魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶
作:澄川 櫂
19.それぞれの決意
エレベーターを降り、リフトグリップを掴むカルヴァンの表情は冴えない。因縁の相手達の手によって、大気圏上層で燃え尽きた少女——彼の貴重な研究対象——が失われたからに他ならない。
もっとも、純粋な科学者としての落胆とは別に、感情的なものもある。彼女自身が願ったことかもしれないが、彼にとってのホリーは希望そのものであった。
(何が気に入らなかったというのだ……)
幾度となく口にしてきた言葉を内心で繰り返す。いや、答えは解っていた。あのような機械に閉じ込め、兵器としての活用を模索し続けてきたのだから。
だが、彼にも言い分はある。サハラの熱病に冒された彼女を救い、生き続けさせるために、他にどのような方法があったというのか。
岩窟ゲリラ達の間を取り持ち、両親と死に別れた幼子達の孤独を癒してきた少女は、自身もまた孤児であるにも関わらず、そのような背景などまるでなかったかのように振る舞った。あの眩いばかりの笑顔に癒された大人達——その多くは負傷兵だったが——も数多くいる。医師として彼らに付き添った自分の無力を、彼女は補ってくれた。
年若い兵士や本国に家族を残してきた兵達が息を引き取るその傍らには、いつも決まってホリーの姿があった。死期を察して訪れると気味悪がる向きもあったものの、幾度となく敵襲を事前に察知してきた彼女を知る仲間達からは、むしろ最後の苦しみを和らげる天の使いと認知されていた。
事実、ホリーに手を取られて旅立った者達は、そろって穏やかな笑みを口元に浮かべていた。それを誰よりも知るのは医師である自分に他ならない。だからこそ、彼女自身が病に倒れたとき、なんとしても救わねばと誓ったのである。
(連邦軍から見捨てられた我ら医療班が最後まで少佐に付き従ったのは、何も彼に命を拾われたからではない。お前さんの行動に心救われたからだ)
オデッサの戦いに破れ、敗残の将となったジャガー少佐は、その逃避行の途上でカルヴァンらを解き放った。占拠した敵拠点に取り残された哀れな医師達をみすみす死なせるには惜しいと。にも関わらず、カルヴァンを始め大多数の人員が彼らと行動を共にする道を選んだのは、この頃より体調を崩しがちになったホリーの身を案じてのこと。それ以外の感情は誓って無かった。
(なればこそ、私はホリー、お前さんを助けようと全力を尽くした。かつての伝を使い、宇宙に上がる段取りさえ付けた……)
無論、全てが順調にいったわけではない。色々と想定外のことも起きた。ジャガー少佐が精神の均衡を逸して銃弾に倒れるなどはその最たるものだ。
渡りを付けた月面の組織は、少佐の能力を買っていたからこそ、ダミーシャトルを用意してまでカルヴァンらを受け入れてくれた。故に、肝心の少佐がいなければ流浪の民と化すところであったが、メリル・ハントを代理に仕立て上げることでなんとか乗り切り、今日に続く地位を築いた。
全てはホリーの命を繋ぐために。
「……あのことを怒っていたのか?」
思わずその言葉が口を突いて出る。誰があのような結果になると予期できただろう。そう、あの日の出来事は、全て偶然の産物だ。
きっかけは前日に雇ったばかりの小僧がしでかした、くだらないミスだった。ホリーが横たわる医療機具と測定機器を繋ぐケーブルの極性を間違え、逆さまに取り付けたまま最大電力を流し込んだのである。結果、過電流に伴うスパークと共にホリーの意識は逆流してセンサーを突き破り、電子の海へと広がっていった。
数日後、唐突な磁気嵐が施設を襲うことを予期した彼女は、自己保存本能を存分に発揮した。複数のバックアップを作成してシステムを落とし、数日に渡る電子世界の危機的混乱を未然にやり過ごしたのである。事後にログを確認したカルヴァンは、シャットダウン実行の一部始終を知って唖然とした。
彼以外に誰一人知る由のない隠し管理者アカウント“ホリー”が、磁気嵐の発生する数秒前に一連のコマンドを流し込んでいた。接続元アドレスは他ならぬホリーの横たわる医療機具。彼女が自身の意志で行ったと判断できるに足る状況証拠に他ならない。
そして彼女の体は、歳を取ることを忘れた。極端に長く伸びた新陳代謝間隔から、我々現世の人間とは異なる刻の中で、未来を感じながら過ごしているとの仮説を立てたものの、いまだ実証できずにいる。
いや、証明するなど不可能だ。カルヴァンはそのことを誰よりも知っていた。傍目にはただ眠っているだけに見える少女が、施設に張り巡らされたセキュリティ機構を難なく掻い潜ってメッセージを送る。それは彼の信奉する科学とは程遠い、オカルトに属する事柄としか思えなかった。
他ならぬカルヴァン自身が偶然と見做していたのである。だが、ワーナーの構築したチャット上で問いに応える存在は、在りし日のホリーを彷彿とさせた。本人にしか知り得ない問いに対して間髪入れず正解を返し続ける様に、カルヴァンとワーナーは困惑するばかり。
「あなたは……ホリー?」
「そうよ。皆んなは?」
無邪気に応えた彼女の問いに、二人は答える術を持たなかった。
思えばそれが今日に続くすれ違いの発端だったのかもしれない。彼女の命を繋ぐためにはまとまった額の資金が必要であり、カルヴァンはホリーの奇跡を軍事技術として活用する道を選んだ。結果、彼の研究は一定の成果を得て独立したラボと試験用艦艇を手にした。
全てはホリーのため。彼女の有用性を示し続けるべく、カルヴァンは全身全霊を賭して研究開発に臨んできた。AIモデルを作り育てたのも、ホリーの負担を和らげる狙いがあってのことだ。
これが軌道に乗れば本人を連れ回す必要はなくなる。その実現まであと一息というところで、腹心と思っていたワーナーが裏切り、ハントも離反した。ホリーもまた、沈黙を貫き通した。
そう、彼女らの策は他ならぬホリーの協力なくして成し得なかった。システム構成上、常にモニタリングされていたホリーの思考は乱れることなく平静を保ち、AIモデルとのすり替えを完璧に隠匿した。それは即ち、彼女の心も彼から離れていたことを意味する。
(……なぜに私を拒む。そんなにも奴と同郷のあいつらを愛するか、ホリー。お前の力を頼むばかりの連中だったにも関わらず)
Jファングの整備を監督するカルヴァンは、ハード側がひと段落したのを見計らってコクピットに収まった。AIの調整はもはや彼にしかできない。組織の寄越したエンジニアは皆、ラー・ペトレールと共に散ったことだろう。ツルギも始末した今、この機体は文字通りカルヴァンだけのものだ。
「まさか、あの子が先に逝くとは思いませんでしたな。ジャガー少佐」
“J”のステータスモニターに手を当てながら、カルヴァンは口元に皮肉な笑みを浮かべた。この機体に搭載されたAIはむろん、ジェラルド・ジャガー少佐のコピーではない。AIモデル“H”のパラメータを戦闘向きに特化させ、少佐の戦技データベースで学習を積んだものだ。
ホリーの記憶と戦闘データが生んだ擬似パイロット人格。だが、モビルスーツの操縦に関しては、カルヴァンの見る限り、ジャガー少佐その人だった。
「……我々の宝、ホリーを亡き者にした連中を許せるか?」
彼の問いに応える声はないが、“J”のステータスには明確な反応があった。怒りとも取れる強く激しい反応が。
「ふふ、そうでなくてはな」
カルヴァンがジャガー相手に暗い笑みを浮かべていたその頃、アルバトロスではゴブリン・ゼロおよびゴブリン・ツーの調整が行われていた。前者をコレット、後者をハリエットが扱うために。特に、特殊兵装搭載機であるゴブリン・ゼロとコレットのフィッティングは、ラズウェル艦長が立ち合うほどの念の入れようである。
「えらく順調だな」
「彼女、ティレルの増幅フィルターを使っていましたからね」
作業進捗状況を確認したラズウェルの感想に、ショーンが応える。
「おかげでコンバートが捗りました。手間を省けた分、精度良く仕上がると思いますよ」
「調整なしで起動できたくらいだから、元々の相性も良いのだろう?」
「ええ。偶然が過ぎて怖いくらいに」
「あいつのことだ。ひょっとすると、こうなることを予期していたのかもしれんな」
「ありえますねぇ」
そうして会話を切り上げ、作業に戻るショーン。コクピット内のコレットへ指示を出す彼を尻目に、ラズウェルはモビルスーツ・デッキの奥を見やった。ズサの向こうに佇立する別の機体を。
アルバトロスが積んでいるモビルスーツの中で一番大柄なそれは、傭兵“グリズリー”の所有機だ。グリプス紛争末期に建造されたというジオン系のシルエットを持つ機体で、“DDIII”と呼称されている。改装に改装を重ねた出自不明の旧式機だが、メンテナンスを請け負ったイアン・ライト曰く、バランス良くチューンされた上等なマシーンとのことだった。
(愛機が恋しくなったわけでもないんだろうが……)
怒りに燃えるハリエットは、ゴブリン・ゼロにコレットを乗せるくらいなら自分が、と主張した。かつて凄腕のゲリラ頭目パイロットとして名を馳せた女傑の、鬼気迫る表情に呑まれ沈黙する者が多い中、“グリズリー”は静かに言った。
「あれは特殊な機体だ。仮に適性があったとしても、ブランクの長いあんたには無理だな。どうしても出たいんならゴブリン・ツーを使え」
「“ワン”ではないのか?」
「フィルはそんな柔じゃない。守るべきものがあるならなおのこと戦うさ」
口を挟んだラズウェルにそう告げると、
「それに、近接戦仕様の“ワン”より遠距離射撃戦仕様の“ツー”の方が、リハビリ向きだろう。幸い、俺には自前がある」
と続けたのだった。
「……まあ、戦力が増える分にはありがたいな」
ゴブリンシリーズの扱いは契約と密接に関わる事項であり、ラズウェルにパイロットを変える権限はない。だが、当人たちが望んでいる以上、あえて拒否する理由もなかった。
「あたしやります! やらせてください‼︎」
“ゼロ”のパイロットで揉めていた最中にやる気満々のコレットが駆け込んできたのは、リサの容態に問題がないと判った直後のことだ。後に聞いた話では、「母子共に問題なし」とのドクターの言葉を耳にした瞬間、すっ飛んできたらしい。
「次は前と状況が違う。練習してる余裕なんざないんだよ?」
「だったらなおさら、機体との相性で決めるべきじゃない。ね? “グリズリー”さん」
「ああ、嬢ちゃんの言うとおりだ」
「ほら」
愉快げな傭兵と養娘のやり取りに、ハリエットもついに折れた。軍の情報が正しければ、敵はそれなりの数のモビルスーツを保有している。“グリズリー”には乗り慣れた機体で出てもらった方が、多少有利かもしれない。
「なかなかに振り回してくれるね。あんたの忠告に従ってよかったよ」
そのゴブリン・ツーのコクピットでは、シミュレーションを終えたハリエットがブランクの長さを痛感していた。もっとも、彼女が現役だった頃に比べて、機体の出力や推進力は格段に向上している。加えてゴブリン・ツーは小柄でじゃじゃ馬な機体だ。慣らすのに時間を要して当然だろう。
「いやいや、数回でここまで動かせれば大したものさ」
“グリズリー”の言葉にお世辞めいた響きはなかった。
「悪いね、付き合わせて」
「俺が言い出したことでもある。気にするな。それより、あちらもだいぶ嬢ちゃんに感化されたように見えるが、いいのか?」
ニコルもまた、ズサのコクピットでシミュレーションに打ち込んでいる。ハイスコア“T.W”の幻影を追って。それなりに上達したと言っても、経験不足の感はまだまだ否めない。
だがハリエットは、ひとつため息を吐いて、頭を振るだけだった。
「慣れた機体で出るあの子を止める理由はないよ」
「そこでサーベルを使うのは、さすがにやめた方が良いかな」
シミュレーションをモニターしていたフィルの言葉に、ニコルは不満げに応じた。
「でも、こうすれば最短ですり抜けながら敵を倒せるだろ? あいつみたいに」
「もっと腕を上げればね。今のままだと避けられるだけで、逆に背後から撃ち落とされるよ」
「それは……」
言われて口籠もるニコル。確かに撃破こそされたことはないが、被弾する率は高かった。もちろん、サーベルが掠りもしてないのは言うまでもない。
「よほどの乱戦でもない限り、宇宙で白兵戦をやるのは難しいんだ。積極的に使うなら相手の意表を突かないと」
「意表を突く?」
「そう。例えばその機体なら……」
フィルの助言に頷くと、ニコルは早速シミュレーションを再開するのだった。
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