星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第九章 交わらぬ想い

 初めてティレルに会ったときのことを、マイクは思い出していた。着の身着のままと言うには、こざっぱりとした格好。さりとて、捨てられた子犬のようにどこか落ち着きのない表情を見れば、背負った小振りのリュックサックが全ての持ち物と判る——。
 一見して、ただの家出少年ではないと思った。放浪の果てに有り金を使い果たし、食い扶持を求めて飛び込んでくる輩は多かったが、彼にはそうした匂いがなかったからだ。どちらかといえば育ちの良さそうな風貌は、彼の置かれた境遇とそぐわない気がした。
 要するに、怪しんだのだ。
 二度に渡る戦乱にも負けず、小さな整備工場を維持してきたマイクである。様々な人間を見てきたし、ミッシェルのような変わった知り合いも多く出来た。副業なしで生き残れるほど、平和な時代ではない。
 ティレルはその、変わった部類に入るように思われたが、彼の年齢からすると、まずあり得るはずのない話である。
「それで、コーウェルさん。彼はあなたのオフィスで寝起きしていたんですね?」
「あ?」
 その声に、マイクは我に返った。細い縁なし眼鏡をかけた男が、デスクの向かいで電子ペンを動かしながら、彼の答えを待っている。カジュアルに着こなしたスーツ姿は、軍艦には似つかわしい印象を受けた。
「ああ、そうだ」
 彼とは対照的に、宇宙服を着込んだままのマイクは、緩めたファスナーの金具を玩びながら答える。
「あいつは戦災孤児でな、最近まで住み込みで働いていた」
「今は?」
「一人暮らしだ。半年くらい前だったかな? 近所のアパートを借りると言って」
「それは、間違いなく?」
 念を押す男の言葉に、マイクはようやく不信感を覚えた。
「私が保証人だ。なんなら、引っ越しを手伝ったうちの者を呼ぼうか?」
「気を悪くされたのでしたら申し訳ない」
 フランツ・カルノーの名刺を握りしめるマイクに、男は軽く詫びると一枚の写真を差し出した。一瞥して声を失うマイク。
「これは……!?」
 そこには、まだ幼さの残る一人の少年が写っていた。不意に撮られたのだろう。コンテナをバックに宙を浮く少年は、戸惑ったような表情を浮かべている。
 眼鏡こそかけていないが、それは間違いなくティレルだった。
「やはり、似てると思いますか」
「あ、ああ」
 問われたマイクは、いつになく慌てる自分に気付いて愕然となった。無理もない。なぜなら、写真の中のティレルは、ジオンの軍服を着ていたのだから。
 胸にプリントされた階級章は伍長である。彼の今の年齢からすれば、それもあり得るかもしれないが、写真のティレルはどう見ても五年は若い。果たしてそんなことがあるのか?
「驚かれるのも無理はありません。私自身、初めて目にしたときには信じられなかったくらいですから。実は、彼の両親について調べていることがありまして……」
 言いながら、カルノー大尉は新たな写真を取りだした。軍服を着込んだ男と、妻と思しき女。そして、球状のペットロボットを抱えた四、五歳くらいの子供が、揃って笑顔を浮かべている平和な光景を捉えた写真——。
「一年戦争開戦前の、七八年九月頃に撮られたものです。男の名はハンク・ヘルムート。旧公国軍の科学開発局に勤務していた技術士官で、当時の階級は少尉。女の方はウィルマ・ワグナーという科学者で、ツイマッド重工業のラボで兵器開発に従事していたそうです」
「ヘルムート……。ワグナー?」
「あるいは変名かもしれません。何せ、ほとんどの記録が失われいるもので。彼の名前も」
 そう言って、カルノーは写真の子供を指差した。
「現存する公的資料のどこにも残されていません」
 彼の指先で笑っている子供の顔を、マイクは無言で見つめた。複写を重ねたからか、画像はやや荒れ気味だったが、それでも顔立ちはよく分かる。全体の印象、特に目元の辺りに、ティレルの面影があるように思える。
 スーツ姿の大尉は、そのことをマイクが確かめるのを待って、再び口を開いた。
「ハンク・ヘルムートとウィルマ・ワグナーの二人は、開戦直前の七八年十一月に連邦への亡命を図りました。同行者は一人息子とウィルマの母親。計画では、ウィルマと息子が先発し、一便空けてハンクとウィルマの母がサイド6を目指すことになっていました」
「計画では……?」
「……開戦直後の混乱と、戦乱による記録の消失で、確かなことは判りませんが、シャトルの一便が飛ばなかったのは事実です。そして、出迎えのエージェントがターゲットと接触出来たという報告は、残されていません」
「しかし、あんたも言ったように、記録の大半が失われているんだろ? だったら……」
 マイクのもっともな意見を、大尉は軽く首を振りながら遮った。
「サイド6に残された記録は確かなものです」
 そう言って、手元のファイルを広げる。
「当時の運行記録から、先発した便が確かに到着していたことが判ります。ですが、その便の乗客名簿に、こちらで用意した名前は見あたりませんでした。もちろん、直前になって変更された可能性もあるわけですが」
 いったん言葉を句切ると、
「ところが、ここに興味深い記録がありましてね」
 ファイルの中から、ホッチキスで留められた数枚のコピー紙を取り出した。マイクに向かってそれを差し出しながら、言葉を続ける。
「これは問題の便の次に飛んだシャトルの乗客名簿ですが、印を付けた箇所に注目してください」
 渡されたマイクは、二枚目の赤で丸を付けられた名前を見て、言葉を失った。ポーラ・ウェイン。そして、ティレル・ウェイン。
「ポーラというのは、ウィルマの母のために用意された名前と同じものです。ウェインという姓については不明ですが、年齢は一致しています。そして、写真の子供とティレル君との印象の相似……。我々としては、同一人物と見て間違いないものと判断しています」
 顔を上げたマイクの目を覗き込むようにして、カルノー大尉は言った。
「別件であることは承知していますが、数少ない手がかりです。彼から話を聞くことをお許しいただけませんか?」
「……古い話に、どうしてそうも熱心になるんだ?」
 だがマイクは、大尉の要請に疑問で応えた。滲み出る不信感を隠そうともせずに。たった四年前の、18バンチでの犠牲者に関する調査にすら消極的な連邦軍が、なぜ十年以上も昔の、それも一家族の問題に過ぎない件で動いているのか。
 苛立ちを声に滲ませて、彼は続けた。
「亡命ったって、あの時期にはさして珍しいことでもなかったろうに。まして、失敗した件にここまで拘るというのは……」
「人道に関する罪」
「え?」
「彼らの亡命の目的は、それを告発することにあったのです。詳細については定かではありませんが、兵器開発に携わっていた人物からの申し出だっただけに、無視できないものと考えています」
 耳を疑うマイクに、カルノーは思いもよらぬことを語った。一年戦争時、ジオン公国軍内部にて、新兵器開発を名目に人体実験が行われていた形跡があること。戦後、その技術とノウハウが流出し、ティターンズに利用された可能性が高いこと。
 そして……。
「その研究は、ジオン公国軍の残党であるアクシズ軍にも引き継がれていたものと思われます。先の戦乱では、その成果が実戦に投入されていたとの噂もあるほどです。
 ……なぜ、十年も前のことを、と思われたかもしれません。ですが、この写真が事実であるならば、彼は研究対象であった可能性が高い。我々としては、真実を早期に明かすことによって、過去の犯罪を暴くばかりでなく、今この瞬間に生まれているかもしれない犠牲者を救い出す責務があるのです」
 ジオンの軍服に身を包んだ、ティレルと思しき少年の写真を指し示しながら、大尉は言った。
「彼をどうこうしようと言うのではありません。我々はただ、本当のことを知りたいだけなのです。彼が何を見、何を体験してきたのか。彼のこれまでの人生を知ることが、今後の調査に大いに役立つものと考えています。
 確かに、十年前のことは無理かもしれません。それでも、ここへ来る直前のことは覚えているでしょう。
 違うのならそれで構わないのです。ですが、可能性を知りながら、うやむやにすることはあってはならない。なぜならそれが、あの戦争を戦い抜いた者に課せられた、使命なのですから……」
 結局、自分が同伴することを条件に、マイクは大尉の要請を受け入れた。彼自身、興味を抱かなかったと言えば嘘になるが、それ以上に、大尉の人物を信じたのである。
 カルノーの口調には、誠意があった。彼の職業を思えば、その言葉の全てを信じる気にはなれないが、真剣な眼差しを見る限り、被験者の身を案じる心に偽りはないのだろう。少なくとも、あの隻眼の少佐よりは信用に足りる。
 それだけに、このあと展開される騒動は、マイクにとってまさしく想像外の出来事であった。

「あら?」
 はだけた宇宙服の襟元で、ぱたぱたと首筋を仰ぐ様子に気付いた女性士官は、人の良い笑みを浮かべながら話しかけた。
「脱いでもらっても構わないのよ。カジュアルにうるさいふねじゃないから。もっとも、あんまりセクシーなのは困るけどね」
「いえ……」
 苦笑いしつつ、首を振るカチュアは、改めてきれいな人だなと思った。自分と同じように、明るい茶色の髪をショートにまとめているが、いわゆるボーイッシュさは感じられない。
(大人の女性ひとって、みんなこんな風になるのかなぁ……?)
 憧れにも近い想いを抱いたカチュアは、慌てて首を振った。いけないけない。今はそんなこと考えてる場合じゃないのに。
 どうしたの? という表情で小首を傾げる彼女に、笑顔で応えてみせるカチュアは、傍らのティレルを横目でちらりと見やった。この部屋に案内されてから、かれこれ四十分近くが経とうとしているが、その間中ずっと、電源を入れていないミニノートの黒い画面を見つめたまま、なにやら考え込んでいる。
(あの眼帯の軍人と、何かあったの?)
 格納庫でのやりとりを思い出しながら、カチュアは声には出さず問いかけていた。
『なんにせよ、なかなかの腕前だったよ。うちでスカウトしたいくらいだ』
『……僕は、戦争に興味ないですから』
『ほぉう……。私には、まんざらでもないように見えるがね』
 そのすぐ後のことだ。ティレルが宇宙服を脱ぐなと言ったのは。理由は言わなかったが、いつにない強い口調に、カチュアもマイクも従うしかなかったのである。
 カチュアには、眼帯の男が二つ眼をしたモビルスーツのパイロットだと、すぐに判った。高圧的な感じの声に、聞き覚えがあったからだ。何かこう、嫌悪感のようなものを抱かせる男——。
 ティレルの乗ったメッドは、連邦軍のモビルスーツに導かれて、この軍艦——イグニス・ファタスとかいう名前の艦だ——に降り立った。スワローテール号が接舷するより早く。カチュアが乗艦したときには、既に眼帯の男と並んでいた。彼女が耳にしたのは、その、あまり友好的とは言えない会話の、最後の一コマに過ぎない。
 そこに至るまでの間にどんな会話が交わされたのか。無線が切れている間に何があったのか。気になることは山ほどあるのだが、カチュアは、それをティレルに尋ねる気にはなれなかった。
 こういう場所だから、というのはもちろんある。かといって、工場に戻れば聞けるかと言うと、正直なところ自信が無かった。今回の騒ぎに巻き込まれたのは、ひょっとすると、偶然じゃなかったのかもしれない。そんな漠然とした不安が裏付けされてしまうような気がして、どうしても躊躇われるのである。
(ティレルは無関係、だよね?)
 膝に抱えたヘルメットを玩びながら、もう一度ティレルを見やったカチュアは、不意に鳴り響いたインターフォンの呼び出し音に、思わず腰を浮かせた。幸い、どちらにも気付かれなかったようで、ほっと一息つくと、立ち上がった女性士官の方に目を向ける。彼女の背中越しに、ディスプレイに映る男の顔が見えた。
(……警察の人?)
 縁なし眼鏡の男が軍服姿ではなかったので、ふと、そんな風に思うカチュアだったが、女性士官の「大尉」という呼びかけに、軍人なのだと理解する。
 男に一つ二つ頷くと、女性士官は受話器を置いた。画面がブラック・アウトする。と、その時だった。
 すっと立ち上がったティレルが、カチュアがそれと気付く間もなく床を蹴る。右手には自分のヘルメット。彼はそれを、振り向きかけた彼女めがけて思い切り投げつけた!
「な、何を!?」
「ごめん!」
 突然のことで狼狽する彼女のみぞおちに、ティレルは口こそ謝りながら、躊躇うことなく肘を入れる。
 崩れ落ちる彼女を両手で支えると、ティレルは静かに壁にもたれかけさせた。驚きのあまり声もないカチュアは、ただ呆然とするばかり。やがて、彼はヘルメットをスーツのアタッチメントに取り付けると、何事もなかったように振り向くのだった。
「行くよ、カチュア」

 カチュアの手を引くティレルは、呆れるほどに落ち着いていた。人の流れの合間を縫って、無重力区画を迷う素振りも見せずに流れて行く。
 一度だけ、横合いから流れてきた兵士に見咎められたが、その時も間髪入れずにトイレの場所を尋ねたものだ。ちらっと隣に視線をやる彼の様子と、落ち着きのないカチュアの表情から、彼女が我慢しているものと思ったらしい兵士は、二人を笑顔で通してくれた……。
 兵士に礼を言って、教えられた角を曲がるティレルは、そこにトイレがあることを知っていた。むろん、目的地ではない。それはノーマルスーツルームに隣接して設けられており、通り過ぎて突き当たりを折れれば、エアロックに辿り着けるのである。
 実のところ、連れられてきた道を反対に行っただけなのだが、彼のとっさの機転に気付いたカチュアは、自分が不名誉な役を押しつけられたことも忘れて感嘆した。
「ねえ、どうするの?」
 エアロックに入ったところで、彼女は思いきって訊いてみた。が、ティレルは答えない。
「いいから、バイザー降ろして」
「でも……」
 言いかけるカチュアを遮って、彼女のヘルメットに手を伸ばしたティレルは、バイザーが降りたことを確認すると、コツンと額を合わせた。
『大丈夫、伯父さんのことなら心配ないよ』
「えっ……?」
 再びティレルに手を引かれながら、カチュアはエアロックを出た。途端、外部無線を通してデッキの喧噪が伝わってくる。
 恐る恐る辺りを見回すカチュアだったが、二つの小柄な宇宙服を気に留めるほど暇な者はいないらしい。天井近くの配管沿いに進むカチュアは、ほっとしながらもティレルはどうするつもりなのかと思った。
 スワローテール号はこの艦の船底に係留されている。が、そこに通じるハッチは当然の如く閉じており、その前で力なく佇むメッドを使ったところで、簡単に開けられるとは思わない。仮に開けることが出来たとしても、スワローテール号程度の足では、すぐに捕まるのがオチだろう。
 と、正面上のハッチから、モビルスーツがゆっくりと降りてきた。ブルーグレーに彩られた一つ眼の機体だ。コクピットから半身を乗り出したパイロットが、取り付くメカマンとなにやら話している。
「カチュア、ちょっと持って」
「え?」
 不意に振り向いたティレルが、左脇に抱えていたノートパソコンを、彼女に押して寄越した。
「いいけど……」
 受け取ったカチュアが、右手でそれを胸元に抱え込んだ瞬間、
「カチュア、ごめんっ!」
 言うや否や、彼女の左腕を両手で掴むティレルは、まるでハンマー投げのハンマーのように、眼前のモビルスーツめがけて彼女を放り投げた。
「きゃあっ!?」
 思わず丸くなるカチュア。その体は、巨人の胸元に向かって、くるくると一直線に流れて行く。そして、ビリヤードのボールよろしくメカマンを弾き飛ばすのだった。
「うわっ!」
「なんだ?」
 とっさに腕を伸ばしたパイロットが、漂うカチュアの体を引き寄せる。民間人の少女と気付いたパイロットは、バイザーの下で怪訝そうな表情を作った。
「おい、一体……」
 が、彼もまた、全てを言う前に突き飛ばされていた。遅れて後を追ったティレルが、膝蹴りを食らわしたのである。
 コクピットハッチを掴んで流れる体を止めたティレルは、カチュアの手を引いてコクピットに滑り込んだ。シートに腰掛け、手早くハッチを閉じる。そして、流れるような動作で機体を始動させた。

 ブゥン!

 モビルスーツの一つ眼に、赤い光が灯る。
「な……っ!」
 スラスターを噴かせて上昇に転ずる機体を見たパイロットが、驚きの声を上げる。
「ブリッジに!」
「なんだと!」
 モビルスーツデッキからの知らせに、メドヴェーチ艦長は思わず声を荒げた。
「逃がすな! ハッチ閉じろ!」
 すかさず命じると、通信士に向かって言う。
「コクピットに繋げ」
「ダメです、チャンネルが切られています」
「チッ……。カルノーはどうした?」
「所在不明」
「呼び出せ!」
「りょ、了解」
 萎縮した部下をキャプテンシート上から睥睨するメドヴェーチは、渋面に髭を歪ませながら思わず漏らしていた。
「ガキ共が……」
 一方、そのモビルスーツのコクピットでは、ようやく事態を飲み込めたカチュアが、慌てて止めさせようとしていた。
「ティレル、無茶よ! ほら、ハッチが閉じ始めてる!」
「いいから、黙って掴まってて」
 静かに応えるティレルは、全く動ずることなく機体に新たな指示を出した。背中に腕を回した鋼の巨人が、光る刀、ビームサーベルをゆっくりと抜き払う。
 それが意図するところは、遠巻きに見守る兵士の誰に確かめるでもなく、明らかだった。
「……やむを得ん。開けてやれ」
 インターフォン越しの管制官に向かって、苦々しげに命ずるメドヴェーチ。モビルスーツの装甲をもバターの如く断ち切れる武器で、艦を中から破壊されてはたまらない。
「左舷機銃、射撃用意。哨戒中の機体も呼び戻せ。間違っても直撃させるなよ」
「了解!」
「キャプテン、ブリーフィングルームよりカルノー大尉です」
「回せ!」
 気絶していた少尉を抱え起こしたところで、艦内放送による呼び出しを受けたカルノーは、彼女を同行したマイクに委ねた。インターフォンを取り、ブリッジに繋ぐ。間もなくディスプレイに映し出された艦長の表情に、何か面倒な事態が起きたことを悟るカルノーであったが、告げられた内容は、彼の想像を遙かに超えていた。
「……なんですって?」
『例のガキにバーザムを一機奪われた。今から外へ出す。とにかく、ブリッジに上がってくれ』
 一方的に告げると、メドヴェーチは彼の返事を待たずに回線を切った。ブラックアウトした画面には、眼鏡越しに呆然と焦点の定まらぬ視線を向ける、カルノーの顔が写り込むばかり。
「なぜ……」
 その呟きは、幸いにも鳴り響く警報音に掻き消され、様子を伺うマイク・コーウェルの耳には届かなかった。だが、マイクは彼の表情から、微かな疑念を抱き始めている。カルノーが先に自分に語った理由だけで、ティレルを追っているのだろうか、と。
 もっとも、マイクがはっきりとそれを意識したのは、しばらく経ってからのことである。
 開放されつつあるハッチの動きに合わせるように、バーザムのメインバーニアが輝きを増して行く。脚部スラスターにも同様の光が灯り、僅かに踵を浮かせる鋼の巨人は、乗り手の意志を示すように、力強く顔を上げた。
「しっかり掴まってて」
 カチュアに向かって言うや否や、バーザムを発進させるティレル。ハッチが開けきるのを待たずに飛び出す機体は、星空を目指して一気に加速した。眼下に輝くイグニス・ファタスの白い船体が、見る間に遠ざかって行く。漆黒の宇宙にぼんやりと浮かぶ白い艦は幻想的ですらあったが、シートに必死でしがみつくカチュアに、それを楽しむ余裕はない。
 イグニス・ファタスより放たれる閃光の恫喝に、カチュアの心は震えた。

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