輝ける大地に誓う

作:澄川 櫂

5.バスク・オム

「アルビオンは当初予定を若干繰り上げ、単艦でフォンブラウンへ向かいました。大破したガンダム1号機の、修理・換装を行うのでしょう」
 デラーズ決起宣言のあったその日の午後、ジャミトフは黒眼鏡の大佐から口頭報告を受けた。彼の名はバスク・オム。二メートルを優に超える身長と、デラーズ以上に禿げ上がった頭の巨漢である。
「しかし、一艦相手に二隻轟沈とは、アルビオンもたかが知れましたな。もっとも、相手があのシーマ・ガラハウでは、仕方ありませんかな?」
 そう言って、ゴーグルのような眼鏡の下に笑みを浮かべるこの男を、ジャミトフはあまり好いてはいない。
 バスク・オムはもともと、アメリカン・マフィアの幹部だった男である。それが軍人になったのは、コリニーの裏取引に応じたからだ。
 サイド3独立の気運が高まりつつある頃、連邦は各地でテロ活動を続けるジオン工作員の摘発に躍起となっていた。バスクの裏社会における顔の広さに注目したコリニーは、過去の犯罪履歴を消し去る代わりに、秘密警察指揮官のポストを彼に与えたのである。
 数々の殺人罪で懲役三〇〇年が確定していたバスクにとって、これは願ってもないことであった。そして秘密警察という響きも、彼にとっては魅力的であったようだ。
 元来が暴力好きな男である。また、異常なほどの人種差別主義者でもあった。故に、彼の仕事ぶりは激烈を極め、成果はすぐに上がった。コリニーの覚えも良く、バスクにとってはまさに我が世の春である。
 だが、任務でサイド4に赴いたとき、一年戦争が勃発する。幸いにして毒ガスの猛威からは逃れたものの、輸送艇での逃避行の最中に捉えられ、彼はジオン本国に送られた。目的はもちろん、情報である。
 捕虜となった情報士官ほど、悲惨なものはない。ましてや南極条約締結以前の話である。バスクに対する拷問は、彼がジオン工作員に施したもの以上に過酷であった。南極条約締結時の捕虜交換で引き上げられたとき、彼の頭髪は失われ、その瞳は光を嫌ったほどである。
 バスクが公の場でも黒眼鏡を外さないのには、このような理由があった。連邦上層部もそれを容認しており、ジャミトフにも咎めるつもりは毛頭ない。ジャミトフが彼を嫌うのは、主にその性格である。
 バスクの周りには、いつも他人を威圧するような感じがあった。元がマフィアであることが影響しているのかもしれないが、とにかく尊大なのだ。一見丁寧なようでいて、その実上官をも見下す彼の物言いは癇に障る。
「それよりも閣下、さすがですな」
「……?」
「コロニーと聞いてすぐにソーラシステムを用意させる。モグラ共には到底出来ぬ素早い対応で……」
「世辞はいい」
 薄ら笑いを浮かべて揶揄するバスクを、ジャミトフは遮った。
「特務機関の情報収集能力を、私は高く評価している」
「どうも……」
 彼のその言葉に、再び笑みを浮かべるバスク。ゲスな男め、と思う。
(提督だけでは飽きたらず、この私にも取り入るつもりか)
「それで、提督はどうするつもりなのだ?」
 ジャミトフは、少なくとも表面上は無表情を装って尋ねた。
「まさか、直接会いに行かれるのではあるまいな?」
「いかな策謀好きな提督でも、さすがにそこまで愚かではないようで……。女性のもてなしは、英国式に行わせるとのこと」
「……ワイアット大将か」
 相変わらず皮肉めいたバスクの答えに、ジャミトフの表情が曇る。紳士を気取ってはいるが、前線を知らずに大将まで上り詰めた男だ。
「それでなびく彼女とは思えんが……」
 漏らすジャミトフ。彼女、とは、ジャミトフに“星の屑”の目的を悟らせた女、シーマ・ガラハウのことである。今朝方、提督執務室でモニター越しに見た狐のような容貌を、彼は思い出していた。
『——コロニー、とだけ言っておこうか。良い返事を期待しているよ』
 口元の笑みを扇子で隠しつつ、言い残して通信を切った魔性の女。デラーズ軍の作戦計画と引き替えに、戦犯容疑取り消しと地球永住を求めた言葉に偽りはないだろうが、何やら得体の知れぬものを感じさせた。
 シーマ艦隊といえば、一年戦争時はサイド4へのG3注入等、数々の非人道的な作戦を展開し、戦後もまた、幾多の艦艇を襲い略奪の限りを尽くす非情の艦隊である。悪名高き海賊の頭首に相応しい女性、と言ってしまえばそれまでかもしれない。
 だがジャミトフは、コリニーに取引を持ちかけるシーマに、恐るべき知将としての顔を垣間見たような気がする。
(追われている身でありながらあの態度。ジャブローの慌てぶりを見越してのことだろう。コリニー大将を名指するあたり、こちらの事情にも精通している……)
 先程のバスクの言葉にもあるように、コリニーは謀略好きな男である。多用するという意味ではない。「謀る」という言葉の響きに惚れているような節がある。物事の解決策として正攻法と邪法が提示されれば、十中八九まで後者を採用するような男だ。
 だから、バスクのような男を重用する。シーマがコリニーに接近したのも、それを知っていたからに違いない。
 わざわざバスクのルートを使って接触してきたことが、それを証明している。
(提督はバスクの言葉に弱い。そしてバスクもまた、謀略の好きな男だ。このルートに乗せてしまえば、要求はまず受け入れられよう)
 もちろん、彼らとてただ踊るだけの人種ではない。全面的に承諾したと見せかけて、掌を返す可能性は十分にある。
 が、シーマにはそれをさせないだけの自信があるのだろう。事実、コロニー落としを匂わせた以外は、奪った核の用途を含めて何も明かしていない。
「観艦式は予定通り行うのだな?」
「一気にカタをつけます。シーマと接触して布陣を知れば、コンペイ島に集結する艦隊の前に、デラーズは手も足も出ますまい」
 まるで全てが己の功績であるかのように、誇らしげに答えるバスク。が、彼の口元に浮かぶ笑みを見たジャミトフは、奇妙な違和感を感じた。見る者をゾッとさせる、どこか残虐めいた笑み……。
「……バスク、貴様何を隠している?」
「はて、何のことでしょう?」
 と言って再び笑う。ジャミトフは黙した。

 ——月が変わって、一一月一〇日。
 この日、四年ぶりの観艦式は予定通り挙行された。保有する宇宙艦艇の三分の一を集めての、一大イベントである。もちろん、四年ぶりと言うことで、各艦隊とも選りすぐりの艦艇を参加させた。主力艦艇の半数を集めての、と言い換えるのが妥当かもしれない。
 だが、それらは虚像であった。コンペイ島を撃った一発の光弾によって、脆くも一瞬にして形を失った。ワイアットの虚栄の象徴、新造戦艦バーミンガムもろとも、ソロモンの海に砕け散った。
 Mk.82、連邦軍の手によって連邦のモビル・スーツに搭載された、レーザー核融合弾による惨事である。
 そして、シーマ・ガラハウは、示唆したとおりにスペースコロニーをジャックした。補修のため、サイド3に向けて輸送中だった二基のコロニーを衝突させ、弾けた一基を月への落下コースに乗せたのである。状況は、ヘボン少将率いるコンペイ島残存艦隊が、これを阻止すべく最大戦速で追撃を始めたところだった。
「だが、射程には収められるだろうが。熱量二〇%? 構わん! 艦隊が殲滅できればそれでよい!」
 ジャブローの執務室で、ジャミトフはモニター向こうのハタミ少佐に向かい、声を荒げていた。ヘボン艦隊の支援をすべくソーラ・システムIIの使用を命じたというのに、遅々として出撃しないルナ2の、第一地球軌道艦隊の緩慢さに怒りを込めて。
 確かにハタミ少佐の言うように、今から出撃してミラーを展開させても、月へのコロニー落としを防ぐことは叶わない。距離的にはぎりぎりで捉えることが可能だが、コロニーを消失させるほどの熱量を得られないからだ。
 が、艦艇やモビル・スーツを殲滅するには十分である。その頃には、ヘボン艦隊も追い付いているはずだ。推進剤に点火すれば、コロニーは月の周回軌道を離れる。
「事態は一刻を争うのだぞ!!」
 ジャミトフは怒鳴った。
 月へのコロニー落としというのは、彼の予想とは異なるものである。このジャブローを狙うものとばかり思っていた。だから提督の許しを得ずして、ソーラ・システムの準備に取りかかった。生まれ故郷である地球を、これ以上汚さぬ為に。
 だが、コロニーは月を目指している。地球軌道艦隊所属の将兵の間に、安堵感が漂うのも無理はなかろう。
 しかし、どこであれコロニーが落ちることに変わりはないのだ。そしてその結果、再び多くの人命が失われる。
 軍上層部は、月にコロニーが落ちたところで連邦は揺るぎもしないと言う。果たしてそうだろうか?
(——馬鹿な)
 ジャミトフは思った。
(地球圏の平穏があって初めて、地球は真の平和を手にすることが出来るのだ。地球さえよければという考えでは、もはや連邦は治まらん。宇宙にくまなく目を向けねば、我々はいずれ滅びる……)
 地球を守れずして、何の連邦軍か。それは、今は亡きティアンム提督の言葉である。その想いを、ジャミトフは言葉を換えて呟く。
 地球圏を守れずして、何の宇宙軍か、と。
「ハタミ少佐!」
 ジャミトフの声に、モニター越しのハタミ少佐は、ビクッ、と肩を震わせた。ジャミトフが激高することは滅多にない。言い換えれば、それだけ怒りが大きいということでもある。
 が、それでもハタミは動かなかった。いや、動けなかったのだ。どこか苦しげな表情で顔を伏せる。
 ジャミトフがそれに気付いた時、モニターに居るはずのない顔が現れた。ゴーグル型の眼鏡をかけた、禿げ上がった頭の巨漢——。
「バスク……! 貴様、なぜそこに!?」
「提督からの命令でしてな。第一地球軌道艦隊の指揮は、本作戦に限って私が執ります」
 どこか得意げに、バスクは言う。
「……ならば貴様に問う」
 その表情に嫌悪感を覚えつつ、ジャミトフは詰問した。
「コロニーの月面落着まであと一五時間。ソーラ・システムの展開には、最低でも八時間はかかる。射程圏までの移動を考慮に入れれば、猶予は一時間とないのだぞ。なぜ出撃せん?」
「その必要がないからです」
「なに……?」
 彼の答えに、ジャミトフの眉間が訝しげに歪む。
 一方のバスク、
「コロニーは月へは落ちませんよ。仮にデラーズがその気でも、当のフォン・ブラウンが黙ってはおりますまい?」
 ジャミトフの顔色など知らぬ様子で、ただそう、意味ありげな言葉を続ける。が、ジャミトフには、その一言だけで充分だった。
「——!? まさか!」
 バスクの口元に、まともな軍人とは無縁の種の笑みが浮かぶ。まるで、現在の状況を楽しんでいるかのようであった。

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