共和国緊張

作:澄川 櫂

CHAPTER. 4

「大尉、これは一体どういうつもりですかな?」
 翌早朝、ジオン共和国軍総司令部にハヤカワを訪ねた地球連邦軍軍事監督官ゲイルは、開口一番そう言った。階級は連邦軍におけるハヤカワと同じ大尉。だが、その口調は明らかにハヤカワを見下していた。
 軍事監督官、と言っても、その実体は単なる連絡士官である。
 各コロニー及び月面都市には、駐屯する連邦軍とは別に、各々が組織する防衛軍が存在した。サイド6のリーア軍や、エゥーゴ艦隊を前身とするサイド2守備隊がそれである。そして軍事監督官の仕事は、これら防衛軍の傍らにあって、駐屯連邦艦隊との連携を深めることであった。
 確かに、元々は各サイドの反乱を防ぐための監視役であった。だが、エゥーゴ対ティターンズという連邦軍を二分した抗争の結果、連邦宇宙軍は統制を失い、各サイド及び月面都市に駐屯する部隊は、今ではその大半が駐屯先との関係を重視している。軍事監督官はもはや、肩書きのみの名誉職に過ぎない。
 しかし、ことサイド3に関しては、事情が複雑だった。
 サイド3は、ジオン共和国という歴とした独立国家である。そのために唯一、駐屯する連邦部隊の無いサイドでもあった。同じく独立国家として中立を掲げながら、コロニー内に連邦軍を抱えているサイド6とは、根本的に異なるのである。
 それでも、連邦政府はサイド3を監視しようとした。それが、ハヤカワら戦技教育士官の派遣である。ハヤカワの前任、ナカトの率いる二代目までは、まさに監視官と呼ぶに相応しい所行を行っている。いや、やり過ぎだったと言うべきか。
 が、何の因果か、三代隊長ハヤカワはジオン共和国軍の司令に迎えられ、一見すると連邦の手が全く入ってない状況にあるのが、現在のサイド3である。これを知った連邦政府は慌てた。
 ゲイルが軍事監督官として急遽派遣されてきたのは、ネオ・ジオン軍が投降して二年以上も経った今年の頭。ハヤカワの戦技士官としての任も解かずに送り込んだのである。彼にしてみれば、軍に裏切られたようなものだ。
 ハヤカワがジオン共和国軍機動歩兵大隊々長の職を拝したのは、ほとんど成り行きである。ネオ・ジオン軍の脅威が去ってもなお、給与が支払われないとあっては生活できないからだ。が、連邦軍はそんなハヤカワの実状を顧みることなく、後任を派遣した……。
 だが、ゲイルと対するハヤカワが常に不機嫌なのは、このせいばかりではなかった。このゲイルという男、実はハヤカワと共に戦技士官として派遣され、ハヤカワによって送還された人物なのである。
 共和国市民の対連邦政府感情に危機感を抱いたハヤカワは、これを和らげるべく努めていた。フェスターをはじめとする部下もまた、就任時の共和国兵士らの視線におののき、ハヤカワの命令を真に受け止めたものである。
 だが、そういった憎悪の視線を挑戦と受け取る人間もいる。彼ら連邦士官の中では唯一、ゲイルがその部類に属していた。敗戦国の分際で生意気だ、とかえっていびり始めたのである。それを知ったハヤカワは、即座にゲイルを解任してルナツーへ送り返した。
 先に三人が神経をやられ、一年と経たずにサイド3を去ったと書いた。しかし実際には、その内の一人はハヤカワが病気と称して強制送還したのである。そんな経緯のあるゲイルが軍監として派遣されてくれば、不機嫌になるのが当然だ。
 そして、この手の人間のほとんどがそうであるように、ゲイルもまた、上官の威光を笠に着るタイプの男であった。共和国兵は勿論のこと、かつての上司であるハヤカワをも見下してやまない。
「友軍へ発砲するなど……。共和国に担ぎ出され、調子に乗っているとしか思えませんな」
 チンピラの如く迫るゲイルを、ハヤカワは無言で見返した。連邦軍とはこんな組織だったのか、と思う。
「軍法会議に臨む覚悟はおありかな?」
「それ以上の無礼は慎み給え、大尉」
 ハヤカワはピシャリと言った。
「……は?」
「私はジオン共和国軍機動歩兵大隊長、ジョージ・ハヤカワ中佐である。いかな軍事監督官とは言え、これ以上無礼を働くとあらば、即刻身柄を拘束する」
「ふっ……冗談を。共和国軍中佐である前に、あなたは連邦宇宙軍……」
「私は、連邦に養われているわけではない」
 口調こそ穏やかだが、ギロッとゲイルを睨み付ける。たじろぐゲイルが何か言いたげに口を開くが、もはやそれに構っていない。
「ロンド・ベル四番隊の度重なる越境に抗議し、我が国は貴官ら連邦士官の国外追放を決定した。なお、ロンド・ベル四番隊へは、本一〇〇〇時をもって、国境三万キロ圏外へ離れるよう勧告済みである。退去時刻以降の身柄は保証しかねる。よって、貴官らには我が国を即刻離れていただきたい」
「なっ……!」
 ほとんど宣戦布告である。ゲイルが絶句したのも無理はない。
 と、その虚をつくように、ハヤカワの副官フェスターが、武装した兵士数人を率いて司令部へ入ってきた。ゲイルが思わずギクリとなる。だが、まともに顔色を変えたのは、それに続くハヤカワの言葉が原因だった。
「連絡艇までの護衛だ。私の命に比較的忠実な者を集めたから、心配はない」
 既に身の安全は保障できない、と言外に忠告されたようなものだ。
 その時初めて、ゲイルはいかに自分が危険な状況に置かれているかを悟った。共和国兵らの敵愾心に満ちた視線が、にわかに気になりだしたのである。
 ゲイルは、自分が共和国兵に嫌われていることを知っている。知りながら彼らを嘲笑う。所詮は強い者に尾を振るしかできない連中だ。いたぶったところで何も出来まいと、高を括っていた。ハヤカワが連邦に籍を置いたままだったということも、彼を横柄にさせた。
 だが、それは誤りだったのだ。共和国兵は決して臆病ではない。ただ、国を守りたいという一心で、自らの怒りを押さえていただけなのである。
 それが、耐えることがもはや無意味であると判ればどうなるか?
 共和国軍を預かる身とは言え、連邦士官であるハヤカワは抑えにならないのだ。
 ゲイルは連邦政府が、ジオン共和国に自治権放棄を求めているなど思いもよらなかった。知っていれば、あるいは対応も変わってきたかもしれない。
「くっ……!」
 ゲイルは忌々しげにハヤカワを一瞥すると、部下と共に足早に去った。フェスターが敬礼して後を追う。と、その瞳が笑っていることにハヤカワは気付いた。
 思わず笑みを返すハヤカワ。
 ゲイルの護衛を命じるに当たって、ハヤカワは詳細を語らなかった。部下を連れてゲイルを送れ、と言っただけである。が、フェスターは今の短いやり取りだけで、ハヤカワが何をするつもりか読んだようだ。
「……フェスターのやつ」
 ハヤカワにとっては頼もしい限りである。小さく呟くと、
「ランツ曹長!」
「はっ!」
「全パイロットを緊急召集。三十分後、サダラーンにてブリーフィングを行う。各艦の艦長にもそう伝えろ」
「了解しました」
「総員、第一種警戒態勢にて待機!」
 歯切れの良いハヤカワの声が、指令部内に響き渡る。その司令部を包む雰囲気がこれまでと違うことに、彼はまだ気付いていない。

 ジオン共和国軍の兵力は、サイド一つを守る軍隊としては、さほど大きくなかった。
 モビル・スーツの内訳を見ると、アナハイムから購入したシュツルム・ディアスが三十六、ネオ・ジオン軍から接収したズサが十八、同じくガザCが十八。そして、旧式のリック・ドム改が十二の計八十四機。
 主力艦は全てネオ・ジオン軍からの接収で、エンドラ級巡洋艦ツェンドラ、同カンドラ、サダラーン級戦艦サダラーンの三隻。これに旧共和国軍より引き継いだチベ改級高速巡洋艦二隻、ムサイ改級軽巡洋艦七隻からなる補助艦艇九隻を加えた、合計十二隻の艦艇を運用している。
 もちろん、この他にもプチ・モビールや哨戒艇といった小型船舶を多数保有しているが、主要戦力はあくまでも九隻の軍艦、及び八十四機のモビル・スーツであった。
 ただし、ズサとガザCは二機一組で移動砲台的な使われ方をしており、リック・ドム改に至っては、旧式故に首都3バンチの防衛が限界である。ジオン共和国軍は実質三十六機のシュツルム・ディアスでもって、サイド3全域をカバーしなければならない。それだけに、連邦からサダラーンが払い下げられたのは僥倖であった。
 ネオ・ジオン軍旗艦として地球降下作戦にも参加したサダラーンは、機動力に優れた艦である。連邦のラー級戦艦に比べると、巨体の割に小回りが利いた。少ない兵力を効率よく運用したい共和国にとって、サダラーンはまさにうってつけの戦艦だったのである。
 だが、連邦はそのような共和国の思惑など知らない。数ばかりを気にし、サラミス級巡洋艦五隻を払い下げるよりは安心と、共和国側の申し出を認めた……。
 そのサダラーンのブリーフィング・ルームには、各艦の艦長、副艦長、それに全モビル・スーツのパイロットが召集され、人いきれで蒸し返さんばかりだった。空調は充分に利いているはずなのだが、各員の熱気がそれを無にしている。
 もっとも、それを不快に感じているものはいなかった。滲み出る汗を拭いもせず、これまでの経過と作戦概要を述べるハヤカワを見つめる。それだけ、今回の事態が深刻であると言うことだ。
 一通りの説明を終えたところで、ハヤカワは目を閉じた。これから彼に投げかけられるであろう、罵声を予期してのことである。
 今回の一件、理由はどうであれ、ハヤカワにも責任の一端があった。連邦軍からどのような挑発を受けようとも決して抗うな、というのが共和国全軍に出された至上命令である。それをこともあろに、機動歩兵大隊長自ら破ったのだ。
 いかに実質的な共和国軍司令の任にあるとは言え、独断で国家存亡に関わるやもしれない行動を取ったのである。追い払われたことを口実に、地球連邦が介入してくる可能性は高かった。
 ましてハヤカワは現役の連邦士官である。連邦の陰謀だと言われても仕方ない。この国に、ウェーバーやドロールのような人間は希なのだ。
 故にハヤカワは目を伏せた。たとえ殴られようが撃たれようが、甘んじて受けるつもりである。いや、むしろ全ての責任を問われた方がウェーバーのためになる。
 ところが、いつまで経っても非難の声は上がらなかった。誰もが一様に押し黙ったまま、ハヤカワをじっとと見つめている。それは決して、ハヤカワがサイド3に赴任してきた頃の、突き刺すような視線ではない。緊張感はあるが、何かこれまでとは違う感じがある。
 それに気付いたハヤカワは、ブリーフィング・ルームがこれまでとは異なる空気に包まれているのを初めて知って、にわかに戸惑った。改めて一同を見渡す。
 と、サダラーン艦長のレックス少佐と目が合った。彼は軍内部にあって、ハヤカワを理解する数少ない人物である。そのレックスが僅かに笑った。
「中佐は、質問はないのか、と仰っている」
 彼が言うと、ランツ曹長が手を挙げた。成り行き上、頷いてみせるハヤカワ。
「敵と交戦に陥った場合、撃墜して構いませんか?」
「……ん。出来るだけ艦艇ふねは落とすな。後々面倒なことになる」
「モビル・スーツは?」
「構わん。国境を侵すものは全て落とせ」
 にべもなくハヤカワが言った瞬間、場が和んだ。ほんの僅かな間ではある。だがそれは、赴任六年目にして初めて接するものであった。
「他にはないか? なければ、これで解散する」
「起立! 総員、敬礼!」
 レックスに続いて中隊長の一人が言い、全員がそれに習った。各々持ち場へと散って行く。
「敵艦が領海内に入ったら、砲撃していいんだな?」
「え? あ、ああ」
「沈めないよう、上手く誘導してくれよ」
 笑いながらレックスも去る。これで残るは、ハヤカワとランツ曹長の二人だ。
「中佐、私たちも」
 一同を呆然と見送ったハヤカワにランツが言った。これも、どこかさわやかな表情である。ついぞ見たことのない、人なつっこそうな笑顔だ。
「……ランツ」
「はい?」
「何が、あったのだ?」
「……みんな、嬉しいんですよ」
「嬉しい? 憎んでいるのではないのか?」
「そんなこと」
 怪訝そうなハヤカワに、ランツは微笑んだ。その意味するところが解らず、なおもしつこく尋ねると、無礼を承知で、と前置きした上で、
「中佐は昨日まで、地球連邦軍の大尉であられました」
 と言った。あっ、と声を漏らすハヤカワ。
「中佐は素晴らしい方です。ご自分の境遇をものともせず、私たちを育てて下さいました。その中佐を、どうして恨まなければならないんです?」
 そこまで言って、ランツは軽く目を伏せた。
「ただ……不安だったのです。いつか中佐が見捨てるんじゃないかと。だから、ゲイルに言った言葉が嬉しかった。中佐が、ここをご自分の国と考えていると知って、みんな喜んでいるんです」
 対して、ハヤカワは何も言えなかった。ただ、そうだったのか、と心の中で呟いただけである。
 戦技士官としての三年、そして、ジオン共和国軍機動歩兵大隊隊長としての三年。ジオン共和国で過ごしたこの六年間は、ハヤカワにとって限りなく孤独だった。地球連邦政府に対する共和国国民、特に国軍兵士達の憎しみは全て、連邦軍に籍を置くハヤカワに向けられる。
 前の三年間に関しては仕方なかった。名実共に連邦軍人だったのだから。だが、後の三年はどうだろう?
 ネオ・ジオンに軟禁されていたところを、今の首相で、当時レジスタンスのリーダー格を努めていたウェーバーに救われたのは大きい。実際、彼に請われるままドムを駆り、ハヤカワはフェスターと共にサイド3を解放した。
 が、今もってウェーバーの腹心を努めているのは、その人となりに惚れたからである。むろん、連邦に見捨てられやむを得ず、と言う部分も多分にあったが、ここ二年ほどは連邦に仕えているという意識は露もない。
 それだけに、事あるごとに鋭い視線を向けられ、あるいは感情の籠もらない会話をされれば、両国間の関係を存分に知り尽くしているハヤカワとて憤慨しようというものである。いつしかハヤカワの視線は、普段からサングラスを要するほどに鋭くなっていた。
 ハヤカワはそれを、己の境遇のせいだと思った。所詮、受け入れられはしないのだ、と己の不幸を呪った。
 しかし、そう思うことによって、ハヤカワは逆に壁を作っていたのだ。自分でも気付かぬうちに、彼らとの交流を断っていたのである。
 振り返ってみれば、ウェーバーから機動歩兵大隊長の任を拝したときも、自分は憎まれ役だと決めつけてはいなかっただろうか? 彼らの理解を得ることを、自ら諦めてはいなかっただろうか?
 現在の共和国軍を構成する兵士達の大半は、十代後半から二十代前半の若者達である。そしてパイロットに関しては、実にその九割までもが少年兵上がりだった。
 例えば、ランツ曹長の入隊時の年齢は十五歳。ハヤカワと優に一回り以上は離れているわけで、父と子、とまではいかなくても、教師と生徒ぐらいの関係にはあったのだ。彼らが敬愛の念を抱いたとしてもおかしくはない。
 だがハヤカワは、それに気付かなかった。いや、気付こうともしなかった。常に表情を押し殺して、これまで接してきた。そのようなハヤカワに、誰が心を開こうというのか。
「——ランツ。私は……」
「止して下さい」
 だが、ランツは言った。
「ハマーン軍進駐までの仕打ちにも関わらず、中佐はここを守るために戦われました。その心に応えられなかったほうこそ悪いんです。なんであんな……」
 と、悔いるように口ごもる。恐らく、ハヤカワが実質的な共和国軍指令となった日の事を言っているのだろう。あの日集まった共和国兵士達の視線は、決して友好的とは言えなかった。
 いかにハヤカワが解放の英雄であり、首相であるウェーバーの信任が厚いといっても、連邦軍の士官であることには変わりない。ハヤカワの戦う様を間近にした彼らの心中には、屈折したものがあったのだろう。
 あれからまもなく三年。能面顔のハヤカワを前に、屈折した感情は今日まで続いてきた……。
 ハヤカワは笑った。なんのことはない。互いに相手を解ろうと思いつつ、表層的なことで二の足を踏んでいたのである。実に単純、かつ、くだらない理由ですれ違ってきたわけである。
「いや、自分の未熟さを改めて思い知ったよ。一人相撲をしいてただけだったとはなあ」
 不審げなランツに笑いながらサングラスを外すと、
「ご覧の通り、俺は部下の心情も掴めない男だ。こんな男の下でも働いてくれるのかな?」
 ハヤカワは右手を差し出した。相変わらず目つきは鋭いが、その瞳に、先程までの他人を射すような色はない。握り返すランツが破顔した。

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