星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第二章 煙突島

 サイド2、19バンチ。煙突島アイランド・チムニーの通称で呼ばれるそのコロニーは、軽工業主体の中小工場が集まった、文字通りの工業コロニーである。ジオン共和国ことサイド3最大の複合企業、ツイマッド社のサイド2支社を始め、アナハイム・エレクトロニクスの関連企業などが数多くこの地に居を構えていた。
 もっとも、密閉空間であるスペース・コロニー内の工場が、本当に煙突を設けているわけはない。新社会の構築に従事した第一世代の宇宙移民たちが、故郷である地球の風景に思いを馳せて、そう呼んだのが始まりだった。
 が、今ではその由来を知る者は数えるほどしかなく、昔日の賑わいもまた、記憶の彼方である。
 その煙突島の入り江では、コーウェル整備工場に籍を置く作業船スワローテール号が、入港の順番を今や遅しと待っていた。最近では珍しいことだ。
「全く、いつまで待たせるのよ」
 チューブ入りドリンクを飲み干したカチュアは、何度目とも知れない苛立ちの声を上げた。一隻や二隻ならともかく、四隻見送ってもまだとくれば、腹を立てて当然というものである。
「次が出たら、だってさ。何かあったらしいよ」
 操舵席に座るティレルが、ほとほと困り果てた表情で振り向き、無線のスピーカをオンにした。いろいろ調べていたのだろう。あわただしく指示の飛び交うチャンネルは、19バンチの管制官、ミルトン・バウアー以外の声を拾っていた。
「何かって、何よ?」
「詳しくは分からないけど、行方不明の船がどうとか……」
 憮然としたカチュアの問いに、眼鏡の下の黄色い瞳を曇らせると、ティレルは傍らに据え付けたノート型パソコンのキーボードを叩き始めた。サイド2港湾部の管制情報にアクセスを試みたようだったが、やがて小さく嘆息して首を振る。満足できる情報がなかったか、あるいは回線がパンクしているかのどちらかだろう。
 こうなってはお手上げである。カチュアもまた、諦めたように吐息を漏らすと、船外に視線を転じた。確かに、行き交う船舶の光がこの時間帯にしては多い気がする。その大半が、この船より航続距離の短い小型船なのだろう。このときばかりは、自分の乗る船の高性能さを呪う、カチュアだった。
 上から見たときの、両舷が弓なり状に後部に張り出したシルエットが特徴的なスワローテール号は、元は五人乗りの古い船である。中古で購入した船に、コーウェル整備工場きっての腕利き技師、イワン・コロノフが改造に改造を加え、未だに現役として活躍し続けていた。元からあった電磁クレーンやマニピュレーターなどの装備が生きたのは言うまでもないが、甲板にワーカーを乗せるスペースのあったことが幸いしたのである。
 近年、ティレルも加わって制御機器を載せ換えたスワローテール号は、空いたスペースに空気タンクやバッテリー、冷蔵庫などを増設して、ますます快適な作業船へと変貌していた。そんな余裕のある船に二人しか乗っていないのだから、こういう時に待たされるのは、ある程度仕方のないことかも知れない。
「はぁっ……」
 諦めてシートに腰を落ち着かせるカチュア。が、ノートパソコンを持ち込んでいるティレルと違って、暇つぶしの道具がない。仕方なく、飲み干したばかりのドリンクのチューブを玩んでいると、港口から見覚えのある船が出てきたのだった。
「あれ? ネッドんとこの船じゃん」
 色あせた茶褐色の四角い船体に、白ペンキで“HARVEY”と大書きされたその船は、幼なじみのネッド・ハーヴェイの父親が、個人で営む運送会社のものだ。スワローテール号ほどではないが、こちらも古い船である。
 と、向こうでも彼女たちのことに気づいたようで、
『よう、カチュア。お疲れ!』
 髪を短く刈り上げたネッドの、ようやく精悍さを見せ始めた顔がディスプレイに映し出された。が、どことなく元気がないのは、気のせいばかりではないだろう。
「何? 仕事?」
『ああ。月経由でサイド5まで、ちょっとした小旅行さ』
 ぶすっと答えるその様子が、理由を克明に物語っている。
「えーっ! じゃあ、今度のコメッツ戦はどーすんのよ?」
『……悪ぃ、キャンセル。チケットはさっき送っておいたから、ティレルでも誘って観てきてくれや』
 ガックリとうなだれるネッド。フットボールの試合を見に行けなくなったのが、とにかく悔しいのである。
 サイド2のチームとして、実に四年ぶりにスペースリーグの一部に昇格したFCバーセルは、破竹の勢いで勝利を重ね、現在三位に位置していた。久しく明るい話題に恵まれなかったサイド2である。首位も十分に狙えるとあれば、盛り上がらないはずがない。
 かつては、首位争いの常連に名を連ねるほどの強いチームが、サイド2にもあった。カチュアがフットボールに興味を持ったのも、ネッドと親しくなったのも、両親に連れられて応援に行った、そのチームの試合がきっかけだった。家族総出で、揃いのユニフォームを着て応援した時の記念写真は、今でもネッドの家に飾ってある。
 そんなサイド2自慢の強豪が、チームごと消滅したのは四年前。ティターンズの反乱が、最悪の形で一般大衆に牙を剥いた結果である。以来、サイド2は少なくともサッカーの表舞台からは、完全に切り離されてしまっていた。
 一部リーグに昇格しただけでも話題だったのだ。それが、月に本拠地を置くコメッツを迎えての二位争い。チケットは当然、即日完売だった。その貴重なチケットを入手できたこともあって、ネッドは意気揚々とカチュアを誘ったのだが……。
 いろんな意味で、元気のないのが当然だった。
「いいのか?」
 ティレルがやや皮肉っぽく尋ねたのは、彼の密かな企みを知っているからだ。
『仕方ねぇだろ? それより、録画頼むな。ハッテローカルとルナスポーツ』
「オーケー」
『くっそー、ついてねぇよなぁ〜』
 頭を抱え込むようにして、ネッドの姿が沈んで行く。いくら家業のためとはいえ、己の不運を呪わずにはいられない。
 と、その幾分大げさな落ち込みように業を煮やしたのか、
『たかがサッカーの試合を逃したくらいでなんだ、みっともない』
 父親であるボブの怒鳴る声が割り込んできた。次いで、無精ひげを生やした顔が、ディスプレイ一杯に映し出される。
 なにやらブツブツ続けるネッドをもう一喝すると、
『カチュア、済まないな。うちもクレームが行ってて、背に腹は代えられないんだよ』
 こればかりは、情けないような、申し訳ないような感じで言う。腕っ節の良さで知られるボブだが、心なし小さく見える様子が滑稽でもある。相手が相手だけに、気を遣っているのかもしれない。
「はあ……」
 カチュアにしてみれば、別に試合を見に行けなくなったわけではないので、反応に困るところである。ネッドには悪いが……。
「それより、何があったんですか?」
 彼女の気持ちを読んだわけではないだろうが、ティレルが話題を変えた。
『あれ? 知らなかったの?』
 ディスプレイの向こうで、何も知らないネッドが意外そうな声を上げる。
『レッドアローっていう、ツイマッドの仕事を受けてた輸送船が行方不明らしい。戦闘に巻き込まれたんじゃないかって、もっぱらの噂だ』
「戦闘、て……」
『あくまでも噂だよ』
 そうボブが答えたとき、
『スワローテール号。こちら19バンチ管制塔。第二ゲートより入港してください』
 待ちに待った入港指示が、煙突島の管制塔から入った。それまでのんびり構えていたティレルが、慌ただしくスワローテール号の操作を始める。
『んじゃ、カチュア、またな』
「うん。気をつけてね」
 それを合図に、ネッドとの会話も終わった。ディスプレイが再び暗闇を取り戻す。替わって、19バンチの初老の管制官、ミルトン・バウアーのしゃがれた声が、無線機を賑わせるのだった。
『いやー、二人ともすまんすまん』
 ガイドビームに向かって、ゆっくりと進むスワローテール号を迎えるミルトンの口調は、どこか身内的だ。まるで孫の機嫌をとるような、そんな調子である。
『サイド2全体で規制をかけてるもんだから、なかなか上手く回せんでな。申し訳ない』
「全くよ。このまま窒息しちゃうんじゃないかと思ったわ」
 そんなミルトンの弁解に、カチュアが口を尖らせる。すかさずティレルが、
「待たされた時間分の空気代くらい、弁償してもらわなきゃね」
 と言ったものだから、ミルトンはさぞかしギョッとしたことだろう。スピーカの向こうで一瞬、絶句する様子が伝わってくる。
 二人は顔を見合わせると、笑った。ミルトンの妻シャロンが工場に出入りしていることもあって、まんざら知らない仲ではないのだ。
『……ディナーで勘弁してくれよ。お土産くらいはつけるからさ』
 からかわれたと分かったミルトンが、苦笑混じりに言った。その答えに、今度は喜色を浮かべて笑う二人。ミルトンがそう言ったときには、かなり太っ腹にご馳走してくれることを知っている。
「なあ、じいさん、戦闘だって?」
 ひとしきり笑ってから、ティレルが尋ねた。
『相変わらず耳が早いな』
「まあね。で、本当なの?」
『いや、それがはっきりしないんだ。捜索隊が確認に向かったところまでは、情報が入ってるんだがな』
 そこまで言って、不意に声を潜めるミルトン。
『ここだけの話、連邦軍が出張ってきてるらしい。守備隊の連中がピリピリしてたよ。戦争って訳じゃないんだろうが……。ま、そのうち何か発表があるだろうて』
「連邦軍がねぇ」
 そのやりとりを聞いていたカチュアは、何気なく右手の窓に目をやった。コロニー守備隊や、駐留連邦軍の艦艇が出入りする方角へと。特に詳しいわけではないが、ちょくちょく宇宙に出ているカチュアである。軍艦の形くらいは覚えている。
「……あのふねのことかな?」
 果たしてカチュアの視線は、見慣れぬ戦艦の姿を見つけ出すのであった。

「挨拶は、一足先に済ませてきたようだな?」
 ハッチの開放音に、キャプテンシートに座るビクトール・メドヴェーチは、髭の濃い顔を振り向かせた。襟元をきっちり締め、制帽を頭に乗せた様子から、顔つきから受ける印象とは裏腹の性格が伺える。
「まあな」
 その声に応えるパイロットスーツの男は、メドヴェーチとは対照的に、ラフな感じを受けるのであった。ファスナーを胸下まで降ろしているのがそう思わせるのかもしれないが、自然のままにと言う形容が適した量のある金髪は、規律などどこ吹く風というように、ブリッジを流れる体に合わせて揺れている。過去の戦闘で痛めたのだろうか。左眼を黒い眼帯で覆っているのが印象的だ。
 が、それでいて見る者に粗野な印象を与えないのは、端整な顔立ちのせいばかりではないだろう。
「連中、だいぶピリピリしてるぜ?」
「結構なことだ」
 メドヴェーチの嘲笑に合わせる素振りも見せない声の調子は、右眼に湛える光と同様に、冷ややかである。
「で、提督はなんと言ってきたんだ?」
「11バンチは避けろ、とさ」
「……?」
「コメッツがお気に入りらしい」
「ああ……」
 男は、メドヴェーチの言葉にようやく納得した。例のスターリーグ二位攻防戦が開催されるコロニーである。何かあっては、スポンサーのアナハイムが黙ってはいまい。
「それより、連中から招待状が届いているぞ。どうする? ジーベルト少佐」
「せっかくの誘いを断っては、相手に失礼だろう」
 男——ラディ・ジーベルトの含みのある答えに、メドヴェーチは無言で笑った。
 第一ゲートからの入港を認める通信が、3バンチコロニーより入る。同時に、彼らの乗艦、イグニス・ファタスを先導していたサイド2守備隊の所属機が、グリーンの機体を煌めかせながら去って行く。
「……さて、お手並みを拝見させてもらおうか」
 コロニー内に消えて行くメタスⅡの光跡を追う男は、その口元に初めて笑みらしきものを浮かべた。

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