輝ける大地に誓う

作:澄川 櫂

3.ア・バオア・クー

 〇〇七九年一二月三一日早朝。
 レビル艦隊を主力とする地球連邦軍第一、第三大隊は、ジオン公国軍宇宙要塞“ア・バオア・クー”の第三戦闘ライン上に位置していた。管制圏外ぎりぎりのところである。
 一方、コーウェン少将率いる第二、第四大隊は、ようやく集結を始めていた。遅れたわけではない。攻撃目標である“星”を特定させぬべく、迂回ルートを取ったためだ。
 ジオン本国と旧ソロモン、コンペイ島の間には、二つの星があった。ア・バオア・クーと月、月面都市グラナダである。そして、レビルはこの日この場所で、初めて意中の星の名を明かした。
 宇宙要塞ア・バオア・クーを抜け、サイド3を攻めると。
 もっとも、ジャミトフやブレックスのような人間には、コンペイ島を出たときから分かっていた話である。作戦案を出したのは他ならぬ彼らであり、艦艇の配置を見れば、レビルがどれを下地にしているかくらいすぐに判る。
 とは言っても、ア・バオア・クーを攻めると聞いて、緊張しないはずがなかった。何しろ相手は、規模・戦力の両面においてソロモンを上回る大要塞である。にもかかわらず、ソーラ・システムを失った連邦軍は、艦隊戦力のみでこれに挑まねばならない。
 だが、
(この将軍の下であれば、連邦は勝てる)
 淀みない言葉で侵攻ルートを指し示すレビルの姿に、ジャミトフは思うのであった。上手く言い表すことは出来ないが、他の将軍にはない何かを、彼は感じさせるのである。激烈な戦略家と言うだけではない、何かを。
「……本作戦の概要は以上だ。正直、辛い戦いになるとは思うが、よろしく頼む」
 静かに締めくくるレビルに向かい、一同が敬礼で答える。レビルもそれに返す。と、その瞬間を待っていたかのように、副官がレビルに耳打ちした。
「閣下」
「うん?」
「……グレート・デギンが、和平交渉のため、投降してまいりました」
「デギン公王がか?」
「はい」
 これには、さすがのレビルも虚を突かれたようだ。
「そうか……。辛いのだな、ジオンも」
 感慨深げに漏らすと、一言、「会おう」と言った。去り際にそれを耳にしたジャミトフは、あまりの間の悪さに戸惑いつつも、無駄なことではないと思う。
(もはや全面対決は避けられん。いかなデギン公の提案といえどもな。だが、ジオン将兵に与える心理的影響は大きい。我々にとっては好都合だ)
 グレート・デギン投降の報に沸き立つランチ内で、一人冷静に分析するジャミトフ。遠くに赤い船体を見つめる彼はだが、この後訪れる運命の奔流をまだ知らない。

 ムサイ級巡洋艦二隻を従えたグレート・デギンは、その赤い巨体を誇示するするかのように、ゆっくりと連邦艦隊に接触した。ナマズを思わせる船体の鼻先に描かれたザビ家の紋章から、それが間違いなくジオン公国公王、デギン・ソド・ザビの乗艦であると判る。
「デギン公のようで」
「ん……」
 グレート・デギンの艦橋にこちらを見つめる人影を認めたレビルは、副官の声に小さく頷いた。ルウムの敗北から約一年。捕虜としてではなく、対等以上の立場で再び見えることを思うと、感慨もひとしおである。
 だが、ここで退くつもりは毛頭なかった。中途半端な和平など何の解決にもならない、そう思うレビルである。
(ザビ家は徹底して叩く。連邦も変える。それで初めて、この戦争は終わるのだ)
 一方その頃、サフランの艦橋に戻ったジャミトフは、言いようのない不安に駆られ、一人顔をしかめていた。それというのも、デギンが単身で乗り込んできたらしいことを耳にしたからだ。
「デギンの動きを、ギレンは知っているのか……?」
 いや、知らないわけがない。ジャミトフは声に出さずに続けた。
 ジオン公国における“公王”というデギンの地位が、もはや形式的なものに過ぎないことを彼らは知っている。全ての実権を“総帥”ことギレン・ザビが握っていることぐらい、諜報部の報告が無くとも判ることだった。
 それだけに、彼は不安なのだ。ギレンが名目上の君主に和平交渉の道を託したのならば良い。だが、これがデギンの独断によるものだとすれば……。
(——ギレンはデギンを許しはしまい)
 ジャミトフが思ったその時、突如、眩いまでの光の帯が、連邦宇宙艦隊の真っ直中を駆け抜けた!
「うおっ!?」
 片手で顔を覆いつつ、呻くジャミトフ。
「な、何だ!」
 キンゼー中尉以下のブリッジ要員も、あまりの眩しさに目を閉じながら、口々に驚きの声を上げた。サフランを覆う振動は、それがただ事ではないことを彼らに教えている。
 しかし、それも僅かな間のことであった。膨大な光も振動も、まるで何事もなかったかのようにすーっと消えていく。
 が、光が晴れたあとの連邦艦隊は、様相を一変していた。
「な……!?」
 言ったきり、あとは声もないキンゼー艦長。無理もない。先程まで主力艦隊のあった空域には、何も無かったからだ。
 いや、何も無いというのは語弊がある。サフランの周りには、一寸前まで同じ第一二分隊に属する艦艇であったものが、無数に浮かんでいた。レビルの乗艦やグレート・デギンのいた辺りだけが、ぽっかりと穴の空いたように抜けている。
 ジャミトフは理解した。自らが考案したソーラ・システムと同等か、それ以上の何かが、一瞬にして連邦主力艦隊を薙ぎ払ったのだと。
(将軍……!)
「ルザルより入電。『各部隊は被害状況を確認しつつ、ホワイトベースを基点に再集結せよ』」
「識別コード探査終了。我が艦以外の反応無し」
「取り舵一杯、回頭九〇度。ホワイトベースへの進路を取れ。ルザルに打電。第一二分隊は我が艦を除き全滅、以後の指示を待つ。以上」
「はっ。サフランよりルザルへ。第一二分隊は我が艦を除き全滅。以後の指示を待つ」
『こちらルザル。暗号コードβトワ』
「了解」
 慌ただしく移動を始めるサフランの艦橋で、それらのやりとりはだが、ジャミトフの耳には遠い。
(……なんて事だ。これでは、我々は勝てん)
 此度のア・バオア・クー攻略戦は、レビル艦隊あっての作戦である。残存艦艇だけで間に合うわけがない。何よりレビル艦隊の喪失は、連邦将兵に精神面でも計り知れない影響を及ぼす。
「ギレンめ……己の父をも殺すか」
 彼方に霞む星、ア・バオア・クーに向かい、ジャミトフは忌々しげに言った。

 主力艦隊を失った連邦軍ではあったが、結局、当初の作戦に沿った形で、ジオンの宇宙要塞ア・バオア・クーに攻め込んだ。作戦を新たに練り直すだけの時間が無かったからである。なにより、レビル艦隊を葬った新兵器が次は自分を襲うかもしれないと思うと、じっとしてはいられない。
 それでも彼らが逃げ出さなかったのは、それが無駄なことであると知っていたからだ。有能な人種のみを生かした新たな世界を築くという選民思想に溢れた著書、『優性人類生存説』を表したジオン国総帥ギレン・ザビが、自分たちを生かしておくはずがない。どうせ殺されるのであれば……。そういった理由である。
 連邦は艦隊を二手に分けた。
 一隊はほぼ無傷で残った第二、第四大隊で、ア・バオア・クーの北側、Nポイントを。もう一隊はルザルを旗艦に残存艦艇をまとめ、第一三独立艦隊と共に、反対のSポイントを攻める。誰の目にも戦力不足は明らかだが、これが精一杯の布陣であった。
 ジャミトフの乗る巡洋艦サフランは、Nポイントを攻める部隊の中にあった。後方、と言ってもいつ沈んでもおかしくない状況にあるにも関わらず、その火線に衰えは見られない。
(……皮肉なものだな)
 次々に届く戦況報告を聞きながら、ジャミトフは一人、声には出さず呟いた。自らの乗艦のことである。
 成り行き上、Nポイント攻略の指揮はジャミトフに任せられていた。故ティアンム提督付きの参謀であり、階級が大佐と比較的高かったこともあるが、他に適当な人物がいなかったというのが本当である。
 それが証拠に、一軍の指揮を任されたにも関わらず、彼に戦艦は宛われなかった。ソロモン戦でたまたま乗り合わせたサフランが、そのまま旗艦の役割を担っている。
 戦闘能力の劣る艦で指揮を執れとは、考えてみれば酷い話である。だが、それが幸いしたとも言えた。
 戦場で真っ先に指揮官を狙うのは、戦闘の常である。そして、艦隊指揮官の乗艦は戦艦であるという固定観念がある。目の前のジオン艦艇もまた、戦艦に重点を置いた砲撃をしているようであった。現に、ルザルと入れ替わりで回ってきたワッケイン少佐指揮する戦艦マゼランなど、戦端を開いたそばから集中砲火を喰らってあっけなく沈んでいる。
 だが、このサフランは巡洋艦である。取るに足らない小物と思われているのかもしれない。時折近づくモビル・スーツや重戦闘爆撃機以外に、明確な意志を持って攻めて来るものはなく、この乱戦の最中にあってなお、サフランは奇跡的に無傷だった。
 故に、連邦艦隊はかなりの損害を受けつつも、指揮系統に乱れはなかった。逆にジオンの方で混乱が生じたらしく、連邦はその一瞬の遅滞を突いて、空母の一隻を沈めることに成功している。
「モビル・スーツ隊、ア・バオア・クーに取り付きました!」
 オペレターが待ちに待った一言を彼らに伝えた。
「そうか……。あと一息だな」
 ジャミトフは僅かに表情を崩すと、
「もう一隻の方はどうか?」
 と尋ねた。この空域には、少なくとも二隻の敵空母が確認されている。不明瞭な問いであったが、若いオペレターには伝わったようだ。
「未だ健在……いえ! 撃沈報告、入りました! 敵空母撃沈!!」
 交錯する情報の中から的確な答えを返す。それを裏付けるように、ひときわ大きな火球がア・バオア・クー付近で生まれた。戦局は、間違いなく連邦に傾いている。
(——しかし)
 この戦闘における勝利を八割方確信したジャミトフはだが、憂鬱だった。自軍の損害の酷さを思ってのことである。
(ア・バオア・クーを落としても、ジオン本国に残る戦力は馬鹿に出来ない。何より、グラナダは無傷だ……)
 たったこれだけの戦力で、我々は奴らに勝てるのか? 沈み行く僚艦の炎を見つめながら、ジャミトフは自問した。いずれジオン本国を攻める、その戦略を。
 いつしかサフランは、ア・バオア・クーの傘の上にいた。眼下の小惑星には幾重にも亀裂が走り、そこから吹き出す炎は陥落も間近であることを彼らに教えている。
「司令」
「ん……?」
 不意にキンゼー艦長に呼ばれたジャミトフは、怪訝そうに振り向いた。彼が妙に声を潜めていたからだ。
「何か?」
「……ア・バオア・クーより離脱する艦艇群を捉えました」
「なに……」
 ジャミトフは一瞬、言葉を失った。ここで叩けるだけ叩いておかなければ、連邦は後々苦しくなる。だが、今の連邦にゆとりがあるわけではない。キンゼー艦長にもそれが分かっているのだろう。
「かなりまとまった数です。……いかが致しましょう?」
 辺りを憚るように尋ねる。そんな中尉に、ジャミトフはしばらくして首を振った。
「……いや、いい」
「行かせてしまってよろしいので……?」
「今はなによりもア・バオア・クーだ。……先のことは、ここを落とした後に考えればよい」
 まるで自分に言い聞かせるように言う。
「前方より敵艦上昇!!」
「何!? 主砲を前面に集中させろっ!」
 オペレターの報告に、キンゼー艦長は怒鳴った。サフランの主砲が残る力を全て注ぎ込むかのような勢いで、前方の港にありったけの火線をぶちまける。
(——だが、一番の問題は上層部だ)
 茶褐色の敵艦に吸い込まれて行くビームの列を見ながら、ジャミトフは思った。
(腰砕けの将軍達のことだ、恐らく和平に持ち込むだろう。我々の状況を考えればそれもいい。が、中途半端な和平は必ず災いをもたらす……)
 サフランの前方で爆煙が上がった。
「ザンジバル級撃沈!」
(せめて、ザビ家一党だけでも倒せればな)
 嘆息するジャミトフ。たった今沈めたばかりのザンジバルに、兄ギレンを暗殺したキシリア・ザビが乗っていたとは、このとき夢にも思わない。

 ——宇宙世紀〇〇八〇年一月一日。
 この日、地球連邦政府とジオン共和国との間に、終戦協定が結ばれた。

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