輝ける大地に誓う

作:澄川 櫂

8.コロニー

 ジャブロー作戦本部司令室。
 コロニーが阻止限界点を超える直前までコーウェンが指揮を執っていたその部屋に、ジャミトフは居た。
 作戦失敗から既に二時間。今も中央指令センターは、待避作業の指示に追われて慌ただしいことだろう。
 が、彼の居る作戦本部司令室は、喧噪とは全く無縁の、静寂の中にあった。状況を刻々と伝える器機類の音だけが、僅かに響くばかりである。
「………」
 対空監視望遠鏡が捉えたコロニーの画像を見つめるジャミトフは、終始無言のまま、オペレタータ席に座していた。
 コリニーを筆頭とする将軍やエリート高官らは、コロニー落着が確定した瞬間にジャブローを逃げ落ちている。が、ジャミトフには、ここを離れるつもりなど毛頭なかった。亡きティアンムとの誓いを果たせなかった、己の不覚が許せないのである。
 四年前、我々はジオンのブリティッシュ作戦を防げなかった。あの過ちを繰り返さぬ為に生み出したのがソーラシステムではないか。それを、みすみす阻止できぬようでは、連邦にもはや未来はない。
「閣下、こちらにいらっしゃいましたか」
 苦悩に顔を歪めるジャミトフは、息を切らして飛び込んできた秘書官の呼びかけにも、振り向くことはなかった。
「コロニー落着まで、もう一時間とありません。閣下の無念は御察ししますが、今は脱出を」
 眼鏡をかけた実直そうな秘書官は、彼の態度を不快と思う素振りを見せることもなく言った。が、それでもジャミトフは動かない。
「閣下!」
「……もう、良いのだよ」
 秘書官の二度目の呼びかけに、ジャミトフはようやく応えた。しかし、それは明らかに疲れ切った声であり、そして、席を立つこともなかった。
「まさか、閣下はジャブローと運命を共になさるおつもりで!?」
「それで提督に顔を会わせられるわけでもないがな」
 驚く秘書官に、自嘲気味に述べるジャミトフ。ここで言う提督とは、むろんコリニーのことではない。ブリティッシュ作戦の再来を防ぐべく、共にソーラシステムの開発に心血を注いだ、亡きティアンム提督を指している。
「しかし閣下、それでは!」
 秘書官の声が上擦る。彼はその職務上、ジャミトフの思いを最もよく知る人間であった。彼はジャミトフが、現状の連邦を憂いていることを知っている。そして、将来的にそれを改めようとしていることも。
 彼自身、高官のあまりの無能さに嫌気がさしている人間である。この将軍のために尽力しようと誓った口だ。それ故の言葉である。
 ジャミトフもまた、彼の心情を心得ていた。言いたいことはよく判る。だから、
「責を負う人間が真っ先に逃げ出すのが連邦の常だ。そして、いまや宇宙軍までその悪性に染まりつつある。バスクがいい例だ。……もはや連邦を変えることは叶わん」
 己の胸の内を正直に告げた。
「変えられぬのなら、その象徴もろとも吹き飛んでくれた方が清々する」
「閣下……」
「もう、終わったのだよ」
 言って小さく笑みを浮かべる。それはあまりに虚しい笑みであった。軍から正しく理解されず、初志を貫くことも出来ず、ただ、滅ぶに身を任せるしかない不運。
「……私もお供いたします」
 秘書官の口から、その言葉はごく自然に流れ出た。これほど連邦を思う方を、一人死なせて良いわけがない。いや、そもそも自分がバスク大佐の動きを掴んでさえいれば、閣下をここまで苦悩させることもなかったはずだ……。
 ジャミトフは、何も言わなかった。が、苦悩に歪む表情が、僅かに和んだのが判る。それだけでも、彼はいくらか救われた思いがするのであった。
「コーウェン閣下の機は、もう間もなく飛び立ちます」
「そうか……」
 これには、ホッとした声で応えるジャミトフ。連邦の良心であるコーウェンを生かす。全てを諦めてたつもりでも、それだけは譲れなかった。コリニーは「連れるに及ばず」と彼を切り捨てたが、ジャミトフは自身の一存でコーウェンの身柄移送を決めた。
 最初にして最後の、明確なる提督への反乱。もっと早くそうしていれば、との思いもあるが、もはや悔やんでも仕方ない。
 ジャミトフはスクリーンを見上げた。赤々と尾を引くコロニーが、先程よりも大きくそこにある。
 今は亡きティアンム提督の顔を思い描きながら、ジャミトフは最後の時を待った。コロニー落着まで、あと四〇分。
 だが——。

「なぜだっ!?」
 モニタに示された最終落下コースを前に、ジャミトフは両手をコンソールに叩きつけた。そして、わなわなと肩を震わせながら、再度呟く。なぜだ、と。
 ジャブローへ落ちるものと誰もが信じて疑わなかったコロニー。だが、デラーズ軍によって最終調整をされたそれは、ジャブローを通り過ぎ、北米大陸へ落着する事が判った。彼らのミスではない。コロニーは、明らかにそこを狙って落とされたのである。
 ジャミトフには解らなかった。ザビ家亡き後も戦う彼らの目標は、スペースノイドの自治権獲得である。ならば彼らが行うべきは、諸悪の根元たる地球連邦の力の象徴、連邦軍本部ジャブローの破壊ではないか。
 確かに、北米大陸は有数の穀倉地帯だ。これを一掃すれば、地上に暮らす人々の生活を脅かすことは出来よう。
 だが、それだけだ。連邦の本質が変わるわけではない。逆に地上人のジオン、スペースノイドに対する不安は高まり、さらなる憎悪を生み出すことになるだろう。いわば彼らは、この一事によって、新たな弾圧への引き金を自ら引いたのである。
「……愚かな」
 ジャミトフはデラーズの軽挙を蔑み、そして地球圏の行く末を憂えた。連邦政府はこれまで以上にスペースノイドを疑い、彼らに対する締め付けをよりいっそう強めるだろう。結果、各コロニーの反連邦感情は高まり、地球との間に新たな紛争が生まれる……。
 相手はジオン残党とは限らない。他ならぬ連邦軍内部にさえ、対立の火種が燻りつつあるのだ。それらが真っ向から衝突した時に、アステロイドに籠もるジオン残党らが舞い戻ればどうなるか。今度こそ、地球上の人類はことごとく滅び去るやもしれぬ。
 いや、それが目的か。ジャミトフは思い直し、そして心中彼らを罵った。貴様らもこの大地より生まれし人間だろうが! これ以上、母なる地球を汚して何とする!?
 と、
(汚す……?)
 ジャミトフは自らの吐いた言葉に、ふと、違和感を覚えた。私は今、彼らが地球を汚すと言った。だが、真に汚し続けているのは誰か。宇宙時代の今日でもなお、大地にしがみついて離れないアースノイドではないのか?
「ふ……ははははっ!」
 それに気付いたとき、彼は笑った。何を憂えることがある。地上の人間など、滅ぼされて当然だ。いや、むしろ滅ぼさねばならない。特に連邦の無能共。奴らには死こそふさわしい。
 秘書官が、気でも狂ったのかとギョッと振り向く。だがそこには、発狂とはほど遠い決然たる表情で佇む、初老の将軍の姿があった。全ての憂いも悩みも去り、清々しさすら感じさせる顔でスクリーンを見上げる。
「閣下……?」
「大丈夫だ」
 心配そうに声をかける秘書官に答えると、
「変えられないのなら、壊せばいいのだからな」
 一人呟くように言った。
「は?」
 意味を測りかねた秘書官が尋ねるが、それには答えない。落着の時を待つ野外の映像をじっと見つめる。
 やがて真夜中の暗天に、白い光が広がった。宇宙世紀〇〇八三年一一月一三日午前零時時三四分、コロニー落着。歴史は変わった。

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