輝ける大地に誓う

作:澄川 櫂

9.ティターンズ

「省みろ! 今回の事件は、地球圏の静謐を夢想した一部の楽観論者共が招いたのだ」
 真新しい漆黒の制服に身を包んだバスク・オムの演説が、声も高らかに、アフリカはダカールの連邦議会場に響く。〇〇八三年一二月四日。コロニー落着から、既に半月以上が過ぎている。
「デラーズフリートの決起などは、その具体的一例にすぎぬ。また二十日前、北米大陸の穀倉地帯に大打撃を与えた、スペースコロニーの落下事故を見るまでもなく、我々の地球は絶えず、様々な危機にさらされているのだ」
 拳を握りしめ、欺瞞に満ちた演説を続けるバスクを、ルナツーのハタミは戸惑いと不安の入り交じった表情で見つめていた。彼ばかりではない。月で、コロニーで。そして、地球でその中継に耳を傾ける誰もが、黒い軍隊の出現に固唾を呑んでいた。
 黒い軍の名はティターンズ。地球圏の治安維持のために独立して組織された、地球連邦軍内部軍隊である。
(——閣下は何を考えておられるのだ?)
 ゆっくりとパーンする映像の中に、黒いマントを纏ったジャミトフの姿を見つけたハタミは、そう思わずにはいられなかった。
 コロニー落とし阻止に失敗した二日後、ハタミはジャブローに降りた。詳細報告と、作戦失敗の不手際を詫びるために。そしてそれは、死を覚悟しての降下であった。
 ソーラシステムを託されながら、みすみすコロニーを落とさせてしまった、というのももちろんある。が、ハタミは、作戦失敗後のバスクの所行を止められなかったことに、己の死を覚悟したのであった。
 コロニー落着確定後のデラーズ・フリート残存軍掃討戦において、自身の野望が費えたことに腹を立てたバスク・オムは、その腹いせにソーラシステムを使った。死闘を演じる味方の第三艦隊もろとも、敵残存部隊を薙ぎ払ったのである。
 もはや正気の沙汰ではない。止めさせようと必死になったハタミだったが、それも虚しくソーラシステムは照射され、多くの味方将兵が光の中で無為に生命を散らせた。部下の生命を第一に思うジャミトフが、激怒しないはずがない。
 しかし、問題なのはそれを命じた人間が、提督の直属であるということだった。事実を知ったジャミトフがバスクを誅しようとしたところで、提督に握り潰されるに決まっている。逆にジャミトフの方が、コロニー落着の責を負わされ失脚の憂き目にあうだろう。
 もちろん、それはハタミの望むところではない。だが、話さないわけにはいかないのだ。事後処理のことがある。
 第三艦隊旗艦“ツシマ”とのやりとりを、彼は思い出していた。
『バスク、今のは一体どういうことか!?』
 艦隊司令ブレックス・フォーラ大佐は、開口一番、語気も鋭く詰問した。麾下の将兵が味方の閃光に焼かれたのだ。ジャミトフに比べれば遙かに柔和な顔が、怒りのあまり激しく歪んでいる。
 が、そんなフォーラ大佐に、バスク・オム大佐はこともなげに言ってのけたのだった。
「敵の電波が混線したようでな。現在、調査中である」
『貴様っ……!』
 その時のフォーラ大佐の噛み付くような表情を、ハタミは生涯忘れられないだろう。
 最高機密に属するソーラシステムIIの制御電波が混線するなど、あるわけがなかった。そもそもソーラシステムは、制御母艦側の機器を含めて設計されたものだ。仮に制御コードを知ったところで、デラーズ側からコントロールすることなど出来ようもない。
 あの戦闘に参加した艦艇で、ソーラシステムIIの制御機器を積んでいたのは、制御母艦を除けば、第一艦隊の旗艦を務めたマダガスカルだけである。そして、そのマダガスカルからの指令でソーラシステムIIが動いていたのは、記録を調べれば簡単に判ることだ。
 だが——。
「何か?」
 平然と応えるオム大佐の口元には、あろう事か軽い笑みさえ浮かんでいる。何事か言いかけたフォーラ大佐が、それでも口を噤んだのは、上官であるコーウェン中将の身を案じたからだろう。オム大佐の言葉は、あるいはそれを見越してのことだったのかもしれない。
「貴官の艦隊には、生存者の救出に当たってもらいたい。我が艦隊も直ちに急行する」
『……了解した』
 不承不承の表情で応えたフォーラ大佐は、コーウェン中将の腹心でもある。中将が失脚した今となっては、決して黙ってはいないだろう。当事者の一人として、ジャミトフの立場的に「知りませんでした」では済まされないのだ。
 だからハタミは、自らその責を被ることを決意した。全てを話し、己の死をもってバスクを止められなかった罪を償おうと。
 かつて日本国の武人は己の非を詫びる際、白無垢を着込んで主君に接見し、自ら割腹して果てたという。その例に倣ったわけではないが、ハタミは遺書をしたためジャミトフに会った。愛銃には、一発の弾丸。
 しかし、ハタミの決意とは裏腹に、ジャミトフは一つ嘆息しただけで、
「バスクの件は忘れろ。自決はまかりならぬ」
 と言って彼を下がらせたのだった。およそらしくない言葉に、ハタミは自身の決意を看破された驚きも忘れ、ただ呆然となるばかりであった。
 そしてこの日の演説である。ティターンズの結成には、ジャミトフも深く関わっている聞いた。にもかかわらず、なぜバスクなのか。
(閣下は何をなさるおつもりなのだ……?)
 ハタミには解らない。
 いや、解らないのが当然であった。二十日前、二つ目のコロニーが地球に落ちたその日、彼の知るジャミトフは死んだのだ。輝ける大地と共に。
(フ……)
 熱弁を振るうバスクを、ジャミトフは背後から嘲笑と共に見つめた。バスクだけではない。居並ぶ軍首脳、政府要人、高級官僚、そしてこの大地に暮らす全ての人々を。
(今はティターンズの、己の権益を守る部隊の誕生を喜ぶがいい。そして思い知るのだ。己の愚劣と犯した罪の大きさを。新たな戦乱の中で)
 ——そう、彼は今まさに戦乱の火種を作ろうとしているのであった。この暴力好きで、異常なまでの差別主義者を使って。
 ジャミトフはティターンズ特権として、常に正規軍より一階級上の待遇を与えることをバスクに約束した。つまり、大佐であっても扱いは立派な将軍なのである。バスクはほとんど狂喜したと言ってよい。
 そして、ティターンズのメンバーは、いずれも地球出身者だけで構成した。連邦軍には地球出身というだけでエリート視される傾向がある。ジャミトフはそれを徹底させるつもりなのだ。
 特権は増長を生み、増長は必ず反感を買う。反感は強ければ強い方がいい。地球圏全土を巻き込むほどに。バスクならば間違いなくそれをやってくれる。
 既にコーウェン派の筆頭たるブレックス・フォーラは月に流した。コーウェンの階級章は、今や自分のものだ。ゆくゆくはコリニーの地位も奪い取る。彼らの蜂起を促すために。
 ふと、ジャミトフの脳裏に、今は亡きティアンムの姿が見えた。生前の彼と同じ階級に特進したジャミトフを見つめる瞳はだが、祝福ではなく哀れみを送る。誰にも理解されない想いに対し。
「フッ……」
 ジャミトフは僅かに目を伏せると、鼻で笑いそれを払った。
(もう、良いのですよ、提督)
 この星に住む人々など、守ってやる価値もない。守るべきは地球そのものだ。故に私は蛇蝎となる。もう他人の理解など必要ない。やるのだ。
 ジャミトフの瞳に鋭い光が灯る。
(——地球人類、ことごとく誅してくれるわ)
 禿鷹。それはさがない官吏が口にする彼の異名。ならば望み通り、その身を激しく啄んでくれよう。鷹の旗の部隊と共に……。
「地球、この宇宙のシンボルをゆるがせにしないためにも、我々は誕生した。地球、真の力を再びこの手に取り戻すため、ティターンズは立つのだ!」
 バスクの演説は終わりを告げた。満場の拍手。満面の笑み。だが、ジャミトフの起こした台詞の裏の、秘めたる意を知る者はない。
 宇宙世紀〇〇八三年一二月四日ティターンズ結成。それは、永きに渡り誤解され続けた男、ジャミトフ・ハイマンの、地球連邦政府に対する宣戦布告であった。

 ——歴史の歯車が、今、くるくると回り出す。

「輝ける大地に誓う」完

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。