゆっくりとサーベルを抜き払った。
 その時、二条のビームが右手からサーベラスに向かって鋭く伸びた!
『大尉!』
『デュラン殿!』
 ボティ中尉のディアスと、アクシズのウェップ・ホーガン操るチャイカが駆けつけたのだ。
「うおぉぉっ!」
 ホーガンが吠える。サーベラスに斬りつけると、チャイカはライフルを撃ち鳴らした。反撃しようとするサーベラスを、ボティのディアスが牽制する。
「ちいっ!」
 ロッコは舌打ちすると、機を翻した。デュラン相手に消耗した機体で、二対一はいささか分が悪すぎる。
 デュランと違い、彼は援護を当てにできるような立場にないのだ。闇に生きた男は、表に出ても孤独である。
「……決着はいずれ」
 向こうには聞こえないと解っていながら、ロッコはそう言い残して戦場を去った。
「大尉、ご無事で?」
「ああ、なんとかな。カージガンはどうだ?」
「こちらは何とか押さえましたが、別働隊に襲われ、苦戦しているようです」
 デュランの問いにボティが答える。遠目には何ともないように思えた彼の機体も、これまでの激戦ぶりを物語るように、至る所で装甲が欠落していた。
「……だろうな」
「先行したフレディ達を信じましょう」

 カージガン、リバプール、それにアクシズから参加のデブレツェンのみとなった第三艦隊の周りでは、いまだ多くの光点が生まれては消え、消えては生まれていた。ティターンズ残党の攻撃が、それだけ執拗であったいうことである。
 バーンズ少尉以下の艦隊守備隊こそ、よくぞ保ったというべきだろう。むろん、運もある。一つは奇襲をかけたフェンリルが、ゼロの誘いに乗ったこと。もう一つは、本来別働隊を指揮するはずであったロッコが、デュランとの戦いを望んだことである。
 前者は凄まじいまでのパワーを持った機体であり、後者はエゥーゴを震え上がらせるほどの腕を持つパイロットだ。もしもこの二人が揃っていたならば、今頃は一隻の艦艇も残っていなかっただろう。
 だが、運はエゥーゴに味方した。旧式のマラサイを中心とする部隊だけでは、勇猛果敢な第三艦隊を壊滅するには至らず、逆に攻撃隊の帰還なったエゥーゴ側が、徐々にではあるが戻し始めていた。
「貴様らぁっ!」
 メタス隊に続いて駆けつけたフレディ中尉のディアスは、後退時の速度そのまま、マラサイを腰から薙いでいた。ライフルを構えるその後方で、マラサイが上半身、下半身の順でその身を散らす。
「これ以上好きにやらせるものか!」
 猛るフレディ。ディアスのビームがバーザムを貫く。
「次っ!」
 さらに一機マラサイを墜すや、フレディは愛機を敵小隊の真っ直中に躍り込ませた。三機が狂ったようにディアスを撃つが、それらは全くかすりもしない。逆にフレディの一撃はマラサイを貫き、左右に振るうサーベルは、確実に敵機を斬って捨てた。
 まさに鬼神の如き働きである。付近にいた他の敵小隊は皆、彼に恐れをなして逃げ出した。
「フン。他愛のない」
 それらを見やって鼻で笑うフレディ。
 と、その時、彼は不用意に佇む一機のネモを目にした。それは親友であるトニーを失い、呆然自失に陥ったフィルの機体である。
「チッ……。何をしている」
 忌々しく吐き捨てると、フレディは彼の方に機を向けた。
 戦場で立ち止まるというのは、殺してくれと言っているようなものだ。戦場を生き抜くためには、とにかく一つ所に留まらないことが重要である。
 だが、これは口で言われて徹底できるようなものではない。戦場という狂気は、人から理性を奪うものである。飽和すると言ってもよい。それに打ち勝つ精神を持って初めて、戦士は一人前として認められるのである。
 フィルにそれが無いとすれば、所詮そこまでのパイロットに過ぎなかった、ということだ。だが、むざむざとやられるかもしれない仲間を、このまま放って置くわけにもいかないだろう。
 幸いにして敵は後退を始めている。フレディの近くに害をなしそうな敵はいない。故に、普段は無線で呼びかける以上のことはしないフレディが、フィル機に接触しようとしたのである。
 僅かな間に五機を葬った。あるいはそのことが彼の心に隙を生んだのかもしれない。
 いずれにせよ、その一瞬の気の緩みが、取り返しのつかない運命を呼び込む結果となってしまった。
 フィル機に向かって動いたディアスを、あらぬ方向からのビームが貫いたのである。
「な——」
 ビームは右から左へ、ディアスの腹を抉るように貫いていた。
 反応炉への直撃ではない。故に、すぐに爆発するというようなことはなかった。幸いにも、ディアスのコクピットは頭部にある。フレディはすかさず脱出コクピットのレバーを引いた。
 だが……それは作動しなかった。外装は吹き飛んだようだが、ポッドを吐き出す爆薬に点火しなかったのだ。
「……こんなものか」
 忌々しく呻くフレディ。直後、彼の意識は愛機と共に四散した。

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