輝ける大地に誓う

作:澄川 櫂

6.銃口

 事は、バスクの予期した通りに進んだ。いや、シナリオ通りと言うべきか。
 月の周回コースに乗ったコロニーは、落着予測ポイント、月面都市フォン・ブラウンの軌道間輸送レーザーステーションよりエネルギーの供給を受け、移送用核パルスエンジンに点火。コロニーは月引力圏を脱し、進路を新たにした。向かう先は言わずもがな、連邦本部ジャブロー。
 今にして思えば、ごく当然の行動である。ジオン残党であるデラーズ軍に、月へコロニーを落とす理由などないのだから。
 が、連邦上層部は、それを愚かと鼻で笑う人種の集まりだ。そして、自身の安全という観点でしか物事を判断しない。コロニーが月に向かったとの報告を受けても、その反応たるや緩慢としたものが多分にあった。
 月にコロニーを落としたところで、連邦は揺るぎもしない。それが、上層部の一致した認識であった。
 故に、追撃艦隊を指揮するヘボン少将は慌てたのかもしれない。結果、余力を欠いた艦隊は大半が月で推力を失い、戦列を離れた。コンペイ島艦隊はデラーズ軍を殲滅するどころか、逆に各個撃破されるという醜態を演じている。
 アナハイム所有のドッグ艦、ラビアン・ローズにおいて試作ガンダム三号機を受領したアルビオンが唯一、戦闘力のある追撃部隊と言える。あまりに情けない状況であった。
 このような現実を前にしても、上層部は互いに責任をなすり合うばかりである。作戦本部司令室に籠もるコーウェン中将だけが、一人状況に対処しようとしていた。少なくとも正攻法という意味においては。
「展開作業は順調なのだな? ……分かった、うまくやれよ」
『お任せを。では』
 小さな敬礼を残して、バスクの姿がモニターに消える。第一地球軌道艦隊旗艦“マダガスカル”からの通信であった。満足げに頷くと、次いでコンペイ島追撃艦隊旗艦“ツーロン”へと連絡を取るジーン・コリニー提督。それらのやりとりを、ジャミトフは複雑な心境で見守っている。
『はい……』
 先程のバスクとは対照的に、悄然としたヘボンの姿が映し出された。
「私だ。補給は順調かね?」
『はっ。艦隊はまもなく追撃を再開します。たとえ敵に追いつけないにしろ、事後の処理はお任せ下さい』
 コリニーの問いに答えるそれが精一杯の強がりであることは、誰の目にも明らかである。
「うむ。現在、第一地球軌道艦隊が、周回軌道において迎撃準備中である。こちらの心配はせずともよい」
 が、コリニーはそれを気にとめることなく、平然と彼に告げる。
『は……?』
 途端、ヘボンは絶句し、そして驚愕の声を上げた。
『今、なんとおっしゃいました!?』
 無理もない。第一地球軌道艦隊がコロニー落とし阻止の切り札、ソーラ・システムを有していることは、佐官以上であれば宇宙軍に知らぬ者はない。が、同時に運用の難しい兵器であり、さらにはその威力故に使用許可の下りにくいものであることも知っている。
 それが、言外にとはいえ僅かな時間での使用通達であった。そして、そこに隠された重大な事実に、恐らくはヘボンも気付いたはずだ。一連のデラーズ軍の動きが、かなり早い段階から提督の知るところであったという事に。
 敵を欺くには味方から。まさしくその言葉通り、ヘボンは提督に欺かれた。デラーズ・フリートなる海賊を一閃の下に薙ぎ払うべく、彼らはだしにされた。残り僅かな推進剤で必死の攻撃を試み、散っていった追討部隊のなんと哀れなことか。
(味方にさえここまで隠し果せたのだ。コロニーの落下はまず阻止できよう。だが、兵をあたら死なせていいわけがない……)
 部隊は将棋の駒とは違うのだ。だが、戦場を知らないこの提督には、それが判らない。判ろうともしない。だから、「捨て駒」と言う言葉を平気で使う。さすがに当人を前にして口にすることはないが、それが態度に表れていた。
 この段階に及んでもなお、作戦本部司令室に籠もるコーウェンに何一つ告げないコリニーである。もはや腹黒いを通り越し、いやらしさすら感じさせる。
 ヘボンは、どこか恨めしそうな表情を残して回線を切った。利用されたあげく、失態の責任をとらされるのだから当然だろう。そこには、かつてティアンムとレビルの下、一枚岩の結束を誇った栄光ある連邦宇宙軍の面影はない。
 ジャミトフは一人嘆いた。連邦中枢の実体と、それを知りながら正すことの出来ない己の非力を。
 せめてコロニー落としぐらいは、自ら防いで見せたいジャミトフである。にも関わらず彼がここに残ったのは、コリニーの存在に危機感を覚えたからだ。
(この方は、放っておくと何をするか知れたものではない)
 故に心ならずも、バスク・オムに第一地球軌道艦隊を預けた。腹心のハタミ少佐を付けたのが、彼の精一杯の抵抗である。
 が、それが正しい判断であったかどうかなど、彼自身、到底判るはずもなかった。

「て、提督……」
 コリニーの執務室に踏み込んだコーウェンは、その光景に絶句した。無理もない。宇宙軍を統括する立場にある者が、敵軍の、それも戦闘状態にある相手と会話をしているのだから。
 相手の名はシーマ・ガラハウ。妖艶な笑みを浮かべた女である。
(——まずいことになった)
 呆然と立ち尽くすコーウェンに、ジャミトフは内心、頭を抱えた。もっとも知られたくなかった人物に、決定的なところを目撃されたのである。これでもう、彼がなんと言おうが、コリニーの腰巾着というレッテルを剥がすことは叶わない。
 いや、それだけならばまだ良い。問題は、宇宙軍が二つに割れかねないということだ。
 コーウェンには、それが出来るだけの力がある。彼自身にその気がなくとも、回りがどう出るか。コーウェンとは、それだけ影響力を持った将軍なのである。
 が、兵を駒としか扱わないコリニーには、そのような事情は見えていない。感情のままにコーウェンを突き放すだろう。
 シーマが、扇子の奥に笑みを隠して砂嵐に消えた。彼女に怯えきっていたコリニーの愛猫が、一鳴きして彼の膝を放れる。いや、コリニーが放したのかもしれない。右腕をだらりと降ろした横顔に浮かぶ不快の色を、ジャミトフは見逃さなかった。
 だから、
「……完璧な囲みは、敵に死力を尽くさせますからな」
 あえて提督が口を開く前に言った。努めて無表情を装いながら。
 恨まれてもいい。ただ、コリニーが致命的な事を口走る前に、コーウェンに戻って貰いたいという一心から出た言葉だ。
 しかし、激高するコーウェンに、その思いは伝わらなかった。
「貴様などには訊いておらん!」
 侮蔑の瞳で一喝すると、
「提督、何をお考えですか。いや、この状況を、何に利用しようとしているんです。一刻も早く、地球軌道艦隊を前面に!」
 必死の形相でコリニーに迫った。確かにそれは正論である。が、この提督には逆効果であることに、コーウェンはいまだ気付いていない。ジャミトフは哀れに思った。
 コーウェンは良くも悪くも武人なのである。政治的駆け引きに長けておらず、常に正攻法で攻める。同じ軍人として清々しく思うばかりだが、一年戦争時ならばともかく、今はそればかりでは将軍として成り立たないのだ。
 しかし同時に、連邦が失ってはならない人物でもある。彼のような人間がいなければ、近い将来訪れるであろう、アクシズ軍との戦いに支障を来す。
 最高指令の奸計にはまったとあっては、コーウェンの再起は絶望的だ。が、これが提督の腰巾着に過ぎぬ、己の手から出たものだとしたら……。
 その考えに至ったとき、ジャミトフの手は自然と懐に伸びていた。ズッシリと冷たい金属を握りしめると、コーウェンのこめかみに向ける。撃鉄の起きる乾いた音が、執務室に静かに響く。
「ジャミトフ、貴様ぁ……」
 それに気付いたコーウェンが、怒りに満ちた瞳で彼を睨み据える。ジャミトフはその視線を存分に受け止めてから、警備兵に目配せした。

 ——これでいい。少なくとも彼の怒りの矛先が、トップに直接向かうことはない。

「時間がないんです! おかしな企みなどされず、攻撃を!」
 なおも迫るコーウェンを、警備兵が両脇から抱え込む。
「な、何をする! 放せ!」
 振り解こうとするコーウェンだったが、二人がかかりとあってはどうにもならない。抵抗虚しく、ずるずると扉に向かって引きずられて行く。
「提督、もう時間がないんだ!」
 悲痛な叫びを残して、彼の姿は執務室から消えた。
 それを待っていたかのように、
「……なぜ、ガンダム三号機はアルビオンに渡ったのだ?」
 心底不快げに漏らすコリニー。コーウェンを嫌う彼は、事もあろうに、コーウェンの管轄にあったガンダム三号機を、この機会に我が物にしようとしたのである。およそ提督のすることではない。
 殴り飛ばしたい気持ちをようやく抑えながら、手にした拳銃を懐に戻す、ジャミトフであった。

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