魂の還るところ 〜Return to the Earth〜 ゆりかごの記憶

作:澄川 櫂

4.プランB2

「じゃあ、頼んだわよ。コレット」
「任せてよ! かあさん!」
 エア・ロックへ向かう背中に声をかけると、娘は振り向いて親指を立てた。にっと歯を見せて笑う。と、その姿に別の少女の声が重なる。
「ハリエット!」
 屈託なく明るいそれは、遠き日の思い出の響き——。
「どうかしたんですかい? 姐御」
 副長、バブラク・ダンカンの呼びかけに、前方の宇宙を見るともなく見つめていたハリエット・アーデンは、ゆっくりと現実に戻った。
「……いや」
 見慣れた髭面に向かい、短く静かに応える。それで終わりにするつもりだったが、三十年近く行動を共にしてきた男には、十分な反応だったようだ。
 サイド2の方角を見やって軽く腕を組むバブラクが、おもむろに口を開く。
「思い出してたんでしょう?」
 言って視線を戻す口元には、微かな笑みが浮かんでいる。ハリエットは頭をかいた。
「やれやれ、あたしも歳を取ったもんだ。こうも簡単に見透かされるとはね」
「歳食ったのは姐御に限りませんよ」
 平然ととりなすバブラクに苦笑しながら合わせる。
「お前さんも随分と丸くなったものな」
「そりゃあ、穏やかな宇宙そらを長らく漂えば、血の気も抜けますわ」
「で、億劫にもなると」
「そんなとこで」
 二人は声を出して笑った。
 コレット姉弟を拾って十年。ようやく一人前の手伝いができるようになった彼女らに、ハリエットもバブラクも多くのことを任せるようになった。仕事の量が減れば自ずと気を抜く時間も増える。そのせいか、このところよく昔を思い出す。
「どこが似てるでもないんですがねぇ?」
 ひとしきり笑い終えた後、バブラクは静かに言って小首を傾げた。
「そうさなぁ……」
 再び過去の記憶を手繰るハリエット。
 戦災孤児のあの少女がいつから自分の側にいたのか、はっきりと思い出すことはできない。ハリエットらと違いゲリラ村の生まれではなかったから、ジオンの電撃的な侵攻を前に、連邦軍がなす術もなく敗退を重ねていた頃か。当時、戦禍に焼け出された近隣の人々が、当て所なく逃げ惑った末に転がり込んでくることがままあった。恐らくはその内の一人だったのだろう。
 ゲリラ村の人間が彼らに略奪行為を働いたことは、少なくともハリエットの記憶に残る限りはない。とは言え、迷惑な存在だったであろうことは容易に想像できた。地球連邦政府による統治体制を良しとせず、武力闘争をも厭わない集団と関係を持つことは、真っ当な庶民であればまず避ける。
 故に、両者の間には目に見えぬ壁があった。邪険に扱いこそしなかったものの、ハリエットらが積極的に彼ら難民へ手を差し伸べることはなく、彼らもまた、必要最小限の助けしか求めない。誰しもが多かれ少なかれ居心地の悪さを感じたものだ。
 そんな中にあって、一人あの娘だけが、進んでハリエットらと交流を持っていた。いつの間に傍らにあって、気後れすることなく言葉を交わす。もとより人懐こい性格ではあったのだろう。だが、まだ十歳かそこらの少女が、さして時間もかけずに気性の荒い連中と冗談を言い合う仲にまでなったというのは、尋常のことではない。
 思えば不思議な娘だった。自然に周囲と馴染む少女は、両者の間を行ったり来たりしながら、まるでパズルを組み立てるが如く、人と人とを結びつけた。
 一方に助けを必要とする人がいて、もう一方に手を貸せる人がいる。彼女が往復した後には、決まって両者の間に何かしらの関係が生まれていた。些細なきっかけも積み重なれば、やがては太い繋がりとなる。ゲリラ村の人間が難民達の手を借りる機会も増え、いつしか彼らは一つにまとまっていく。
 そしてその繋がりの輪は、以降も止まることなく広がるのであった。
「動き出したから、か」
 言いながら、遠い昔に聞いた“スナイパー”の言葉を思い出す。

 少女と共にゲリラ村へ合流したという元連邦軍中尉は、その狙撃の腕をもって村の存続に寄与した。ジオン軍の分隊から人型機動兵器モビルスーツを奪った時はもちろん、それを横取りしに来た連邦軍まで、彼は躊躇なく引き金を引いた。
「……容赦ないんだな」
 スコープの先で次々と頭を撃ち抜かれる連邦兵達を見やったハリエットは、半ば呆れた表情で彼を見やった。仮に裏切られても平気なように同行したが、その心配は杞憂に終わったようだ。
 腰に添えていた手を離す。と、そのタイミングを見計らったかのように、彼もまた、スコープから目を離した。
「連中は仲間などではない。奴らの隊長は、ジオンの侵攻阻止を名目に町を一つ焼き払った害獣けだものだ。なんの躊躇いがある?」
「ジオンに追われたわけじゃなかったんだな」
「ああ。だが、町の住人達にすれば、俺とて奴らの一員。憎しみの対象でしかない。正直、死を覚悟したよ」
 そこで言葉を区切ると、彼はタバコを咥えた。使い古したライターに火が灯り、紫煙が立ち登る。ふーっと口を吐く白い靄が、微かに草の香りを鼻腔に連れてくる。
「そんな時、あの娘が言ったんだ。『この人は相手を倒せる力を持ってる。私たちだけじゃ絶対生き延びられない。皆んなだって解ってるでしょ?』とな」
「彼女がそんなことを?」
 ハリエットは視線を林の奥へ向けた。スナイパーに懐いて離れない幼子らをあやす少女の姿が視界に映る。彼女がいれば子供達がスナイパーの邪魔をすることはない。取り立てて印象に残る娘でもないのに、不思議な存在感を纏った少女——。
「俺も、あの子らも、彼女のおかげで再び歩み出すことができた。たとえろくでもない世界であっても、動き出したからには前に進むしかない。あんたもそう思えばこそ、彼女の言うように行動してるんじゃないのか?」
 彼のその言葉を否定する材料は、何もなかった。ジオンより奪った青い一つ眼にハリエットが乗ることになったのも、彼女がきっかけだ。
「動かすならどんな人が向いてるの?」
 その問いに対するジオンを抜けたメカマンの答えに合う人間は、誰が見てもハリエットただ一人。スナイパーと同じ理由で仲間になった元ジオン兵の手ほどきを受け、ハリエットは短期間のうちに操縦を会得した。
「これで誰が来ても大丈夫だね、ハリエット」
 そう言って微笑んだ少女の顔は、どこか誇らしげでもあった。幾たびに渡ってハリエットらを支えた心地よく穏やかな笑顔。もはや取り戻すことの叶わぬ昔話の一コマ……。

「これが最後のチャンスと動き出したときから、あたしらは幻影を追い始めたのかもな」
 ハリエットがそう言うと、バブラクはブリッジの正面を遠い目で見やった。彼にも思い当たる節があるのだろう。同意を示すように軽く頷いて、ふーっと息を吐く。
 次いで頭を振るバブラクは、話題を変えた。
「にしても、よかったんですかい? いきなり一人で行かせて」
あの子コレット自身がやると言ったんだ。その心意気に応えてやるのが親ってもんじゃないか」
「そりゃまあ……」
 あっさり答えたハリエットに次の言葉を継げずにいると、悪戯な笑みが返ってくる。
「どうやらバブラクおじさんは、あたしより随分と心配性なようだ」
「よ、止してくだせぇ。こんなとこでおじさんだなんて」
 妙に慌てるバブラクの様子に、他のクルー達からも笑いがこぼれる。
 この艦、ヘーゼル・グラウスは彼らの生活空間であるが、建前上、ブリッジは公の場として区切ることにしていた。ほとんど有名無実と化していたが、バブラクは意外とそうしたことを気にする質だ。その上、幼少期のコレット姉弟は不思議と彼に懐いており、ちょくちょくブリッジを和ませた。そのことが、まるで昨日の出来事のように思い出される。
 キャプテンシートの受話器が鳴ったのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「はい」
 すかさず取り上げたハリエットが、相手の言葉に相槌を打つ。
「プランB2?」
 バブラクに目配せしながら会話を続けるハリエット。初めて耳にするプランであったが、コンピューターには登録があった。手元の端末で概要を一瞥して、一応納得をする。
 目的の座標が異なるものの、基本は先に確認していたプランBを概ね踏襲していた。受話器の向こうの声は、変更に至った根拠を明快に示す。彼女に拒否する理由はなかった。
「……分かったよ。了解した」
「なんです?」
「パトロール艦の予定が変わったんだと」
 受話器を置いたハリエットがメインスクリーンにマップを呼び出す。次いで、各プランの航行予定ルートと、連邦軍パトロール艦の予測針路を重ねた。デブリの多い宙域ではあるものの、プランB2以外は捕捉される可能性が高い。
「見ての通りだ。合流ポイントを移すぞ」
「そりゃ構いませんが……運び屋には?」
「コレットが連れてくるとさ」
「コレットが?」
 不審顔で首を傾げたバブラクに、彼女は無言で肩をすくめた。
「どうにも手回しが良すぎてなんですな、うちのボスは」
 やれやれと呆れたようにバブラクがぼやくと、ハリエットもまた、嘆息してシートに深く身を沈める。
「……やってくれ」
「ガッテンで」

※本コンテンツは作者個人の私的な二次創作物であり、原著作者のいかなる著作物とも無関係です。