共和国緊張

作:澄川 櫂

CHAPTER. 3

 ジオン共和国政府は、現在もなお、サイド3・3バンチ市庁舎内に居を構えていた。いや、サイド3・3バンチ市庁はいまや、ジオン共和国政庁そのものである。
 かつて政庁のあった建物は、先のネオ・ジオン抗争のあおりを受けて、コロニーもろとも使い物にならなくなっていた。それを再建する余裕は、今の共和国にない。
 ロンド・ベル四番隊所属のモビル・スーツを領海外へと追いやったハヤカワは、帰投するやコートも羽織らず、共和国政庁のある白いビルへと向かった。共和国首相のウェーバーと、今後の対応を検討するためである。
 サイド3解放のいま一人の英雄、元警察庁警視ウェーバーは、国民の圧倒的な支持を受け、今は解放新政府初代首相の座にあった。まだ四十代の若い首相である。
 だが、日々の苦労を物語るかのように、その風貌はこのところ一気に老け込んで見えた。ハヤカワととおは違わないはずだが、もう十年ほど離れているのではと思えるほどだ。もっとも、頬は痩けても眼光は警視時代とさして変わらず、かえって精悍さを増したようでもある。
「緊急事態だ。首相にお目通り願いたい」
 そんなウェーバーの顔を思い浮かべながら、サングラスをしたままでハヤカワは言った。振り仰いだ受付嬢は、緊急事態という言葉に、不快そうな表情を見せつつも受話器を取る。礼儀知らずな男だ、とでも思っているのだろう。軍服の裾を整えながら苦笑するハヤカワ。
 彼が常にサングラスをしているのは、視線のきつさを隠すためである。
 サイド3での六年に渡る苦労の結果、ハヤカワの瞳はウェーバーなどとは比べものにならない鋭さを湛えるようになっていた。もし彼がサングラスを外していたならば、不快どころか怯えてみせたに違いない。
 サングラスにもどこか人を威圧するものがあるが、ハヤカワの視線ほどではなかった。
「会議室でお会いになるそうです」
 口調こそ丁寧だが、受付嬢の言葉はどこか勝ち気だ。
「ありがとう」
 再び苦笑して答えると、飾り気のないロビーをエレベーターへ向かう。

「いやぁ、ジョー。久しぶりだなあ」
「ああ。一ヶ月ぶりぐらいになるのかな?」
「ひと月も帰ってなかったのか、俺は。どうりで、頬も痩けるはずだよ」
 執務室にハヤカワを迎えたウェーバーは、頬をなでながら笑った。ハヤカワが独断でロンド・ベルを追い払った事を既に知っているにも関わらず、それを非難するような響きはどこにもない。
「まあ、立ち話もなんだ。とにかく掛けてくれ。先客がいるが気にすることはないぞ?」
 言って秘書にコーヒーを頼むウェーバーを前に、ハヤカワは笑いながらサングラスを取った。ハヤカワのダーク・ブラウンの瞳も、今は穏やかな笑みを湛えている。それは久しく忘れていた、ハヤカワ本来の眼差しであった。
 今のやりとりで分かるように、ウェーバーはハヤカワに心を開く数少ない人物である。そしてその性格は、元警察庁の警視とは思えぬ闊達としたものがあった。
 とにかく人が良い。だが、元警官らしい実直さでいかなる不正も許さない。故に、共和国の誰もが好感を持っていた。80%を越える支持率がそれを物語っている。
 だが、それだけに不安があるとも言えた。地球連邦の狸と戦うには、性根が真っ直ぐすぎるのである。時に劣悪な手段を用いるようでなければ、国を守ることなどできない。もっとも、その備えはあった。
「その制服姿も、ようやく板に付いたかな? 中佐」
「はは。どうやらこいつで、最後を迎えることになりそうです」
 言いながらハヤカワが微笑した相手は、ジオン共和国最大の複合企業、ツイマッド重工業社会長コンスタンティン・ドロール。この還暦を優に超えた老人こそ、ウェーバーらレジスタンスを陰で支えた人物であり、そして現在もなお“影の宰相”と呼ばれ、ウェーバー政権の外交戦術を担う重鎮であった。
 ツイマッド社は一年戦争当時、主にドムといった重モビル・スーツの製造に携わった企業である。そして、同じくモビル・スーツの製造に当たったジオニック社と異なり、戦後も解体されることなく生き続けてきた。
 ジオニック社ほど大きくはなかったにしろ、仮にもモビル・スーツを造っていた会社である。地球連邦政府の圧力がかかるのは目に見えていた。そのため、ジオン敗色が濃厚となってからのドロールの動きは、非常に目まぐるしいものがあった。
 ソロモン陥落の翌日には、グラナダ支社にアナハイム・エレクトロニクス社との接触を命じている。連邦と昵懇の仲であったアナハイムに、対連邦政府交渉の仲介を求めたのだ。むろん、ただでとは言わない。モビル・スーツ用燃核ジェット・エンジン製造技術を、惜しげもなくくれてやっている。
 当時、アナハイムはモビル・スーツ市場への参入に躍起となっていた。兵器、特に最新に属するものの市場は、それこそ莫大な利益を上げられるからだ。
 だが不幸にも、アナハイムには高性能MSを生み出せるほどの技術がなかった。連邦軍機のライセンス生産を行っていたものの、独力では民生用のプチ・モビールを造るのが精一杯だったのだ。
 そこへこの申し出である。アナハイム社会長のメラニー・ヒュー・カーバインが、この話に乗らないはずもなかった。連邦政府と共和国との間に終戦協定が結ばれた翌日、つまり〇〇八〇年一月二日には、早くも第一回目の折衝が連邦政府とツイマッド社との間に持たれている。
 ドロール自らが臨んだのは、それから十日後に行われた第六次折衝のこと。既に多額の賄賂でもって会社存続を十中八九認めさせたドロールだったが、この席でだめ押しとも言える提案を持ち出した。後にコロニー再生計画と呼ばれるのがそれである。
 連邦とジオンの激戦はおびただしい数の難民を生み出し、連邦政府はこれらの対策に早くも頭を痛めていた。難民を収容するためには、傷ついたコロニーの再生は急務である。しかし現実問題として、長い戦争によって疲弊した連邦の財政に、そのような余裕はなかった。
 ドロールの提案は、それら傷ついたコロニーの修復を無償で引き受ける代わりに、一切の経営制限を課さないで欲しいというものであった。もちろん、表向きは戦時賠償の一環として、ジオン共和国が行うのである。
 折衝に臨んだ連邦の官僚は、この申し出に驚喜した。連邦の懐を痛めることがなく、それでいて政治家の勝利感を満足させられる政策案だったからだ。
 終戦直後はグラナダに温存された兵力に怯え、軟弱姿勢で臨んだ連邦の政治家達も、実は兵力が温存されていない(実際には逃亡していた)と知って、後悔していた。なにも賠償問題を棚上げする必要はなかったのだ。そのため、和平条約の調印に際し、何らかの保証を求めようとする動きがあったのである。
 だが、そんなことをすれば共和国側が態度を硬化させるのは必至だ。和平条約の調印が長引けば、投降姿勢を見せている地上兵力の動向も判ったものではない。なにより、各サイドの目がある。一度約束したことを反故にするようでは、彼らに対する示しがつかない。
 結局、全てドロールの思い通りに事が運び、ツイマッド社は解体を免れた。ばかりか、コロニーの再生という途轍もない技術を手中に収めたのである。
 コロニーは戦争がなくても傷むものである。折しも人類が宇宙で暮らし始めて半世紀。定期的な修繕は必要不可欠だ。
 コロニー再生技術を得たツイマッド社にとって、修繕などは非常に容易い。事実、現在コロニー公社の委託を受けてコロニー修繕業務に当たっているのは、実に七割近くがツイマッド社とその関連会社であった。
 ドロールはモビル・スーツ市場から撤退することと引き替えに、コロニーという生命維持の根幹を押さえたのである。
 言ってみれば、これは企業の永遠にも等しい存続を保証されたようなものである。この先、地球圏の主導権がどのように変わろうとも、ツイマッド社が潰される心配はないのだ。ハマーン軍がサイド3を掌握しても、ツイマッド社には一切手を出さなかったという事実がそれを証明している。
 だから、ドロールにすればジオン共和国の存亡などどうでもいいように思える。しかし、実際にはそうではなかった。
 ツイマッド社がジオン共和国軍の整備全般を引き受ける見返りに、共和国政府から法人税を一部免除されている、というのももちろんある。が、それ以上に、連邦政権下では天下り官僚を受け入れねばならない公算が高いのだ。
 戦後十二年間、連邦政府の官僚が天下りを求めてきたのは数が知れない。ドロールはその都度、国が違うという理由で拒むことができた。拒否したところでなんの圧力も掛けられないのだから当然である。
 だが、連邦が共和国を取り潰したらどうなるか。いくら利益を上げているといっても、地球連邦政府の圧力を撥ねつけられるほど、ツイマッド社は大きくないのだ。
 天下り官僚を受け入れてしまえば、彼らの言いようにされてしまうのは目に見えていた。だからこそ、ドロールは共和国存続のために奔走しているのである。彼が抱え込んだ連邦の政治家、官僚の数は計り知れない。“影の宰相”という異名は伊達ではない。
「で、中佐。連邦の動きはどうなのかね?」
 まさに宰相といった重々しい口調で、ドロールは訊いた。
「今のところは特に。彼らも迂闊な報告はできないでしょうから、当面援軍はないものと思われます。ただ、傷ついたプライドを押さえられるどうかは……」
「腹いせの単独攻撃もあり得る、か」
「申し訳ありません」
 ハヤカワは素直に詫びた。そのきっかけを作ったのが、他でもない自分だったからだ。
 が、
「いや、何も君が謝る必要はない」
 ドロールは笑ってそれを遮ると、ウェーバーに目配せした。頷くウェーバー。彼はハヤカワに向かうと、懐から一枚の親書を取り出した。もちろん、封は解かれている。
 受け取ったハヤカワは、それを数行読んで顔色を変えた。が、何も言わない。そのまま最後まで読み通し、秘書がコーヒーを置いて立ち去るのを待って、ようやく口を開いた。
「まさか、連邦がこれほど卑劣だったとは」
「警護と言って押しつけた艦隊に好きをやらせておいて、領海侵犯を防ぐ力もないようだから自治を放棄しろ、とは恐れ入る」
「むしろジョーが追っ払ってくれたおかげで、無駄な手間が省けたよ」
 この親書の返答として、これ以上効果的な返答はない。ウェーバーは笑った。彼にしては珍しい嘲笑である。裏を返せば、あからさまに共和国を潰そうとする連邦政府に、それだけ腹を立てているのだ。
 そして、あとは黙り込むウェーバーだったが、
「……戦闘は避けられないな」
 しばらくして、ぽつりと呟くように言った。先程までとは打って変わった、沈鬱な表情で。
「ああ」
「また、力を貸してくれるか?」
「……そのために拾ってくれたんだろう?」
「ジョー……?」
「済まない。冗談だ」
 戸惑うウェーバーに、ハヤカワは詫びた。連邦軍との戦いに臨む軍隊の指揮官が、連邦士官である自分だという事実を思わず皮肉りたくなったのである。
 今のジオン共和国において、一軍を率いることのできる人間は、ハヤカワくらいなものである。
 確かに、ハヤカワによって訓練された艦隊員の質はよく、パイロット達の技量は連邦のそれを凌駕するまでに成長した。
 が、彼らはまだ若い。ハヤカワの下で首尾よく働くことはできても、自ら作戦を立てて行動するにはあまりに経験がなさすぎた。
 唯一、フェスターが指揮を任せるに足ると言えたが、彼とて連邦の士官である。そして、ハヤカワの同僚であり、腹心であり、そして親友だった。もしハヤカワがここを去るならば、それに従うのがフェスターなのだ。結局のところ、ハヤカワが指揮を執るしかないのである。
 別に投げ出してもよかったのだ。投げ出したところで飢えるのは自分一人である。直接、他の誰かが困るなどということはない。
 養われていると言っても所詮は他国。この六年間の間、自分達に冷たい視線しか送らなかった国民のために、命を懸けるなど馬鹿げている。なにより、共和国が独立を失っても、彼らが飢えることはないのだから。
 だが、ハヤカワは共和国に留まった。食っていく為に? いや、そうではあるまい。
「他ならぬウェーバー殿の頼みとあっては、断るわけにはいかないさ」
 その言葉に、皮肉めいた響きは一切無かった。ハヤカワはウェーバーという一個の人物に惚れていたのである。
 共和国首相となったウェーバーは、自らの邸宅にハヤカワとフェスターを住まわせた。むろんそこには、貴重な戦力としての二人に好感を持たせようとする意図があったに違いない。だが、ハヤカワらに接するウェーバーに利害めいたものは微塵もなく、常に戦友としての情が先に立っていた。
 にわかにはそれを信じられなかったハヤカワも、日を重ねるに従い変わっていった。そして、彼のウェーバーに対する思いを徹底的なものにしたのが、実質的な共和国軍総司令として閣議に参加する度に見た、ウェーバーの孤独である。
 ハマーン・カーンのサイド3占領によって職を追われた旧共和国政府の政治家、官僚達は、ウェーバーの臨時政府がサイド3を解放するや、まるでそれが当然のことであるかのように戻っていた。
 むろん、ウェーバーがその全てを受け入れたわけではないが、多くの場合、混乱を防ぐ意味合いから復職を許された。だが、ネオ・ジオン進駐と解放新政府誕生という二度に渡る進退の危機を乗り越えた彼らである。泥にまみれた悪人でないわけがない。
 親しみやすい性格と持ち前の誠実さで国民の信頼を勝ち得たウェーバーだったが、彼らにしてみれば、それは見え透いた人気取りの結果である。また、不正をとことん嫌うウェーバーは、贈賄と収賄の間で生きてきた彼らを脅かす、小うるさい目の上のたんこぶでしかない。願わくばウェーバーを降ろしたいというのが、旧共和国派の本音なのだ。
 しかし、彼らはそれをしなかった。いや、出来なかった。ウェーバーの背後にはハヤカワ率いる新生共和国軍があり、ドロールという超大物が控えている。何より、国民の圧倒的な支持率が、ウェーバー降ろしを許すはずがない。
 だが、仮にウェーバー自身が降りると言い出したらどうだろうか?
 強力な両翼も、本体がなければ意味がない。故に、旧共和国政権一派のウェーバーに対する風当たりは、このところ目に見えて強くなっている。
「……すまない」
 そう頭を下げるウェーバーの頭髪には、白いものが多かった。ここ数年でめっきり灰色になったような気がする。口にこそ出さないが、それだけ苦労していると言うことだ。
 考えてみれば、ウェーバーも望んで今の職に就いたわけではない。たまたまレジスタンスの中で最も地位が高く、人を統率する力に長けていた。故に彼らの頭領に推され、解放後は共和国首相として迎えられた。この点、ハヤカワと近いものがある。
 あるいは、だからこそハヤカワらに好くしたのかもしれなかった。境遇から言えば、ハヤカワらの方が深刻である。連邦軍に見捨てられたハヤカワ、フェスターの両士官に、もはや帰る場所はないのだから。
 連邦軍から何の音沙汰もないまま悶々と過ごすハヤカワに、ウェーバーは幾度となく共和国軍への移籍を勧めた。なぜそれほど好くしてくれるのか不思議に思ったハヤカワだったが、旧共和国派と元レジスタンスの間で苦慮するウェーバーを見るに付け、何か感じるものがあった。
 それが似たもの同士のよしみであると気付いたとき、ハヤカワは笑った。笑いながら、初めてウェーバーの力になろうと思った。一人の友として、ハヤカワは彼を認めたのである。
 むろん、それでも連邦に対するわだかまりはあった。いまだに連邦軍籍を捨てていないことからも、それは明らかである。だがそれも、今日のロンド・ベルの一件で踏ん切りがついた。
「止してくれ」
 ハヤカワは手を振った。
「なにも過去の恩を着てやろうって言うんじゃない。連邦に一泡吹かせるのが、今の俺の生き甲斐だからな。その上で親友から頼まれるんだ。断る理由もないだろう?」
「ジョー」
「もっとも、気がかりがないわけでもない」
 心底嬉しそうな表情を見せるウェーバーに、だが、ハヤカワは言った。
「ウェーバー殿がなんと言おうが、俺は現役の連邦士官だ。ロンド・ベルの一件は、見ようによっては連邦の策謀とも取れる。軍から遠ざけた方がよいのではないか?」
「それは違うな。中佐」
 ドロールが例によって重々しく口を挟んだ。
「今、君を一線から遠ざければ、連邦の策謀であると認めることになる。対外的にはそれで構わんとしても、議会が黙ってはおるまい」
「…………」
「むしろ君がいてくれる方が、政権維持のためには好都合だ」
「……はっきり仰る」
 苦笑するハヤカワだったが、別に不快には思わなかった。ウェーバーには悪いが、何か意図するところがあって使われる方が、精神的にかえって楽なものだ。そして当人にそれを話すということは、それだけ信用しているということでもある。
「その方が、古巣相手にやりやすかろう?」
 ドロールは開豁と笑った。
「差し当たっての問題は、港に詰めている軍監かな」
「それに関しては手があります。ただ、その前に政府としてやって頂きたいことがいくつか」
「なんだ?」
 と、ウェーバー。この席での会話は事実上の国策決定でもあるため、その声はあくまで慎重だ。
「連邦政府への公式抗議声明の発表と、軍事監督官の国外追放令。それに、ロンド・ベル四番隊への、明朝一〇時までの退去勧告」
「即時、ではないのか?」
「ああ、一〇時くらいがちょうど良いはずだ。それと、抗議声明はできるだけ激しくやってくれ。戦争を始めると言わんばかりに」
「なるほど。身の危険を感じさせて追い出すか。いや、狙いはそれだけではあるまい?」
 ドロールが訊くが、ハヤカワは不敵な笑みを浮かべただけで答えなかった。もっとも、この二人にはそれで充分である。
「言われなくてもやってやるさ。なんせ本気で怒っているんだからな」
 ウェーバーは笑った。

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