GoyouDa! - 冬の夜の大捕物 -

作:澄川 櫂

第5話 イベントホールはコロッセオ

「いやったぁっ!」
 夜の帳もすっかり降りた頃、菜穂の部屋には、昼間とはうって変わった満面の笑みで勝ち誇るマンジローの姿があった。その隣に、複雑な表情でコントローラーを握る圭助。件のパズルゲームでは、選手交代後も含めて遂に一勝も出来なかったマンジローだが、ことアクション系に関して言えば、やはり相当の腕であるらしい。
 今、画面に映っているのは、圭助がもっとも得意とするカーレースのゲームである。夕食後一発目の、格闘対戦のリベンジとばかりに彼がセットしたものだが、終始優勢のまま、マンジローがトップでチェッカーフラッグを受けていた。
 自信満々で臨んだだけに、圭助はほとんど茫然自失の体である。
「へへへ、もう一回やる?」
 にたぁと笑うマンジローが、実に意地悪そうに言った。こちらはこちらで、昼間の憂さをここぞとばかりに晴らそうとしているに違いない。果たしてムッと我に返った圭助は、一も二もなくリスタートを選択していた。
 その様子に、ピザの残りをつまんでいた菜穂は、苦笑せずにはいられない。
(圭助も変わってないなぁ)
 小さい頃を思い出して、声には出さず呟く。マンジローほどではないにせよ、圭助も結構ムキになりやすい性格なのである。
(それにしても……)
 ひとしきり苦笑すると、菜穂はひたすらゲームに興じるマンジローの顔を窺った。活き活きと目を輝かせて車を操る様を見る限り、彼の言う「仕事」のことなど、すっかり忘れてしまっているようだ。
(朝の調べものは何だったのかしら)
 などと思っていると、「だあっ!」という破れかぶれの声が響いた。見ると、豪快にクラッシュした自分の車を前に、圭助がコントローラーを投げ出している。
「……もう終わり?」
「疲れた。ちょっと休憩」
 不満そうなマンジローにぶすっとした口調で応えると、
「菜穂、交代」
 と、彼女に座布団を譲るではないか。
「ええっ!? あたし!?」
 予期せぬご指名に菜穂は慌てた。正直、この手のゲームは苦手である。とは言え、変に断って機嫌を損ねるわけにもいかないだろう。
「あ、あのさ、マンジロー君。ゲーム、変えてもいい?」
「いいよ。お姉ちゃんの得意なあれじゃなきゃ」
 条件付きとはいえ、あっさり了承するマンジロー。内心ホッとしながら、菜穂は圭助の持ってきたゲームの山をあさった。簡単操作が売りのアクションゲームを探し出すと、ディスクを入れ替えリセットボタンを押す。軽やかな音楽と共に、かわいらしいキャラクターを前面に出したオープニング画面が起動する。
 だが、いざ菜穂がスタートを選択しようとした段になって、
「ちょっと待って。ぼく、トイレ!」
 思い出したようにマンジローは立ち上がった。慌ててトイレに向かって駆け込んでゆく。ゲームに夢中になるあまり、尿意すら忘れていたのか。
 それを唖然と見送った圭助は、
「なあ、菜穂。あいつ、本当に不思議少年なのか?」
 疑わしげに彼女を振り返った。
「そ、そのはずだけど……」
 面と向かって言われては、菜穂も自信なさげに口ごもるしかない。この目で見た菜穂自身、信じられなくなってきているのだから。
 そうこうしているうちに、水を流す音が聞こえてきた。とりあえずの疑問は放っておくことにして、コントローラを持ち直す。ところがどうしたわけか、一向にマンジローの戻ってくる気配がない。
 菜穂と圭助は互いに顔を見合わせると、トイレに様子を窺いに行った。
「マンジロー君?」
 ノックをしてみるが、返事がない。もう一度顔を見合わせると、思い切ってドアを開けてみる。すると、そこはもぬけの殻であった。
「あーっ! しまった!」
 今さらながらにマンジローが神出鬼没であったことを思い出す菜穂だったが、既に後の祭り。
「ど、どこ行っちゃったんだろ!?」
「お……落ち着けよ、菜穂」
 絵に描いたように慌てふためく菜穂を前に、否応なしに冷静さを取り戻す圭助。
「どっか思い当たるところとかないのか?」
「思い当たるところ、て言われても……」
 彼の言葉に、立ち止まって頭をひねる菜穂は、やがて「あ!」と声を上げた。昼間、マンジローの携帯端末で目にした建物の姿が、色鮮やかに脳裏に蘇る。
「ひょっとしたら、メッセかも!」

 幕張メッセは国道14号線より海側の、広大な埋め立て地の一角にある多目的イベント施設である。モーターショーの会場に使われたりと、県外でもそれなりに有名な建物だ。
 人工海岸との間にマリンスタジアムを従え、近隣には高層ホテルやオフィスビルが建ち並ぶなど、一見すると都会的な雰囲気の中に位置しているが、少し歩けばそこは何もないただの荒れ地。平面積の広いかまぼこ型の建物は、まるで、バブルの光と影を現すモニュメントのようでもある。
 そう思ったからかどうかは分からないが、圭助運転するところのシビックは、その正面ロータリーの少し手前に遠慮がちに停車した。小柄な車体を降りたところで、吹き付ける風に思わず縮こまる菜穂。見ようによっては、それも寒さばかりが理由でないように思えるが、もちろんそんなことはない。
「寒っ……!」
 セーターの袖に手を引っ込め、腕を組んで足踏みする。
「うう、ちゃんとコート着てくるんだったぁ」
「だから言ったろ。外は寒いぞ、て」
 例によって圭助が呆れた口調で言うのだが、
「しょうがないじゃない。慌ててたんだから」
 膨れっ面で応える菜穂にしてみれば、全てはマンジローのせいであるらしかった。全く、勝手に出て行っちゃうなんて、と、ひとしきりぶつくさ言うと、一息吐いて辺りを見渡した。
「それより、どこから探そう?」
 一口に幕張メッセと言っても、その広さは優に野球場四個分はある。慌てて来たは良いけれど、手がかりがなければ途方に暮れようというものだ。
 ところが、
「探すも何も……あれ、そうじゃないか?」
「え?」
 圭助に言われて振り向いた菜穂が見たのは、縛った髪を尻尾みたいに揺らして走るマンジローの姿だった。正面広場から階段に向かって駆ける背中を呆然と見送る菜穂だったが、はっと我に返るや慌ててその後を追う。
 階段を上りきったところに立つマンジローは、いつ着替えたのか、ヘルメットにプロテクターという、最初に出会った晩と同じ格好をしていた。見るからに戦意満々と言ったところだが、
「どうだ? 万次郎」
「二人いる。でも変だなぁ。一人しかターゲットスコープが出てないや」
 手にした十手共々、背後に追いつく菜穂に気付かなかったのは迂闊だろう。
「こらっ! 黙って行っちゃうなんて酷いじゃない!」
「お、お姉ちゃん!?」
 ビクッ、と振り向くマンジローの狼狽え方は、思わず吹きそうになるくらい滑稽だった。
「どうして……?」
「お前が小便などするからだ」
 十手の十兵衛が諫め、嘆息するのも無理はない。
「全く、そのまま出てればいいものを、ご丁寧に水まで流しおって」
「……だって、本当に漏れそうだったんだもん」
「はあ……。これだからお前は」
 呆れ果てたといった感じで、滔々とうとうと小言を続ける十兵衛。その頃になってようやく追いついた圭助は、ガラス玉を青く明滅させる十手に目を丸くするのだった。
「十手が……喋ってる?」
「ん? あ、圭助は初めてだったよね」
 その反応に、十兵衛のことを話し忘れていたことに気付く菜穂だったが、彼女が何を言うより早く、本人が直々に名乗りを上げた。
「十兵衛でござる。お見知りおき下され」
 頭でも下げたのだろうか。柄の青い光が一瞬、すーっと細くなる。
 だが、
「菜穂殿に、圭助殿でござったか。この建物の奥に、曲者が潜んでおってな。拙者達、これよりその者を捕らえに参るのでござるが、非常に危険故、お二人にはここらでお引き取り願いたい」
 再び口を開いた十兵衛は、一転して有無を言わせぬ調子で告げると、持ち主を促すのだった。
「万次郎」
「う、うん」
 少しためらいながらも、かがみ込んでなにやら構える仕草をするマンジロー。すると、その手にロケット砲が現れた。驚く二人をよそに、ずんぐりした砲弾が、冬の夜空をめがけて放たれる。

 シュパッ!

 放物線を描いて落下してきた砲弾は、イベントホールと呼ばれる建物の頭上で弾け、なにやら光る粉のようなものを辺りに散らした。
「よしっ」
 それらが一通り、イベントホールを包み込むのを待って、軽く気合いを入れつつマンジローが駆け出す。呆気にとられたまま見送る菜穂だったが、すぐに我に返るや否や、十兵衛の忠告を無視して追いかけるのだった。
「お、おい!? 菜穂!」
 圭助が呼び止めるが、もちろん菜穂の耳には届かない。
(あんだけ色々見せつけられて、今さら帰れるわけないじゃない)
 毛むくじゃらの大男との立ち回り。モノレール線路上での身軽な戦い。そして、喋る十手に数々の不思議道具と、気になることは山とある。
 ここで大人しく帰れですって? 好奇心旺盛なあたしに、それは無理な相談よ。
 などと理由付けして走る菜穂の目の前で、不意にマンジローの姿が消えた。目を見張るのもつかの間、菜穂は何とも形容しがたい不思議な感覚を覚えた。薄絹のようなものが、ほんの一瞬、全身を包み込むようにして肌を撫でてゆく。同時に、遠くに聞こえていた電車の音がぷっつりと途絶えた。背中から抜けゆく奇妙な感触につられて、立ち止まって振り返る菜穂。
「えっ……!」
 彼女が息を呑んだのも無理はない。なぜなら、つい今し方まで確かにそこにいたはずの圭助の姿が、綺麗さっぱり消えてしまっていたからだ。
「……圭助?」
 呆然と小首を傾げる菜穂は、だが、ほどなく自分が異質な空間に入り込んだのだと悟った。見渡せる限りの建物という建物の窓に明かりはなく、夜間は常に明滅しているはずの、ビルの航空障害灯でさえ、瞬く気配がまるでない。何より、身も凍り付くほどの静寂が、辺りを包み込んでいるではないか。
「な、何……」
 植物の僅かな息吹さえ感じられない静けさに、さすがに心細くなってくる。

 キィ……

 ドアの軋むかすかな音が響いたのは、まさにその瞬間だった。飛び上がって視線を前に戻すと、小さな影がイベントホールへと消えてゆくのが分かる。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
 菜穂はたまらず、その後を追って閉じゆく扉の内へと飛び込んでいった。

 建物の中は外に負けず劣らず静まりかえっていた。高い天井から下がる照明に灯りはなく、先に続く通路の暗がりから、真っ黒な闇が流れ込んでいるかのようである。だが、そこに漂う空気からは、複数の人の気配が確かに感じられるのだった。
 窓から差し込む僅かな月明かりを頼りに、壁伝いに奥へと進む菜穂。どことなく息苦しさを覚えるが、それは極端に緊張しているせいだと思った。キュッ。小さな物音に思わず立ちすくむ。それがスニーカーのゴム底の立てた音だと気付いて、ほっと胸をなで下ろすが、ひんやりした空気に再び表情を硬くする。
「どこに居るんだろう……?」
 ロビーに面した扉の一つを恐る恐る押してみる。意外にも鍵はかかっていなかった。そっと辺りの様子を窺うと、意を決して中に入る。ボックス席の間の通路を、下へ下へと降りてゆく。
 すると、そこに人影があった。すらりと背の高い人物だ。マンジローではない。
「な……っ!?」
 菜穂の気配に気付いた人影は、振り向くや否や驚きの声を上げた。そして次の瞬間には、菜穂の傍らに立って素早くその肩を押さえている。
「君、どうしてこのようなところに」
「え……!?」
 サングラスの男に咎められた菜穂は、それを訝しがるより先に、一瞬にして自分を捕らえた男の妙技に声を失った。いったいいつ、どうやって移動したのだろう……?
「良かった。何ともないようだ」
 ベージュのコートに身を包んだ彼は、そんな菜穂の疑問など気にしていないようだった。
「とりあえず、これを着けていれば安全だ」
 屈み込んで菜穂の腕にミサンガのようなものを結わえながら、言葉を続ける。
「この空間は彼らが捕り物を終えるまで解かれない。その間、万が一にもこれが切れたりするようなことがあれば、取り返しのつかないことになるからくれぐれも注意するように。いいね」
 何のことだか菜穂にはまるで解らなかったが、男の強い口調に気圧されて、こくりと肯く。それを見て男は立ち上がった。サングラスの内にチカチカと明滅する光が見える。
「何にせよ、一人でいるのは危険だな。一段落するまで、私と共にいるといい。疑問も色々あるだろうから、答えられる範囲で……」
「姉ちゃんに何してるんだ!」
 戸惑う菜穂の手を引く男を呼び止めたのは、勇ましく十手を構えたマンジローだった。言うが早いが二人の間に飛び込むと、サングラスの男に向かってそれを振るう。男はたまらず三歩ほど後ろに飛んで、座席の一つに立った。
「これはこれは」
「お前、誰だ!」
 口元に笑みを浮かべる男とは対照的に、十手を突きつけ睨み上げるマンジロー。今にも飛びかからんばかりだが、
「これ、万次郎」
 どういうわけか、十手の十兵衛がそれを押し止めている。
「名乗るほどの者ではないよ」
「なにぃ!」
「はっはっは。そんなに怒るなって」
 男はそんなマンジローの反応を楽しむように笑うと、一転して真面目な口調で言った。
「だいたい、君の獲物は私じゃないだろう?」
 途端、マンジローがキョトンとなる。その一瞬を突いて、男は身を翻した。
 まるでスローモーションの如く、ベージュのコートを広げて男が跳躍する。ふわりと柔らかな身のこなしは、男がただ者ではないことを十分匂わせたが、正体を問う間もなく、その姿はすぼまりゆくコートの動きに合わせてすーっと見えなくなる。
「き、消えちゃった……?」
「あいつ!」
 呆然と目を丸くするばかりの菜穂とは対照的に、猛然といきり立つマンジローだったが、ふと思い出したように菜穂を見る。一呼吸おいて、彼は菜穂に飛びつくと、両手で思いきり揺さぶるのだった。
「お姉ちゃん、大丈夫!? 体、何ともない!?」
「あ? え? ちょっと?」
「特に問題はないようだ」
 咄嗟に何のことだか解らない菜穂に代わって、十兵衛が言う。相方の答えを聞いたマンジローは「良かったぁ」と胸をなで下ろすと、今度は非難がましい目つきで彼女を見上げるのだった。
「全く、菜穂殿にも困ったものでござる」
 十兵衛もまた、顔には出せないが、たぶん、マンジローが思っていることと同じような言葉を口にする。
「……あたし、そんなに悪い事しちゃいました?」
「ここは特殊な空間でござってな。きちんとした装備も無しに入っては、遺伝子レベルで変調を来し、最悪、死に至るケースもある。ああ、今は拙者のフィールド圏内にいる故、心配無用でござるよ」
「……?」
 その説明に小首を傾げる菜穂だったが、それは言っている内容が解らないから、ということばかりが理由ではなかった。
「それって、これと何か関係あるのかな?」
 あの人も同じようなこと言ってたっけ、とサングラスの男を思い浮かべながら、真新しいミサンガを二人に見せる。
 果たしてマンジローは目を丸くし、十兵衛は青い輝きを一瞬、増した。
「じゅうべえ、これ」
「中和フィールド発生器……。菜穂殿、どこでこれを?」
「さっきの人に貰ったんだけど……」
 言いながら、男の消えた方向を見やる。
「あいつ、ほんとに何者なんだろ?」
「さあな。とりあえず敵ではないようだが、調べてみる必要が——」
 つられて視線を移したマンジローに、何事か言いかける十兵衛だったが、
「万次郎!」
 突然、鋭い声を発した。マンジローが反射的に菜穂を抱えて横に飛ぶ。直後を突風が突き抜け、金属特有の甲高い音が、キィンと辺りに響き渡る。
 僅かな舌打ちと共に現れたのは、どこか古風な出で立ちの女剣士だった。手にした日本刀をだらりと構え、マンジローを見やる。
「さすがは当局の誇る時空ハンターの一人。坊やと思って甘く見てると痛い目に遭いそう」
 言って、形のよい唇をうっすら開く女剣士。氷の微笑という単語が、菜穂の脳裏に浮かんで消えた。
「このまま続けても良いんだけど、少しもったいない気もするわね。素敵なゲストもいるようだし……」
 菜穂の受けた印象を知ってか知らずか、冷ややかに菜穂へと視線を移した女剣士は、手にした刀をやおら横に払った。
「どうかしら? 舞台の上で改めて闘るっていうのは」
 切っ先をホール中央に向ける女の瞳が、鋼の刃同様の冷たい光沢を放つ。マンジローの肩に手を乗せる菜穂は、我知らず指先に力を込めていた。