星のまたたく宇宙に

作:澄川 櫂

第三章 守備隊の憂鬱

「中尉、替わります」
「済まない、ダウナー軍曹」
「いえ!」
 3バンチコロニーに入ったメタスⅡのエミリア・パレットは、待機していた若いパイロットにコクピットを譲ると、ハッチを蹴った。迎えのエレカに向かって流れながら、ヘルメットを外し、物憂げに頭を振る。艶やかな栗色の髪が、移動を始めたメタスの廃熱風に吹かれ、僅かに揺れる。
「チッ……」
 パレットは小さく舌打ちした。なま暖かい風に不快感を覚えたから、と言うわけではない。RGZ-90Xなる機体に乗っていた、男の言葉を思い出したのだ。
 誰何の声を上げる彼女に、男はただ一言、正規軍でも無い輩に答える義務はない、と言った。確かに、サイド2守備隊は連邦軍ではない。ハッテ政庁に属する、いわば州軍のような存在である。軍規に触れるようなことまで伝えることはできないだろう。
 だが、非戦時下においては、コロニーや月の近海に部隊を展開する場合、地球連邦軍は各政庁に対し、事前に連絡を行わなければならなかった。それは、地球連邦を構成する各政庁と連邦政府の間に交わされた協定であり、コロニーが連邦軍の進駐を認めている条件の一つでもある。男の取った対応は、その前提を覆す行為であった。
 むろん、過去にこういったケースがなかったわけではない。所詮は力関係である。連邦軍の存在意義が、スペースノイドを中心とした反連邦運動の抑制にある以上、協定はしばしば無視され、どんな抗議も僅かばかりの謝罪の言葉で片付けられた。が、それも数年前までの話だ。
 ティターンズの反乱以来、統制がとれないでいるのが、今の連邦宇宙軍である。反乱部隊の生き残りや、軍中枢に潜り込んだ不穏分子による所属詐称、偽りの作戦行動といった事件が、現実問題として起こっていた。
 事前連絡なしの作戦は、現時点では危険過ぎる行為なのだ。各政庁の防衛組織はもちろんのこと、駐留連邦部隊にすら、疑われる可能性がある。
 だが、イグニス・ファタスは間違いなく、正規軍の艦であった。ルナツー第二艦隊所属の新鋭艦である。それだけに、男の真意が解りかねた。
(……我々を挑発しているのか?)
 と思ってみる。あり得ない話ではないが、理由が分からない。
「随分とおかんむりだな? エミリア」
 その声が足下から投げかけられたのは、パレットが脳内で不毛な推論を展開し始めたのと同じタイミングであった。エレカの助手席脇に、同僚のミッシェル・クラフト中尉が苦笑を浮かべながら立っている。刈り上げた黒髪が似合う、精悍な顔立ちの男だ。
 パレットには、深く考え悩むと眉間にしわを寄せるという妙な癖があった。クラフトの言葉は、おそらくその表情から連想したものだったのだろう。見られた、と思い、パレットはにわかに慌てた。
「み、ミッシェル!? どうして?」
「中佐殿のお供だよ」
 そんな彼女の反応にさらに苦笑すると、クラフトは流れてきたパレットの体を受け止めながら言った。中佐というのは、サイド2守備隊を束ねるウィリアム・ステファンのことである。
「え……?」
 パレットが怪訝な顔をしたのも無理はない。ステファン中佐には、専門の護衛が常時二人は付いている。パイロットであるクラフトがわざわざ同行する必要はないはずだ。
 そのことを言うと、彼は表情を曇らせた。
「相手が良くない」
「……? ルナツー第二艦隊の所属じゃないの?」
「所属に間違いは無いんだが、乗っている連中が問題でな」
 と言って、声を潜める。
「ルナツー工廠兵器開発局付属機動戦術研究部隊。通称232実験部隊」
「232実験部隊って、元ティターンズの……」
 思いもよらぬ相手の素性に、パレットは思わず息を呑むのだった。
 地球連邦軍内部において、232実験部隊の通称で呼ばれる部隊は、その正式名称が示すように、機動兵器の開発、および運用に必要な諸データの収集を目的とした特殊部隊である。これだけならさして珍しくもないのだが、問題は、それがティターンズの発足に際して新設された部隊であることだった。
 ティターンズ。スペースノイドから怨嗟の響きを込めて呼ばれるそれは、一年戦争終結後、度重なるジオン公国軍残党の跳梁に業を煮やした連邦軍が、彼らを撲滅するために作った組織の名前である。鷹の旗を陣頭に立てた黒い軍隊は、地球出身者のみで構成されたエリート部隊であったが、傲慢は彼らの独走を誘い、その爪は全てのスペースノイドに向かって突き立てられた。自らの意に添わぬ者を悪と称し、弾圧に乗り出したのだ。
 彼らの行為が、スペース・コロニーへの毒ガス注入という、常軌を逸したものにまでエスカレートしたとき、スペースノイド系の連邦部隊は行動を起こした。反地球連邦政府運動の頭文字を取って呼ばれたエゥーゴ運動に、自らの装備を伴って参加したのである。
 一年戦争の教訓を生かすことのできない政府に、見切りをつけた結果だった。
 この、連邦軍を二分しての争いは、激しい消耗戦を続けた末、ティターンズ主力部隊の壊滅をもって終結した。が、薄氷の勝利を拾ったエゥーゴに連邦を改革するだけの力はもはやなく、宇宙暦89年、連邦軍に統合される形でその組織は事実上消滅。地球連邦政府並びに地球連邦軍は、あれだけの内乱状態に至りながら、組織上は何ら変化を遂げることなく、今日に至っているのである。
 232実験部隊は、それを象徴するかのような部隊であった。彼らは、ティターンズの嘱託機関として設立されながら、世論を反ティターンズへと追いやった“ダカール演説”の直後にティターンズとの関係を断ち、その結果、連邦軍の一部隊として今なお機能している。エゥーゴを前身とするサイド2守備隊の面々にとって、それは苦々しいばかりの現実であった。
 ウィリアム・ステファン中佐は、元エゥーゴの人間の中でも、232実験部隊のようなティターンズに縁のある部隊を毛嫌いしていることで、特に知られた人物である。パレットは、クラフトの同行した理由がようやく理解できた。
「なるほどね。中佐の鎮静剤って訳だ」
「まあ、そんなところかな」
 こればかりは、クラフトはげんなりした表情で答えるのであった。
 彼自身には、元エゥーゴ、元ティターンズという拘りはない。ただ、サイド2守備隊という自警団の存続に与える影響を心配していた。
 マクロ的には何の変化もなかった地球連邦だが、政庁レベルというミクロ的な視点から見ると、大きな変化が生まれていた。その最たるものが、各政庁が保有する防衛組織の強化であろう。それは、月とサイド2において顕著であった。
 月面都市グラナダ、アンマン、そしてサイド2は、いずれも“グリプス紛争”と呼ばれる争乱の初期の段階から、政庁を上げてエゥーゴ運動に参加した地域である。それ故、ティターンズが事実上の連邦軍であったときには、事あるごとに攻撃の対象とされた。特にサイド2は、スペースコロニーという立地上の脆さが徒となり、幾度と無く皆殺し作戦の舞台となったのである。
 三度の毒ガス攻撃と、密閉型コロニーを改造した超巨大レーザー砲による直接攻撃。その全てを防ぐことは到底叶わず、二基のコロニーが全滅の憂き目にあった。その行為を是認した連邦政府が生き続けると判ったとき、ハッテ政庁が自らを守るために武装する決意を固めたのは、ごく自然な成り行きと言えよう。結果、サイド2に育ったエゥーゴ部隊の大半が、守備隊としてハッテ政庁の指揮下に取り込まれたのだった。
 実働部隊として、装備、練度共に高い水準にあったサイド2のエゥーゴ部隊は、現行の連邦政府を良しとしない立場を最後まで崩さなかった。彼らのルーツである駐留連邦部隊の首脳部もまた、それを当然の反応として捉えている節があり、宇宙軍を掌握できずにいる連邦政府がハッテ政庁の動きを押さえ込むことは、実質的に不可能であった。事実、連邦政府は駐留連邦軍への軍事協力を条件に、サイド2守備隊の存在を認めている。
 だが、連邦政府の高官たちが、心の奥底ではサイド2守備隊を好ましく思っていないであろうことは、容易に想像が付いた。解体する機会を伺っていると見るべきだろう。ストレートな拒絶反応は、かえってその口実を与えるきっかけともなりかねない。
(いかにティターンズ嫌いでも、中佐がそんなヘマをするとは思えないが……)
 ステファン中佐は確かに激情型だが、状況に即した的確な指示ぶりには定評があった。それは、イグニス・ファタスから事情聴取を行うにあたって、駐留連邦軍指令エドワルド・パスカル大佐に協力を求めた事でも明らかだ。
 もっとも、クラフトの同行は、そのパスカル大佐直々の要望だった。大佐とはもう十年来の付き合いである。意図するところは容易に想像が付いた。
(つまらない目に遭うものだ)
 駐留連邦軍の司令部に向かって移動するエレカの助手席で、クラフトはパレットに気付かれぬよう、そっと嘆息するのだった。

 朝靄の中に佇むコーウェル整備工場の、オフィス兼住居となっている建物に、ぱたぱたという足音が響く。新聞を片手に食後のコーヒーを楽しんでいたマイクが顔を上げると、案の定、寝間着姿にスリッパを引っかけたカチュアが、寝癖頭もそのままに階段を下りてくるところだった。
「お、ようやく起きてきたな」
「おじさん、ごめん! 寝坊しちゃった」
 笑顔で迎えるマイクとは対照的に、カチュアはバツが悪そうに頭を下げた。今日は彼女が朝食の当番だったのである。本来であれば、もう一時間は早く起きなければならない。
「ハハハ、とりあえず、寝癖を直しておいで。ご飯はできてるから」
 その言葉に、寝癖のほどを手で確かめるカチュアは、ほのかに顔を赤らめ、礼を言う。
 ところが、
「礼ならティレルに言った方がいいな」
 マイクの口から返ってきたのは、意外な言葉だった。え? と、隣の休憩室に目をやると、こちらに気付いたらしいティレルが手を振っていた。
「どうしたの、ティレル」
 今は近くのアパートで一人暮らしをしているティレルだったが、半年ほど前までは住み込みで働いていたこともあって、未だに食事当番表に名前が載っていた。なので、代わりに作ってくれてもおかしくはないのだが……。
「あんた今日、休みでしょ?」
「コロノフさんの手伝い」
 カチュアの疑問に、ヨーグルトを口に運びながら、ティレルはこともなげに答えた。途端、呆れた表情を作るカチュア。
「またぁ? 今度は何をいじるの?」
「さぁてね」
「もう、素直に白状しろ」
 その勿体ぶった答え方に、カチュアはぷうっと頬を膨らませると、ティレルの首根っこを抱えて揺さぶった。当然のごとく抵抗するティレルだが、テレビから流れるニュースの声に、不意に顔を上げると動きを止めた。カチュアもまた、自然とそれに倣う形となる。
『ハッテ管制圏内で消息を絶った貨物船、レッドアロー号の行方は、守備隊、港湾局の夜を徹しての捜索にもかかわらず、未だ何の手がかりも掴めておりません。ビリー・ラズウェル船長以下、乗員六名の安否が気遣われています』
 原稿を読み上げる女性キャスターの顔が消え、次いでレッドアロー号の写真が映し出される。ナレーションは、レッドアロー号がアンマンの運送会社に籍を置く船で、ツイマッド社の依頼でサイド2の関連工場に荷物を取りに来る予定であったことを伝えていた。
「昨日の船のこと? 全く、迷惑な話よね」
 港外で待たされたことを思い出して、思わずそんな言葉を口にするカチュアは、気がそがれたのか、ティレルの首から腕を外すと、洗面所のほうに歩いていった。
「うん……」
 一方のティレルは、何か気になることがあるのか、専門家と称する人々の推論を流す画面をじっと見つめていた。が、それも最初のうちだけで、レッドアロー号遭難の報道が終わる頃には、台所で食器を洗い始めている。
 誰もいなくなった休憩所には、ニュースを順に読み上げるキャスターの声だけが、静かに響いていた。
『地球連邦宇宙軍ルナツー第二艦隊所属の戦艦、イグニス・ファタスが、3バンチコロニーに入港しました。イグニス・ファタスは三年前から配備の始まったラータイプの新型艦で、サイド2に寄港するのはこれが初めてとなります。今回の寄港の目的について、ビクトール・メドヴェーチ艦長は、親善のためとしています。
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