共和国緊張

作:澄川 櫂

CHAPTER. 1

 リビングで一人ブランデーを傾ける、ジョージ・ハヤカワは憂鬱だった。
「……俺のこの三年間は、一体何だったのだ?」
 呟くように言うと、一気にそれをあおる。上質の酒だが、不味い。いや、沈んだ気分がそう感じさせるのだろう。顔をしかめるハヤカワ。酒で気を紛らわすつもりが、かえって逆効果になったようだ。無性に苛立ちを覚える。
「大尉」
「なんだ?」
 静かに入ってきた副官のフェスター中尉に答える声にも、苛立ちは隠せなかった。すぐにそれに気付いて舌打ちする。見事な口髭がへの字に歪む。
 だが、彼の苦悩を知るフェスターは、さして気にする様子もなかった。
「間もなく八時を回りますが……」
「ん……? ああ、今夜は俺の隊だったな」
 空になったグラスを置いて、ハヤカワは席を立った。
「よろしいんですか?」
「酔うほどには飲んでない」
「いえ、そのことではなく……」
「……大丈夫だ。いい気晴らしになる」
 心配そうな眼差しのフェスターに小さく笑ってみせると、コートを羽織り、サングラスをかけるのであった。
 ジョージ・ハヤカワは、地球連邦宇宙軍に籍を置く、モビル・スーツのパイロットである。階級は大尉。もっとも、今の肩書きはジオン共和国軍機動歩兵大隊々長で、中佐待遇だった。
 いわゆる出向というやつである。だが、今の肩書きを得るまでには、かなり複雑な経緯があった。
 サイド3独立宣言を端に始まった地球連邦とジオン公国との戦争は、開戦から約一年後の宇宙歴〇〇八〇年一月一日、急遽発足したジオン共和国政府との終戦協定締結をもって、一応の終結をみた。
 翌二月、異例とも言える速さで終戦条約が調印され、ジオン共和国は地球連邦政府から正式に独立、サイド3は曲がりなりにも自治権を獲得したのである。
 三月に入り、共和国はグラナダ条約に基づき、国軍の再編に取りかかった。しかし、公国であった時の戦力は、その大半が既に火星と木星の間にある小惑星帯、アステロイド・ベルトへと逃亡してしまっており、本国に残った兵士は学徒兵がほとんどであった。
 そのため、共和国政府は軍事交流の名目で連邦軍に人材の派遣を要請し、同年六月、これに答える形で連邦軍から三人の士官が教官として出向した。だが、これは表向きのことである。
 実際には、派遣された三人はお目付役であった。再決起を恐れた連邦政府が、彼らに押しつけたのだ。不穏な動きがないか、常に目を光らせるのである。むろん、共和国にそれを拒むことなど出来ようはずもなかった。
 最初に派遣された三人は、職務に忠実な男達だった。もちろん、連邦政府にとってである。さらに、彼らは一様に高慢だった。監察官であることをちらつかせて何をしたか、ここで言うに及ぶまい。
 そして、それは二代目にも引き継がれた。輪を掛けて激しく。結果、苦労したのがハヤカワら三代目である。
「中央貫道で事故があったようです。他を行かれるとよろしいかと」
「ありがとう」
 門を開ける初老の執事に礼を言って、ハヤカワはジープを出した。夜の風が頬をなでる。アルコールで火照った肌に心地よい。
 彼がジオン共和国軍に出向してきたのは今から六年前。ジオン残党狩りを名目に設立されたティターンズと、その横暴に反発するエゥーゴとの小競り合いが激化し始めた〇〇八六年のことだ。任期は三年。前任者の任期切れを受けての赴任だった。
 前任のナカトという男について、彼は詳しくを知らない。ただ、引継の時に「嫌な奴」との印象は受けた。だから、連邦の軍人が共和国国民に嫌われているであろう事は容易に察しがついた。
 しかし、実際は嫌われているなどという生やさしい物ではなかったのである。着任の挨拶に壇上へ立ったときの、共和国兵が一様に持っていた刺すような視線を、彼はいまだに忘れられない。
 それらはもはや怒りを越え、殺気すら込められているようであった。そして話し終えるまでの五分間、彼を睨み上げる瞳は視線を微動だにしなかったのである。これにはハヤカワは勿論のこと、フェスターをはじめとする彼の同僚達も恐怖を覚えた。
 第一陣のみで終わるはずだった戦技士官出向プログラムが急遽再開されたのは、〇〇八三年の一二月。すなわち、ティターンズ結成の月である。ジオン公国残党の乱では最大の、「デラーズ紛争」が呼び水となった。これに衝撃を受けた連邦は、再びジオン共和国を恐れたのである。
 ナカトという男は、上官に対しとても忠実であったようだ。そして、その威光を肩に着るタイプでもあったらしい。共和国軍の兵士、士官をあからさまに見下し、眉をひそめるジオン共和国軍幹部らに対しても、暗に連邦軍進駐をちらつかせて黙らせる。ばかりか、ひどいときには銃を抜いたことすらあったという。
 これらは全て、ハヤカワの秘書を務めたドナ少尉が教えてくれたことだ。彼女は連邦への怒り渦巻く共和国軍にあって唯一、彼に心を開いた女性である。部下に一切の賄賂を禁止し、戦技指導に熱心に取り組む姿に、ハヤカワの誠意を感じたのであろう。
 だが、他の兵士達が心を開くことは、ついになかった。確かに、ハヤカワらが力を入れれば、その分彼らも付いてくる。むしろ教えがいがあるほどに、彼らはハヤカワらの指導を吸収した。しかし、その瞳には常に、連邦に対する憎しみが込められていたのである。
 半年を経たずして、五人いた同僚の内、三人までもがサイド3を去った。常時四方から突き刺す冷めた視線に、神経が参ったのだ。
「あなたが悪いんじゃないわ。ジョージはいい人よ……」
 悩むハヤカワに、ドナはベッドの上でよく言ったものだ。皆もそれを分かっているわ、と。そんな彼女がいたからこそ、ハヤカワはなんとかやっていけたのだ。
 ドナは、どことなく別れた妻、サリナの面影を持つ女性だった。黒く艶やかな長い髪に、透き通るような白い肌。それでいて芯は強く、包み込むような暖かさを兼ね備えた女性——。
 早く任期が過ぎることを祈りつつ、ハヤカワは、いつの間にか彼女を求めるようになった自分に気が付いた。
 もっとも、それがサリナの面影を抱いていたに過ぎないことは知っている。そして、恐らくはドナもそれに気付いたはずだ。だが、彼女は何も言わない。
 あれから三年。ハヤカワはいまだ、一人悶々としている。
 第二副貫道を港へ向かう。
 コロニーの端と端とを結ぶ貫道は、採光窓の関係から三本であるのが一般的だった。しかし、内部に人工太陽を創り出して光源とする密閉型のサイド3では、一本の大貫道に三本以上の副貫道を設けていることが多い。筒の内壁全てを利用できるため、ゆとりがあるのである。
 右手に白いビルが見えた。ジオン共和国政庁の建物である。夜も八時が近いというのに、その窓の多くは煌々と明かりを灯していた。
「ウェーバーは相変わらず忙しいらしいな」
 彼とフェスターの暮らす屋敷の持ち主を思って、ハヤカワは呟いた。

 ジオン共和国政府は、〇〇八〇年の樹立以来、国を守るのに躍起だった。連邦から独立したと言っても、実際には自治政府に近い存在である。また、グラナダ条約によって軍備にも上限があった。地球連邦政府がその気になれば、いつ潰されてもおかしくないのである。
 故に、グリプス戦争中は立場を二転三転させた。当初中立の立場をとっていたものの、ティターンズに連邦正規軍への指揮権を移行する動きがあると知るや、ティターンズに与してフォン・ブラウンに軍を向け、大勢がエゥーゴに傾くと、グリプスに出兵してこれを助けた。これほど時勢に敏感だった国はないのでは、と思わせるほどの機敏さであった。
 だが、そんな優れた外交能力も、ハマーン・カーン率いるネオ・ジオンの前には無力だった。マシュマー・セロ中佐麾下の艦隊を前に、ジオン共和国軍は抵抗らしい抵抗も出来ぬまま壊滅。政府要人はことごとく殺害され、マザーバンチは王女ミネバの居城に供された。
 それを追認する形で連邦政府からネオ・ジオンへサイド3が割譲されたのは、〇〇八八年一一月一四日。そしてハヤカワは、待ち望んだ退任の日を、俘囚の身で迎える羽目になったのである。
 ハヤカワ、フェスター、それにノイマンの三連邦兵は、ドナ少尉の六小隊と共に4バンチで激戦を繰り広げた。装備貧弱なジオン共和国軍の中では、唯一善戦したと言って良い。性能差を戦術と技量で補ったのである。
 だが、結局は圧倒的な物量差の前に敗れた。八時間近い激闘の末、残ったのはハヤカワ、フェスター、ドナの三人。ただし、ドナはコクピット付近に直撃を受けて重傷だった。彼女を助けるために、ハヤカワはやむを得ず投降したのである。
 後にそれを知ったセロ中佐は、ハヤカワらにネオ・ジオンへの参加を勧めた。腕を惜しんだのもあるが、他国のために戦い、他国の女性のために銃を捨てた行為に感動したからである。
 しかし、ハヤカワは首を横に振った。連邦政府への憤りはあったが、重傷のドナ少尉が意識を取り戻すことなく逝ったことのショックが、あまりに大きかったのだ。
 ハヤカワらは3バンチの、とある高級住宅の一室に軟禁された。一時は処刑するような話もあったようだが、セロ中佐がそれを押し止めた。中佐がなぜそうしたかは解らない。
 聞けば、セロ中佐は騎士道かぶれだったという。あるいは、連邦に捨てられた二人を哀れんだのかもしれない。
 丁寧に切りそろえられた彼の口髭は、その時からのものである。理由は特にない。ただなんとなく、その時のまま残したい物があった。それが髭ならば邪魔にはなるまい、と思っただけだ。
 軟禁から二ヶ月近くが経ったとき、状況が一変した。ネオ・ジオン内部に反乱が生じ、ハマーン・カーンは主力をその鎮圧に充てなければならなくなった。また、エゥーゴ・連邦連合軍の先遣隊がサイド3外縁にあり、コロニー内の監視どころではなくなったのである。
 ジオン共和国警察庁の警視だったデイヴィッド・ウェーバーを中心とするレジスタンスが一斉蜂起したのは、まさにそんなときであった。彼は軟禁されていたハヤカワとフェスターを救い出し、密かに隠してあったモビル・スーツの元へと案内したのである。
 二人は旧式のリック・ドム改でもって、3バンチ内のネオ・ジオン機を一掃。ウェーバーは3バンチ市庁舎内にジオン共和国臨時政府を設置した。そして臨時政府は、エゥーゴがネオ・ジオン艦隊を鎮圧する〇〇八九年一月一七日には、サイド3の主権をほぼ掌握していたのだった。
 ハヤカワらは、言ってみればジオン共和国解放の最大功労者である。この時の功をもって、ハヤカワはジオン共和国軍機動歩兵大隊々長に、フェスターはその副官に迎えられた。扱いは共に、連邦階級より二つ上。そして、それは事実上のジオン共和国軍、最高指揮官の証でもある。
 以来三年間、ハヤカワはフェスターと共に、共和国の若者達を育ててきた。宇宙歴〇〇九二年。ジオン共和国は辛うじて主権を保っている。

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