魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶

作:澄川 櫂

7.メリル・ハント

 ニコルが物資搬入作業をしている間、コレットはずっとコアファイターに取り付いていた。彼女の機体だし、連絡役を仰せつかっている以上は仕方のないことである。そう分かってはいるのだか、なぜだかニコルはつまらなかった。コロノフの話を聞いて笑い出す姉の様子に、気付けばぷうっと頰を膨らませている。
 やがて搬入と自機のメンテナンスを終えたニコルは、憂さ晴らしとばかりに日課であるシミュレーションに精を出す。だが、ドリンクを持ってきてくれた姉がすぐにコロノフの元へと流れていくのを見て、思わず後を追うのだった。
「ケビンさん、どうぞ」
「お。ありがとう」
「どんな具合ですか?」
 コレットの問いに、ドリンクをひと口含んでからコロノフが答える。
「イアンさんの想像が当たってたのは確からしいけど、ブラックボックスの中身まで見るのは無理そうだなぁ。ダンプデータの解析が終われば、もう少し推論を深められるかもだけど」
 そこまで耳にしたところで、ニコルは口を尖らせるのだった。
「なんだよ。結局、分からないって結論になるんじゃないか」
「ニコル! あんたちょっと失礼よ」
「だってよぉ」
「いいよいいよ、実際そのとおりだから」
 さや当てする姉弟を笑って制するコロノフ。近くで作業していたイアンもまた、苦笑しながら振り向いて言う。
「分からないからブラックボックスって言うのさ。それよりニコル、少しは上達したのか?」
「レベル3クリア。ハイスコア更新したぜ」
 自信満々で反っくり返るニコルの様子に、なぜかコロノフが吹き出す。
「なんだよ?」
「ごめんごめん。微笑ましいもんだからつい」
「なっ……。馬鹿にしてんのか! そーゆーお前はどうなんだよ!」
「僕かい?」
「おい、ニコル……」
 諌めようとするイアンを手で制すと、コロノフはコアファイターから降りて伸びをした。
「気分転換にやるのもいいかぁ」
 そう言って床を蹴る。“ズサッツェ”のコクピットに収まるや、彼は慣れた手つきでコンソールを操作し、設定を変えた。
「なに勝手に……!」
 咎め立てるつもりで覗き込んだニコルだったが、
「……MAX⁈」
 レベル表示を目にして声を失う。
「離れないと怪我するよ」
 余裕たっぷりの笑顔で外に出るようニコルを促すと、コロノフはグリップを握った。
 それから数分後、ほぼノーミスでステージを終えたコロノフは、燦然とトップに輝くスコアを“T.W”の名で保存して、コクピットを降りた。すかさず覗き込むコレットとニコルは、その数字を見てあんぐりと口を開ける。
「……なんか、随分と桁が違わない?」
「……」
 呆然と目を疑うニコルに、コロノフの声が追い討ちをかけた。
「まだまだ修行が足りないなぁ、ニコル君」
「うっ、うっせえ! ぜってー追いついてやる!」
 いきり立つニコルはコレットをコクピットから追い出すと、しゃかりきになってシミュレーションを始めた。だが、今のニコルにレベルMAXのハードルはあまりにも高く、すぐさま撃破されて頭をかきむしる。
「ほぼノーミスとはさすが」
 コアファイターへ戻ったコロノフに、イアンが笑いながら言った。
「観てたんだ」
「こいつでモニターできるからな。しかし、いきなりMAXとは、少し大人気ないんじゃないか?」
「強い相手とやりあった方が上達も早いだろう?」
「……かえって自信を無くさなきゃいいがな」
「負けん気強そうだし、大丈夫じゃない?」
 そのやりとりを耳にしたコレットは、二人が離れたところを見計らって、イアンに小声で尋ねた。
「ケビンさんが上手いって知ってたの?」
「噂は耳にしていたよ。往年の天才ゲーム少年、いまだ健在か」
「へ?」
 どこか懐かしそうなイアンの表情に問いを重ねようとするコレットを、コロノフの声が遮る。
「イアンさん、ちょっと」
「どうした?」
「サイレンが解析終えたんだけど、この領域のここんとこ、どう思う?」
 見解を問われて端末を覗き込むイアン。コロノフの指し示す箇所を見て、無意識に腕を組む。
「……ファームのコンフィグバックアップにしては、随分と大きいな」
「だよね。これ、なんかのファイルだと思うんだ。プロテクトかかってて裏メニューからも見えないけど、ブラックボックス使えばあるいは……。やってみる?」
 コロノフの問いに少し考えるイアンだったが、程なく頷いた。
「やろう。念のためブリッジに伝えてくる」
「オーケー。準備して待つよ」
 やがて準備は整い、コロノフは通常手順でコアファイターのシステムを立ち上げた。コンソールを操作し、最初に変更した設定を元に戻す。
「一発勝負だろうから、しっかりキャプチャしてくれな、サイレン」
「マカサレテー」
 耳をパタパタしながら応えるサイレンを軽く撫でると、コロノフはシートに身体を預けて目を閉じた。少しの間があって、コンソールの表示が目まぐるしく変わる。そして、動画の再生が始まった。
「この人……!」
 そこに映し出された男の顔を見るなり、コレットが声を上げた。
「知ってるのか?」
「えっと、煙突島チムニーの喫茶店で会った」
珈琲屋カフェマスターのところでか?」
 頷くコレットの様子に、イアンの表情が険しくなる。
「どんなやつだった?」
「どんなって、気さくなおじさま、て感じだったけど……」
 コレットは困惑を隠せなかった。ひょっとしたら、過去に養父おやじと会っていたかもしれない人。そんなふうに漠然と感じた人物が不意に画面に現れたもんだから、単純に驚いたのだ。故に、イアンの声音と視線の鋭い理由が解らない。
 イアンはそれ以上、コレットに声をかけることも、視線を向けることもしなかた。ただただじっと画面を睨み付ける。
 やがて動画の再生は終わり、イアンはコロノフにサイレンが間違いなく記録できたことを確認して、手近の通信機に取り付いた。ブリッジをコールし、何やら話し込む。そっと位置を変えるコレット。会話の終わる直前、一瞬だがモニターに養母ははの姿が見えた。
「艦長室へ行く。今の動画を見せたいんで、ハロ同伴でご同道願えるかな」
 コロノフが頷くのを確認して、イアンは彼女を向いて続ける。
「コレットも来い」
「は、はいっ!」
「イアンさん、俺は?」
「いつでも機体を出せるようにしておけ」
「えっ⁉︎」
 当惑するニコルに構わず床をけるイアン。コレットは一瞬、コロノフと顔を見合わせてから、少し遅れて彼の背を追った。

 艦長室にはハリエットとドクターに付き添われたアントニーが待っていた。ドクターに声をかけ、彼が外すのを待ってから、イアンはコロノフに先の動画の再生を依頼する。三角耳を付けた赤い球状ロボットが赤い目を淡く明滅させると同時に、スクリーンに映像が映し出された。
 その男は淡々とコアファイターの仕込みを語った。ブラックボックスの稼動状態に応じて特殊な信号が発せられること。アントニーらが追う男は、その信号を手掛かりに、常にアントニーらの消息を探っているであろうこと……。
 だが、アントニーもハリエットも、その言葉にはたいした反応も見せなかった。ブラックボックスの存在を知った時点で、そのような仕掛けがあるであろうことは想定していたから。それはイアンとて同じこと。問題はこの後だ。
「予定航路は別で渡すチップに収める。取り出しはいつもの方法で。パスコードは“ホリーアライブ”」
 男はそこで言葉を区切ると目を閉じた。何事か祈るように。しばしの沈黙。
「ゆりかごの問題がなければ合図を送る。その時は思う存分やってくれ。ことが始まる前に、このメッセージが君の元へ届くことを願う。親愛なるアントニー・エリクソンへ。メリル・ハント」
「ディック・カルヴァン、クレメンス・ワーナー、レイモンド・ウォード、そしてメリル・ハント。あんたの尋ね人だ。こいつも仇の片割れなんだろう? なぜそんな男が情報を流す? それも、直接出向いてまで」
 映像が終わったところでイアンは問い質した。彼は第一次ネオ・ジオン紛争時にこの船、ヘーゼル・グラウスに拾われた口である。故にアントニーが海賊を続ける理由にさしたる思い入れはない。多少の危険はあっても、気ままに機械いじりができる今の立場に満足していた。
 だが、仇と聞かされた人物と繋がっていたとあっては別である。
「随分と親密そうだが……あんた、コアファイターのこと、最初から全部知ってたんじゃないのか?」
 イアンのその問いに、コレットはハッとして養父を向いた。
「……知らない、と言ったら信じてくれるのかな?」
「説明次第だ」
 質問に質問で応えるアントニーを一語の下に切って捨てるイアン。
「そうか」
 その反応になぜだか笑みを浮かべたアントニーは、ついでコレットの方へと視線をやる。すでに口元から表情は消えており、静かな眼差しがコレットを抜ける。コレットは瞬間、怖気に似た感覚を覚えた。
 コレットを向いてはいたものの、養父アントニーの瞳は、明らかに彼女以外のものを見ている。
「一別以来だよ。画面越しとはいえ、こうして直接顔を拝んだのは」
 会話を続けるアントニーの声に、コレットは我に返った。その声音は普段となんら変わらない。耳にするとどこか安心する養父おやじの声だ。
「君の勧めでネットワークに入ってから、時折かつてのコールサインで有用な情報が入るようになってね。復号の手順といい、あいつからだろうと当たりをつけてはいたが……」
「ちょっと待て。まさかこの十年、ずっと同じだとか言うつもりじゃないだろうな」
 今度は雄弁な沈黙。イアンは呆れたように天を仰いだ。
「おいおいおい」
喫茶室カフェのルールは君も知ってるだろう?」
「そりゃまあ……。ただ流すだけ、だったか」
「受け取ることはできても、相手が匿名では連絡の取りようもない。一応、尋ね人として情報提供を呼びかけてはいるが、そっちはさっぱりでね」
 仕方なかろう、とばかりに肩を竦めるアントニーの様子に、イアンは嘆息した。それ以上の追求をやめ、先を促す。
「さて、どこから話したものかな」
 しはし思案顔で天井を見上げると、アントニーはコレットを見やった。先刻とは違い、その瞳は彼女をまっすぐ見つめている。
「——そう。あれは彼女が、今のコレットと同じ歳になった頃の話だ」
 こうして彼は、コレットがまだ生まれる前の記憶を語り始めた。

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